「おい時峰。お前どこのクラスになった?」
「1ホームだ」
「あー、じゃあ離れたな。くっそー、そっちでも元気にやれよ……!」
「大げさな」
──そう思ったが、本当はこうして悔やむべきなのだろうか?
時峰零時には、詳細な感情がない。表情もあまり動くことはない。あまりの仏頂面に、よく怒っているのかと勘違いされる。
だがそれは正しくない。時峰零時はただ、何事にも靡いたことがないだけだ。
感情が靡かない。だからこそ、心から何かに対して取り組んだことがない。
人と心から打ち明けることもない。……それが間違っていることだと思っても、直すことができない。直し方を知らないからだ。
(感情はどこだ、あるいはないのか)
そもそもからないものに、すがっていても意味はない。靡かない感情と一生向き合っていけばいい。
「──あれ」
靴箱で話し込んでいたから、気づいた。ホームを通知する用紙は一枚。人が集っていて、それでもその奥から必死に覗き見ようとする姿があることに。
小さい体だ。それこそ、女児といえるほどに。いくら頑張って背伸びをしたところで、自分のホームを確認するのには時間がかかるだろう。
「…………」
別に、そうする義理はない。放ってそのまま自分のクラスに向かった方がいい。
そうとはわかっているのに、零時は何故か男子用の制服を着た少女に向かっていった。
「名前は?」
「えっ、え、あ、……」
「お前の名前だ」
「え、えと……引裂……」
名字か、あるいは名前か。しかしとんでもない名前だ。親は大層破滅的なセンスを持っていたに違いない。
それだけ特徴的な名前だから、すぐに見つけることができた。零時は同年代よりは頭ひとつぶんくらいは身長が高いので、人が沢山いても壁に貼り付けられた紙を見るには厭わない。
零時と同じ1ホームである。そうと伝えると、彼女は無邪気なほほえみを携えて、零時に言った。
「ありがと、助かった」
その瞳は。
どこまでも裏も、表もなく──故に、自分を映し出されているように思えたのだろう。
その瞬間だけ、彼の心は激しく波打ったのだった。
「……礼を言われることじゃない」
「わ、かっこいい。知ってるよ、それ、クールってやつだよね」
「じゃあ、また教室で」
「あ、え、えっと……」
「どうした?」
友人とはまだ話の途中だった。だから、その輪に戻ろうとする零時を、彼女は呼び止める。
彼女は頬を赤らめつつ、小さく言葉を絞り出した。
「い、一緒に行かない?」
「……けど、俺は」
「行け! いっちまえ時峰!」
「いきなり可愛い子引っ掛けやがって……行って来いよコノヤロー!」
「……なら、そうするか」
背後からのよく聞こえる囁き声に軽く頭を悩ませつつ、零時は彼女の提案に乗った。
「え、えっと……名前、なんていうの?」
「時峰零時」
「ん、じゃあ……時峰、でいいかな」
「好きに呼んでくれ」
「か、かっこいい……」
「…………」
反応に困る。
どうにもこの少女は、零時の雑な反応がクールなものに感じられるようだ。零時はただ話すのが下手なだけなので、そう言われると気まずく思える。
「僕もそうなれたらいいんだけどなー……時峰はすごいね」
「いや、別に……ん?」
何かが引っかかった。零時は何に違和感を憶えたのかを考えて、すぐに思い至る。
一人称だ。少女の口から放たれるにはやや特殊なそれが、嫌に馴染んでいる。本来女子がそういうと、どことなく演技臭く聞こえるものだが……そういったふうな違和感もない。
「……引裂」
「なにー?」
首を傾げる姿。かわいらしく思えるその仕草。だが、しかし。
「お前、男か?」
「やだなー、当然だよ」
その時の衝撃が、零時をかの魔法少女に惹きつけたのだろう。
──動くことはないと思っていた感情。それが大きく突き動かされたのはこれから先、村崎引裂のためだけだったのだから。
『我!! いず!! ウィナぁあああああ──!!』
『あああああああ天命が忖度したあああああああああ』
「煩いぞ馬鹿ふたり」
「フェリアうるさい。魔王様も静かに。メルが起きるの」
「……ぉん?」
「違うよ。まだ寝てていいから。よしよし」
「……ぉん」
パソコンの画面で、両手を上げて勝ち誇る女性と、机に崩折れる女性の姿。
このビデオ通話中にどうやらふたりだけでこっそりゲームをしていたようで、暴走する姿にフレンはため息をついた。
「……どうするんですか。まさかこんな事態になるとは思いませんでしたよ」
『まぁそうだよねー。えっと、こっちは魔法使えなくてパニックになってるけどそっちはどうなの?』
『こっちは……まぁ、生身の人間がふたりと羽の生えた猫が増えたくらいだな。部屋がちょっと狭くなった』
『ドーラさん、これほんとに相手に見えてるのです!?』
『興味深いな……この板で一体どうやって私たちを映してるのやら』
『ああこらふたりとも、邪魔するなって! ドーラさん、ごめんなさいね!』
『んふ、全然邪魔してもらってもいいんだぞ。ああそうだ、最近ちょっと寒いな。どうだ水槌、こっちに』
『やぁってらんねぇですよッッッ!!』
ずどん、と鈍い音。
「──で」灘華が言った。「まだサキがどこにいるのかはわからないの?」
『昔みたいに術式で連絡取れたりしないからねー、調べようにも大混乱。こっち側の勢力はもうアテにしないほうがいいかな』
「情報源がない……か」
『一応、ツイッターとかで見つけられないかとかは調べてるけど……こっちは広大すぎて無理だねー』
「……どこか、能力を使えるところはないか?」
『全部駄目。可能性がありそうな魔神は消えちゃったし……お手上げかな』
「そうか」
「…………」
どうするべきか。
フレンは考える。
勇者の力はもうない。今のフレンは出涸らしだ。常人よりも身体能力自体はあるが、けれどそれも一般的な達人程度のものに過ぎない。
そんな身で今の村崎引裂と、もし戦うことになったら──なにができるのか。
『へいへーい、フレンビビってるー?』
「喧嘩売ってるのか?」
『む、喧嘩か? 混ぜろ』
『や、やれらぁ! 頂上決戦だぁ!』
「フェリア、この間からテンションおかしいの」
『うぐっ』
そう言うと、彼女にしては珍しく沈んだ顔が浮かぶ。
『……正直、すごく不安ですね。今まであったものがなくなったんですから』
『気持ちはわかる。貴様、基本ゴーレム操作しか能がないもんな』
『んだとゴラァ!?』
「噛み付くなよ人間不信のチワワかお前は」
「人間不信のチワワ……かわいい」
『狂犬とよべぇーい!』
どういうノリだよ。
「……お前らは何を話してるんだ……」
「あ、零時さん。起きたんですね」
自分の部屋で寝転んでいた零時が、降りてきた。既に外出の準備をしている。
「どこに行くんですか? この間の傷、治ってないでしょう」
「動けるようにはなった」
「俺も行きます」
「いや、これは俺だけで行く」
「……どこに行くんです?」
軽く脇腹を抑えて、零時は言った。
「知り合いに会いに」
バイクに乗って、半日ほど。かつて訪れた、廃神社。
ありとあらゆる奇跡はなくなったが、それでも変わらずに独特の雰囲気を持つ男は、少女と一緒にぽつりと縁に座っていた。
「──よぉ、零時」
「……奇跡、起きたんですね」
「おう。今日ここにいるのも、奇跡に違いねぇわなぁ」
「……あの、お師匠様。この方は……」
「お前と会えるきっかけを作ってくれたやつさァ」
「──まぁ」彼女は、少し瞑目して。「……本当に、ありがとうございます」
零時は、何も言えなかった。ただ、目を瞑って──彼の長い祈りの果てを、ゆっくりと祝福した。
「……お願いがあります」
「おぅ、なんだ?」
「親友──村崎引裂を見かけたら、俺に連絡をくれませんか?」
「おぅ、任せろ。──で。それだけじゃないんだろ?」
「……よくおわかりで」
男──和邇煉瓦は立ち上がった。そして、その拳を零時に見せつける。
「よく見てろ──こいつは誰だって、同じことができる。実際、俺は自然にできるようになった」
──始まりは、力強い踏み込みだった。
理想的な肉体運びで、拳が振られる。それが岩に触れる。
拳がその表皮を削り取り、爪痕を残した。
「……やっぱり、そういう技術はなくなってないんですね」
「ああ。気は使えねェが、こういうのはできるわけよぉ。結局、これは力の使い方だ。これを身につけると、ある程度動けるようになる」
「──お願いします。俺に、それを教えてください」
「おぅよ」男は笑って言った。「キツイぜ」
「それは……望むところです」
零時は言った。それは本心だ。
消え去った親友を取り戻すためなら、時峰零時は何だってしよう。
それが彼の在り方なのだから。
奇跡が消え失せたというのに街は一切変わる気配を見せない。それはそうだ。基本的に、奇跡なんて必要としない人間が大半である。奇跡はなくとも困ることはない。
呪怨ほつれはケータイを突きながら、街の様子を観察していた。
彼ひとりではない。同伴者はいる。それも、とびきりのビッグネーム。
「……長。これ、どうしようもなくないですか? 一言で言うなら──無理ゲーです」
「お前の貧相な語彙はともかくとして、まぁそうだな。呪術を取り戻すなど不可能だ」
「ならどうします? まさか恋愛ゲーみたいにコミュ回積み重ねるわけじゃないでしょう」
「お前そろそろ現実をちゃんと見たらどうなんだ?」
「性分でして」
呪怨ほつれはそういう人間だ。自分でそう定義した。
だが、しかし呪術がなくなったとあれば──ことばで自分を縛る必要も、もうない。
「名字、もとに戻そっかなー……」
「……本当に良かったのか?」
男の言葉に、へらりと笑う。それが呪怨ほつれだ。いつも飄々としていて、どこかつかめない男。
「まぁ、今更昔の名前に未練はないですし。親もろくでもなかったし、今の名前は結構気に入ってますから」
「そうじゃない」男は言った。「
「…………」
そして、呪怨ほつれは。
否。
──神薙ほつれは、難しい顔をして、ぽつりとこぼした。
「俺、主人公じゃないんですよ」
「そうか」
それだけだった。
呪怨ほつれはモブキャラだ。それ以外にはなにもない。だからこそ、誰かの物語に少しだけ登場するようなものが望ましいし──主役に認知されるなど、烏滸がましい。モブキャラはモブキャラらしく山も谷もない起伏に乏しい人生をおくるのが一番である。
「……それで」沈黙に耐えかねて、彼は言った。「魔神のほうはどうなんですか?」
「連絡はかろうじて取れる。だが、こちらに戻ってくるには難しいそうだ。向こうのほうで説得を試みるらしい」
「そうっすか。……しかし、まさかこんな事態になるなんてねぇ」
呪怨ほつれは街を歩く。同伴者は、既に老躯であるが、年を感じさせぬ足取りで彼と並走する。
「自分の孫がやらかすなんて、まさか思ってなかったでしょう」
「否定すれば嘘になるな」長は言った。「やらかすのは
「長だって相当ヤンチャしてたでしょう」
「そんな可愛らしい表現を使うのはお前だけだろうな、ほつれよ」
「俺、昔から表現が絶妙に下手だって言われるんですよねぇ……」
「それは……」
長は言い淀んだ。長とあろうものが言い淀んだ。
束の間の沈黙を破り、長が言った。
「お前、センス全般が絶妙に死んでるからな」
──呪怨ほつれはファッションセンスが死んでいる。
洋服の上から半纏を羽織り、下はジャージにクロックス。そこそこ整った顔立ちを、服装が完全に殺していた。
喫茶店にて。
「ヤローふたりで喫茶店って、なんかあれだと思いませんか? ギャルゲーで筋肉ルート選択するみたいな」
「肉でも食うか?」
「それはそれで嫌ですけどね」
「ならばあれか。スタバとやらに行くか?」
「俺スタバ行ったことないんですよねー。ああいうの、イキリ中高生が集るイメージ強くて地雷です」
「足の踏み場もないな」
そんなバカ話をしながら、適当に注文をしてタブレット端末を操作する。
チャットツールを展開し、選ぶのは自己主張の激しいアイコンだ。
送られてきていた動画ファイルを開いて、テーブルに端末を置いた。
『──なーっはっはっはっは! こんな状況になったら私、大活躍であるな!』
『はいはーい、煩い黙れ黙って要点だけまとめろ』
『リースのくせに生意気であるな? 喧嘩か? 今なら私最強であるが?』
『イキるな合法ロリババアクソメガネ』
『あっれー!? 罵倒の語彙が堪能であるな!? いっつも人を罵るからそうなるのであるぞ!』
『事実を陳列しただけなんだよね』
そのやりとりが暫く続いたのでほつれは黙ってシークバーを動かした。
『高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない……ということでー、ちらっとオカルト入ってるであるが転送システムをちらっと作ってみたのである。命が惜しくないやつは私に言ってくれたらいつでも実験台にするからこいなのだ!』
「この誘いに乗るやついるんですかね」
「いるんだろうな」
というか、知り合いにも結構いる。
呪術師は基本的に命に無頓着なのだ。
『この調子でもっといろいろ造るから、期待しとけーい! なのだ!』
「……なるほど」
端末をスリープモードにしつつ、テーブルの端に寄せる。タイミングよく店員が商品を持ってきた。
ほつれにはコーヒー、
長にはパフェだ。
「……あの、長」少し引き気味だったかもしれない。「イメージに合わないというか……その」
「ウケ狙いで注文した」
「自分でキリつけてくださいよ」
「このくらいわけないわ」
と、言って実際にあっさり食べ終わるのだから恐ろしいものである。ほつれは甘いものが苦手だから、見ているだけでも少し気分が悪くなりそうだった。
どうにか視線を甘いものから逃がそうと、ほつれは窓の外に目をやった。
「…………」
「…………」
神薙灘華が凝視していた。
見なかったことにして、店内の様子に目を移す。女性客や、家族連れの客。ひとり客にカップルなど、いろんな客がいる様子だ。
「お一人様でしょうか?」
「いえ、待ち合わせてます」
なるほど。逃げ場はないようだ。観念して、ほつれは正面に視線をやった。
「……サキのお爺ちゃん、なの? すごい人なんだ。おにいちゃん、すごい人と知り合いなんだね」
「俺は貴方の兄じゃありませんよ」
「酷い兄だな」
「ほんとにですよねー」
「…………」
素晴らしく気まずい。
「……それで、貴方はなんでここに?」
「零時さんが知り合いに会いに行くって言ってて。おにいちゃんのことかなって思ったの」
「俺は彼と仲がいいわけじゃないので」
「……ふふ」
嫌な笑みが浮かんだのを見て、ほつれは気まずさに目を逸らす。どうにかして、この状況を回避できないものか。
果たして、ほつれの望みどおりに状況は進展した。
『──あー、あー、あー』
──端末が勝手に起動し、少女の顔を映し出した。
それはほつれのものだけではない。店内のあちこちから同じ声が聞こえる。おそらくは全てのケータイの画面に映っているのだ。外を見れば、自分のケータイを見ている姿がよく見える。
『まいくてす、まいくてすてす。……聞こえてるかな』
「……向こうから来ましたね」
「おにいちゃん、貸して」
「待て。警戒しろ。呪われるかもしれないぞ」
『聞こえてるっぽいね。ならまずは自己紹介』
そういって、モニターの向こうの少女は。
『私は神様。よろしくね』
空を飛びながら──そういった。
『えーっと、この世界を発展させる手段を思いついたからー、ちょっと試してみよっかなって思ったの』
「……舐め腐ってますね」
『思った以上に文明の成長が遅かったからさー、もどかしくてね。だからちょっとこの世界を一気に発展させてあげようと思ったんだ』
舌打ちひとつ。呪怨ほつれは考える。何が起こるのか、を。
『あとさ、言葉多すぎ。人も多いし、いろいろバラけすぎなんだよ』
彼女は言った。
『──統一しなきゃね』
そして、世界が動き始める。
仙人は仙人になった瞬間なんかいろいろ目覚めます(ここガバ)