「ああ鬱だ、死のう」
人生の袋小路を想像し、将来に疑問を覚え死にたくなった。そう思い立ったが吉日ということで、ベランダから飛び降りた。
「──まったく、我じゃなかったら死んでたわい!」
「……は、はぁ」
自殺は未遂に終わったのだった。
彼は知らない。己が頭から激突した少女が、裏の世界でも指折りの怪物であることを。
──そして、その怪物に奇跡のような口吻をしてしまい──それにより、怪物に惚れられてしまったことを。
彼は知らなかった。
その怪物の名はレギオン・ガリオン・バルガルドーラ。
一般的に、魔王として名を轟かせている──真正の怪物である。
魔王は困惑していた。
(長く生きてきたのだが──なんであろうか、この胸の高鳴りは。
勇者のヤツに覚えたそれよりももっと……)
魔王は唇をなぞる。彼に奪われた唇だ。これまでの人生で、数えられぬほど口吻はしてきた。けれど、こんなのは初めてなのである。
(ひょっとして──これが殺意か!)
魔王は鈍かった。
その圧倒的な力により、誰かを殺す気など抱いたことがなかったのである。戦闘の高揚こそ知っているが、しかし彼女にとってそれはあくまで戦意。
初めて知る感覚を既存の知識と当てはめるとき、だいたい人は己のものさしで判断する。
戦闘以外に能がなかった魔王が己の感情を殺伐なものと勘違いするのは仕方ないことである。
「……本当にすまない。まさか下に人がいるとは……」
「ふむふむ。お主、名前は?」
「え? 福間水槌って言うんだけど……」
ふむ、と魔王は頭の中で名前を復唱した。
名前も、その声すらも、心をぞわぞわとさせる。
やはり殺意に違いない。魔王はそう納得した。
(うわぁぁぁぁ名前押さえられた……訴えられるんだ……鬱だ……死にたい)
そしてこの男はアホであった。
マンションの4階から飛び降りて、押し倒してしまったのだ。怒っていないわけがない。
4階から落下してきたものにぶつかって、少女が痛がるそぶりを見せていないことをまず怪しむべきではないだろうか。けれど彼は今自分のことでいっぱいいっぱいである。そんなことには気が回らない。
「……では水槌と。お主、このあと暇か?」
「……は、はい」
(ふ、ふふふふ……この私の殺意を気にしていないとは鈍いのか、それとも豪胆なのか……! いずれにせよおもしろい男である!)
(はー俺の人生終わるんだぁ……お母さん、お父さん、ごめんなさい……お金の支払いは任せた……)
2人が2人、すれ違った勘違いをしたまま──交流は、始まったのである。
「へぇー、サキちゃんったら仙人の卵とあったの? すごいわね……」
「一般的に仙人になろうとする人と言うと、1日の大半を瞑想で過ごしたりするのですよ。だから会えたのはすごい確率ですね」
「うぬ、私は仙人のマネごとできるであるよ。成りかけの仙人なんかよりよっぽどすごいのだよ」
自慢すんな。
と、思いながらパフェをぱくり。スプーンですくって食べる。うん、甘い。
今日はなんか、ゾラの元気がない。と思ったが、女子の集団だからいまいち出ていけないとのこと。人を無理やり魔法少女にするようなやつにそんな配慮ができたとは驚きだ。メルなんかは外に出てきているのに、こいつが尻込みする理由はないと思うけどなぁ。
「にしても……まさか、作ってる途中でアクシデントなんてねぇ」
と、母さんが1人食べ終わっていない俺を見て、言った。
……そう、途中でなにかあったようで、俺のパフェが到着したのは周囲が食べ終わる頃だったのである。不幸だ。地味な不幸だ。まじかよ……と思う気持ちはあるが、想像していたものと比べればまだまだかわいらしい。たとえば、鳥のフンが落ちてくるとかみたいなものよりかは。
──ばしゃあ。
走っていた女の子が、俺の座っていた椅子にひっかかりこけ、持っていたカップの中身が俺を濡らした。
「……ふぇっ……わ、わたしのフロートぉ……」
「……」
「……ふ、ふぇぇぇぇん……!」
「わー!? 泣かないでぇ!? ちょ、ちょっと……!」
「す、すいませーん!! ああ、べっちゃり……ほんとにごめんなさい……」
「だ、だいじょうぶですから……! ああもう、不幸だ……!」
フラグを立てたからか。というかなんでちっちゃい女の子なのにメロンソーダのフロートなんだ。炭酸に慣れるの早すぎだろ、すっごくべとべとする。
一応、服は買っているから着替えることはできる。清掃術式を使えば元の状態に戻すこともできる。べとべと感も同様だ。だから、こちらはあまり問題ではないのだ。
問題は、このちっちゃい女の子だ。どうしようか……と考えると、母が立ち上がった。
「はーいお嬢ちゃん、この猫ちゃんを見て?」
「ふぇ……?」
メルをその手に持って、である。さすがに生き物は入れられないので、今のメルはお人形モードである。
「この猫ちゃんがなんと……! おっきくなっちゃった-!」
ハンカチで隠し、それを退けた一瞬の間にメルのサイズが変化した。抱きかかえるのに適したサイズの大きさだ。
流石にそれには驚いたようで、彼女だけでなく母親まで目を見開いている。その間に、俺は財布からお金を取り出して、母親に差し出した。パフェとフロートで迷ったため、値段は憶えている。
「いえ、こちらの不注意が原因ですから……」
「いえ、でも全部落としちゃいましたし……」
「……で、でも……」
「……ゾラ」
『君ってほんとに馬鹿だよね。はい術式』
「受け取ってください?」
「……は、はい」
そう言って、女性にお金を渡した。そのまま女の子を連れて、母親はまたカウンターに向かっていった。よし。ゾラはあとで曲げる。
「……ふう」
「地味に高度な術式を使ったであるな……褒めるべきか? これ」
「まぁ、さっちゃんの人柄を信用してなかったら私が打ち消してたから、むしろ邪心なしであれができたさっちゃんを褒めるべきじゃないかな?」
「メルちゃん、ありがとうねー」
そう言って母は席に戻り、俺の姿を見た。
「サキちゃん、着替えてきなさい」
そして、そう言ったのだった。
「え? なんで……」
「そのとおりである。さっさと着替えてくるのだ」
「女の子だらけだからよかったけど……うん、早く着替えてくるべきだよ」
「……たしかに」
自分の格好を見下ろして、そう思った。
そりゃあ濡れると透けるよな。特に白いと。
「……ど、どうだ、美味しいか?」
「……は、はい。すっごく美味しいです……」
けど、と水槌は心の中で続けた。だが魔王が尋常でないほど喜んでいる様子なので、彼は何も言えなかった。
彼らがいる場所は、喫茶店である。そこでカップル限定とされるパフェを頼んだのである。そして張り紙を真似、魔王が実行した。
所謂『あーん』を。
(や、やべぇ……なんで俺こんなとこにいるんだ……あ、あれか? 美人局……? 俺を財布扱いに……? ふんだくるだけふんだくってから、きっちり慰謝料ふんだくっていくやつか……?)
彼は馬鹿である。衝動的に死にたくなり、そしてベランダから飛び降りた真正の馬鹿だ。そんな馬鹿なので、女性経験は皆無だった。そんな、顔を真っ赤にしてテンパる彼を見て、相対する彼女は笑った。
まどわせるような色香を込める、魔性の笑みだ。そして水槌は確信した。自分の考えが正しいことを。
(く、くそ……せめて、何か反撃を……!)
「あ、あの……ドーラさん」
「ん? どうした?」
そして、水槌はドーラの手からスプーンを取った。そして、パフェを少しだけ──彼女の小さい口に入るくらい──取って、
差し出した。
「……は、はい。どうぞ」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……ふぇ」
ぼんっ! と。
そんな擬音がぴったりなほど、魔王の顔が赤く染まった。
(……な、なんだこの胸の高鳴りは……顔も、たぶんすっごく赤いぞ……!? ひょ、ひょっとして……怒りか!? この我が……水槌の、今の行為に、怒りを抱いていると言うのか!? ……わ、我はそんなに狭量なものであったか……?)
彼女はやはりずれていた。
「……や、やっぱり俺なんかじゃ嫌ですよね! すみません」
「い、いや……嫌というわけでは、ないぞ? 食べる、食べるから!」
(ま、マジか……これに乗ってくるのか……!? ど、どうしよいきなりめっちゃ緊張してきた……死ぬ……)
(わ、我が断ればたぶん、あのままあいつの口に……だ、だめだだめだ! それはなんか、こう……すっごい怒る! ……ぬ、ぬぅ……魔王たる我がこの程度のこと、できずしてどうするのだ……!)
そして、魔王はゆっくりと口を開く。震える手が、ゆっくりと口に近づいているのが怖くなり、魔王はぎゅっと目を閉じた。
「……あ、あーん……」
「……んむっ」
そして、口の中に入った。スプーンの上から口の中に移したものを飲み込み、ようやく魔王は目を開く。
「……う、うむ……甘い、な」
「で、ですよね。……甘いの、好きですか?」
「……実はあんまり。た、ただ……その、限定って言葉には、ちょっと惹かれた」
「……」
そして、2人は黙り込んだ。
(こ、こここここれは罠だ、巧妙な罠だ! こんなかわいい人が俺なんかまともな相手にするわけがない! 期待するな期待するだけ無駄だいやいやそういえば今のって間接キスなんじゃ……ま、まじか……この人まじか……! で、でも躊躇してたし……!)
(……う、む……言葉がぁ……言葉が出てこん……普段はこう、即興でも演説できるのに……な、何故だ……なぜこうも言葉が出てこんのだ……!? な、何故だ……違う、我は普通の話ができんわけでは……!)
「「あ、あの」」
((被ったぁ──!!))
お互いに、熱でショートしそうな頭をどうにか働かせながら、次の言葉を考える。
「……み、水槌から頼む……」
「……は、はい。……あの、ですね、ドーラさん……
……さっきの、間接キスになりましたけど……大丈夫ですか……?」
「間接……キス……」
復唱して、
「…………ふぇ」
魔王の頭は情報を処理しきれなかった。完全に思考が空白になる。
(……か、かわいい……)
そして、意図していなかったところを突かれた魔王を見て、この男の頭もショートした。
(……き、ききき……キスぐらい今更! とっくのとうに慣れているし、なんなら最初もした! なのに何故だ……なぜこうまで、心を乱される……! ……あ、相手が水槌だからか……!? な、なんだ……我はそんなにもこいつに殺意を覚えていたのか!? 自分で自分がびっくりだぞ!?)
(……さっきから、ずっと無言だ……そりゃそうか……キモいこと言ったしな……鬱だ、死のう。日本人は武士である……武士道とは死ぬこと……内臓30メートルくらい飛ばして死のう……)
──店から出て、街を行く。
(……ひょっとして、この人……実はあんまり俺に怒ってないんじゃ……?)
と、そこで、ようやく男は正解にたどり着きかけた。
先程、金目当てだったのではないかと思ったが、先程のパフェの代金は彼女が全部払ったのである。そのことで店員さんから「男なら甲斐性見せな」という旨のことを言われたが、自分としても払う覚悟くらいしていたのだ。
(……なぜだ、なぜこの人は俺を誘う……聞いてみるか?)
と、水槌が思ったときである。
魔王が、水槌の手に自分の手を重ねた。そして、指を絡めるように握りしめる。
「……」
「……」
「……はぇぁ!?」
「……い、嫌だったか……?」
「……」
「……す、すまない……」
「……い、嫌じゃないです、よ」
「……」
「……」
寂しそうに離された手を、水槌のほうから取った。そして、無言になる。
気まずい。水槌はそう思った。
(お主のほうから来るなど想像できるかぁ!? わわわわ……し、心臓がすごくうるさい……)
魔王はテンパっていた。
「……あの」
「ひゃい!?」
「……すみません……」
「あ、わ、ぜ、全然!? 大丈夫だぞ!?」
「……は、はい……」
魔王の顔はもう、ずっと真っ赤である。
「ドーラさんって、どこの国の人なんですか?」
水槌はひねり出した。あたりざわりのない話題を。なんとも無難な話題である。彼は自賛した。
問われた魔王のほうはというと、赤い顔を更に赤くして、「イギリスらへんです……」と答えた。実際は全然違う場所である。なんなら地図上には存在しない。
「へぇー……日本に来てから長いんですか?」
「いや、全然。昨日初めて来たばかり」
「ほー……にしては、日本語上手ですね」
ぎくり。
魔王は術式に翻訳を任せているので、勉強せずとも話すことができる。が、それは一般的にはおかしいことだろう。だからこそ言い訳を考え、
「う、歌が好きでな! ずっと聴いてたら、覚えれたのだ!」
「日本の歌? ……ふふ。歌、好きなんですか」
「う、うん。……水槌は歌、好きなのか?」
「ええ、大好きです」
そう言って、福間水槌は。
『──お前には才能なんかない』
『なんでこんな事もできないんだ』
『逃げるのか、将来ろくな大人にならんぞ』
『──たす──水槌──』
『なんで助けてくれなかったの?』
『──ああ鬱だ。最低な気分だ。死にたいなぁ』
『──ざまーみろ、もう恋なんてしない、馬鹿な思い出にばいばいだ』
『──だからもう、俺にはこれしか残ってねぇんだって』
──福間水槌は。
「心のそこから、大好きです」
そう言って笑った。
「……あぅ」
それは恋愛下手な魔王様には、威力抜群の笑みだった。
彼女は気づけない。福間水槌が抱える過去の傷も、彼が捨てたはずの思いも、
そして、とうに捨てたはずのものに、再び火が灯りかけていることも。
彼女はまだ、知らないままだったのだ。
福間水槌
一般人。
魔王に惚れられた彼はこれからどうなるのか。
魔王
水槌に一目惚れしてしまった人。
戦闘力は高いかわりに恋愛能力を失った。美少女。
水槌の前でこそこんなだが、実際はとんでもないカリスマ性で今は教会勢力の頂上に立っている。
魔王だからって悪い子じゃないんやで。
実はパフェの食べさしあいっこの最中にソアラに見つかった。