風は吹かず 作:空気風船
『
『
よくある応援ソングの一節。
これを聞いて奮起し、今日を精一杯生きる人は多いことだろう。
そうでなくとも、これを聞いて渋い顔になる人はそんなにいないと思う。
これを聞いて。
『あぁ、明日はきっと希望に満ち溢れているのだろうなぁ』と。
そんなこともあった。
でも、来ない。
明確に何かがあると分かっていれば、勿論来る場合もあるけど。
でも何もなければ、なにも起きない。
絶望の『今日』を乗り越えても、ただそれだけでは希望の『明日』は来ない。
理不尽だ、そう思うことなかれ。
考えてみることもなく、当然である。
だって、今日と次の日は地続き。
もっと言えば、今日の次に来るのは、単に次の『今日』なのだから。
今日が終わって、寝て日を跨いで。
起きたら始まるのは、次の今日。
日付上は次の日だが、文字通り夢見た『明日』ではない。
そして始まった今日の中で、また『明日』に希望を見出して頑張る。
これでは、鼻先にニンジンをぶら下げられた馬とそう変わらない。
『明日』を掴むには、ニンジンを口元まで運ぶ必要がある。
ニンジンを振り子にできる馬だけが、『明日』に辿り着けるのだ。
ニンジンを食べて、『明日』にたどり着いて、その後は?
もう少し取りにくそうな場所に。
何もしなければ今日が死ぬまで続くだけ。
何かを為せば『明日』が今日に成り代わるだけ。
人間は進歩してきた。
ずっと人間は、『明日』を今日にしてきた。
100年前の人は良い時代だと微笑むだろう。
1000年前の人は遠い異次元を見るような気分に違いない。
10000年前の人は最早何が起こるのかも理解できないかもしれない。
それが、『明日』になった今日の姿。
そして今日に生きる人々はいつか来る『明日』を見て、目ん玉をひん剥く筈だ。
なんたって、まだ誰も見たことがない『明日』なのだからね。
だから、馬は今日を走る。
『明日』を目指して、絶え間なく続く今日を。
この宇宙に
ならばきっと。
この世が本当の意味で明日になることは永劫ない。
過去に生きる人は今日に意味を持たせられず
未来に生きる人は今日に価値を持たせられず
今日に生きる人は意味も価値も知らない