湯浴みをして、清々とした気分で身嗜みを整える。
「...お化粧は要らないわよね」
姿見で隅々まで確認してから、私は自室を出た。
普段の喧騒から想像もできないほどの静けさだった。私の靴音と四十雀のさえずり、食堂の方から微かに聞こえる話し声が響いている。
夜間哨戒の終えた娘達かしら――そんなことを考えながら廊下を歩いていると、いつの間にか“彼女”の部屋の前に着いていた。扉を三度叩き、声を掛ける。
「失礼します」
返事がないのはいつものこと。特に待つこともなく扉を開けた。慣れ親しんだ扉の軋む音が、耳に障ることはもう無い。締め切られた小部屋に入ると一切の音が聞こえず、一抹の不安を感じる。寝台に横たわる彼女の微かな息遣いだけが空間を支配していた。
「...」
彼女に近づき、横顔を覗く。
長い睫毛に、艶めいた唇。真っ白な肌とは対照的に、吸い込まれそうになる真っ黒な長髪。小さく上下する、華奢な肩。彼女の肺に取り込まれた酸素は身体を巡った後、瑞々しい唇の端から漏れている様だった。
暫く彼女の横顔を見つめ――と、見つめすぎた。漸く彼女を起こす。
「提督、起きてください」
「ん......」
声を掛けた瞬間、提督は瞼を開ける。この鎮守府の司令長官である彼女は朝に弱い。私に向いた流し目が、未だ意識がはっきりとしていないことを語っている。
「......やま、しろ?」
「はい、山城です。おはようございます、提督」
「ん......」
「朝ですよ。早く起きてくださいな」
暫くジッと私を見ていた提督が嫌らしく口角を上げる。幼子みたいな、無邪気な顔。
「ねぇ」
「なんですか」
殆ど声帯の振るわない掠れ声。音は拾えなかったが、提督の唇から何を言ったのかはわかった。
「おいで」
仰向けになり、両手を広げる。
普段は大人びている提督だが、二人きりの時は態度を豹変させる。提督は、私には甘えてばかりだから――
「気持ち悪いのでやめてもらえますか」
「嫌なの?」
「嫌ですよ」
「残念」
提督は全く残念そうにせずに呟くと、上体を起こした。そのまま私の手首を掴み、
「じゃあ、私から」
「きゃっ!ちょっと...!」
私を押し倒し、そのまま覆い被さってきた。華奢な割に、まあ力の強いこと。
「あったかいね」
「知りません...あの、邪魔なんですけど」
「嫌なの?」
「...」
「あはは」
聖母様のような優しい微笑を浮かべた提督は、細い指で私の髪を梳き、そのまま掌を私の頬に添えた。体温の上がり切ってない彼女の手が心地よくて、耽溺してしまいそうになる。
提督の顔が近づき胸が早鐘を打つ。頭がだんだんと回らなくなり、遂には部屋に聞こえる浅い呼吸がどちらのものなのかもわからなくなった。
「...いいよね」
提督はそう言うと、髪をかきあげて目を閉じた。
わからない、わからない、けど――
「――んっ」
私は、義務感のようなものから瞼の力を抜き、外の世界から脱した。ただ唇に感じる提督の熱を受け取る。
提督と二人だけの世界で熱を貪りあうのだった。