剣と念の悪鬼夜行 作:狂戦士
47話
お香の家に身を寄せてから、早くも1週間が経過した。
「紗江!紗江!息をしてよ!ねえ!ねえ!…紗江ぇぇぇ!」
彼女の必死な看病も虚しく、娘の病は急転直下と言わんばかりの速度で全身を蝕んでいった。
(…クソっ)
こんなことであれば早いうちに本人の是非を問うような甘い対応などせず、問答無用で鬼にしておけば良かったと思うが、今となっては後の祭り。
「あぁ…紗江…ごめんね……」
気づいた時には、その命はたった1週間という僅かな時間で徒花へ落ちていた。
今彼女は娘の亡骸を前に泣き崩れている。病が少しでも良くなり、娘と共に鬼として新たな人生を歩みたいという彼女の意志は、脆くも崩れ去っていった。
「…………」
今は亡き屑夫には家財も使用人も全て奪われ、唯一無二の存在である娘でさえも病という厄災によって奪われている。
全てを奪われた不幸の慈母を前に、俺は何を口にすればいいのか分からなかった。
「……ねぇ、朱雨さん。こちらへ来て頂けませんか?」
「…………なんだ?」
囁くように小さくか細い声で、彼女は俺の名を口にした。俺は彼女の望み通り、娘の亡骸を正面に彼女の傍らへと寄り添った。
「…………あの時の鬼になれる血、頂けないでしょうか?」
あの時の血。それが指すのは1週間前のあの日、娘が話せるようになるまで回復したら本人の意思を問えるようになるからそれまで待って欲しいと、俺に返してきた無惨様の尊き血。
「…死者を鬼には出来ない。それを踏まえて質問で返すことになるが、いいのか?」
ちなみに、この時俺はあえて
彼女の予想した未来は既に絶たれているが、彼女はその血をどう使うのか。
「……娘の通夜が終わるまで待っててください。次に会う時は、きっと貴方の期待通りの姿に」
「……そうか、待ってるぞ」
娘を亡くしたばかりで頭が溢れているであろうというのに、彼女は既に鬼となった自身の未来を見据えている。
何と強靭な精神を持つ女性なのだろうと、益々彼女を鬼に勧誘したくなった。自らの不幸を呪い、苦境の中でも常に先を見通せる、これは猗窩座以来の逸材ではないかと思われる。
「…これで霊人形にする必要も…失せたか……」
これ程までの将来性を帯びた逸材、もし彼女がこのまま気を病んで娘の後を追おうとする最悪の事態になった場合、最後の手段として血鬼術の霊人形を用いて黄泉の国から強引に娘の魂を連れてきて後追いを防ごうといったことを考慮していたが、その必要は無くなった。
__それに、霊人形は本当に本当の最後の手段でしかない。
だいたいの場合、霊人形としてこの世に顕現した者の殆どは、コブだらけの老人姿である半天狗を例に醜い姿となることが予想される。何故そんなことになってしまうのかというと、1回既に死んでいるからだと俺は勝手に予想を立てているが、とにかくそんな醜い姿となってこの世に再び舞い戻った娘を見て彼女はなんと思うか。可能性として1番考えられるのは、「こんなの娘じゃない」と悲しみに追い討ちを掛けて事態の悪化を招く救いようのない展開。
こんな将来性に溢れた大物を釣り落とすのは非常に惜しい。だからこそ彼女がこうも強かで悲しみに引きずられない性であったことが不幸中の幸いだった。
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(全て思い通り…ね)
通夜を終えた夜、私は1人人気のない路地裏で密かにほくそ笑んだ。
(もう…これ以上の幸せは無いかもしれないわね………)
私はなんと
不幸な慈母を演じるだけでここまで周囲の者たちにチヤホヤされるなんて。現に先程の通夜でも、娘の屍を前に泣き崩れる演技をするだけで周りの人間が気の毒がって見舞品を片手に来てくれる。
それだけにだけに留まらなず、まさか人を捨てて全てを超越する存在になる機会をあの方から与えられるなんて。丁度娘が言葉も発せなくなるぐらい弱ってたのも功を奏したと言える。無駄な手間なく、そして彼に疑われることなく娘を処分できた。
本来は鼠退治に用いるヒ素毒を、毎日少量ずつ娘の飯に混ぜておいてよかった。
(うふふ…)
私はただ幸せになりたいだけ。鬼になることで他人からあれこれ奪える人生へと変貌するのなら、私は自ら進んでその道を歩もう。
__その為なら、夫も娘も要らない。
「さあて、そろそろ……」
周囲に誰もいないことを確認し、私は懐にしまっていた例の試験管を取り出す。
赤黒く光沢を放つ禍々しいこの血が、これから私を鬼へと導いてくれる。
そんな未来を考えるだけで心が昂ってくる。
「頂きます」
私は一気に血を喉の奥へ流し込んだ。
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それより少し前のこと、弥栄の屋敷内にて。
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(何処…何処にあるの…?)
屋敷内のとある薄暗い部屋にて、私は古びた戸棚やら引き出しを物色していた。
(お父さんに早く伝えないと……その為に証拠となりそうなものを……)
1週間程この屋敷に潜伏してお父さんと再会する機会を伺っていたのだけど、その時とんでもないものを私は見てしまった。
(…なんであんな奴とお父さんが)
私は偶然にもお父さんを屋敷内のとある一角にて見つけたものの、その際何故かお父さんの隣には1人の女性の姿があった。そして、お父さんとその女性の正面には布団の上で苦しそうに横たわる幼い少女の姿。
そしてお父さんはあろうことかその女性に対して鬼への勧誘を行っていた。
(…アイツはヤバい。絶対にお父さんに近づけちゃいけない……)
人間時代、ずっと毒親や組織内における屑みたいな輩を目にしてきたから分かる。私の勘は奴に対して激しい嫌悪感を告げていた。あの女から、私はとんでもない人の内に潜む悪意というものを嗅ぎ取ってしまった。
(お父さんは奴のヤバさに気づいてない。早く、早く伝えないと……)
あの後ろ姿、素人目からしたら間違いなく優しい慈母のように映ってしまう。けどその実態は違う。あの少女は恐らくあの女の手で弱らされたんだ。
お父さんの性格上、あんな利己的悪意の権化みたいな人間は、その本性が分かれば女だろうが老人だろうが即刻殺すだろう。でもお父さんはあの女に親身になって接している。
__つまり、お父さんの目にはあの女は慈母のように映っており、その本性には気づいてない。
(しかもお父さんのあの口調……)
お父さんがあんな優しく接するのは、惨めな人生を送ってきた強い鬼の素質を秘めた人間たち。
あるいは、親しい関係になりえる者たちだ。
(このままだと………非常にマズい)
私たち家族は、今現在お父さんと弟と私の3人だけ。そう、家族関係であればほぼ確実に存在する筈の母親が不在。
(やだ…あんなのが母親になったら……)
あんな毒親、誰が好き好んで母親として迎え入れてやるものか。しかも鬼としての歴は私の方が圧倒的に上で歳上だし、あんな下衆が母親とか死んでもゴメン。私にはお父さんさえいてくれればそれでいいの。
だからこそ、何としてでもあの女が鬼化後に母親枠につくのを防ぐため、そしてお父さんに奴の本性を知ってもらうため、私は証拠となりえそうな物を必死に探している。
(この引き出しで最後だ……)
そして遂に、この部屋でまだ未探索の場所はこの古びた机の引き出し1つだけになった。いよいよ、ここにそれらしいものが無ければ、あの女が狡猾に自身の悪事の証拠を隠蔽している、もしくは私の勘違いという事が分かる。
(…えい!)
そうして最後の引き出しを開けると、そこには1枚の紙が入っていた。
(…うわ、何これ)
取り出してみるとその紙は、茶色いインクのようなもので滲んでいた。匂いを嗅いでみると、ほんの微かに血の匂いがする。そして何か文字が書いてあるみたいだけど、暗くてよく見えない。
(…これは詳しく見てみる必要がありそう)
そうして私はその紙を片手に立ち上がり、辺りを手探りして光源になりそうなものを探す。
(…これは)
そこにはマッチ棒らしきものが落ちてあった。屋敷も部屋もかなり年季が入っているけど、何故かこのマッチ棒だけ時代からかけ離されたようで、最近使用した形跡もあってそこそこ使用可能な状態であった。
ならばと、私は迷わず棒に火を灯した。
「…これは」
そうして文字が読めるぐらいまで明るくなったことで内容を確認した私は、思わずその紙を手放してしまいそうになった。
そこには歪で苦痛に喘ぎながら書いたであろうあの少女の遺したものと思わしき文字列。それがまるで最後の瞬間に書き残したかのように残っていたのだ。
___どくをのませた
____てをやいた
___わたしは要らない子だという
(…間違いない)
血で書かれた子どもらしき文字列。これは、あの女が慈母なんかではなく、ただの毒親であったことを示す立派な証拠だ。
(よし……)
お父さんに近づく糞女を間引く魂胆は整った。あとは再会するだけ。
(待っててね〜♪お父さ〜ん♪)
しかし、この時既に私の近くまで鬼狩りの魔の手が忍び寄っていることに、私は気付く由もなかった。
ー明治コソコソ噂話ー
弥栄は朱雨のことを幸福へと導いてくれた鬼として感謝してます。一方の朱雨は弥栄のことを未だに哀れな慈母として見てますが、果たしてその本性に彼が気づいた時どうなるのやら…