吾輩は呂布である   作:リバーシブル

17 / 25
「小咄」

 

 

「あんた……アイツをあんな風に放っておいて、私なんかと呑気にお茶してていいわけ?」

 

 放課後のカフェ。向かいの席で優雅に紅茶を傾ける少女に対し、伊吹澪は周囲を警戒しながら声を潜めた。

 

「ふふ。彼とお話する時間は、それこそいくらでもありますから。それに澪さん、彼は放課後に同じクラスの女子生徒と楽しくお茶をしているだけで、いきなり激昂して問題を起こすような短絡的な人ではありませんよ」

 

 ひよりはカップを置き、ふわりと花が咲くような笑みを浮かべた。

 だが、その穏やかな発言を聞いてなお、伊吹の強張った表情は1ミリも緩まなかった。対面に座るこの可憐な女子生徒が、龍園からも一目置かれる”正式な”Cクラス幹部であることを知っているからだ。ひよりがこともなげに口にした台詞を、伊吹は到底そのまま信じ切ることはできなかった。

 

 件の人物は、入学以降、たしかに表立って目立った言動や行動はしていない。

 実際に問題となるアクションを起こした回数でいうならば、クラスの絶対的リーダーである龍園翔の方こそ、よほど注意が必要だろう。現に、自他を含めたクラスで『暴君』と蔑まれても仕方のない振る舞いは、入学から一ヶ月以上が経った今でも留まることなく続いている。

 だが、その龍園に対するクラス内での反発は、日に日に小さくなっていた。

 やり方の善悪に目をつぶれば、確実に『結果』を出しているためだ。今のCクラスは、暴君がもたらす恐怖と、彼が叩き出す綱渡り的な結果の上に絶妙なバランスで成り立っている。どちらを欠いてもクラスの秩序は崩壊する。伊吹はその事実について、確信めいた理解があった。

 

 ──だが、アレは違う。

 

「それにしても澪さん。あの人の事は、ちゃんと名前で呼んであげてください。”アイツ”だなんて、あまりに寂しい言い方ですから」

 

 龍園の命令でこの歩く起爆スイッチこと椎名ひよりの警護をすることになり、必然的に彼女と会話する機会も増えた。ひよりからの提案により、いつしか互いに名前で呼び合うようにもなった。

 その結果────伊吹は、あの怪物との接触頻度も跳ね上がってしまったのだ。ひよりに近づけば、当然その横にはアレがいる。あの異常な空気に当てられるたび、伊吹の苦手意識は拭い去るどころか日々増幅していた。

 

「それは……」

 

 言葉を濁す伊吹。

 アレは、クラスのごく一部の人間だけが、細心の注意を払って取り扱っている劇物だ。その一部には、他ならぬクラスの王である龍園すらも含まれている。

 一度だけ。入学して間もない頃に、たった一度だけだ。アレが明確な意思を持って暴力という行動を起こしたのは。

 だが、その一度は余りにも過激で、一方的な蹂躙劇だった。

 龍園に反発していたCクラスの過激派の不良どもを一瞬にして一蹴し、彼らの心をへし折るほどの圧倒的で理不尽な暴力で叩きのめした男。一切の感情を交えず、ただ作業のように人間を破壊していくあの底冷えするような眼差しを、伊吹は一生忘れることができない。

 そんな男に対して「過敏になるな」と言う方が、土台無理な話である。

 

「龍園くん達と同じように、気軽な感じで呼んであげて大丈夫ですよ。あ……もしかして澪さん、私に気を使われているのですか? それならご心配には及びませんが……」

 

 ひよりが、小首を傾げてとんでもない勘違いを口にした。

 気を使っているのは確かだが、それは「ひよりの恋人を気安く呼んだら悪い」といった可愛らしい配慮では断じてない。気配だけで人を呼吸困難に追いやることができるような化物に対し、親愛の情やましてや恋愛感情からくる嫉妬など、湧くはずがないのだ。

 

 これ以上妙な誤解をされる前に、伊吹は慌てて避けていた人物の名を口にした。

 

「はあ……。佐伯、佐伯ね。わかった、もうちゃんと名前で呼ぶわよ。……でもひより、あんたも大概よね」

「ふふ。ありがとうございます。私も一応、”Cクラスの幹部”ですから。当然です」

 

 伊吹が半分嫌味のつもりで放った軽口は、サラリと優雅に受け流された。

 あの男と四六時中一緒にいるだけあって、彼女も一筋縄ではいかない。穏やかな口調と見目麗しい外見からは到底想像しにくいが、この少女もかなりの曲者だ。

 

 常日頃は仏のように微笑を浮かべている、物静かな女子生徒。クラスの揉め事への干渉もほとんどなく、図書室で優雅に本を読んで毎日を過ごすか茶道部での活動に精を出している。

 けれど彼女は、物事の本質を瞬時に見抜く、恐ろしく鋭く確かな目を持っている。これまでに交わした会話の端々から、伊吹はその異常な聡明さを肌で感じ取っていた。

 

「それにしても……あんたらの仲がいいのが、私には本当に不思議よ。だって、完全に正反対じゃない? 読書家でインドア派のひよりと、その、なんていうか……ちょっと……えー……その……アウトロー気味の佐伯とでは」

 

 もし彼女の優秀な頭脳が、あの比肩する者なき暴力を冷酷無比に扱えばCクラスはおろか、学校全体がその存在を無視できなくなるだろう。この学校というゲーム盤そのものが物理的に破壊されるかもしれない。

 だが幸いなことに、その優秀な頭脳の持ち主であるひよりは、過激な争いごとを好まぬ温和な性質だ。

 ただ、もう片方の怪物がいつ暴発するかは、誰にもわからない。ひよりという存在が、現状唯一絶対の安全装置にはなっているが、果たしてそれがどこまで効力を発揮するのかは未知数だ。

 無論、その安全装置の動作確認を行うなどという自殺志願者のような馬鹿げた考えは、龍園を含め幹部の誰一人として持っていない。万が一ピンが外れて暴走した場合、一体誰があれを止められるというのか。

 少なくとも、ひよりの前にいる時だけは、あの男の殺気立った態度もすっかり丸くなるのだ。これからもその絶大な効力を発揮し続けてもらわなくてはならない。何より伊吹の胃が持たない。

 

 本音を言えばアウトローなどという可愛らしい生ぬるい名称ではなく、殺人マシンのほうがよほどアレには似合っていると思うのだが、流石にひよりの前でそれを口に出すことは憚られた。

 

 以上のような様々な葛藤と恐怖を踏まえた上で、伊吹は先程のアウトローという苦し紛れの濁した評価を口にしたのだ。

 だが、そのオブラートに包んだ発言に怒ることもなく、むしろひよりは、心底嬉しそうにこの日一番の笑みを零したのだった。

 

 

「そうですね。私と彼は同じ種類の人間ではありません。だから、上手くやっていけてるのかも」

 

 この純真な笑顔に、あの凶悪な男が籠絡された……というのならば、どれほど平和的で微笑ましい青春の一ページであっただろうか。

 伊吹の感だが、アレはひよりよりも前にすでに女を知っている。それも幾人も。可憐な少女に骨抜きにされたというのを信じろというのは無理があった。

 

「いやそれにしたって方向性が違いすぎるでしょ。一方は本やペンしか持ったことがなさそうな文学少女と、もう片方は広辞苑で筋トレしてそうな男よ」

 

 その言葉に嘘はない。

 男の方はスポーツマンの身体というよりは軍人のように鍛え上げられた肉体。あれほどの力と、いざという時は躊躇いなく踏み込める精神を持っているのだ。

 本来は誰かの下につくような人間とは到底思えない。

 その正反対の位置に存在する彼女が、上手く関係を築いてることがよほど不思議だ。

 

「私も、もう少し重い物ぐらいは持ちますよ。それに流石の彼も筋肉トレーニングの際は、ダンベルを使うと思います」

 

「そうかしら? ……。図書室では、鬼のような形相でバトル漫画を読んでるような男よ? ていうか、アレは一体なんだったわけ?」

 

「ふふ。それは彼の本嫌いを克服する為の一環です。重度の活字アレルギーでしたから。まずは文字の少ない漫画から始めたんですよ」

 

「ああ、そういうこと……。図書室で殺人鬼と遭遇するとは思ってなかったから、慌てたわ」

 

 あの時は大層驚いだものだ。室内に足を踏み入れた瞬間、刃物を突きつけられたような鋭く張り詰めた空気が出迎えてきたのだから。

 

「それは少し大げさでは? 眉間に皺がちょっと寄るくらい────

 ですよねリョウくん?」

 

「そだね。お恥ずかしながら本が難しくて」

 

 背後に音もなく問題の人物が立っていた。

 

 ──────

 

 

 某日、放課後。

 

「ん? ……おまえは一年Cクラスの、たしか……龍園だったか。なんだ、弓道部への入部希望か?」

 

「つまらねえジョークだ。弓道関係者は笑いのセンスが微塵もねえ。それとも笑えない冗談を言うことが入部の条件か?」

 

 初対面の教師に対する、生徒にあるまじき不遜な態度。しかし弓道部顧問はそれを咎めることもなく、愉快げに喉を鳴らした。

 

「あんたとは初対面のはずだが、わざわざ自己紹介する手間は省けそうだな」

 

 蛇のように冷たく見定める眼光。それに怯むことなく、龍園はポケットに手を突っ込んだまま鼻で笑う。

 

「それはお互いさまだろう? Cクラスは上手くやっているようだな」

「まぁな。お陰様で順調だ。……だが、とぼけたツラしてる割に、随分とおしゃべりな小鳥を飼っているようじゃねえか」

 

 

 教職員特有の情報網の存在を鎌にかける龍園に対し、顧問は挑発に乗ることなく淡々とした態度で答える。

 

「いいや、クラス一つ一つの動向まで逐一チェックしているわけじゃない。だが、こと1年Cクラスに関してだけは、わかるだけだ」

「あ?」

「なに、大したことではない。大規模な暴力事件や、学校を揺るがすような重大な問題が起きていない……それが何よりの証拠だ。佐伯が大人しくしている。それだけで、お前のクラスが順調でないはずがない」

 

 その言葉の裏にある確信めいた響きに、龍園の口角が深く吊り上がった。

 

「……その口ぶり。佐伯の異常性を、入学前から知ってたらしいな」

「おっと。昨今は個人情報の取り扱いが厳しくてね。これ以上は話せないぞ」

 

 冗談めかして肩をすくめる顧問。だが、その目は全く笑っていなかった。相手がクラスの支配者であろうと、問題児の情報を軽々しく漏らす気はないらしい。

 

「ククッ、堅いねぇ。だが、アンタは他の生徒とは明確に線を引いてヤツを特別扱いしている」

「ほう……なぜそう思う?」

「ヤツが使ってる弓道の道具一式、てめえが用意したな?」

 

 核心を突く一撃に、周囲の空気が僅かに張り詰める。

 

「生徒個人が使う私物を顧問が手配するなんざ初耳だ。ましてや、自腹を切ってまでとはな」

「……」

「あの馬鹿はちっとも疑問に思ってねえがな。こっちで道具一式の相場を調べてみたが、高額までとは言わずとも、安くはない額だ。なのに、ヤツが金銭に苦労している様子はない」

 

 

 通常、部活動で使用する道具は生徒個人の支給ポイントで賄うのがこの学校のルールだ。

 弓道部であれば、道着などの装備一式に加え、一番に値が張る弓が必要になる。入部したての初心者やポイントに余裕がない者は、部が所有している共有の弓を借りるのが一般的だ。現に一年生は、約一名の例外を除いて全員が部の備品を使用していた。

 しかし、佐伯だけは違う。最初から、体格に合わせた真新しい専用の道具が用意されていた。

 

「それで、事情を知る部活顧問が自費で餌を与えたという結論に至ったわけだ。なるほど……佐伯がクラスの頭に立とうとしないわけだ」

 

 

 佐伯了という人間の本性を知る者からすれば、今の状況はひどく不自然だ。

 誰かの指示に大人しく従うようなタマではない。暴力のスケールは言うに及ばず、十五、六の多感な少年とは到底思えないほど、精神構造が根本から狂っている。

 そんな歩く厄災のような問題児が、今は一応のところ一介の弓道部員として大人しく収まっている。

 

 入学当初、多くの教師が己の部活に佐伯を強く勧誘しなかったのは、単純に飼い慣らせる自信がなかったためだ。猛毒としてはあまりに強すぎる。劇薬を無理に飲み込んで、自分の担当する部活を物理的に壊滅させられてはたまらない。

 だからこそ、この顧問の行動は異彩を放っていた。

 

「普通、アホじゃなけりゃ金の出処ぐらいは気にする。なんせ、タダより高いもんはねえからな。……だが、俺からすりゃアンタの行動も不可解だ。中学の大会記録すら残ってねえ無名の生徒に、自腹を切ってまでそこまで入れ込む理由が見当たらねえ」

 

 そう、龍園は事前に一通り過去の大会記録を洗っていた。しかし、佐伯了の弓道での実績などどこにも存在しなかった。そもそも弓道という競技自体、中学の部活にはほとんど存在しないのだから当然と言えば当然だ。

 どれほどの原石であろうと、公式記録すらない無名の生徒を自腹で優遇するなど、教師としては不合理の極み。特に結果がすべてのスポーツ分野においては顕著だ。

 それが、いかに底知れぬ気配を纏う佐伯であろうとも。

 

「実績、か……。まあ、公式には無名だからな。先ほども言ったが、ヤツの過去など個人情報にあたる部分は喋れない。けれど、投資した理由ぐらいなら話せる。それでいいなら話そう」

 

 龍園は口を挟まず、無言で先を促すように顎で示す。

 

「単純な話だ。身銭を切るだけの価値があると踏んだに過ぎない。一月や二月程度の小遣いで、佐伯を他所に奪われず、この弓道場に繋ぎ止めておけるなら安い買い物だ」

「……」

「最近は佐伯が予想外の落ち着きを見せているせいで、考えを改め始めた教師も多い。あれほどの逸材なら、弓道以外でもいくらでも使い道があるからな。磨く必要のないダイヤモンドを、他所に引き抜かれるのを指を咥えて見過ごすわけにはいかないだろう?」

 

 ハズレのない宝くじ。いや、結果が確定している出来レースのようなものだ。一人の生徒に対する贔屓としては破格だが、それに見合うだけのリターンが確約されている。

 

「公私混同だと上に目をつけられても問題ない、と?」

「これが私的なポイントの譲渡や娯楽品の提供なら問題だろう。だが、今回はあくまで部活で必要な道具を生徒に貸与しただけだ。言うなれば、将来を期待している生徒への先行投資。教員としての熱意の範疇さ」

 

 詭弁だ。しかし、理屈としては通っている。

 

「なるほど、十分すぎるリターンがあると踏んでのことか。随分と佐伯を高く買ってるな」

「聞くがね、龍園」

 

 顧問は眼鏡の奥の目を細め、底冷えのする声で問い返した。

 

「お前はヤツを、他の生徒と同じ様に扱っているのか?」

「──ククッ、まさか。わけねえだろ」

 

 龍園の喉の奥から、乾いた笑いが漏れた。つられるように、顧問の頬も微かに吊り上がる。

 バカバカしい。本当に可笑しい冗談だ。

 あんな人外の化け物を、他の有象無象と同じ定規で測れるはずがない。それは、佐伯の狂気を知る者にしか共有できない、奇妙な連帯感だった。

 

「そういうことだ。安心しろ、私は佐伯から脅迫され、道具を買わされたわけじゃない。……これで、心配ごとはなくなったかな?」

 

 クラスの戦力である佐伯が、教師を脅迫して退学のリスクを背負っているのではないか。龍園が最も懸念していたであろうポイントを、顧問は的確に払拭してみせた。

 部活の成績で評価にプラス査定がつくのは、何も生徒だけではない。教員もその結果で高く評価される。利害は完全に一致していた。

 

「あぁ、十分だ。……だが折角だ、最後にあんたの予想を聞いておこう」

 

 背を向けかけた龍園が、ふと足を止めて首だけで振り返る。

 

「今回の大会で、佐伯の順位は、あんたの投資に見合うものになるのか?」

 

 その問いに、顧問は一切の迷いなく、むしろ呆れたように息を吐いた。

 

「なんだ。最後にひどく意味のないことを聞いたな、龍園。予想などするまでもない」

 

 顧問は絶対の確信を込めて言い放つ。

 

「今ここで結果を告げておく────」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。