吾輩は呂布である 作:リバーシブル
買い物を終え、大型スポーツショップを出た後の帰り道。
「モテるための自主練だ!」などとテンションの上がりきった小宮と近藤は、「じゃあな!」と早々に駆け出して消えていった。
あのアホ共……! 散々地雷原でタップダンスを踊り狂って、佐伯さんのストレスという爆弾を極限まで膨らませておきながら、自分たちだけさっさと逃亡しやがった!
気がつけば俺は、この世で最も恐ろしい歩く厄災と二人きりで校内を歩く羽目になっていた。
両腕には買ったばかりの巨大なプロテイン缶とスポーツウェア。だが、物理的な重さなど気にならないほど、俺の胃の腑は鉛のように重い。
どうにか機嫌を損ねないよう、内心の恐怖を必死に隠して当たり障りのない会話を振り絞る。しかし、コップの水はいつ溢れてもおかしくない状態だ。先程の買い物で凶行を繰り返した二人のせいで、なにかの拍子にスイッチが入れば、俺の首など物理的に消し飛ぶだろう。
俺は心の中で、無宗教なのを後悔するほど神にすがり、その場にいない同級生の名を血涙を流しながら叫んでいた。
(伊吹ぃ……! 頼むから今すぐ
頼むから何事もなく伊吹たちと合流できますようにという神への祈りも空しく、冷や汗を流しながら渡り廊下を抜け、中庭の屋根が突き出たスペースへと差し掛かった時のことだ。
ただでさえ限界近いというのに、俺はそこで、さらに寿命が縮むような相手と出くわしてしまった。一組の男女が、立ち塞がるようにこちらを待ち受けていたのだ。
先を歩いていた一人の男が、立ち止まってこちらへ鋭い視線を向けている。
先日の一件──Dクラスとの暴力事件の審議の場でも見た顔だ。銀縁の眼鏡の奥から射抜くような眼光を放つその男は、一見すると細身の優等生だが、服の下に隠された肉体が尋常ではないと喧嘩慣れしている俺の目にははっきりとわかった。
生徒会長、堀北学。
空気をビリビリと震わせるその威圧感は、正直言って近寄りたくない、いけ好かない種類のプレッシャーだった。
その一歩後ろには、付き従うように小柄な女子生徒(書記の先輩だ)が立っている。彼女は状況が呑み込めていないらしく、会長と俺たちを交互に忙しなく見比べていた。
目の前に立つだけで息が詰まりそうな生徒会長の覇気。しかし、俺の少し前を歩く佐伯さんは微動だにしない。まるで道端の風景でも眺めているかのように、どこまでも平然としていた。相手が学校のトップであろうと関係ない。相変わらず、異常なまでの図太さだ。
「佐伯了か……。今は大人しくしているようだが、何を企んでいる」
喜ぶべきか俺ではなく、隣に立つ怪物を真っ直ぐに見据え、堀北会長が静かに、だが重みのある声で口を開いた。
空気が張り詰める。一体、佐伯さんはどう返す気だ? まさかここで生徒会長相手に大立ち回りを演じる気じゃ……!?
不安で心臓が早鐘を打ち、俺がプロテイン缶を抱えたままガチガチに身構えていると──突然、佐伯さんがクルッとこちらへ顔を向けた。
「佐伯さんっ! お知り合いですかぁ!」
「…………!?」
想定外すぎる言葉を顔面にぶつけられ、俺の頭は見事に真っ白になった。
いや、え、は!? あんた、今俺に向かって何て言った!?
俺は酸欠の鯉のように口をパクパクと間抜けに開閉させ、言葉にならない空気を吐き出すことしかできない。
佐伯が時折発する笑えない冗句!?
「ぼ、ぼく、さえきじゃありません!」と否定すべきなのか!? それとも「おう! 俺が佐伯じゃい!」と全力で乗っかるべきなのか!?
「くだらない真似をするな」
俺がパニックで泡を吹く寸前、氷のように冷たい会長の声が切り込んできた。
「隣の1年Cクラスの生徒とは、先日の暴行事件の審議で既に顔を合わせている」
会長の冷ややかな指摘を受け、佐伯さんは「チッ」と短く舌打ちをした。誤魔化すのを諦めたのか、それとも最初からただの悪ふざけだったのかは定かではないが、つまらなそうに首を回し、再び生徒会長へと視線を戻す。
「なんだなんだ。いつの間にやら俺も有名人になったもんだな。……まあ、誰に名前を知られても嬉しかねえけど。特に、こんなむさ苦しい野郎相手だと、な」
生徒会長を前にして、全く悪びれる様子のない不遜極まりないその態度。
俺はもう、今日だけで十年分の寿命が縮んだ気がした。
「てか、石崎クンの知り合いなの? どなたよ?」
「いや、生徒会長っすよ。ほら、あの眼鏡……」
やはり相手が何者なのか認知していなかった。
これは予想通りだ。この男が他者へ興味を示すことなど、ましてや他人を記憶するはずがない。
もちろん、たった一人を例外として。
「あー……? あぁ、こんなんだったかナ? へー。初めまして。佐伯了でーす。自己紹介はいらないみたいだけど、ネ」
相手が生徒会長と認識し、上級生であっても、佐伯は態度を改めるつもりはないらしい。
この間の一件で生徒会長と面識を持った自分はともかく、佐伯は全くの初対面のはずだ。なのにもう警戒されている。
龍園からも注意するようにと言われていたのだが……。やはりクラスの王である龍園の言いつけをなんとも思ってないのだろう。
佐伯と龍園。二人の力関係は未だ理解できない。
我ながらお世辞にも出来が良いとは言えない脳みそだが、両者とも己の手に負える存在でないことだけは身にしみている。
性格も似ているようで似ていない。まぁ……両名ともに暴力の行使に躊躇いがない点だけは同じだが。
「僕みたいな善人を捕まえてどうしましたッ? そういえば、これは秘密なんだけど、隣のクラスには暴力的な問題児がいるらしいゼ。そっちを注意しといたほうがいいんじゃねえのカッ?」
先日の一件を蒸し返す発言。判決を言い渡したのが生徒会長その人なのだ。秘密も何も、言われるまでもないことは明らかだ。
相手を完全に舐めくさっている台詞。年上だからといって敬語を使うような人間ではないと思っていたが、相変わらずこの男は狂れている。
その証拠に先程から口調が乱れに乱れている。恐らく、敬語を使うことに慣れていない弊害だろう。でなければ日常生活に影響が出てしまうレベルだ。
それに敬っているというよりは、バカにしているとしか思えない。
そう、感じたのは俺1人ではなかったようだ。もう1人の部外者にも、そう、聞こえたらしい。
「ちょっと!? 貴方がどんな人か知りませんが、堀北会長にその口の聞き方はなんですか! 失礼ですよ!」
いままで黙っていた女子生徒が怒りの声を上げる。
当然だ、と思う前に佐伯の反応が気にかかった。
なぜなら今日は既に小宮と近藤が褒められた対応をしていない。
流石に同級生、それもクラスメイトだから処刑こそしなかったのだろうが、その怒りの矛先がこの二人に向けられないとも限らない。
八つ当たりとも言える暴風雨。だが、ここにはそれを収められる
「喚くなよ、お団子ヘアーちゃん。場を明るくするジョークだヨ。お気に召さなかったかな?」
……わかっていたことだが、いつもながら全く笑えない冗談だ。
無論、そんなふざけた挑発を受けて、相手が笑顔になるはずがない。
だが、生徒会長は顔を真っ赤にして怒るような真似はしなかった。不快感を露わにするでもなく、氷のように冷たい眼差しのまま、ゆっくりと口を開く。
「……やはり言葉は無意味か」
短く吐き捨てると同時、会長の纏う空気が一変した。
滑らかな動作でスッと半身になり、胸の前で静かに両拳を構える。
その瞬間、明確な『敵意』が形を成して膨れ上がった。放たれた実戦特有の強烈な
「ッ……!」
喉が引き攣り、言葉にならない声が漏れる。
油断ならない強敵を前にして、俺の身体に理屈を超えた強烈な緊張が奔った。文武両道、お勉強だけが得意な単なる優等生ではないという黒い噂は、どうやら紛れもない事実だったらしい。
「橘、下がっていろ」
背後に連れ立った女子生徒へ、短く、だが絶対の配慮を含んだ言葉がかけられる。
長年培ってきた信頼関係の為せる技だろう。橘と呼ばれた女子生徒は一瞬戸惑いながらも、反論することなく己が安全だと思う位置までスッと下がった。その瞳にあるのは、目の前に立つ生徒会長・堀北学に対する全幅の信頼だけだ。
強い。
この学校に来て何度か体験した、有無を言わせない圧倒的な『圧』。
それは……俺の肌感覚だけで言えば、クラスの王《龍園》や、規格外の
しかし──そんな生徒会長の鋭い殺気すら、隣の怪物には全く意味をなさない。
嵐のような圧のど真ん中にいながら、佐伯はどこ吹く風といった様子で口角を吊り上げた。いつもの減らず口が開かれ、あろうことか真っ向から茶化し始める。
「下がる? おいおい、たった数歩下がるだけでいいのかよ? 女の前で恥かくのは嫌だろ。じゃあ、正しく言おうぜ。来た道の角を戻って女子トイレにでも隠れてろ、って、なァ?」
「……」
最悪の挑発。放たれた言葉の後、互いの視線が空中で激しくぶつかり合う。
それはいつかの再現。つい先日、カラオケ店でクラスの王と揉めた時と全く同じように、空気が限界まで張り詰めていく。
対峙する二人の格好は、あまりにも対照的だった。
生徒会長は右足を前にして重心を落とし、静かに拳を構えている。
喧嘩慣れしている俺の目から見ても、その姿勢には針の穴ほどの隙も見当たらない。制服の上からでは細く見える体型だが、注意深く観察すれば、しなやかで強靭な筋肉が蓄えられていることがわかる。恐らく、空手やそれに類する何らかの武道経験者であることは間違いない。ウチの伊吹に近い気もするが、完成度が段違いだ。
俺が理解できたのは、奴が絶対に侮れない強者ということだけ。
一方の佐伯は、だらしなく両手を下ろしたまま。
拳を構えるどころか、あろうことかズボンのポケットに両手を突っ込み、完全に脱力している。
その立ち姿だけを見れば、まるで争う意思がない──素人が戦意喪失して突っ立っているだけにしか思えないが────。
──いや、違う。それは致命的な誤りだ。
戦意がないどころの騒ぎではない。その対極。佐伯の全身は、今この瞬間もドス黒い戦意と殺意で満ち溢れている。
カラオケ店での一戦がフラッシュバックする。あの時と何一つ変わることのない、ひどく間の抜けた表情と態度。
欠片も『強者』であることを感じさせないその姿に、アレは何かの間違いや、全くの別人だったのではないかとすら錯覚しそうになる。
だが、俺の生存本能が警鐘を鳴らしている。
そのだらしない立ち姿に騙され、迂闊に一歩でも踏み込もうものなら、そこはもう怪物の
両手をポケットに突っ込んだまま、見えない牙を研いで獲物を手ぐすね引いて待ちわびている。飛び込めばどうなるか、結果は火を見るより明らか。あの時と同じ、一方的な蹂躙の再現だ。
先日の一件で中庭を調査した際に知ったが、この死角に監視カメラはない。
当然、生徒会長もそんなことは百も承知だろう。
下手をすれば今、ここで『生徒会』対『怪物』の血みどろの殺し合いが始まる。
秒針が進むにつれ、周囲の空気は水中のように重くなり、俺はまともに呼吸すらできなくなっていた。
「ハッ……」
静寂を破ったのは、短く、相手を心の底から小馬鹿にしたような笑い声だった。
──その音が空気に溶けて消えるよりも早く。
誰も、動けなかった。
後方に下がっていた女子生徒も、息を殺して見ていた俺も、そして誰よりも完璧な戦闘態勢をとっていたはずの生徒会長でさえも。
誰一人として、瞬きをする間すら与えられなかった。
空間を削り取ったかのように、ぬるりと。
気づけば音もなく生徒会長の真横へと移動していた佐伯は、ズボンのポケットからゆっくりと右腕を抜き出していた。
反応が全く追いついていない。あの堀北学が、一切の防御も回避もできず、完全にガラ空きのボディを真横から晒している。
ジャブでも、ストレートでもいい。あの狂った膂力から放たれる一撃を至近距離で受ければ、それだけで戦闘不能だ。
そして、そんな隙を怪物が絶対に見逃すはずがない。
だが、次に行われたアクションは、俺の想定の遥か斜め上をいくものだった。
「いや、いやいや、スンマセンねッ! いやー、この間、同級生間でちょっとした暴行事件があったばっかで、無駄に緊張しちゃいましたわー! あービビったっすよー。ネッ! 石崎クンッ!」
ポン、ポン、と。
ヘラヘラとした気味の悪い作り笑いを浮かべ、生徒会長の肩を馴れ馴れしく叩いている佐伯了がそこにはいた。
勘弁してくださいよー、と上司に笑いを売るような、軽薄極まりない台詞が続く。つい先程までの氷のように冷たい空気が、まるで俺の思い違いだったかのように霧散していく。
後方で様子を見ていた女子生徒が、あからさまにホッとした顔で息を吐いた。生徒会長の威圧感に気圧された新入生が、恐怖をごまかすために必死に見栄を張って愛想笑いを浮かべたのだと。彼女は本気でそう思い込んでいるらしい。
……バカか。違う。違うに決まっている。
俺の目には、あれが怪物が獲物の喉元を見定めている図にしか見えない。
『いつでも殺せるぞ』と、言外に銃口を突きつけているのだ。
ポケットから抜き出され、親しげに会長の肩を叩いているあの右手は、俺には死神の持つ大鎌にしか見えなかった。
人間の部位ではなく、純粋な破壊兵だと錯覚したこともあるあの右腕。それが今、防御も回避も不可能な必殺の間合いのど真ん中に、なんの抵抗も受けずに侵入しきっている。
ほんの数十秒前まで、俺の目には両者が同格の強者として映っていた。
だが、その格付けはたった今、残酷なまでに完了した。いや、最初から済んでいたのだ。
笑顔で肩を叩かれている。その動作が、何よりも雄弁に絶対的な力量差を物語っていた。
「もうー。アンタも人が悪いですよー。……なぁ、石崎クン?」
ギョロリ、と。
佐伯の目が、爬虫類のような無機質な動きでこちらを向いた。
笑っているはずのその瞳の奥には、人間の感情や意思など何一つ存在しない。あのカラオケ店で見た時と全く同じ、底なしの暗い闇だけが、俺を真っ直ぐに射抜いていた。
同意しろ。そう強要されている。
「ぁ、ああッ! マ、マジで、ビビっちまったぜー……! なー……さえ、きぃ……ッ」
引き攣る顔面を必死に抑え込みながら、俺はただ頷くことしかできなかった。
なぜ投稿が遅くなったッッ!??
それは石崎くんの視点だったからです!!!
他人視点やりずらい。
頭の中では2年生辺まで進んでますが、
色んな邪念が邪魔をッッ‼
感想と評価くれてもええんやでッ!
……感想が欲しいイッッッ!