吾輩は呂布である   作:リバーシブル

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まえがきってなんだろう。


「競技」

 俺はひよりと別れた後、自分の住まいとなる部屋に辿り着く。

 寮に入ると、管理人からカードキーと寮生活のマニュアル本を渡された。

 カードキーを使用し、これから自室となる部屋へと入った。

 

 安物そうな椅子に腰掛け、早速マニュアル本に目を通す。一通り中身をざっと見て、ゴミの日など必要なページだけを破り取り、マニュアル本体をゴミ箱に投げ捨てる。

 

 片付ける必要がないほど物を持たなければ、常に整理整頓された部屋でいられる。

 無論、俺は綺麗好きというわけではない。しかし、ここに客人が来てその際に汚部屋で幻滅されたくはない。まあ、彼女以外にはどう思われてもいいのだが。

 

 というか寮生活を送るとは聞いていたが、男女同じ寮だとは考えてなかった。安全対策は万全でセキュリティに不備はないのか。

 学校側は完璧な体制を敷いているつもりだろう。しかしこの世に完璧なものなどありはしない。どんなに強固な城も必ず弱点と呼べるものが存在する。

 

 だが、今は学校の対策を考えてもしょうがない。気持ちを切り替えるために自室の手狭な部屋を見回す。

 実家を離れて女の部屋に転がり込んでた時期があった為か、一人暮しにはさしたる感想はない。

 

 椅子から立ち上がり、制服から私服に着替える。俺はベッドに座り今日買ってきた本を読み始める。

 

 目を覚まし気がつくと日付は変わり、本は僅かにしか進んでいなかった。

 読書好きの道のりは遠く感じる。 

 

 –––––––––––––––––––––––––––––––

 

 学校二日目、俺が遅刻もせずに朝から通学してる。

 我ながら違和感がある。けれど彼女の前で初っ端から大遅刻なぞ出来るはずもない。

 授業初日は授業というより、進め方と軽い説明だけで終わった。

 

 教師陣は優秀なのだろう、教科書を念仏のように読み上げるアホウはいなかった。

 その教師連中と反するようにクラスメイト諸君は自由気ままに過ごしている。

 携帯をいじるもの、近くの生徒と会話するもの、睡眠学習に励んでいる勤勉な若人。

 

 俺も眠りたいが、隣の彼女は真面目にノートを取っている。新生活早々、不真面目な印象を与えるわけにはいかない。俺は必死に睡魔と戦いながら、黒板の文字をノートに写していく。

 

 ようやく睡魔との戦いの終わりを告げるチャイムが響く。

 昨日聞いたときは忌々しく感じたが、今日はなんと落ち着くのか。

 教師がノートに何かを最後に書き終えて、教室から去っていく。

 昼休みとやらになったのだろう。

 

「佐伯くんは学食には行かないのですか?」

 

「ん? あー、せっかくの一人暮しだから自分で作ってみた。っていってもおにぎりだけどね。椎名さんもお弁当なんだ」

 

 彼女が可愛らしい弁当箱を取り出すのを確認する。

 その上で俺も学校に来る前に握ったおにぎりを机の上に出す。正直、食についてはどうでもいい。何を食べても旨く感じるのだ。無意識に前世と比べているのかもしれない。

 

 彼女が学食に行ったら、この握り飯は晩飯になっていたが予定通りに昼飯として消化されそうだ。

 俺は特に言うこともない米の固まりを食し始める。

 

「ふふ、なんだか男らしいですね。おむすびだけなんて。でも作ってくることが大事だと思います」

 

 女が飯を作るのが当たり前の時代ではない。ならば俺が作っても問題はない……はずだが弁当は作ったことがないので料理技術という問題があった。入学前は女のところに間借りしていたこともあったが、家事というものを一度もしたことがなかった。

 

「そのうち、椎名さんにも負けない弁当を作ってくるから見といてよ。まぁ、今はおにぎりから卒業する必要があるけどね」

 

「ええ、期待してます。佐伯くんは先ほどの授業にはついていけそうですか?」

 

「どうかなー。付いて行くのに精一杯って感じがする。椎名さんは余裕そうだったけど、勉強は得意なの?」

 

「そうですね……。勉強は嫌いではありません。その分、体を動かすのが苦手なんですが」

 

「俺は逆に体を動かすほうが楽かな。机の前にいると体が痒くなる」

 

「やっぱり今日の授業が辛そうだったのは見間違いではなさそうですね。でもきちんとノートを取っていた分、他の人達より立派ですよ」

 

 なんだろう、他のやつにこんな事言われようものなら、何様だテメーと思うところだが、彼女に言われると素直に喜んでいる自分がいる。

 照れくさくなり、誤魔化すように話を変えた。

 

「この学校は自由が売りなのかな? テストの点数さえよければ、態度は気にしない学校なの?」

 

「そのようなお話しは聞きません。ですが、先生が誰も注意しないのは気になりましたね。皆さん教えるのが、お上手なのに不自然さを感じます」

 

 そうなのか、教えるのが上手いからこそ、授業を聞こうともしない奴らには目もくれないだけかと思ってた。

 俺が見栄を張って、同意をしようとしたとき、スピーカーから音声が流れる。

 

「本日、午後5時より、第一体育館の方にて、部活動の説明会を開催いたします。部活動に興味のある生徒は、第一体育館の方に集合してください。繰り返します、本日──」

 

 女の声でアナウンスが聞こえてくる。

 部活動か、まったく興味はないが彼女と同じ部活になら入っても良いかも知れない。

 

「椎名さんは、なにか部活に入る予定ある?」

 

「お茶を習っていましたので、茶道部に入ろうかと。佐伯くんはどうですか?」

 

 茶道か、男で入るやつはいるのだろうか。

 俺に茶道部は厳しい、興味がなさすぎる。まだなにか、体を動かす部活のほうが椎名にアピールできそうだ。

 

「うーん、まだコレと言った部活は決めてない。説明会に取り敢えずは行ってみようかな、椎名さんはどうする?」

 

「私も説明会には参加してみようと思います。1人では心細いですから、置いていかないでくださいね?」

 

「後が怖そうだから、ちゃんと待つよ。楽しそうなのがあればいいんだけど」

 

 その後、俺たちは食事を続け、雑談をして昼休みを終えた。

 

 ––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 ────俺は後悔していた。

 

 放課後、教室で時間を潰して、説明会開始の少し前に体育館へとやって来た。

 既に1年らしき生徒たちが100人以上、揃って待機している。

 

 この邪魔な人混みにいるくらいなら、ひよりをお茶にでも誘えばよかった。

 集団から少し離れた位置に陣取り、時間まで待つことにする。

 

 体育館に入る際に配られた部活動の詳細が載ったパンフレットに目をやる。

 部数に限りが有ったせいか知らないが、一人分しか渡されなかったので、ひよりと仲良く頭を突き合わせて眺める。

 人混みも悪くない、雑魚どもにも役目があった。ここに来てよかった。

 

 もう少しストレスゲージが溜まったら、周りを一掃しそうになっていたが急激にストレスゲージが萎んでいく。ひよりと並んでいるだけで、気持ちが落ち着いていく。他の雑兵どもは感謝するように。

 

「お、茶道部あるじゃん。やっぱり女子生徒限定なのかな?」

 

「そういうわけではないと思いますが、一緒に入部しますか?」

 

「ぐへぇ、茶道部はちょっと。正座がアレだし、アレ」

 

「ふふ、私は構いませんよ。それに侘び寂びについてお勉強するのも悪くないと思います」

 

「一年生の皆さんお待たせしました。これより部活代表による入部説明会を始めます。私はこの説明会の司会を務めます、生徒会書記の橘と言います。よろしくお願いします」

 

 どこかで聞いたような女の声が室内全体に響く。体育館の舞台上に、ズラッと部の代表者が並ぶ。

 汚えゴリラから娼婦として抱きたくなるような女まで、色とりどりだ。

 そいつらが1人ずつ壇上に立ち、募集をかけ始める。

 

「どの部活も新入生獲得に熱がありますね。予算の関係もあるので、1人でも部員が欲しいといった所でしょうか」

 

「そうっぽい。経験者も初心者もカウントしたら同じだしね。モテなさそうだから柔道は遠慮しとくけど」

 

「凄い偏見に満ちた意見ですが、否定もしにくいです……。でも佐伯くんは部活動を女性に人気かどうかで決めるのですか?」

 

 ひよりがジトっとした目で見てくる。まずい、俺の理想の優男を演じていたらどうやら余計な事を言ってしまったようだ。

 すぐさま失点をカバーせねば。

 

「イヤ、そーいうことじゃなくてさ。例えば、椎名さんだって彼氏は華やかなで、カッコいいほうがいいでしょ? それと同じで柔道はちょっとね……」

 

「今の弁解で分かったことは、柔道に対するマイナスイメージが強すぎることだけですよ。佐伯くんは柔道に関してのイメージが酷すぎます」

 

 あれー? おかしい、どうしてディスってんだ俺。

 あの汗汚い柔道着を見ると、体を鍛えた際の鍛錬を思い出してしまうからか、つい罵ってしまう。

 

「あ、茶道部の紹介。やっぱり着物着てやるんだ、ちなみにあれって作り帯?」 

 

 丁度いいタイミングで茶道部の紹介が始まる。壇上で着物を着た女子生徒が新入生募集をかけている。

 

「茶道部ですから、着物を着ないというのはないと思いますよ。そうですね……、アレは形状を見るに結び帯でしょう」

 

「やっぱり椎名さんは茶道部にするの?」

 

 壇上では弓道着に身を包んだ女子生徒が立っている。弓道部か、俺は弓が得意中の得意だ。前世から大得意だったし、今でも射的もシューティングでも負ける気がしない。もちろん、動かない的など目を閉じていても当てれるし、百発百中の自信がある。

 

 だが、俺が部活動に参加してもいいのか? 動かない的に当てて喜んでるような連中だぞ? 

 仮に俺が入部したら何を教えてくれるんだ? 

 

「他に興味深いものもありませんでしたから、茶道部にするつもりです。佐伯くんは、どうでしたか?」

 

 ひよりに良い所を見せれそう、そんな理由で弓道部に惹かれている俺がいる。

 それだけでは入部には至らないので保留とする。

 

「うーん、ちょっと興味ありそうなのもあったけど、決め手にはかける感じ」

 

 ひよりの視線が俺を通り過ぎ、壇上を見ている。

 

「随分熱い視線を送っていたのは弓道部ですね? あの弓道着に惹かれましたか?」

 

「ちゃう、違うよ。椎名さん、俺少し弓やってたからそれでね……」

 

 目ぼしい所の紹介は済み、入り口が人で混雑する前に俺たちは体育館から出ていく。

 俺は言い訳をしながら寮まで歩く。

 2人の間に笑顔が絶えることはなく、笑い合って一日が終わった。

 

 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––

 

 高度育成高等学校に入学してからはや一週間が経過した。

 俺はその間も、有象無象の干渉を跳ね除け、ひよりと友好を深めることに全精力を注いでいた。

 

 周囲に目を向ければ、他の生徒はなんだか辛気臭い顔をしたヤツが多いクラスだ。それになぜか、野郎どもは揃いも揃って顔や腕に生傷が絶えない。未だに青臭い反抗期でもこじらせて殴り合いでもしているのかしら。

 しかし、そんなことは欠片もどうでもいい。愛しの彼女と平和に過ごせるこのクラスが、俺にとっての至高の楽園なのだ。どこぞの気の毒な男子生徒がイジメられようがパシりに使われていようが、残念ながらそれが世の中だ。弱者は強者にひれ伏す。大人しく諦めて踏み躙られてくれ。

 

 男子更衣室で指定の水着に着替えながら、俺は世の中の諸行無常について一人ごちていた。最終的に「弱肉強食」ということで俺の中で至高の決着がついた辺りで、着替えを終える。

 

 しかし、この学校は体育の授業が男女別でないとは、なかなか珍しいシステムなのではないだろうか。俺にとってはひよりの可憐な水着姿を拝める神イベントでしかないのだが、問題が一つある。

 周囲の雑兵どもがやけに落ち着きがなく、そわそわしており実に鬱陶しいのだ。そしてなぜだか、先ほどからチラチラと、周囲の男たちから俺へとねっとりとした視線が向けられている。

 

 はて……現代は多様化とやらの時代らしいが、それにしても同性を熱っぽく見つめる男色趣向の輩が多すぎやしないか。

 それとも、俺に支給された水着のサイズが合ってないとでもいうのか。女子ならともかく、野郎が他人の水着のサイズや色をいちいち気にするとか……やはり男色趣向としか考えられない。

 

 背中越しに向けられていた不躾な視線を鏡越しに確認すると、どうやら奴らは俺の下半身ではなく、俺の肩の辺りから腹部にかけての上半身をジロジロと見ているようだった。

 不審に思い、あらためて姿見に映る己の肉体を確認する。よもや、朝飯の食べかすやゴミなどが身体に付着してでもいるのだろうかという、念の為の確認だ。

 

 ──うむ、別におかしなところはない。昨日から取り立てて変わった箇所は見つからない。

 

 

 プールサイドに移動すると、そこには健全な?異性愛者の男子たちがいまかいまかと、女子の登場を待ちわびて陣取っていた。

 たかが同級生の女子の水着姿ごときに、どれだけ興奮しているんだコイツらは。童貞丸出しの落ち着きのない態度に思わず失笑してしまうが、先程の更衣室にいた男色疑惑の連中よりもよほど健全でマシであろう。

 そんな発情期真っ盛りの童貞諸君に心の中で生温かいエールを送っていると、更衣室から女子生徒たちが出てきて合流した。

 

「男子の皆さん、なんだか今日は行動が早いですね」

 

 無邪気に首を傾げるひよりに対し、俺は素直な感想をこぼす。

 

「アホだからね。しょうがない」

「え?」

「ごめん、なんでもないよ。そんなことよりも、椎名さん、水着もすごく似合っててかわいいね」

「え、あ、ありがとうございます……? でも、そんなにじっと見られるのは、少し恥ずかしいのですが……」

 

 頬を赤らめてもじもじと身をよじる彼女の姿は、破壊力抜群だった。

 他のアホどもを散々見下しておきながら、俺も完全にひよりの可憐な水着姿に釘付けになっていた。

 いや、こればかりは不可抗力だ。仕方ない。

 

「それにしても……佐伯くん、なに運動でもされていたんですか? その、すごくーー凄いお体だと思いますけど」

 

 愛しの彼女に肉体美を褒められ、内心では盛大にドヤ顔をキメたいところだが、ここはあくまでも爽やかな好青年を装う。

 

「むかーし、体を動かすのが趣味だったんだ」

 

 嘘ではない。ただ、『人を殴り、蹴り、効率よくボコるための殺人術を極めるために鍛え抜きました』などと、口が裂けても言えないだけだ。

 ん……? そこでふと、頭に何かがよぎった。

 普段はインドアで読書家の彼女にすら、一目で身体を鍛え込んでいることがバレるのか。相変わらず洞察力の高い子だと感心しかけたが、ふと彼女の視線の先にある己の肉体を見下ろして、勘違いしていることに気づく。

 

 そこには、戦闘に最適化され、無駄なく仕上がった凶器のような肉体が一丁。

 特に肩幅を広く見せる三角筋の隆起は誤魔化しようがないレベルだし、腹筋に至っては彫刻のようにバッキバキに割れまくっている。

 今でも日課として何となく行っている『片手での拳立て伏せ』や各種トレーニングは、平和な現代においても肉体の維持に十分すぎるほどの成果を出しているらしい。

 思わず周囲の男どもと見比べてみるが、もやしのように細いか、だらしなく肉がついているかのどちらかだ。俺の身体は、彼らと比べれば一目瞭然。普通の高校生の中に混じるには、明らかにやりすぎた異常な肉体であった。

 運動部に所属しているであろう連中と比べてみればその異様さが際立っていた。

 誰がどう見てもひよりと同じ趣味を持つ読書好きな人間が持っている肉体ではない。

 そのタイミングで野太い声が響く。

 

「よーし、全員集合したなー?」

 

 体育会系という免罪符さえあれば何でも許されると勘違いしていそうな、暑苦しいマッチョ体型のおっさんが号令をかけ、授業が始まった。

 いかにも絵に描いたような体育教師だが、その無駄に高いテンションのせいで、男子からも女子からも絶望的に好かれていなさそうだ。

 

「見学者は13人か。随分と多いが、まぁいいだろう」

 

 プールサイドの端には、見学という名のサボりを決め込んだ連中がズラリと並んでいる。おっさんは明らかに仮病が混じっているそれを咎めることはなかった。

 それにしても、いくらなんでも女子生徒の『あの日』の周期が見事に被りすぎだろう。奇跡的な確率か、あるいは集団幻覚か何かか。

 

「早速だが、準備体操を終えたら全員の現在の実力がどの程度か見せてもらう。まずは泳いでもらうぞ」

「あ、あの、先生……じ、自分、あんまり泳げないんですけど……」

 

 クラスの男子の一人が、ひ弱な小動物のように自信なさげに手を挙げた。

 

「案ずるな! 俺が担当するからには、必ず夏までに泳げるように鍛え上げてやる。安心しろ!」

「えっ、いや、そんな……悪いですよ。別にこの先、海とかで泳ぐ予定もありませんし……」

 

 及び腰で逃げようとする男子生徒に対し、おっさんはビシッと指を突きつけた。

 

「そうはいかん! どれだけ水が苦手でも構わんが、気合で克服はさせる。泳げるようになれば必ずいざという時に役に立つ。それにだ、お前ら、将来彼女とプールや海に行った際、いけしゃあしゃあと『俺、カナヅチで泳げません』と言うつもりか? 愛する女の前でそんなダサい姿を晒さないように訓練してやるんだ! つまり、これは必ずお前らの男としての将来の為になるッ!」

 

 ────ごもっともな意見だ。

 俺は深く、深く頷いた。

 

 真理である。愛する女(ひより)の前で、「俺、無様に溺れるカナヅチなんです」などと口が裂けても言えるわけがない。男たるもの、いざという時は荒波の中からでも女を抱えて泳ぎ切るだけの力が必要不可欠だ。

 なるほど、ただの暑苦しい脳筋のおっさんかと思っていたが、意外と物事の本質を理解しているいいヤツなのかもしれない。俺は少しだけ、この体育教師への評価を上方修正した。

 

 全員で準備体操を始める。脳みそが股間と同化している何名かはチラチラと女子の様子を窺って止まなかった。

 それから50mを流して泳ぐよう指示される。

 現時点で、泳げない生徒は底に足をつけても構わないらしい。

 

 プールの端から端までの50mを適当にダラッと泳ぎ、プールサイドにあがる。たかだか50m程度であれば息も切れない。

 俺はプールを眺めながら待ち人を待つ。ようやく姿を確認して水中に手を伸ばす。

 

「あ、ありがとうございます。佐伯くん、泳ぐの早いですね……」

 

 俺はひよりの手を掴みながら、ゆっくりと支える。

 

「まぁね、泳ぐの気持ちいいし。苦手じゃないよ」

 

「おーし、ほとんどの者は問題なく泳げるようだな。じゃあ競争すっか。男女別で50m自由形だ。女子は5人2組、男子は全員泳いだ後で、タイムの速かった上位5人で決勝な」

 

「げぇ、き、競争 マジっすか」

 

 泳ぎに自信がある生徒からは歓声が、自信のない生徒からは悲鳴が上がる。

 ちょーどうでもいい。何のメリットがあんだよ。適当に流して終わろ。

 

「男女共に1位になった生徒に俺から特別ボーナス、5000ポイントをやろう。代わりに一番遅かった奴には、逆に補習を受けさせるから覚悟しとけ」

 

 学校側がポイントを景品にしてきたか、バカ学生を釣るにはいいニンジンだ。

 人が力を発揮するのは、目の前の餌に釣られたときか、命に危険がある時の火事場の馬鹿力の二択だ。

 

 ポイントはどうでもいいが、せっかくこの無駄な身体能力を発揮できる。足の早いやつが小学生まではモテるという、なら泳ぎの早いやつはどうなのだろう。

 

「私は補修を受けずに済むようにがんばります……。佐伯くんは自信はありますか?」

 

「そうだねー。決勝までは残れるかもしれないけど、そこからは厳しいかな。あ、でも椎名さんがが協力してくれたら別だよ」

 

「男女別ですし、私が協力できることがあるとは思えませんよ?」

 

「あるある、ちょーあるって。椎名さんが応援してくれたら俺頑張るから、1位も取れちゃう。間違いなくね」

 

「ふふっ、そういうことですか。わかりました、佐伯くん1位目指してがんばってくださいね」

 

 彼女が柔らかい笑みを浮かべながら、応援をしてくれる。

 瞬間──俺の中で意識のギアが切り替わった。

 まんまとバカ学生が餌に釣られた図だ。釣るためのニンジンにしては、豪華すぎるけどな。

 

「おっけー、ありがとう。今のでエンジンかかったわ。そうだ、俺が1位取るからさ、明日の昼は学食ご馳走するよ。ちょうど、ポイント入るし」

 

「すごい自信ですね。1位が前提の発言なんですか? でもそれもいいですね。まだ学食を利用したことがなかったので、明日は学食にしましょう。それに佐伯くんにポイントが入らなくてもお昼のポイントぐらいはまだありますよ」

 

 ひよりは俺が本気で勝つ気でいる事に気付いていない。彼女からだと、ポイントを出しに学食を誘ったぐらいの認識だろう。

 俺は先ほどと違い、体中に力がみなぎっている。

 

 競争するのは女子からなので、男子はプールサイドで見学。

 心配して見ていたが、ひよりはなんとか最下位を免れて補修を受けずに済んだ。

 

 お次は俺たち、男子。

 やたらと気合が入ってる奴らがいる。水泳部か、前世が秋刀魚かなんかなんだろうな。

 とりあえず、ここで上位に入らなければならない。

 だが、1位になっては決勝での盛り上がりにかけるので3位通過で行くとしよう。

 

 ほぼ全員が前かがみになり合図を待つ、おっさんが笛を鳴らし一斉に飛び込む。

 前世が秋刀魚の男の少し後ろをキープする。特に問題なく50mを泳ぎ切り、狙い通りの3位通過で上位5人に入った。

 

 上位五人の決勝。なんか変に目立っている気がする。

 そんなことよりもひよりとのランチの方が重要だ。

 

 再び5人で一列に並ぶ。前世が魚コンビが睨み合っている。きめぇ。

 競技開始の笛が鳴り、再度プールに飛び込む。たった50mしかないので手を抜きすぎると、追いつけない。なので俺は少し出遅れる形でのスタートを切る。

 

 慌てることなく速度を上げていく。腕を回す速度と水面を蹴るバタ足の威力を上げていく。

 1人、また1人、追い抜いていき最後の1人を抜き去り、タッチの差よりわかりやすい形で泳ぎ切った。

 

 見事に1位、これで明日の昼を気兼ねなく誘える。

 彼女に応援されて負けるなどダサすぎるし、勝つといった以上敗北などありはしない。

 水の中からひよりに向かって手をふる。

 俺が勝つと思っていなった彼女は驚いていたが、小さく手を振り返してくれた。

 

 教師のおっさんが、なにか言葉を発しているが興味はなかった。

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