システィーナとの決闘以降、本格的に評判が地に落ちながらもグレンの態度は変わらない。授業態度を改めるなんて殊勝な心がけはなく、今日も今日とて怠惰に惰眠を貪っている。生徒達に至っては諦めて各々で教科書を開いて勉強に打ち込んでいた。
「あの...先生。質問があるんですけど......」
「んあ?」
ほぼ全員がグレンを無視して自習に励む中、健気にも質問をしにグレンに話しかける女子生徒が1人。だが、そんな彼女にグレンは辞書を渡すだけ渡し、再度教卓に突っ伏した。
「無駄よ、リン。その男は魔術の崇高さを理解出来てない。馬鹿にしているまであるわ。大丈夫、私が教えるから。一緒に崇高な魔術の高みを目指しましょう?」
無下に遇われたリンに、グレンに対して愛想が尽きていたシスティーナが手を差し伸べる。そんなシスティーナとグレンを交互に見て、どうしていいか分からずに困惑するリンだったが、次は別の理由で困惑するハメになった。
「魔術って、そんなに崇高なものなのかね?」
「ふん。何を言うかと思えば。そんなの偉大で祟高なものに決まっているでしょう? もっとも、貴方のような人には理解できないでしょうけど」
「ふーん、で、何が偉大でどこが祟高なんだ?」
「……え?」
「魔術ってのは何が偉大でどこが祟高なんだ? それを聞いている」
いつもなら罵倒されようが文句を言われようが、飄々とした態度を変えず無視を決め込むのがグレンという男なのだが、一体、何がその男の心の琴線に触れたのか、何故か今日はシスティーナの言葉に反応したのだ。
「そ、それは……」
システィーナが言い淀む。確かに、周りの友人や大人達は口を揃えて「魔術は偉大だ。崇高なものだ」と言う。その“周り”には勿論システィーナ本人も入っている。が、システィーナはグレンの問いに即答できない。それはシスティーナに限らず、この場にいる全員に当てはまるだろう。
だが、そこは人一倍生真面目で、魔術に対して掛け値なしの情熱を注ぐ少女、システィーナ。一呼吸置いてから考えを纏め、自信を持って返答する。
「魔術は、この世の真理を追求する学問よ」
「......ほう?」
「この世界の起源、構造、法則。それらを解き明かし、自分が何の為に世界に存在するのかという永遠の疑問に対する答えを導き出し、そして人がより高次の存在へと至る道を探す手段。それが魔術なの。それは、言わば神に近付く行為。だからこそ、魔術は偉大で崇高なものなのよ」
無い胸を張り、システィーナは自信満々といった風に言い切った。だからこそだろう。グレンの返答に不意打ちされたのは。
「......で、それなんの役に立つんだ?」
「え?」
「いや、だからさ。その世界の謎とやらを解き明かして、それが俺達人間のなんの役に立つんだよ?」
「だからそれは! 人がより高次元の存在に近付くために......」
「高次元の存在って何だよ。神か?」
「そ、それは...」
「そもそもの話。魔術って人に何の恩恵をもたらすんだ? 医術は病とかから人を救うよな? 冶金技術は人に鉄をもたらしたし、農耕技術がなけりゃ人は餓死してたかもしれない。建築術のお陰で人は快適に暮らせる。術、なんて名付けられたものはそうやって、人の役に立ってるよな? でも魔術はどうだ? なんの役に立ってる? なんの役にも立ってないように感じるのは俺の気のせいか?」
突然語りだしたグレンの言い分は、ほぼほぼド正論である。それ故に、システィーナは勿論、クラスのほぼ全員が押し黙るしかなかった。
「──ははっ、わりぃわりぃ。心配すんな、魔術もちゃーんと人の役に立ってるさ」
だが、一拍置いて、グレンは急に意見をひっくり返した。その手のひら返しにまたもやクラスが呆気に取られ、そして次の瞬間にも今日何度目かすら分からない驚愕に見舞われる。
「例えばそう...人殺しとかな」
酷薄に細められたその暗い瞳、薄ら寒く歪められた口から紡がれたその言葉は、クラス中の生徒達の背筋を一瞬にして凍らせる。
今のグレンの姿は……普段の怠惰なグレンとはうってかわり別人と化していた。
「実際、魔術ほど人殺しに優れた術は他にないんだぜ? 剣術が人を一人殺している間に魔術は何十人も殺せる。戦術で統率された一個師団を魔導士の一個小隊は戦術ごと焼き尽くす。ほら、立派に役に立つだろ?」
「ふざけないでッ!」
流石に看過できなかった。魔術を無価値と断じられるならまだしも、外道におとしめられるのは我慢ならない。
「魔術はそんなんじゃない! 魔術は――」
「お前、この国の現状を見ろよ。魔導大国なんて呼ばれちゃいるが、他国から見てそれはどういう意味だ? 帝国宮廷魔導士団なんていう物騒な連中に毎年、莫大な国家予算が突っ込まれているのはなぜだ?」
「そ、それは――」
「お前の大好きな決闘にルールができたのはなんのためだ? お前らが手習う汎用の初等魔術の多くがなぜか攻性系の魔術だった意味はなんだ?」
「――それは」
「お前らの大好きな魔術が、二百年前の『魔導大戦』、四十年前の『奉神戦争』で一体、何をやらかした? 近年、この帝国で外道魔術師達が魔術を使って起こす凶悪犯罪の年間件数と、そのおぞましい内容を知ってるか?」
「――っ!」
「ほら、見ろ。今も昔も魔術と人殺しは切っても切れない腐れ縁だ。なぜかって? 他でもない魔術が人を殺すことで進化・発展してきたロクでもない技術だからだ!」
流石にここまで来るとグレンの言は極論だった。確かに魔術には人を傷つける一面が数多く存在するが、決してそれだけではないのだ。
だが、普段すっとぼけた顔のグレンが、この時だけは何かを憎むような形相でまくし立てていた。グレンの勢いに圧倒された生徒達は何一つとして反論できない。
「まったく…何でこんな人殺しの術をお前らみたいな若人に教えたんだろうな。俺はお前らの将来が心配だぞ、こんな魔術なんかに時間をかける暇があったらもっとマシなもんを…」
ぱぁん、と乾いた音が教室に響いた。グレンをシスティーナが引っ叩いた音だった。
「いっ……てめっ!?」
グレンは非難めいた目でシスティーナを見て、言葉を失った。
「何で……そんなこと言うのよ…そんなのあんまりよ」
気付けば、システィーナはいつの間にか目元に涙を浮かべ、泣いていた。
「……だいっきらい!」
そうシスティーナは言い残し教室から走り去っていく。
「チッ…あー、やる気でねえから今日の全部の授業は自習な」
舌打ちして頭をガリガリかきながらグレンは教室を後にした。
そのままグレンとシスティーナが教室に戻ってくることは無かった。
♦♢♦♢
放課後。
結局二組の沈んだ空気は回復することなく、一日が過ぎ去った。ネイサンも、皆とは少し意味合いが異なるが、その顔には明らかな影が落ちていた。だが、それも昼過ぎには元通りになっており、今はいつもと変わらない。
そんなネイサンは石畳の街路の脇に並ぶランプ式の街路灯、そのふもとに佇んでいた。
「よう!ネイト!」
背後から声がして振り返る。
すると、そこにはにぃっと陽気に笑いながら、ネイサンの元に向かってくる一人の中年男性の姿があった。
「ひさしぶりだなぁ!元気にしてたか!?ん!?」
「ああ、毎日教室に籠ってばっかだから退屈で死にそうだよ。ビリーのほうこそ仕事上手くいってるか?」
「あったぼーよ!」
そう言うと、ネイサンとネイサンをネイトと呼ぶ中年男性――ビリーはお互いハイタッチする。
少し白髪交じりの黒髪をオールバックにし、濃い眉毛とチョビ髭を生やした中年男性の名はビリー=フィネガン。
ネイサンの相棒であり、同時に師匠・保護者的存在である。
「わざわざお前さんから連絡してくるなんて、ホームシックか?」
「いや、もうそんな年じゃないよ。ちょっとビリーに頼みたいことがあってな」
「俺に頼み? おいおい、まさか学院に好きな子でもできたか?」
「は?」
「ハハッ!安心しろ。そっちに関しては経験豊富なこのビリー様のレクチャーを受ければどんな女の心も鷲掴みよ」
「おいおいおい、何勘違いしてるんだよ」
「え?違うの?」
「違う、そんなことのためにわざわざ呼ぶかよ」
「なんだ、つまらん」
「なんでもかんでもそっちに持っていくのは相変わらずだな」
一人盛り上がっていたビリーは興味が失せたかのように独り言ちる。
「あのなビリー。聞いてくれ真面目に。情報部の方にまだコネがあったよな?」
「ああ、一応な。で?」
「ちょっと調べてほしい人物がいるんだ」
そう言ってネイサンは一枚の紙切れを懐から取り出すと、それをビリーに渡す。文面に目を通しだしたビリーのその表情は、先程までの軽口をたたくフランクなおっさんとは違い真剣さがあった。
「………ヤバいのか?」
「今のところはまだ何とも言えない。怪しいかと聞かれれば怪しくないし、素行が悪いかと聞かれれば悪くはない。ただ………」
「ただ、なんだ?」
「なんか違和感があるんだよな」
あの後、ルミアがシスティーナの早退を伝えに来た医務室の教員に魔術はどんなものなのか質問して返ってきた答えが更に生徒達に追い打ちをかけた。
『魔術は世界の真理を探究する学問ではあるが、同時に強大な力を併せ持っている。それを使えるだけで自分がなにかの特別な存在だと過信し、それ以外の一般人を家畜や泥人形のように見下す人でなし共が自身の欲望を満たすために魔術を悪用して大勢の人々が日々犠牲になっているのもまた事実だ。それだというのに、グレンはそういった魔術の暗黒面や危険性しか見ようとせず、システィーナはそれについて見て見ぬ振りをし、魔術の華々しい側面だけを宗教国家の狂信者のように神聖視して、世界真理などと言う耳に心地良いことだけを追い求める……どちらも子供だ。
――――特に魔術を教わって一年しか経っていない素人が全てを悟った賢者を気取っているのなら、甚だ考え違いも良いトコロである』
システィーナのように魔術を神聖視している自分たちにも向けられているかのようなその発言にクラス中の生徒たちは何も言い返せなかった。
そんな中、その教員の持論にはネイサンは大いに賛成していた。
魔術というものの在り方は人それぞれ。千差万別なのだ。
使い手を間違えてしまえば人を傷つけるものになってしまう。ましてや魔術を扱えない一般人からは不気味で恐ろしい悪魔の力。実際には人を癒す魔術も存在し、逆に人を傷つける印象を魔術も存在する。
結局のところ、当人の使い方次第で崇高なモノにも人殺しの道具にも変化する。ようは魔術は力なのだ。
『納得しろとまでは言いませんよ。ただ、理解はしてください。魔術とは無色の力であり、道具です。あなた方が学ぶその力は、自身の意思次第で誰かを傷つける危険だってあります。貴方がたが真に立派な魔術師を目指しているのなら、それを努々忘れずに己を戒め続けてください。それが、力を使う上で背負うべき責務だと自分は思います』
その教員は最後に丁寧ながらも手厳しい言葉を言い残し教室から出ていった。
「ふ~ん、権威主義で凝り固まった学院の教員にしては結構聡いな」
「ああ、だけどなんかおかしいだろ?そんなに聡い奴がなんで学院で教員なんかやってるんだ?」
「給料がいいからじゃないの?」
「ああ、かもな。だからこの際ハッキリさせとかないとこっちの仕事に支障が出る」
「それなら俺じゃなくてお前んとこの上司に頼めばいいんじゃないの?」
「いや、もしかしたら俺の思い違いかもしれないしな。調べさせてなにも出なかったらあとからなに言われるか……」
「ああ………お前さんも大変だな」
「同情するなら代わってくれ」
「いや、俺はもう年だから無理があるよ」
「言ってみただけ」
ネイサンと会話をしながらもビリーは文面にすべて目を通し、ネイサンに紙切れを返す。
「………わかったよ。けど時間がかかるから少し待ってくれ」
「頼りにしてるよ」
「ああ、今度ゆっくり話を聞かせろよぉ」
そう言ってビリーは手を振りながらネイサンの下から立ち去る。
「さてと、アイツの方は明日からどうなることなのやら」
一人そこに留まるネイサンのその呟きを聞いたものは誰もいない。
静寂と虚しさが漂う中、彼の傍にある街灯にとまっていた烏が鳴き声をあげながら飛んでいった。
この話は『ロクでなし魔術講師ととある新人職員』の方での三話のあたりになります。