ロクアカ・クロニクル《リメイク版》   作:嫉妬憤怒強欲

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「早速新手のお出ましか」

 烏たちが群れを成して空を羽ばたいていた。

 

 ここしばらくは気持ち良いを通り越して恨めしいくらいに青色しかなかったフェジテの空を、白から灰へとグラデーションを描く雲が徐々に侵食していく。

 やがて紗を引いたような薄い雲から、暗幕のように重い雲に変わっていき、アルザーノ帝国魔術学院を照らす日差しを遮っていた。

 

 

「おい、ちょっとトイレ行ってくるからここ頼むわ」

 

 東館二階の廊下、二組の教室の扉の前にいる黒装束の一人が、残る二人に要求する。

 

「待て、勝手に持ち場を離れるな」

「構やしねえよ。あのロープはそう簡単に外せねえさ。第一、ガキどもの見張りと見回りをする必要ねえだろうがよ」

「しょうがないだろ。あの生真面目なレイクの命令なんだからよ」

 

  学院の魔導セキュリティを破って校舎に侵入した天の智慧研究会の外道魔術師達は、既に二組の教室を制圧していた。

 

 仲間の一人であるジンが威嚇で三度も乱射した軍用魔術【ライトニング・ピアス】と、彼の何人もの人間を殺した者だけが放てる本物の殺気に、耐性のない生徒達は恐怖に呑まれてしまった。

 そして、生徒達が怯えて動けないでいる中、リーダー格であるレイクがルミアを連れ去った後、ジンと他の三人は教室に残された生徒達全員を【マジック・ローブ】で縛り上げ、呪文の起動を封じる【スペル・シール】の魔術をかけ、完全に無力化した。

 後はロックの魔術で教室に鍵をかけ、用事がすむまで生徒達を完全に閉じ込めるだけでよかった。

 

 だがすぐに計画外のことが起こってしまった。

 一作業が終わった後、何を思ったかジンはシスティーナを連れて教室を出ていってしまったのだ。

 

 その上、生徒たちを拘束している途中で校舎のどこかから銃声のような音が鳴り響き、先行していたヴラムからの連絡が取れなくなっていた。

 それからすぐに通信用の結晶石越しにレイクから『警戒を怠るな』という命令が下ったのだが………彼らにはまったく緊張感がなかった。

 

 故に教室の中で仲間が一人無力化されていることに全く気付いていない。

 

「俺はあの《竜帝》に逆らう勇気なんかねえよ。命令違反なんかしちまったら確実に殺されちまう」

「それ言えてる。ジンの奴、ホント馬鹿だよな」

「けどよ、流石にトイレ休憩ぐらいで命令違反にはならないだろ?」

「まあ、確かにな…」

「あっ、それなら俺も念の為行っとくわ」

「解った解った…なるべく早く済ませるんだぞ」

「はいはい」 

 

 そう言って黒装束の二人が廊下を歩き出し、幅の広い折返し階段を昇って行ったところで二人の姿が見えなくなった。

 

 残された一人が、去り行く背中に呼びかける。 

 

「おい、どこに便所があるか解ってるんだろうな?」

 

 しかし、仲間たちからの返事がない。

 

「おい、返事ぐらい……」

 

 自分も階段を昇って呼びかけるが、彼は状況がおかしい事に気が付いた。

 先程二人で向かった筈なのに、三階には一人しか立っていなかった。

 

「ん? おい、あいつは何処に行った?」

 

 金色の髪がツンツンと逆立っている男は消えた仲間の居場所を尋ねるが、やはり返事は戻ってこなかった。

 

「おい、どうした!」

 

 三階の廊下の仲間は全身をカタカタと震わせている。そして、ようやく声を絞り出して答えた。

 

「き………消えた………」

「は?」

 

 近くの窓に背を向けながら、男はなおもガクガクと震えている。

 

「消えたんだよ、こう、何かが後ろを通り過ぎたと思って振り返ったらもういな………」

「おい! 後ろ!」

 

 金髪の男が唐突に悲鳴を叫ぶ。

 等間隔に並ぶ廊下の窓の一つ、仲間の立っている後ろの窓に、黒い人影が映ったのだ。

 室内の何かが反射したわけではない。そもそもその窓は最大限に開かれているのだから。

 

 

 

♦♢♦♢

 

 

 

 

(おいおいおい、突然上から爆音が聞こえたと思えば………いったい何がどうなってやがんだ?)

 

 廊下の隅に隠れる一人の少年がいた。

 

 ネイサンである。

 ネイサンは教室を出てすぐ、廊下の見張りの不意を突こうと動こうとしたが、思わぬ乱入者によって状況が変わった。

 

 東館三階の様子を遠見の魔術――黒魔【アキュレイト・スコープ】で確認する。

 

 変わり果てた三階の廊下。

 大きな穴が開いた壁、引火した床の絨毯、廊下に立つ黒い煙。

 火の手がそこかしこに散乱し、それらが燃える時に出る煙で視界を大きく曇らせる。

 

 その中を黒い影のような『何か』がテロリスト達を引き裂く瞬間が、ネイサンの右目のまぶたの裏に広がった。

 

「っ!?」

 

 黒い『何か』は、所々破れ千切れた漆黒の襤褸布をローブのように羽織り、身体のラインが見えない。大きなフードを深くかぶって隠した顔は、闇に覆われて明確に見えない。だが代わりに眼と思われる二つの光が松明の火の様に爛々と、そして不敵に赤く輝かせていた。

 

 その黒衣の人物を見るなり、ネイサンは目を大きく見開いた。

 

(なんであいつが……『シャドウ』が生きてやがる?)

 

 

――――シャドウ。

 

 それは、三年前に起こった三百人以上の領民失踪と同じ時期に突如現れた神出鬼没の連続殺人鬼の異名である。

 

 彼の本名や年齢、犯行の動機、そのフードの下の素顔を誰も知らない。

 

 黒いローブをたなびかせ、帝国各地で魔術の探究のためならば他の一切を犠牲にすることも厭わない外道魔術師を多く殺害。

 そこには容赦、手心というものが一切無く、現場に対象の肉片と異常なまでの大量の血だまりを作るその殺し方は、帝国にいる魔術師たちに大きな恐怖を植え付けた。 

 人がやったとは思えない凄惨な手口で死神の如き恐怖を撒き散らすその存在を人々は恐れ、何時しか影そのものを纏っているかのようなその姿に因んで『シャドウ』と呼ぶようになった。

 

 帝国政府、特に国軍省の傘下にある帝国宮廷魔導士団特務分室はその実力に目を付け、戦力増強の為に捕らえようと何度も試みたが、その都度戦闘になり、あの手この手で逃げられていた。

 

 だが一年前の嵐の夜、豪雨が降り注ぎ、風が吹き荒れる橋の上で、ある執行官との戦闘の末に『シャドウ』は敗北。隙をついた執行官が放った大量の銃弾が『シャドウ』の胸と腹部を貫通して、その拍子に『シャドウ』自身は荒れ狂う河の中へと吸い込まれていった。

 

 その後調査隊が河を調査をしても遺体が発見されず、あの致命傷の状態で生きている筈がないということですぐに正体不明のまま『死亡認定』されたのだが………

 

(……向こうも軍の目を欺く術を持ってたってことか)

 

 シャドウは足元に横たわるテロリストの死体を容赦なく蹴り上げ、炎の中へと放り込んだ。

 炎が燃え移り、死体に容赦なく纏わりつく。

 服が先に燃え、その下の肌と飛び出している臓物は見る間に炎で焼け爛れ、悪臭を放ちながら崩れていく。

 

(うわぁ…外道魔術師に対してのえげつなさは資料通りだなオイ)

 

 ネイサンは内心焦る。

 

 天の智慧研究会が何故ルミアを攫ったのか理由は不明だが絶対にロクなことではない。

 助ける時間が遅れれば遅れるほどルミアを助け出せる可能性が低くなっていく。

 そんな切迫した状況の中、そこに何故だか知らないが、死んだと思われていた連続殺人鬼が乱入してきた。前者は確実に敵だが、後者の方は全く分からない。

 

(どうする?向こうはまだこっちに気付いていない。なら――)

 

 纏めて始末するか?

 そう考えた矢先、背後から人の気配を感じ取った。

 

「っ!?」

 

 ネイサンは反射的に素早く振り返りながらチャクラムを振り下ろす。

 だが刃先が相手の首元に差し掛かる寸でのところでピタリと動きを止めた。

 

「ってあれ?あんたは………」

「………随分と物騒なものをお持ちですね」

 

 ネイサンの背後にいたその人物は、医務室に在中している新人教員クリストファー=セラードであった。

 

「なんであんたがここにいる?二組の担任以外の教員は皆帝都に行ってるはずだが」

「…自分の場合は赴任してまだ二か月しか経っていないため代わりに医務室の管理を任されていたんです。そしたら急に現れた銃を持った男に危うく殺されそうになりましたが、間一髪のところで突然現れた黒いローブの人物に助けられてここまで来れたんですよ」

「黒いローブの人物?シャドウのことを言ってるのか?」

「そんな名前かまでは分かりませんよ。それより、いい加減それ下ろしてもらえませんか?」

「え?あ、ああ……すまん」

 

 クリストファーに指摘されて、ネイサンはチャクラムを下ろす。

 普段からそんなに話す機会がないため、”どこか冷めた変わり者”ぐらいしか周りに認識されていない彼は、自らの首元に刃物が当てられても動揺の様子を見せなかった。

 

 それが逆に彼に対しての不信感を募らせる。

 

 この魔術学院の魔導セキュリティは高度で、学院側から登録されていない者や、立ち入り許可を受けていない者の進入を阻むようになっている筈だが、テロリスト達に容易く突破され、完全に掌握されている状態だ。

 

 状況から察するに――

 

(――いるな。裏切り者が)

 

 学院の教授や講師達。特に教授格かそれに準ずる能力を持つ講師が怪しい。

 それはグレン以外に学院に残っているクリストファーも容疑者に入るため今の話を鵜吞みにするわけにはいかない。

 だが単純に結界の術式の情報を横流しして後は実行犯に任せるって手もあるため、魔術学会で帝都にいる教員たちを除外するのも早計過ぎる。

 

「………その顔、自分が連中を招いたと疑ってるようですね」

「………まあ、状況が状況だけにな」

 

 ネイサンの表情から自分が疑われていることを読み取ったクリストファーはため息をついた後、僅かに表情を歪めた。

 

「………はあ。どう説明してもすぐには信じてはもらえないでしょうが、これだけははっきり言っておきます。仮に自分がどこかの団体に所属していたとしても、あんなロクでなしの人でなし共がいるところは死んでも御免だ。あの連中がクズなら、きっとそれを率いる指導者はそれ以上のごみクズ野郎でしょうね」

「おおう。随分とはっきり言うね。気にいった」

 

 天の智慧研究会の構成員の殆どは、下っ端のチンピラ程度であっても指導者である大導師に対する忠義は非常に厚く、その異常なまでの忠誠心は洗脳の域にまで達している。

 その構成員たちが学院にいる状況で、クリストファーは明らかにテロリストに喧嘩を売るような発言をしたために、ネイサンの中で彼は黒からグレーへと変わる。

 

(どうする?こいつを信じて教室に押し込んでおくか?それともことが治まるまで眠ってもらうか?)

 

 クリストファーへの対応に悩んでいたその時―――不意に途轍もない破砕音で学院が震えた。

 

「「ッ!?」」

 

 ネイサンは驚きながらも、即座に【アキュレイト・スコープ】を再起動して音がした西館の方を見据える。

 

 そこに映ったのは満身創痍にあるグレンとシスティーナ、2人に近づくダークコートの男―――レイクと呼ばれた男。更には三人の下に向けて疾走する影の姿だった。

 

「―――ッ」

「え?ちょ、ちょっと――」

 

 それを確認したネイサンは直ぐに遠見を解除し、クリストファーを放置して高速移動【疾風脚(シュトロム)】を発動。廊下を破壊する勢いで蹴り抜き、窓を突き破って風のようにその場から消え去った。

 

 

 

 あのときルミアを連れて行ったのはリーダー格のレイクだ。

 グレンとシスティーナを助けるついでにレイクをボコって吐かせることができれば、ルミアの居場所がわかり、裏切り者が誰かもわかる。まさしく一石三鳥だ。

 

 だが、それはシャドウがレイクを殺す前に確保できればの話だ。影が本物のシャドウなら確実に外道魔術師を容赦なく殺す。死んだあとじゃ何の情報も得られない。

 

(なにがなんでもシャドウより先にアイツをとっ捕まえなきゃ――)

 

 学院校舎は本館の東西に東館と西館が翼を広げるように、屈折して隣接する構造を取っており、東館から西館まで礼儀正しく廊下を通るようじゃ時間がかかる。そのためショートカットとして、一度窓から外に出て、直接西館に向かうしかない。

 

(このまま一気に行くぜ!)

 

 窓から飛び出したネイサンは黒魔【ラピッド・ストリーム】を起動させる。激流を身に纏って、機動力を爆発的に向上させたその身体は宙を舞い、一瞬で半分の距離を詰めた。

 

(あともう一息!)

 

 次で西館に辿り着くため、再び【ラピッド・ストリーム】を起動させようと呪文を唱えようとしたその時――――虚空から発せられた一条の紫の紫電がネイサンに襲いかかった。

 

「―――ッ!」

 

 ネイサンはすぐさま詠唱を中断し、体を捻らせてその雷閃―――【ライトニング・ピアス】を躱し、チャクラムをフリスビーのように投げつける。

 時速100キロを超えるほどの高速で飛来した円盤が、雷閃が飛んできた方向へと飛んでいく。すると西館の数十メトラ手前の何もない筈の場所でガァンッ――と硬い物同士が打ち合う音が鳴り、火花が散った。

 

「チッ、早速新手のお出ましか」

 

 術の起動を妨害され、ネイサンが地面に降り立つ間に、チャクラムはブーメランのようにUターンし、ネイサンの手に戻る。すぐにネイサンは武器を構えながら、何もないその場所へと突き刺すように鋭い視線を向けた。

 

 空間が揺らぎ、その揺らぎの中から【セルフ・トランスパレント】で透明となっていた黒い外套に身を包んだ年齢不詳、性別不明の人物が行く手を阻むように現れた。

 フードを目深に被り、顔には白い無貌の仮面をつけている。

 

『今のを避けるとは………学生にしてはいい反応だな』

 

 仮面の奥から、くぐもった声が響く。高く低く殷々と響くその声は、老人か若者か、あるいは男か女かすら定かではない。

 

『いや。そんな玩具を持ち歩いている時点でただの学生じゃないな………何者だ?』

「ちょっとでかいフリスビーを持ったヤンチャな学生ですがなにか?」

 

 仮面の人物の問いかけにネイサンは適当に流す。

 

『…まあいい。どのみちここから先通すわけにいかない。死にたくなければここを立ち去れ――――なんて言ってもどうせ無理にでも押し通るつもりだろうからここで消えてもらう』

 

 仮面の人物がパチンと指を打ち鳴らすと、無数の光の線が猛速度で地面を走った。

 仮面の人物とネイサンを取り囲むように立方体の結界が瞬時に構築され、そびえ立つ光の障壁が外界とを切り離す。同時に周囲の風の流れと音が届かなくなった。

 

『この結界には認識阻害と音を遮蔽する術式が施されている。だからたとえお前がここで死のうと……誰もそのことには気付かない』

「あれ?なんか俺相手に勝つ前提で話進めてるみたいだけど、俺の聞き間違いか?」

「いいや、聞き間違いじゃない。お前は、この私には勝てない」 

「へえ、そうかい――《じゃあ・試してみるか》?」

 

 呪文改変による黒魔【ブレイズ・バースト】。収束熱エネルギーの球体を放ち、着弾地点を爆炎と爆圧で薙ぎ払う強力な軍用呪文だ。

 不敵に告げながら息を吸うように呪文改変を行ったネイサンだが、敵も一筋縄で勝てる相手ではなかった。

 

『ふん――』

 

 火球が当たる寸前に仮面の人物の姿が突然消えた。

 【グラビティ・コントロール】か【フィジカル・ブースト】でも付呪しているのか、火球が爆裂したときには仮面の人物は空高く跳躍しており、指先をネイサンに向けていた。

 

「っ!?」

 

 ネイサンは本能的に後方へとバックする。 

 同時に指先から一条の雷光が先程までのネイサンがいた場所へと迸り、地面に小さな穴が穿たれた。 

 

「マジかよ……」

 

 術者のその技量にネイサンは舌を巻く。

 

(時間差起動(ディレイ・ブート)が使えるとか反則だろ)

 

 仮面の人物は呪文を唱えることなく、【ライトニング・ピアス】を放った。

 予め呪文を唱えておき、後は任意のタイミングで起動する高等技法。それが時間差起動。

 それを当たり前のように使った仮面の人物の技量に驚きを隠せない。

 

『まだだ。《雷よ》《一手》《二手》《三手》』

「人に指を指すのは失礼だぞ!」

 

 仮面の人物が結界の壁を交互に蹴って、めまぐるしく跳び回りながら呪文を唱える。

 空気を引き裂いて、真空を切り裂いて、三条の雷光が急所へと迫ってきた。

 仮面の人物の追撃により放たれる【ライトニング・ピアス】を、ネイサンは【疾風脚】の連続起動によってよける。

 

『どうした?その手に持ってる玩具はただの飾りか?』

「好き勝手言ってくれちゃって…まぁ!」

 

 チャクラムを投擲する。

 ところがまったく見当違いの方向へ曲がっていく。ミスショットだ。

 だが、チャクラムは結界の壁で跳ね返り、まっすぐ仮面の人物に向かう。

 仮面の人物は空中回転でそれを避け、空中で指先をネイサンに向けた。

 

『《雷――』 

「≪霧散しろ≫」

 

 仮面の人物の詠唱が完成するよりも早くネイサンの指先が動き、一節詠唱が完成していた。

 その瞬間、仮面の人物の指先に生まれかけていた雷光が、ぱぁんと音を立てて弾け、魔力の残滓となって空間に散華した。

 

 黒魔【トライ・バニッシュ】。空間に内在する炎熱、冷気、電撃といった三属エネルギーをゼロ基底状態へ強制的に戻して打ち消す、対抗呪文(カウンター・スペル)だ。

 

「《かぁ・らぁ・のぉ~・こいつを喰らいな》!」

『っ!?』

 

 すかさずネイサンが、黒魔【ブレイズ・バースト】の即効改変呪文を四節ルーンで詠唱していた。

 ネイサンの五本の指先から火の粉が生まれ、まるで触れると弾けてしまう鳳仙花の実のように仮面の人物へと投げ放たれる。

 

『《光の障壁よ》!』

 

 焼き殺さんと殺到する炎から、後方へとバックして距離を離そうとする。だが避け切れないと判断した仮面の人物は、自らの身を守るために咄嗟に対抗呪文【フォース・シールド】を唱えた。

 手のひらで受け止めるが如く突き出した腕のその前に、光の六角形模様が半球状に並ぶ魔力障壁が眼前にて展開される。

 

 火の粉と障壁がぶつかり合う。阻まれる火の粉が衝突と共に唸りのような轟音と火花を散らし、あぶれた余波は自身の周囲を蹂躙する。

 

 一秒、二秒、三秒、四秒、五秒。

 

 やがて爆裂の前に障壁が破れ、煙があがる。

 煙に紛れてネイサンが仮面の人物との距離を一気に詰め寄っていた。

 

 結界の壁を跳ね回っていたチャクラムを手にし、手斧のように振りかぶる。

 

 が――

 

 バゴゥッ!

 

 体を反らしてそのまま後ろに倒す。さらにバク転を駆使してサマーソルトキックを放つ。仮面の人物の足はそれを弾いた。

 

「ち――」

 

 ネイサンは勢いのままチャクラムを手から離し、勢いに任せてそのまま、素人の目では追えない速度のジャブを数発繰り出した。身体を半身に、やや猫背に、両の手の甲を相手に向けてわずかに回転させる――古式拳闘に似た構えだ。

 

 

 だが最初の一撃がヒットしようかというその瞬間、仮面の人物は通常ではありえない方法で躱して見せた。

 

「っ!?」

 

 ネイサンの表情が驚愕に見開かれる。

 連発のジャブに対して、仮面の人物は文字通り跳んできた。バク転を終えて接地するや否や、予備動作なしでジャンプしてきたのだ。膝を使わず足首とつま先だけで跳んでみせ、ネイサンの頭上を一回転し、ネイサンの背後に着地する。

 

 振り向きざまに拳を放とうとしたが、その視界の隅に雷光を捉え、慌ててその場にしゃがみ込んだ。その直後、ネイサンの頭上を紫の紫電が掠め、髪の毛が何本か舞った。

 

「……やってくれたな。まだスペル・ストックを残してたか」

 

 後ろへと跳び下がり、互いの間合いが離れる。

 

「随分とアクロバティックなことで……おたく、魔術師らしくねーな」

  

 仮面の人物の動きは素人のものではない。精密な狙撃力のうえに高い機動力と柔軟な体術を持ち合わせている。

 魔術師は接近戦を嫌う。剣術が人を一人殺している間に魔術は何十人も殺せる。戦術で統率された一個師団を魔導士の一個小隊は戦術ごと焼き尽くせる。だから精神修練で培う魔術の下に置きたがる。

 この仮面の人物もネイサンも魔術師から外れた別のものだった。

 

『どうした?先程までの勢いはどこにいった?』

「好き勝手言ってくれちゃって………おたく何者?魔術至上主義と歪んだ選民思想に凝り固まったあの組織におたくみたいなのがいるなんて聞いたことがないよ」

『そういうお前は分かりやすいな。アレンジが加わってはいるが、今のはれっきとした帝国式軍隊格闘術だった。加えて、チャクラムを使った接近戦を好んでいる……………まさか奴の正体がお前みたいな子供だったとはな。帝国宮廷魔導士団特務分室の執行官、ナンバー12』

「――――へぇ?俺のことを知ってるのか」

 

 途端。ネイサンの雰囲気が変わる。先程までの飄々とした感じは失せ、ネイサンから途轍もない殺気が溢れていた。

 

「だが気付くのはちょっと遅すぎたな」

 

 ネイサンが手をかざすと、呼応するように仮面の人物の足元に魔術方陣が浮かび上がる。

 

『っ!?』

 

 仮面の人物がすぐさまバク宙をして方陣から離れた瞬間、魔術方陣は赤く熱を帯び、轟!と巨大な炎の渦となった。

 

『ふん………何かと思えば、私にはこんな罠なぞ効かん』

「おっと、そういうのはちゃんと周りを見てから言いな」

『!?』

 

 仮面の下で目が大きく見開かれる。

 辺りを見渡すと、壁、天井、地面と、結界内の至る所に先程と同じような方陣が展開されていた。

 

『いつの間にこんなに………!』

「実はおたくの攻撃を避けている間にこっそり仕込ませてもらったんだよ」

『馬鹿な………最初からだと!?』

「ああ。俺をこんな結界に閉じ込めたあの瞬間から、とっくに勝負は決まってたんだよ」

 

 天井から展開された圧倒的火勢の烈火が渦を巻き、帯状になって、仮面の人物の腕、胴、足をまるで蛇のように猛速度で伝い走り、絡みついて、締め上げていく。そして、絶叫を上げる間もなく、全身を完全に炎で縛りつけられたまま引っ張られ、宙に逆さに吊るされた。

 

 その姿は総数二十二枚からなるアルカナの一つに記されている神の子を十字架刑に追いやった裏切り者、第十三使徒ユーダの最後の瞬間を連想させる。

 

 

「じゃあな。顔も分からない誰かさん」

 

 身動きの取れない仮面の人物へと炎が降りかかった。

 

『がああああああ!!』

 

 仮面の人物の体が炎に包ままれ、吹き飛んでいた体は衝撃により相殺されその場で制止する。しかし体に浴びせられた炎は確実に仮面の人物の身体を灼いていく。

 

 

 そして、最後には仮面の人物は塵一つ残らずにこの世界から消え去っていた。

 

 

 

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