今日と言う1日は色々な事が起きてちょっと疲れてしまった。
急に戸山さんに呼ばれたと思えば行き先が初めましての人の家で、内容がかなり重たいものだったし個人的には触れられたくない言葉も聞くことになった。
ただ少しだけ戸山さんたちの力になれたのは、疲れ切ってしまった僕の心に活力と照れくささが交互にやって来て悪くない気分になれた。
自転車を降りて特に何も考えることも無く家のドアの前に立って鍵穴に、いつも持って行っている良く分からない緑色のトゲトゲとしたキャラクターが付いている、鍵を刺す。
そんな半ば作業的な行動をしていても、少しの変化があれば瞬時に頭が回転する。
「……あれ、鍵が開いてる?」
母親が施錠するのを忘れてしまったのだろうか。
誰だって失敗はあるし、僕なりに母さんが大変だって事は理解している。だけどもし悪い考えを持った奴が近くにいて僕たちの家にでも侵入されたらどうなるか分からないじゃないか。
すこしのため息をついてから家の中に入る。
だからいつもよりどんよりとしたただいま、が玄関に響き渡った。
「悠仁、おかえり。いつもこれくらいの時間に帰ってるの?」
「……なんだ、家にいるのか」
僕の声が聞こえたのだろう、ひょこっと母さんが顔を出しながらにっこりとしていた。
こんな時間に家にいるのはかなり珍しい。
居間に入ると手料理の温かく、お腹の音を鳴らしてしまいそうなにおいが僕の鼻の中にスルスルッと入っていった。
母さんの温かい手料理を食べられるのは正月以来だっけ。
「母さん、夜の仕事は休みなん?」
「いつもこの日は休みを貰ってるでしょ?」
「えっ?あ、そっか……今日か。忘れてた」
だから母さんが家にいるし、疲れ切った身体に鞭を打って気合の入った料理を作っているんだって彼女の哀愁漂う顔色と淡々とした言葉を聞いてすぐに分かった。
着替えようとボタンを外し始めていた手を止めて、もう一度ボタンを締めなおした。
ゆるみ切ったネクタイをいじって、ちゃんとした身だしなみになるようにしたのはきっと僕の気持ちが勝手に動かしたのだろう。
そのまま正座して、僕は父さんにただいまの挨拶を手を合わせた。
僕の心がギシギシと音を立てているのが聞こえた。
「『これから迷惑かけるだろうから、この日は贅沢をしてくれ』って言葉、今も忘れられないわ」
小さなため息とともに母さんは凛々しい顔をした遺影に話しかけているようだった。
僕もその言葉を覚えている。
まるで自分が今日の何時に死んでしまうかを知っているかのような言葉を最期に言って、その後すぐに眠ったように息を引き取った僕の父。
そしてその時僕の右手は空気を強く、強く握りしめていたことも良く覚えている。
母さんも父親の残した言葉を守っている。
何人かの男性に人生のパートナーになってほしいと懇願されているけれど、すべて断っているらしい母さんはきっと今も父さんの事を愛しているのだろう。
「ご飯を食べよ。母さん、お腹すいちゃったし」
「……うん、そうだね」
母さんに急かされて、椅子に座る。
目の前を彩る、出来立てでホカホカとしているクリームオムライスに、大皿に乗ったミディアムレアのステーキ。
口に一口入れれば、お腹だけでなく心の隙間にもぴったりと寄り添ってくれるような気がしてドンドンと手が進んで行く。
「久しぶりの手料理、美味しい?」
「美味い」
「そう。頑張って作った甲斐があった」
僕と母さんは特段仲が悪いわけではない。
ただ母さんが僕に対して申し訳ないという気持ちを抱えていて、それを隠し切れずにいる。
僕も鈍感じゃないからそんな気持ちをいとも簡単に見抜いてしまった。
僕も今年で学校を卒業できるんだ。
だからもうすぐ、母さんもゆっくりと、世の中の主婦たちと同じような生活を送れるから。
そんな事を思っていると、僕の携帯にメッセージが入った。
いつもの癖で食べている最中だけど携帯を触ってメッセージを確認する。
今日は、色々ありがとうございました!
戸山さんからのメッセージだった。
女の子からきたメッセージをすぐ既読を付けて返信するのも気持ち悪いかなと思うけど、一度見てしまったらモゾモゾとした何かが僕の身体をくすぐるようになる。
「友達から?」
「うん。……女の子の、だけど」
「別に恥ずかしがることないじゃん。悠仁くらいの年齢で女の子の友達が一人もいない方が心配するでしょ?」
今日のために買ってきたのだろう、赤ワインをワイングラスに注ぎながらケタケタと笑う母親を、僕は昔に作った作品を見るような懐古とした目で見つめていた。
この赤ワインは、たしか父親も好きだったような気がする。
僕はまだワインとか、お酒も善し悪しは分からないけれど、このワインが魅せる控えめな赤色は僕も好きだ。
「それに悠仁がちっちゃい頃とかよく女の子と遊んでたじゃん?誰ちゃんだっけ?名前は忘れたけど二人の女の子と」
「え?僕にそんな時があったっけ。覚えてないや」
「あったあった。悠仁が急かすんだもん。『今日もあの公園に行こ』って。まだ幼稚園に行く前だったね」
「そうだっけ」
残念ながら僕には小さい頃の記憶がこれっぽちも無い。
小さい頃に頭を強く打って記憶をなくしたとか、ありきたりな物語のベタ展開のような事は一切ない。本当に覚えていないだけだ。
ただ、高いところから飛び降りて足がおかしくなったのは覚えている。
今も若干、走るときに痛みが走るくらいだ。
だけどどうして、小さい時の僕がそんな行動をとったのかは分からない。
その行動の意図を知っているのは当時の僕、ただ一人だ。
「あの時の悠仁は素直でちっちゃくて可愛かったなぁ」
「……」
時の流れは皆に平等だ。
だけど時の感じ方は人それぞれ違う。だから同じ世代には輝いている人がいたり、有名になったり、悪さをする幼稚な人間になったり様々。どのように時を「感じた」かによって人間って変わるんだと思うし、だからみんな違うんだって思う。
きっと僕には途中で無意味に「感じて」しまったのだろう。
母さんが思い出に浸っている時の僕は有意義に、まるで風を味方につけてズンズンと進んで行くヨットのような時を過ごしていたのだろう。
今、僕が時を渡るのに使っているのは泥船。
もう片足が冷たい塩水に浸かってしまっているんです。
「そういえば、その時にその女の子から貰った
「あれ?……貰った記憶もないし、何かも覚えてない。もう持ってないでしょ」
「部屋を掃除した時にポロッと出てきたりするかもよ?」
そんな人生上手く出来てないでしょ、って半ば呆れながら僕は母さんの顔をジトッとした視線で見つめた。
母さんはステーキを口に運んで幸せそうな顔をしながらうまー、と言う言葉を零しながら左手を頬に添えていた。
小さい頃から良く僕は母さん似だと言われていたけど、個人的には全く納得がいかない。
母さんが嫌いという訳ではないけど、どちらかと言えば父さんのしっかりとした責任感のある佇まいの方に似ておきたかった。
夕飯の後、お風呂を済ませた僕は自室に吸い込まれるように入っていった。
母さんは今日、父さんの遺影の前でワインを飲みながら感傷に浸るようだ。
僕は何気に部屋の片隅をキョロキョロと見渡していた。
「女の子と遊んでいたって記憶もないんだよな」
ぽつりとこぼした言葉は昔よく使っていた勉強机の引き出しの奥に入っていった。
今でさえ、交流のある女の子なんて片手で数えられてしまう僕が昔は女の子とよく遊んでいただなんて聞いても実感が湧いてこない。
そんな時に頭の中にぽわぽわっと戸山さんの姿が浮かび上がってきた。
「戸山さんは……小さい時に会っていたら覚えていそうだけど」
それに戸山さんも僕の名前に覚えはなさそうだった。
それならばやっぱり彼女は最近になって知り合ったのだ、と頭の中でスラスラと証明を終えた。
あ、そういえば戸山さんに返信するのを忘れていた。
既読を付けてもうすぐ3時間は経過するであろう時間にせっせと返信を書いて戸山さんに送信する。
するとすぐに携帯が着信を知らせてくれる。
無視されたと思ってました~
泣いた顔文字と一緒に送られてきたメッセージを見て、心が梅雨前の青空の様に澄み渡った気がした。
@komugikonana
次話は5月31日(日)の22:00に公開します。もう5月、終わっちゃうんですね……。
新しくお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます。Twitterもやっています。良かったら覗いてあげてください。作者ページからサクッと飛べますよ!
~高評価をつけて頂いた方々をご紹介~
評価9と言う高評価をつけて頂きました カラドボルグさん!
この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援、よろしくお願いします!
~次回予告~
坂本と別れた僕は、いつもは晴れた気分で下校を始めるのだけど今日はあまり気が乗らない。
理由は簡単で、今日は相棒である自転車では無くて徒歩で来ているから。
「悠仁先輩っ!」
憂鬱な時に、頭の中に戸山さんの声が響いた。
一瞬でも心がドキッとしてしまうのは女の子に慣れていない男子高校生なら誰しもが経験するし、分かりあえるような気がする。
下校中に戸山さんの幻聴が聞こえるほど疲れているのか、と思うと自然と目をゴシゴシと擦った。
前を向いた時、一人の見覚えのある女の子が手を振っていた。
~感謝と御礼~
Twitterにて限定公開させて頂きました、前作「change」の後日談ツイート数が100を超えました。本当にありがとうございます!人生で初めての事だったので今でも嬉しさに浸っております。これからも皆さんのお世話になると思いますが、何卒宜しくお願致します。
それでは、次話までまったり待ってあげてください。