いきなり戸から出てきた明日香ちゃんがまさかこんな、まるで大事なものが消えてなくなってしまう事を知ってしまったかのような表情で出てくるなんて思わなかった。
想定外の事で僕の頭の中には疑問符しか出てこなくて、一番最初にしなくてはいけない事が頭の中には思考として一切出てくることは無かった。
今にも泣きだしそうで、自分ではどうしていいか分からず藁にすがってでもどうにかしてほしい。
そんな感情が今の明日香ちゃんを取り囲んでいるのは火を見るよりも明らかなのに。
その儚くて小さな火が消えてしまった時に僕たちは気付くんじゃないだろうか。
いつもそうだ。大事な物とかかけがえのない物って失ってから気づくんだよね。
さっき、ここに来るまでに僕の心に刻んだ。
また僕は同じ過ちを繰り返してしまうのか。
心で、感情で理解するよりも早く、身体が勝手に動き出したんです。
明日香さんの近くまで行って、後一歩でも進んで腕を回せば彼女を包み込めるような距離で、彼女の頭に手を優しく置いた。
明日香さんが驚いた顔が僕の瞳に映し出された時、やっと僕の理解が追い付いた。
「落ち着いて。何かあったか、ゆっくりで良いから、話してくれるかな」
優しく、薄い薄いガラスで作られたコップを大切に扱っていたあの時の様に明日香さんに声を掛けた。
明日香さんは僕の言葉がどこかに響いたのかもしれない。彼女の瞳からは不安が消え去って、代わりに涙が抑えきれず零れてしまったから。
「助けて……ください」
「僕も有咲さんもいる。絶対大丈夫だよ」
いつもの僕ならきっと大丈夫だよ、と言っていたと思う。だけど今は絶対と言った。100%大丈夫だよって言い換えても良いくらいの自信も言葉に乗せた。
なんだか今日は思った事と言葉にした事とでは若干の違いがあるからちょっと照れくさくなって頭を掻きたくなる。
「お姉ちゃんが……お姉ちゃんがぁ」
明日香さんに自分が出来る範囲で優しい笑顔を向けながら、手に持っていた紙を優しく受け取った。
息を一瞬だけ止めてから、口の奥に溜まった唾をゴクリと飲み込んでから手紙に書かれてある文字に目を通した。
あっちゃんへ
今まで本当にありがとう。とっても楽しかったよ。
次生まれ変わっても、あっちゃんが妹だと良いなぁ。
こんなお姉ちゃんでごめんね。
とっても、とっても簡潔な文章だった。
だけどその分、この手紙を書き残した時の戸山さんの気持ちも痛いほど分かった。
戸山さんはきっと、我慢しすぎていたんだ。
ショッピングモールで戸山さんは僕にその予兆を吐露していた。一部の心ない書き込みが精神的にきつい事を。
そして僕まで急に威圧的な態度をとってしまった。
「まだ、戸山さんの部屋は涼しかった?」
僕は静かに、だけど確実に明日香さんの耳に届くような声を風にふんわりと乗せた。
小さく震える明日香さんだったけど、確かに頭をコクンと縦に頷いた。
そっか。それが聞けたら充分。
後は僕に任せて欲しいんだ。いや、僕たちに、かな。
「有咲さん!戸山さんを探すのを手伝ってほしい!」
「わ、分かってる!友達とかに事情は伏せて探してもらうから」
「ありがとう。見つかったらこの番号に連絡して!」
偶々持っていたボールペンで戸山さんの悲しい気持ちが綴られている紙に番号を走り書きして有咲さんに渡した。
僕が走り始めたのと同じタイミングで僕の肌に冷たい感触がポツポツと感じ始める。
この雨はもしかしたら戸山さんの悲しみを透過したものかもしれない。もしそうなら土砂降りになる前に、手遅れになる前に見つけなきゃ。
走っている途中でコンビニを見つけた。
こんな時に僕はコンビニに入って、目に留まったビニール傘を購入した。
切羽詰まっている時にのんびり買い物かよって思われるかもしれないけど、僕からしたら戸山さんが雨に濡れて欲しくないって気持ちが何よりも勝った。
「だから、絶対、すぐ見つけるからね」
傘をささずに、右手で傘を掴みながらまた走り出す。
あの手紙から推測すれば、戸山さんが居そうな場所は限られてくる。それに今日途中で有咲さんの言葉。
きっと今頃、有咲さんや他の友達が戸山さんの事を探しているんだと思う。
何人か分からないけど、それくらい君の周りにはたくさん人がいてくれてる。
やっぱり、僕は君に憧れているんだ。
羨ましいと思うから。
もうすぐ太陽が沈む時間帯かもしれないけど、生憎太陽は雲に隠されているから正確な時間は分からない。
そんな時間に、雨が降っているのに傘を手に持ったままで走っているのだから周りから変な目で見られていると思う。
いや、他の要因もあるだろう。
何故なら僕が今、立ち止まった場所がその要因だから。
「警備員にばれてるかもだけど、流石に今回だけは大目に見てよっ!」
花咲川女子学園の校門前、僕は止まることなく校舎の中に入っていった。
正直、賭けに近いとも思う。だけど意外と盲点でもあるとも思う。
戸山さんは今日、学校を欠席している。
灯台下暗しと言われるけど、まずどこか行ってしまった場合において手薄になりがちなのは身の周り。
加えてもしも、もしも戸山さんがここにいるのならば本当は……。
長々と思考を述べる暇があったら身体を動かせ。
女子高に入るのなんて今後経験なんかあるわけも無いだろうから、じっくり探検してみたいけど今は初めて入った校舎の階段を手当たり次第に上っていく。
「大体、上に登っていけばあるはずだよな」
はぁはぁ、と息を切らせながらも足を止めることはしなかった。
もしここで教員に見つかったらどうなるんだろう。最悪の場合は不法侵入とか建造物侵入罪とか漢字が4つも6つも並べられた堅苦しい言葉を浴びせられるかもしれない。
だけどそれがどうした。
僕は今までたくさん迷惑を掛けてきた。そんなだから今更気にしたって一緒だろ?
階段を上り切った先に、重々しい雰囲気のする扉が設置されていた。
普段鍵が閉めてあることの多いらしいこの場所の門を僕はしっかりと握って、押した。
ギギギッ、と音がして大して眩しくもない光と雨粒が手と顔に触れる。
開いたんだ、屋上へと続く扉が。
雨が一段と勢いを増す中、間違いなくそこには人影があった。
はっきりとは見えないけれど、シルエットには懐かしさを感じる。
「やっと見つけたよ」
人影が僕の声に反応してビクッとした。
僕はゆっくり、ゆっくり歩を進めて行って視界にその人影が誰であるか分かる位置まで歩いた。
今、君はどんな感情を僕に抱いているのかな。
なんでここにいるの?
私を苦しめた人がなんで来てるの?
面倒な奴に見つかった?
なんでも良いさ。ただ僕は。
「久しぶり、戸山さん」
君と、もう一度話したいんだ。
@komugikonana
次話は9月27日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~
雨が強くなって肌に当たる粒が痛くなっていく。
前髪もべったりと額にくっ付いていて、鼻にあまり好きではない雨のにおいが常に漂い続けていた。
ザーッという雨音が何かの叫び声のように聞こえ、嫌な予感を感じさせる。
戸山さんも傘をささずに、雨が降っているのにまるで晴天の日に日光浴をしている様だった。
ただ一つ違う事は彼女が落下防止の柵の奥の方、一歩でも踏み出したなら下に落ちてしまいそうな場所に立っている事。
もしかしたら僕の一言で一人の人生を終わらせてしまうかもしれない。
では、次話までまったり待ってあげてください。