今を繋ぐ赤いお守り   作:小麦 こな

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手放すもの。手放したくないもの。④

雨が強くなって肌に当たる粒が痛くなっていく。

前髪もべったりと額にくっ付いていて、鼻にあまり好きではない雨のにおいが常に漂い続けていた。

ザーッという雨音が何かの叫び声のように聞こえ、嫌な予感を感じさせる。

 

戸山さんも傘をささずに、雨が降っているのにまるで晴天の日に日光浴をしている様だった。

ただ一つ違う事は彼女が落下防止の柵の奥の方、一歩でも踏み出したなら下に落ちてしまいそうな場所に立っている事。

 

もしかしたら僕の一言で一人の人生を終わらせてしまうかもしれない。

そんな極度のプレッシャーが心にドサッと乗っかってきた。

 

「久しぶり、戸山さん」

 

この言葉でも、口にするのにかなりの勇気が必要だった。

知らない場所に踏み込むRPGの主人公のような勇気。プレイヤーはこの先に起こることが大体だけど予想は付くから怖いのは主人公だけ。

でも今は、誰も結末が分からない。それだけでも頭が引き裂かれそうな痛みが襲ってくる。

 

「悠仁……先輩」

 

僕の声に反応してくれて、こちらに振り向いてくれた。

戸山さんも雨で濡れているからあまり確信は持てない。だけど今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 

僕は少しずつ戸山さんのいる場所に近づいていく。

一歩踏み出すたびに身体全体に心臓の鼓動が響き渡るのが妙に気持ち悪い。

だけどこの一瞬から、激しさを増す雨音が気にならなくなった。

 

「悠仁先輩には、こんな姿見られたくなかったな」

「どうして?」

「それは悠仁先輩、だからです」

 

こんな姿って何を指すのだろう。

 

雨でずぶ濡れになっている姿?

泣いているのに雨で誤魔化している姿?

それとも今から飛び降りる姿?

 

だったら僕の答えは一つだ。

 

「僕も嫌だ」

「えっ?」

「嫌な事は嫌だって言うのがわがままだったら、僕はこの時だけはわがままになってやる」

 

多分戸山さんは僕が何を言っているのか分からないと思う。実際僕も口に出してから頭で理解しようとしても良く分からない。

だけど戸山さんは確かに笑ってくれた。9割は悲しい表情だったけどほんの少しだけ、口元は確かに笑っていた。

 

「だから戸山さん。こっちに来て話をしない?」

 

優しく言ったけど、本心は叫びたいくらいなんです。

頼むからこっちに来て欲しい、後は何もいらないからって神様にお願いするような感覚。

僕はもう二度と……。

 

「僕はもう走りすぎて足がパンパンでさ……。ほら、僕って足が悪いし」

 

小さい頃に痛めてから、ずっと抱えている。

もちろん走ることは出来るけど、鈍い痛みも一緒に走り始める。

 

そんな事、戸山さんは知る由もない。

僕が戸山さんだったら知るかそんな事、って思いながら聞いてると思う。

 

「……木から、落ちた時からですか?」

 

どうして戸山さんが僕の右足が悪くなった理由を知っているのだろうか分からないけど、きっと坂本が口を滑らせたのだろう。

また悲しい感情に飲み込まれていく戸山さんが、僕にはもう見ていられなくなった。

頼むからこっちに来てくれよ、って叫びだしたい。

 

戸山さんが全く動こうとしないから、余計にそう思うんだ。

 

「……坂本から聞いた。僕って最低な奴だよね」

 

逸る気持ちを抑えきれなかった僕は、戸山さんの近くに歩いて行きながら話すことにした。

僕が戸山さんに抱いているのは憧れなのか、それとももっと他にあるもっと単純な感情なのか分からないけれど。

 

手や足の先が痒くなってきた。

それと同時にまた別のプレッシャーが、渦潮の様に四方八方から襲い掛かってきた。

 

「戸山さんは僕の事を知りたいから、色々動いていたんだよね。僕が抱えている物を少しでも軽くしてくれようとしたんだよね」

 

戸山さんは沈黙を貫いているけれど、表情が変わっていくのを僕はただ見つめながら淡々と言葉を口にした。

 

僕はそんな戸山さんの行動を「遊び」と称した。

楽しい意味もあるけど裏の面もある、無邪気な子供が良く使う悪気ない言葉が一番人の心をえぐってしまう。二面性がある人間が人間を傷つけてしまう事があるように。

 

僕はゆっくり進んで行く。

そして自分も落下防止柵の前まで進んできた。この障害が無ければ、手を伸ばせば彼女に届くのにって無意識に歯を食いしばった。

 

彼女を止めるには、柵を越えるしかない。

考えるまでもない事、やらなくちゃいけない事を実行しようとした。

 

「坂本先輩も良い人だけど、悠仁先輩は良い人すぎです」

 

震える手と足を使って柵を上ることに夢中だったから戸山さんの声には耳を傾けるしか出来なかった。

君をこんなにも傷つけてしまった僕が良い人な訳あるか、って言いたいけれど今は思っていても口にしてはいけないって感じた。

 

柵を降りて、ようやく戸山さんと手が届く空間に足を踏み入れることが出来た。

遠くから見ていたから分からなかったけど、足を一歩でも踏み出せば下に落ちてしまうような足場の狭さに足が畏怖の念に襲われる。

 

下は若干緑色の何かが見える、植木か何かだろうか知らないが基本はコンクリート。もうこの先は言わなくても分かるだろうと息を呑んだ。

 

戸山さんは雨粒が降りしきる真っ黒な雲をジッと見つめていた。

この女の子は僕が知っている戸山さんで間違いはない。そうなんだけどこんな彼女は見たことが無い。

 

「戸山さんも素敵な人だよ。元気なのに誰よりも真剣で真面目でさ」

「そうですか?」

「僕の目にはそう映ってる。だからさ、今は気にしないで全責任を僕にぶつけても良い」

「全……責任」

「そう。辛い事があったら人に話せばいい。逃げたって良いんだよ」

 

戸山さんの近くに寄って、語り掛けるように呟いた。

心なしか雨の勢いが弱くなっている気がする。この雨が戸山さんの心の悲しみを投影しているのであれば良い方向に進んでいることは間違いない。

 

気を緩めてはいけないけど、少しホッとしている僕が確かにいた。

 

「悠仁先輩」

 

戸山さんは僕の方を向いてくれた。

僕も戸山さんを見つめ返す。いくら僕の感情に申し訳なさが支配していようとも、ここで彼女と目と目を合わせなきゃいけないと感じたから。

 

「私、悠仁先輩に会えてよかったです」

「それは僕も同じだよ」

 

それはずっと思っていた。戸山さんと出会えてよかったって。

だけど思っていただけで誰にも言う事は無かったし、戸山さん本人に伝えるとしても恥ずかしくて出来なかった。

 

「えへへ、一緒ですね」

 

戸山さんが今日、初めて笑ったのではないだろうか。

髪の毛もぐっしょりと濡れているのに彼女の顔は綺麗に輝いて見えた僕は、思わず笑みを零してしまう。

 

「さっき言ってた事……全部、悠仁先輩にぶつけても良いですか?」

 

全責任を、という事だろう。

僕はもちろんと顔を縦に振った。全部僕に擦り付ければいいんだよって意味も込めた。

 

雨がもうすぐ止みそうで、肌に当たる感触がほぼなくなってきていた。

きっと、きっと戸山さんの事を助けられるんだって思った。

 

 

 

 

 

 

 

今、一瞬だけ嫌な予感がした。

もしこの雨が投影しているのが心の悲しみでは無くて、彼女の生命力だとしたら?

止みかけているという事は、もうすぐ彼女は……?

 

 

「みんなを、よろしくお願いしますね」

 

まずいって思った時には彼女の身体が傾き始めていて、それを重力が受け入れていた。

僕は咄嗟に走り出して屋上から飛び降りる戸山さんの右腕をがっしりと掴んだ。

 

僕は漫画や小説の主人公みたいな人間じゃなかった。

その証拠にこのまま掴んだら引き上げるまでが一連の流れなのに。

 

掴んでいた腕がするすると下に下がっていく。

雨で濡れているという事もあるし、片手では女の子一人を支えることなんか到底できやしない。

 

腕を掴んでいたのにもうすぐ手首に触れてしまう。

もし手首を過ぎたら、細い指。そして

 

 

手放すことになる。

 

 

「もう、大切な人を失いたくないんだぁあああ!」

 

掴むことを諦めて、戸山さんを僕の方へ引き寄せる。

その方法をとるために僕は。

 

 

足を地から、屋上の足場から外した。

ひゅっとした感覚を気持ち悪いと感じるより前に戸山さんを引っ張る。下に落ちるまで何秒もないだろうし、戸山さんとほぼ同じスピードで落ちていく。僕の頭は少しでも戸山さんが受ける衝撃を和らげたいとしか考えていなかった。

 

 

バキバキバキ

鋭い痛みと枝葉が折れる音がした。どうやら運よく植木の上に落ちれたみたいだけどすぐ横を見ればコンクリートの地面でギョッとした。

 

もう死んでしまうと思っていたのに助かったからホッとしたのと、僕が無意識に胸に抱えていた戸山さんの鼓動を感じたところでふっと意識を手放してしまった。

 

 




@komugikonana

次話は10月4日(日)の22:00に公開します。
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評価10と言う最高評価をして頂きました 逃避迅さん!
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この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
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それでは次話までまったり待ってあげてください。
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