私はしばらくの間、静かになった彼の自室で時間を過ごしていた。
緩やかで心地の良いサラサラと光る小川の流れのようなまったりとした時間の中、横目をチラッと見ると彼が静かに寝息を立てている。
本当の事を言うとずっとこの場所で彼を見ていたいけどいつまでも人の家にお邪魔し続けるのは申し訳ない。
それにきっとあっちゃんも心配しているかもしれない。
「勝手に帰っちゃうのもダメだよね……?」
別に彼が目を覚ました時に私がいなくなっても帰ったんだな、としか思わないかもだけど。
結局は私の問題なんだよねっ。
彼の机からシャーペンと紙を借りていそいそと、思ったままの素直な気持ちを書き綴り始める。
あと少しで書き終えそうになった時、不意にインターホンの音が鳴り響いて変な声を出してしまった。
今の声で彼が起きてしまったのではと一瞬だけベッドに目を向けたが、幸いにも気持ちのよさそうな顔つきでまだ夢の中に身をゆだねていた。
「……ちゃんと対応した方が良いのかな」
でも私はここの家の関係者じゃないし、出ない方が良いよね。
でも、もし来客の人がとっても重要な用事だったら困っちゃうかも。
郵便とか宅配の可能性もあるだろうし、もし違っても置手紙を残しておけば彼がなんとかしてくれる。
私はそう結論を付けたので階段をゆっくりと降りて玄関に向かった。
するとここで、私の想像をはるかに超える出来事が起きた。
それは玄関の鍵がカチャッ、と言う音と共に外から開けられた。
施錠が解かれたドアは外からでも当たり前のように開き、見た目が若そうだけど大人の貫録をもった女性が入ってきた。
もちろんその女性と目が合う。私は情けない事に固まってしまっている。
「悠仁の彼女さん?」
「えっ、か、カノジョ!?」
「時間ある?おばさんと話さない?」
凄くウキウキとした、いじれば面白そうだと言わんばかりの笑顔で女性は私に話しかけてきた。
再びリビングでお茶を頂くことになった。彼と同じ様にもてなしてくれて、やっぱり親子は似るのかもとクスリとした。
彼のお母さんである悠子さんは、本当は夜にも仕事が入っていたが息子が心配で休みをもらって帰ってきたらしい。そこで私とばったり遭遇、しかも家の中で。
私の事をからかう気満々のニタニタ顔なのに、ちゃんと悠仁先輩の事を気にかけているからとっても良い人なんだという事はもうすでに分かっているけど、年が離れすぎている人とどう接すればいいのか少し困る。
それに悠仁先輩のお母さんだから、あんまり悪い印象を与えたくないって気持ちも溢れてくる。
この先、私と悠仁先輩の関係がどうなっていくかは分からないけど私が思い描くような未来になってくれるのであれば、その気持ちを
「名前はなんて言うの?」
「と、戸山香澄と言いますっ!」
「おばさん相手に緊張しなくても良いの。気楽にしてくれて良いから」
彼のお母さんはどこからかアロマを持ってきて机の中心に置いた。
甘すぎない、だけどどこか女性を思わせるような香りがリビング中に広がって、私の緊張もどこか緩んできたように感じた。
お茶を口にすると、さっき彼から貰ったのと同じなのに味に変化があるように思えた。
もしかしたらこれは感情によって味が変わっちゃったのかな?たまに恋の味、だとか表現する時もあるし歌詞とかにそんなニュアンスを組み入れるのも良いかもしれないって考えていた。
「……香澄ちゃんって何かやってる?例えば本を書いてたりとか、音楽をしてたりとか」
「高校の友達とバンドをしています!どうして分かったんですかっ!」
「夜は接客業をしててね?人の目を見れば大体分かるようになったの」
夜の接客業と言えば居酒屋とか、お洒落なお店で働いているのかな?
緊張で硬くなっていた私は、いつの間にか姿を消してしまっていて今ではいつものように話が出来ている。
それはきっと彼のお母さんが話し上手だからかな?
大人の女性はすごいなってこの時に実感した。不安と緊張と言う霧が周りにたくさん渦巻いていたけど、こんなにも簡単に晴らしてしまうのだから。
大人に嘘をついた時は大抵その嘘がバレちゃう事も、同時に納得がいった。
彼のお母さんは透明なグラスにお酒、多分チューハイだろうか、柑橘系においのする飲み物を注ぐ。
注ぎ終えると軽くグラスを揺らしながらちょびっと口に含む。
「もちろん、息子の目の光が段々と鈍っていくのも知ってた」
独り言のように、だけど誰かにこの思いを聞いて欲しいかのような声がポツンと置かれた。
何よりも同じような声で息子に掛けてあげたい言葉はたくさんあったけど怖くて何も出来なかった、と言う言葉が一番ずっしりときた。
彼の過去のお話は先ほど聞いたからなのかな、余計に私の心がチクチクとするから少し顔を下に向けて唇をグッと噛んだ。
「でも最近、息子はちょっとだけ変わった」
ドキッとした。
クリスマスが近づいてきて朝が来たら枕元にプレゼントが置いてあるようなドキドキじゃない方だった。
彼のお母さんから発せられる優しい口調から変わった、と言う言葉が余計にそのドキドキを加速させた。
きっと私はこんな心情だったから顔に出てたのかもしれない。
彼のお母さんは一瞬だけきょとんとなった。その後はクスリと笑いながらそんなに構えないで、と言った。
別に構えている訳じゃないけど、次に続く言葉が怖い。
人間は現状維持が最も楽な選択肢だって知っているらしいから。変わるには勇気がいることらしいから。
「特に全身傷だらけだった時はびっくりしたわ」
ああ、それはきっと私がバカな真似をしてしまったからだ。
この流れから間違いなく私が彼に悪影響を及ぼしているんじゃないかって問い詰められるに決まってる。
どうしよう、の言葉が無限に湧いてきてしまって思わず目を瞑った。
「悠仁があんな綺麗な目をしているなんて、ってね。だからきっと何かあったんだろうなって思ってたんだよね。まさか彼女を作ってるなんて思わなかった」
思わずえっ、と言う声が喉からこぼれた。
だから私は彼女じゃないです、とか言い返したい部分があったけどそんな事は頭の中では重要視されていなかった。
彼の目が綺麗になった?
私と会ってから、そしてあの出来事の後って、どんな心境だったのだろう。
はっきりと考えたことが無かった。それなのに今は知りたいという衝動に駆られてしまう。
彼を意識しだすと顔が熱くなっちゃう。
「旦那が死んでから、あんな目をしている悠仁は初めて。ありがとう、香澄ちゃん」
「私は何もしてないですけど……えへへ、どういたしまして」
「これから悠仁の事、よろしく」
「は、はい!任されました?」
「面白いね、香澄ちゃん」
彼のお母さんはクスクスと上品に笑いながらまた一口、お酒を喉に通した。
微かな柑橘系のにおいがしてきたとき、彼のお母さんは。
「香澄ちゃん」
「はい、どうしましたか?」
「昔、会った事あるっけ?」
うーん、と顎に手を当てながら訝しそうに私を見つめながら言った。
@komugikonana
次話は10月25日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~
「当たり前ってお前……年頃の男女が一つの部屋に入って何もないなんてありえねぇ!」
ふざけてないし、って毒づく。
でも坂本が言っている事は事実で、僕は戸山さんの事が好きだって自覚した。
香澄ちゃんとメールするだけでも些細な緊張が付きまとうようになったし、その緊張が彼女に対する羨望の気持ちではない事にも気づいた。
戸山さんともっと一緒にいたい。一番最初にそう思った事で、ようやく僕が彼女に恋をしていたんだって。
では次話までまったり待ってあげてください。