うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる 作:インスタント脳味噌汁大好き
雛鶴あいと夜叉神天衣の初対局は、雛鶴あいの先手番で始まった。ここ数日、道場の子供達と指し、飛躍的にレベルアップしているあいは、先手番の利を活かして果敢に攻めて行く。それを丁寧に天衣は受けて、攻めを切りに行った。
「供御飯さんのような、受け潰す棋風なのか?」
「それも違う。元々は躱して受けるタイプの受け将棋だ。
ただ最近は、防御寄りのバランス型になって来たな」
「えー、思いっきり師匠の好みが出てますよね……?」
「指導対局だと、攻めさせているんだけど攻め将棋になってくれない」
隣で好き勝手に言い合う師匠2人を他所に、試合は力戦になる。こうなると知識の差が縮まり、素の力量と読みの力の差が出始める。
あいは「狙い通りになった」と思った。天衣は「狙い通りにしてあげられた」と思った。
天衣は、あいの力を十全に引き出してから潰そうと考えた。その結果、パンドラの箱を開いた。
「へえ。序盤から一気に終盤になって、鋭い手が多くなった。竜王が弟子にするわけだ」
「あいが凄いのは、ここから詰みに持って行くまでだ。恐らく終盤戦で、あいに追い付ける同世代の子はいない」
「お前がそこまで言うのは珍しいな。でもまあ、天衣は終盤も強いぞ」
2人のあいはお互いに乱戦になった盤を見ながら、次の手を読む。形勢は、序盤の分で僅かに天衣が優勢だが、あいの追い上げは凄まじいものだった。あいが「こうこうこうこうこう……」と頭を揺する姿を見て、大木が「ほへー」と鳴き声を発したが、どちらも大木を気にしないほど集中していた。
お互いに、一歩も譲らない対局。すると対局の途中で天衣に異変が起きる。
「な、なに……?」
7面指しまで耐えられた天衣の脳のリソースが、全てこの将棋の先の展開を読むだけに使われ、暴走を始める。天衣は盤面が1つだけだと物足りなさを感じ始めていたが、ここまでの異常が出るのは初めてだった。
「感覚で、駒の効きが見える……?これが、師匠の言っていた力なの?」
複数の盤面が消えずに、現実の将棋盤と重なる。しかも、その将棋盤は勝手に動き始めた。本人が読もうとした局面が、感覚として掴める。
そんな時、持ち時間のアラーム音が鳴り始める。元々早指し対局で、それほど持ち時間があるわけでは無かった。慌てた天衣は、相手の持ち駒にある桂馬を持ち、自陣に打ち込む。
「えっ?」
「……え?」
さした直後、天衣はとんでもないやらかしをしたことに気付く。相手の駒を勝手に持ち、自分の駒として指すなんて前代未聞の反則だからだ。しかしこの場において、その反則は前代未聞では無かった。
「大木!お前、弟子を祭神の」
「落ち着け九頭竜。今のはたぶん、初めて見えたんだろ。そのうち慣れるさ。それに今の桂打ちは、十数手後には実現することだ。ただまあ、反則は反則だな。天衣の負けだ」
祭神雷が空銀子と対戦した時、似たような反則をした。その時は自身の持ち駒になる駒を相手の台に置くという暴挙だったが、今の天衣の反則はあまりにもそれと似ていた。
そしてその原因を、既に大木は掴んでいた。マルチタスクに慣れることで、1つの局面に集中した時、脳が勝手に働き、メインの働きをサポートする。大木にとってはこれが第一関門であり、それを天衣はクリアしてみせた。
『才能というのは恐ろしいですねえ。マスターの時より、圧倒的に短かったじゃないですか』
(ここまで短いのはやべーよ。若いってやっぱり良いねえ)
『……今のロリコン発言は、普通はドン引きですよ。実際に発言してなくて良かったですね』
大木の予想より遥かに早く、天衣は余った脳のリソースの暴走を起こせるようになった。その後のあいとの対局では、力に振り回されながらも、驚異的なスピードでコントロールを始めてあいに5勝する。
夜叉神天衣の持つ8つのアカウントが、全て六段に上がるのにさほど時間はかからなかった。
天衣の道場デビューはなんやかんやあったけどたぶん順調だったと思う。あいちゃんに最初の対局で負けた以外は全勝だったし、覚醒もした。五段での7面指しもクリアし、現在は六段の8面指し中。そろそろ空銀子の背中が見えて来る頃だな。
……いや本当に、成長が早い。小学3年生の子が、奨励会初段クラスの実力を持ってるとかやべえって。ヤバ過ぎてヤベーとしか言えなくなった。
そもそも5月の研修会試験までに四段の6面指しをクリア出来れば良いぐらいだと考えていたのに、既に五段の7面指しにクリアするとか成長が著し過ぎる。
この調子だと、5月じゃなくてあいちゃんが研修会に入るタイミングで入会しても良いかもしれない。というかそっちの方が良いし、どうせマイナビ予選は圧勝して勝ち上がるだろうから研修会入りすらしなくて良いかもしれない。
ただこれは、女流棋士を目指す場合だ。プロ棋士を目指す場合は違って来る。奨励会の試験は毎年8月に行なわれるもので、今の天衣なら3級受験でも受かるはず。奨励会試験までには、1級受験が出来るぐらいには実力が上がるかもしれない。
「とりあえずどちらにしても、マイナビ女子オープンには出るか。
というか、そろそろ答えは聞かせてくれ」
「奨励会か、女流棋士かの2択よね?
……私は、奨励会に入るわ」
『あー、これは「女流のぬるま湯に居たら才能が腐っちゃう」とか思っている顔ですねぇ』
(事実そーだろ。奨励会に5級で入って、6級で辞めた奴がタイトル取ってる世界だ。奨励会に比べれば遥かにぬるま湯だぞ)
『……本当に、それを口に出さないで下さいよ。天衣ですら口にしていないんですから』
(わかっとるわ)
「そうか。まあそれはそれとして、マイナビ女子オープンに出て空銀子と指して来い」
「……それって、女王のタイトル挑戦者になれってことよね?」
「それぐらい達成出来ないなら、奨励会では通用しないからな。空銀子は、予選で出て来ない。空銀子以外の女流棋士は蹴散らせるぐらいじゃないと、奨励会では上がれないと思っておけ」
『天衣は一発勝負のトーナメント戦で勝ち上がれますかね?』
(それは疑問だわ。原作では勝ち上がれたけど、今の天衣が勝ち上がれるかはわりと疑問なんだよな。奨励会初段レベルなら、絶対に勝ち上がれると言えるのか?)
『毎年、女流棋士達のレベルも上がっていますし、棋力はともかく精神状態が大きく違うのは不味い方向に転がりそうなんですよねえ』
(まーでも、何とかなるだろ。九頭竜が竜王になったのを見て、そう思ったわ)
そして天衣は、奨励会受験を決意する。それまでに教えられることは教えて、どうせなら女王のタイトルも取って来て欲しい。それなら俺の指導は、間違っていなかったことの証明にもなる。