うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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長い一日

盤王戦も無事歩夢をアイが蹴散らし、迎えた三段リーグの最終日。その日の対局室は、聖域とまで呼ばれる。将棋に人生を賭けた人達が、文字通り命を削って戦うからだ。なお天衣は上機嫌で対局場まで向かった。ホテルから将棋会館まで、一緒に晶さんの運転する車で移動したけど、マスコミの数がヤバい。

 

(順位戦の最後が関東での対局なのは、月光会長のはからいか)

『順位戦だけは、関東と関西で遠征の数を揃えますからね。順位戦最終日が三段リーグと重なって、マスターの遠征がある対局というのは、天衣の負担を考えてのことでしょう』

(三段リーグの組み合わせ表が発表された段階での天衣の強さを考えると、昇段ラインギリギリ想定だったんだろうな。今はもう第17局に勝った時点で昇段が決まる断トツだけど)

『空さんが昇段出来るかだけは気になりますね。死にはしないでしょうが、鬼勝負です』

 

ただまあ、夜叉神家のデカい大男達がSPのようにマスコミと天衣の間を遮断したので天衣の負担には全くならないだろう。……あの顔に傷がある筋肉量がヤバいゴリマッチョは、本当に何人か殺してそうな風格があり、怖いもの知らずのマスコミ達が後ずさりしていた。ぶっちゃけあの体型は憧れるな。俺では到底到達出来ない領域だし。

 

(SPを雇ったお嬢様って感じだな。実際は実家のヤーさんに護衛をやらせてるだけだけど)

『先制のにらみつけるで、麻痺とひるみを与えるヤーさんを複数体同時に出すのは反則ですね』

(……久々にあの広い車内が狭く感じたわ。しかしまあ、マスコミがホテルまで押しかけていたのはビビったわ。注目度の高いタイトル戦でもそうそう無いぞ)

『それだけ、女子小学生がプロ棋士になるのは世間的にも衝撃が大きいのでしょう。……残りの一枠に、誰が入ってもマスコミ的には美味しいですし』

 

「最後もキッチリ勝って、全勝で帰ってこい」

「当たり前よ。私を誰だと思ってるの?」

「ここ半年で同じ相手に1万連敗した夜叉神天衣」

「……そう、1万回も負けてたの。途中で数えるのは止めたけど、馬鹿らしい回数ね」

 

天衣と別れて、俺も俺で順位戦を戦うけど、相手は今季2勝7敗で降級点が免れない人だから俺でもノータイムで勝てそう。だけど最短手数で終わらせて、三段リーグの方を見たいからアイに任せる。

 

『流石に昼前終了は相手が考えますから無理ですよ。というか三段リーグが気になるなら、対局中に見に行けば良いのでは?』

(その手があったわ。まだ対局中の外出や携帯電話の使用がOKなのは、こういう時に便利だな)

『たぶん来年辺りで外食は禁止になるでしょうね。今年は九頭竜がソフトに勝てば、議題にも挙がらないでしょうが』

(だけど極一部の例外を除いてプロ棋士よりソフトの方が強い現状、カンニングをし出す奴はいるかもしれないな)

 

対局中、相手が長考しそうな時には離席して三段リーグの様子を見に行く。……億が一俺の対戦相手がカンニングしていたとしても、アイが圧倒的な力で勝っちゃうから気付きもしないと思う。そもそも、自分で将棋を指さないようになってまで得る勝利というのはわりと虚しい。だから俺も指す時は指すんだが、一部では俺が指していると極限デバフ状態と揶揄されるようになった。

 

……俺が指している時は疲労、睡眠不足、その他諸々のせいで俺が集中出来ていない状態だと、ファンの人達はそう認識したらしい。俺としては同一人間が指しているとは到底思えない内容の差だから、そういう認識になってくれたのは嬉しいかもな。まあ九頭竜や月光会長辺りは確実に二重人格まで気付いていると思うが。九頭竜からはそういう質問が飛んで来たこともあるし。

 

三段リーグは俺の昼食休憩中に第17局の結果が流れて来て、天衣は勝利し昇段を確定させる。そして、空さんが椚に勝利した。……個人的には順当かな、と思うけど、順当の一言では済ませられないドラマがあったんだろうな。

 

 

 

三段リーグの第17局。三段リーグの最終日であり、空気がひりついている中、一際異様な空気になっている対局が2つある。1つはもう昇段がほぼ確定的で鼻歌を歌いそうなぐらいに浮かれている夜叉神天衣の対局で、天衣は序盤で研究勝ちをしており、既に対戦相手は心が折れていた。そしてもう1つは、空銀子と椚創多の対局である。

 

「……失礼ですけど、空さんってこんなに強かったですっけ?」

「自分でも驚いているけど、伸び盛りみたい。あなた以上にね」

 

相掛かりの後手で急戦を仕掛けた椚は、途中で空の反撃を受け、守りに転じた。急戦から持久戦への方針転換は序盤中盤と空が椚を上回った証拠であり、現状は空が優勢だった。

 

「銀!?そこに、銀!?」

「咎められなければ、悪手も好手です。あなたに正解はわかりません」

 

しかし椚が角を引き、持久戦を選んだ後は、椚が鬼手を連打する。空が人生を一度やり直しても、指せないだろうと思うような手だった。それでも空は、二枚飛車を用いて椚の囲いに切り込んでいく。二枚飛車は二枚竜になり、椚の玉と2枚の金を挟んで相対した。

 

詰みがありそうな場面。空は冷静に時計を確認する。既に椚は1分将棋に入っており、対する空の持ち時間は残り4分。

 

「4分もあれば、十分ね」

 

空が小さな声で呟くと、ピクリと椚の肩が震える。この対局で負ければ、椚の昇段は無くなる。空が1敗、辛香と椚が2敗となり順位は3人の中で最下位になる。天衣の1位通過が確定した以上、椚の昇段は100%消えるのだ。

 

椚は、空に詰みが読み切れないだろうと読んで指した。この手の感覚を、椚は外したことがない。それでも空が残り最後の持ち時間を消費して読んでいる僅かな時間で、椚は空に追い抜かれるような錯覚を覚えた。

 

空の持ち時間が尽き、空も1分将棋に入る。その1分の30秒が過ぎた頃、空は詰みまでに必要な、最初の1手を指した。それに椚が最大限延命できる手を指すものの、空はノータイムで椚の玉を詰ましていく。最初の1手の時点で、空は詰みまで読み切っていた。詰みまで読み切ったから、詰ましに行った。

 

椚は掠れるような声で、投了の言葉を口にする。対局は空の勝利となり、椚は自身の昇段が完全に無くなった。しかし勝った空は、もう一つの鬼勝負が待っている。第18局の空の相手は現在2敗の辛香であり、お互いに昇段するためには負けられない一局となる。


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