うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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タイトルホルダー

天衣にとって初めてとなる防衛側でのタイトル戦、女王戦が始まり、師弟揃ってのタイトル戦になった4月中旬。祭神と天衣が将棋盤を挟んで対峙しているけど、祭神はやっぱ身長高いな。天衣がちゃんと小学生に見える。

 

『天衣とマスターが並んだ写真、天衣が中学生に見えますからね。一緒に映る人の重要さがよく分かりました』

(もう弄られ過ぎて、身長のことは気にしなくなったわ)

『だったら厚底の靴を選ぶのやめましょうよ。どうせ1センチ2センチ靴で身長伸ばしたところで、160センチに届かないんですから一緒です』

(うるせえ。1センチ2センチ程度なら別に良いだろ。あと、2センチ伸びたら流石に160センチには到達するわ)

 

アイと脳内会話をしながら、関係者控室まで直行する。今回の女王戦はネット中継もあるけど、1手目を祭神が指したところで天衣が祭神に話しかけているな。何の会話をしているかまでは、音声を拾わないから分からない。

 

天衣と祭神はそのまま会話をし、天衣が2手目を指した後、突然2人が笑い出す。天衣は静かに微笑むような感じだけど、祭神は完全に大爆笑しているな。そして次の瞬間、互いに早指しが得意とはいえ、明らかにおかしなスピードで盤面が進み始める。まるで、あらかじめ決められた棋譜を辿るように。

 

 

 

「まさか、あなたが空銀子に勝って挑戦者になるとは思って無かったわ。また反則負けを言い訳にして、逃げると思っていたから」

「はぁ?逃げる?何言ってんだ、クソガキ」

「負けそうになったから、相手の駒台に駒を置いて負けたんでしょ?そうしたらたとえ同じ負けでも、才能か何かがあるかのようにファンからは見えるじゃない」

 

明らかな天衣の挑発に、祭神は顔を歪める。何が言いたいのかは分かるが、このタイミングで挑発する意図が見えなかったからだ。

 

「あれ?まさかあなた、負けた棋譜は頭の中から消してるの?おめでたい頭ね」

「……いっひひひひいいひ、そういうことかぁ!」

 

天衣の言葉と、天衣の2手目を見て、祭神は全てを察する。天衣は要するに、祭神が反則負けをした数年前のマイナビ本戦トーナメント、空対祭神の将棋を、再現しようとしているのだ。そのことを察した祭神は膝を叩いて爆笑し、天衣に向かって口を開く。

 

「そういうことなら乗ってやるよぉ。あの対局が、白髪ブスに負けたままというのも気に食わねえ」

 

それからは互いにノータイムで、空と祭神の将棋を並べていく。問題の局面に到達するまで、僅か3分。両者ともに、ノンストップで中盤の終わりまで進んだ。既に祭神が良いという状況で、祭神は反則では無く、その時集中して読んだ読み筋の一手を指す。

 

祭神は昔、空との対局で取った駒を相手の駒台に置くという反則負けをした。もしもその読み筋のように、天衣から取った駒が、天衣の駒台に置かれるような変化を辿れば、天衣の負けはほぼ確定的になる。

 

もちろん天衣も、タイトル戦の重要な初戦であることは認識している。それでもなお、このような暴挙に出たのは天衣に勝算があったからだ。

 

数手先を読んだ故に指してしまった反則負け。ということは、祭神がここからどう読んでいるのか、数手先まで天衣は分かるということになる。当然、天衣は違うルートを選択した。しかしそれに祭神は即座に反応し、ノータイムで斬り返す。

 

「数年前とはいえ、他の応手を指された時のことなんて想定しているし、憶えてるんだよ」

「ふふっ、そうよね。数年前の将棋でも、その時どう考えていたかなんて憶えているわよね」

 

祭神が優勢のまま、試合は終盤戦に入る。あまりに早い展開に、関係者は悲鳴を上げていた。この調子だと、タイトル戦がものの数十分で終わってしまう可能性が出て来たからだ。

 

 

 

互いの早指しが終わったと思ったら、祭神が反則負けをした空さんVS祭神の対局がそのまま盤上に再現された。……祭神は、馬鹿なのか。一見すると祭神が優勢に見えるし、このまま続けば祭神が勝つように見える。だけど、祭神は今日この日まで、この対局を振り返ったことすら無いだろ。祭神が反則負けで負けた対局を、掘り下げて研究するような性格だとは考え辛い。

 

一方で天衣は今年に入ってから祭神のことをよく調べていたし、元々この対局のことは知っていた。まあ有名な事件だし、女流棋士を目指すつもりだった天衣が知っていて不思議ではない。……今日この日まで、十分に考えて検討をしたからこそ、天衣は祭神相手に仕掛けたんだ。天衣が使った持ち時間は、3ヵ月ってところかな。

 

『天衣はタイトル戦のことをよく分かっていますね。1戦目で相手の心を折りに行ってます』

(普通に指せば、3局指して3局とも負ける可能性すらある互角の相手だ。それを挑発で1戦目をものにして、そのまま心を折ってしまえばストレート勝ちすら出来ると考えて仕掛けた天衣は立派だ)

『勝てるかどうかは、疑わないんですね』

(天衣が何ヵ月前から用意していたか分からないけど、負う必要のないリスクは背負わない性格だろ。つまりこの局面まで進行した時点で、100%天衣の勝ちだよ)

 

祭神がどんな鬼手を指しても、想定済みだと言わんばかりに自信満々な顔で斬り返す天衣。乗った祭神の気持ちも分からなくはないけど、反則負けで勝った将棋を落としたと思ったら、実は勝負でも負けていたって展開は刺さる人には刺さるだろう。空さんが続きを指すなら勝っていただろうけど、今は天衣が相手なんだよなあ。

 

……いや、空さんも持ち時間が年単位であったら勝てるか。研究家気質な将棋指しは、特定盤面からの研究が大好物でもある。最後、天衣が祭神の玉を詰ましにかかると、信じられないものを見ているかのような顔になる祭神。対局終了後、僅かに口を動かした祭神に、天衣が言葉をかけたけど、これは俺でも分かったな。

 

『努力不足ね、ですか。天衣も言うようになりましたね』

(完全に心を折りに行ったな。……祭神が折れたようには見えなかったけど、残りの対局で、この敗戦は間違いなく引きずる)

 

盤面を掴んだまま離さない祭神は、心が折れたようには見えない。でもまあ、この対局を引きずるのは確定的だ。祭神相手でどうなるかと思ったけど、案外ストレートで防衛は期待出来そう。そして対局が1時間弱で終わったことに、スポンサーが悲鳴を上げた。あれ?こういうのは空さんがタイトルホルダーだった時もよくあることだったんじゃ?

 

……いや、両者が持ち時間を使わなかったのはこれが初めてなのか。この対局が、タイトル戦史上最短の決着だった可能性もあるな。後で調べておこうか。


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