うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる 作:インスタント脳味噌汁大好き
初めて会った時は、何でこの人が来たのと思った。
大木晴雄。奨励会を全勝で勝ち抜け、プロ入り後すぐに30年ぶりとなる連勝記録の更新を成し遂げた将棋界の新星。その後にすぐ九頭竜先生が竜王になったから世間の話題からは逸れたけど、とんでもない強さを持っていることは分かっていた。
お父さまは学生名人で、月光会長の大ファンだった。私が大きくなったら、月光会長の弟子にして貰う約束までして貰っていた。私も月光会長のファンで、その月光会長の弟子が大木晴雄という人物になる。
『師匠にはA級棋士かタイトルホルダー』そういう条件を言えば、月光会長が来てくれるかもしれないと思って言った。遠回しに、月光会長の指名をしていた。でも実際に来たのは、その弟子だった。
晶でも知っている有名人が来てくれたことは嬉しかったけど、本当は月光会長に来て欲しかった。師匠との初めての指導対局は、飛車と角の二枚落ち。二枚落ちなら名人相手でも勝てると思っていた私はそこで、プロ棋士相手に自分の将棋は通用しないことが分かった。
何度も大駒を取られては渡され、攻め続けるも崩せない。何度目かの攻撃の後、一瞬でこちら側の玉が詰まされる。私は、自分の玉がずっと詰んでることにも気付かなかった。それが悔しくて悔しくて、気付いたら泣いて逃げ出していた。
部屋に戻ると、既に部屋の中にはお爺さましか居なかった。私の将棋を独学だって見抜いたこと、効率が悪いって言ったこと、月光会長のことや、この話を引き受けた理由。本当はもっと、色んなことをお話したかった。
何ですぐに帰したのかお爺さまに問い詰めたら、お爺さまは師匠からの伝言を預かっていた。
「大木先生は、強くなりたいのなら明日の10時にJR環状線の新今宮駅に来いとおっしゃっていた」
次の日。師匠の言った場所に行くと、若干青い顔をした師匠が待っていた。私が来なかったら、そのまま環状線で福島駅まで行くつもりだったみたい。そして師匠は、強い口調で喋り始める。
「俺はお前の家庭教師を引き受けることにした。俺はお前を、不敗の……女流棋士?にする」
「ちょっと!何で最後があやふやになったのよ」
「いや、最初は不敗の棋士に育てるって、格好良く決めたかったよ?でも、俺がいる限り不敗の棋士にはなれねーなと思って。だから途中で不敗の女流棋士に変えた」
「別に、あなたも不敗ってわけじゃないじゃない!なるわよ絶対。不敗の棋士に!」
レッスンが始まってからは、師匠呼びを強制して来た。あの時はまだ師匠がいる限り不敗の棋士にはなれないという意味が分からなかったけど、今ならよく分かる。
新世界の将棋道場で行なう賭け将棋で、ハメ手や奇襲戦法、盤外戦術を学んだ私は、師匠にネット将棋を勧められた。師匠から勧められる前も何回か指していたけど、その時は戦う相手みんながゲーム感覚で弱い人しか居なかった。
だけど、師匠の勧めて来たサイトは違った。強い人が強い相手を求めて、自分の強さを誇示するポイントに飢え、ひたすらに奪い合う。そんなサイトで私は、多面指しを続けた。
3面指し、4面指し、5面指し……今ではもう8面指しになっているけど、1つ盤面が増えただけで忙しさは倍増する。盤面を見てから考えていたのでは持ち時間が間に合わないし、勝つことなんて出来ない。だって画面の向こうの知らない相手は、私からポイントを奪うことしか考えていないんだから。
だから1つの局面だけじゃなくて、同時に複数の局面で考える必要がある。集中しながらじゃないと意味がないことぐらい分かっていたから、必死に集中力を持続させた。だけど慣れて来ると、集中力は勝手に持続するようになった。……ううん、集中しなくても読めるようになった。
その間に、私と同じ年で同じ名前の雛鶴あいとも出会った。九頭竜先生の弟子で、一目見た時に私のライバルになると感じたけど、実際に指すと実力は私の方が上だった。だけど、私はあいとの初めての対局で負けてしまった。今でも私自身が信じられないような、反則負けで。
師匠は多面指しの成果がこれほど早く出るとは思って無かったそうで、しきりに謝っていたけど、この力は凄い。そしてこの力を使っても、まだ上がいることをネット将棋は教えてくれる。だから私はまだまだ、強くなれる。
私が7面指しで行き詰まっていた時、無理を言って師匠に師匠の多面指しを見せて貰った。その時は八段のアカウントを使うのかな?と思っていたけど、師匠のアカウントは全てソフト指しと判断されて、アカウントを抹消されたみたいで使えないと言っていた。
だから師匠が相手をするのは、そのソフトだった。もう人類は敵わないと言われているソフトを相手に、師匠が角を引いての10面指し。その10面全てで師匠が勝った時の衝撃は、今でも憶えている。それと同時に、色んな考えが頭を巡った。
師匠は普段頼りないけど、将棋では人類最強だ。それこそ、隣に並び立てる者がいないぐらいに。だからこそ、早めに弟子を欲しがったんだと思う。師匠が全力で戦える相手を、師匠は育てたかった。
そう考えてしまったら、途端に師匠が可哀想な存在に思えて来た。誰も師匠には敵わないから、こうやって熱心に私を育ててくれている。きっと師匠は、寂しいんだと思う。だから私は、いつか師匠と渡り合えるぐらい強くなりたい。
私の名前は夜叉神天衣。小学4年生。将来の夢は、将棋史上最強の師匠に勝つこと。