うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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あいのEye

一度で良いからあいも大木と公式戦で戦えたらな、と九頭竜はあいに言っていた。天衣の師匠であり、九頭竜が唯一勝てない相手である大木のことを、あいは基本疎ましく思っていた。

 

ゴキゲンの湯での研究会は、結局多忙な人達しかいないために月に一度あるかないかの頻度となり、あいは大木と一度しか練習試合をしていなかった。その対局であいは、飛車落ちという手合いで負けている。1年以上駒落ちの下手を指していなかったことも理由にあるが、そうじゃなくてもあいは大木にまるで勝てる気がしなかった。

 

その対局の直後、釈迦堂から連絡が入ってあいは女流棋士チームに入ることを決意する。天衣へのリベンジと、大木と公式戦での試合をすることが目的だったが、残念ながら天衣が大木のチームに入ったことであいはどちらか片方しか選べなくなった。そして頼むから天衣と戦わせてくれと頭を下げる祭神の姿を見て、あいは大木と戦うことを選択する。

 

「余と違って、若者の成長は著しい。あれだけ凶暴だった祭神も、随分と人として成長し、大人しくなったものだ。

我とて、大木と戦いたいのは山々だが……中堅はあいで行く。心の準備はしていた方が良いぞ?」

「は、はい!」

 

そして大木のチームと釈迦堂のチームによる試合が始まり、先鋒の祭神は僅か30手で負けが濃厚な局面となる。前の週で空銀子との対局で勝利し自信を取り戻し、リベンジしてやると意気込んでいた彼女は、対策しても天衣の後手番角頭歩を止められなかった現実を目の当たりにする。

 

チームに用意された控室に入って来るなり、地面に座ってへたり込んで泣き始めた祭神を見て、2年前のマイナビ女子オープンで当たった時に感じた祭神の怖さが感じられなくなったと思ったあいは、モニター越しに原因を作った天衣を見る。彼女がここまで強くなったのは、大木の存在があったからこそだ。

 

あいは天衣に、平手では最初の対局以外勝ったことがない。竜王位を獲得した九頭竜に才能を認められ、2年半の月日を将棋に費やし、それでもまだ届かないライバル。その元凶と、今から戦う。

 

選手紹介があり、名前を呼ばれてからSリーグ用の特別ステージに昇ると、既に大木は向かい側に座っていた。清滝九段のように無理に怖い顔を作っているわけでなければ、緊張した面持ちでもない。これが普段の公式戦に挑む大木の姿なのか、消化試合だから手を抜いているのか、あいには分からなかった。

 

将棋は、対面している者と外から見ている者とでは見える世界が違う。今まで何度も見て来たはずの大木の真剣な顔は、確かに外から見れば真剣に見えるのだろう。しかしあいは、その真剣な顔の大木の視線が本来向かっていないとおかしい場所を見ていないことに違和感を感じた。

 

「……焦点が、僅かに合ってない?」

「あ?」

「いえ、何でも無いです」

 

序盤が終わり、開戦まで手が進んだところで、あいは大木の焦点が僅かに合っていないことに気付く。人はボーとしている時、焦点が合わなくなることが多い。要するに今、大木は完全に気が抜けた、ボーとしている状態で序盤を指し終えたのだ。

 

あいは嘘でしょと叫びたかった。今回の序盤は、大木にとってもあまり見たことがないであろう変わった指し方だったとあいは考えている。定跡から外れた、不定形な形で大木の急戦矢倉を迎え撃つ形は出来ている。それに対応する、大木の形も少し特殊な陣形になっており、定跡からは外れていた。

 

改めて、あいは大木の突き進められた歩を見る。開戦の合図であり、取れば不利な展開が避けられない。しかし取らないとあいの陣形は僅かに綻びが出て、その隙を大木は逃さないだろう。あいは下の唇を噛みしめて、同歩とその歩を取った。

 

中盤戦は、一方的な展開だった。あいの遅い攻めに付き合ってられるかと言うかのような素早い攻めにあっという間にあいの囲いは捌け、丸裸にされる。それでも大木のどこか真剣味の足りない表情に、実際に対面するとここまで印象が変わるのかとあいは思った。

 

終盤は逆にあいにとっては指しやすかった。大木がどう寄せようとしているのか、分かることが多いからだ。しかしどう寄せるのかが分かったところで、防ぎようが無ければどうしようもない。たとえ防げても、まだ大木の囲いは健在の上、攻めのとっかかりすらない状況だ。大差と言っても良かった。

 

「大木と初めて戦って、どう感じたか教えてくれないか?」

「練習試合で、あの雰囲気なら分かります。でもあれは……」

「敵とすら見なされていない、だな?」

「はい、ししょー……」

 

試合終了後、九頭竜の家に帰ったあいは、九頭竜に質問をされる。その質問に正直に答えたあいは、逆に九頭竜に質問をした。

 

「あんなの、許されるんですか?」

「傍から見たら真剣そのものな顔だし、あれで勝つからな。言っておくが、昔はあんな感じじゃなかった。何よりこの世界は、強い奴が正義だ。大木も大木で対外的な部分は色々と気を遣っているから、何も言われては無いよ」

 

正面から見た大木の将棋は、あいにとって色々と衝撃的だった。それと同時に、許せない気持ちも湧き上がるが、九頭竜は言葉を足す。

 

「あいも初心者に指導対局をする時、あんな感じになってないか?」

「う゛っ。そ、そんなことにはなってないですよ」

「取り繕わなくても良い。初心者と平手で何局も指さないといけない状態で、退屈を感じる対局が絶対にないと言えるか?何時間もウンウンと考えて、明らかな悪手を指す相手だぞ?」

「それは、退屈を感じるかもしれません。…………え?」

「……そういうことだ。それだけ大木と他のプロ棋士には差があるし、だからこそ許されているんだよ。

でもそれが俺の努力を止める理由にはならない。もちろん、あいの努力を止める理由にもならない」

 

大木とその他のプロ棋士との歴然とした差を、改めてあいに表現する九頭竜。その上で、それでも努力を止める理由にはならないとし、あいは師匠の意気込みが見て取れた。

 

大木と将棋を指して、改めて思うのはその強さと、異質さ。そしてそんな大木の指導を受けているであろう天衣が、どのようにしてあの強さを身に着けたかだ。大木とは違い、天衣の強さに異質さは感じられない。しかしそれが、あいにはとても奇妙なことのように思えた。


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