うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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名人対天衣

「よし!」

「……名人相手に、完璧に読み勝ったわね」

「いや、マジで将棋を指している時以上に悩んだわ」

 

団体戦の決勝トーナメントの初戦、名人のチームとの試合になったので先鋒、中堅、大将の順番を決める必要がある。あの名人はおそらく俺との対局を希望しているが、俺は天衣に名人と指して貰いたい。よって、ここで読み合いが発生した。

 

そして控室の大きな画面では、その読み合いの結果が表示される。

 

先鋒波関五段、中堅名人、大将鳩待六段

先鋒大木五冠、中堅夜叉神四段、大将飯盛五段

 

あらかじめ順番を入れ替える可能性は高いと公言して、公言通りに天衣と俺の順番は変えた。結果、名人と戦うのは天衣となった。とりあえず名人と戦えるのは大きいし、どうせなら勝ってこい。

 

まずは先鋒戦で、俺は関西奨励会幹事の波関五段と戦うことになる。空さんからは中二と呼ばれているけど、その理由は空さんが小学2年生の時に受けた奨励会試験で、中学2年生の彼が相手だったからだ。負け寸前の将棋で粘りに粘り、空さんをぶっ倒れさせた張本人。プロになってからの通算成績は、5割5分ってところか。

 

『心臓の病でぶっ倒れても、時間切れ負けになるのが将棋です』

(時間には厳密なのが将棋だからな。たまにルーズになるけど)

『両者1分将棋の最中、記録係がトイレに駆け込んだところで対局者の2人もトイレに駆け込み中断になった話は有名ですね』

(昔の話だけどな。というか今だに記録係のトイレに関する規定がないのがおかしいんだよ。囲碁ならあるのに)

『だからというわけじゃありませんが、記録係をする人が減っているんですよね。トイレに行けないのはわりと大きな要因の一つだと思います』

 

俺の後手で始まった波関さんとの対局の最中、トイレのことを考え始めたのは単純に尿意が襲って来たからだ。いやまだ1分将棋じゃないし行ってきても良いけど、特設ステージから降りてトイレ行くのは何か嫌だ。

 

というわけでアイに頼んで粘り強い波関さんを粘ることすら許さない将棋で勝利。波関さんは、飯盛さんより弱かったから先鋒は飯盛さんでも良かったかな。中堅に名人が来るという予想があったから、先鋒か大将のどちらでも良かったんだけど、飯盛さん先鋒なら下手したら2連敗で俺が指せなくなるからなあ。

 

とりあえずこちらのチームが1勝して、中堅戦の天衣vs名人の対局が行なわれる。名人と指すとどんな人でも調子を落とすとか言われているけど、九頭竜はむしろ上がった方だし、天衣もそうなって欲しいかな。

 

「別に勝って来て良いからな?」

「もちろん、勝つつもりで指すわよ。先手の利は、最大限活かして来るわ」

 

頼もしいことを言って出て行った天衣だけど、先手番でも辛いものは辛い。名人と天衣、2人が向かい合う姿は、年齢差もあって微笑ましい光景だな。

 

将棋は先手有利のゲームだと言われているけど、今年の公式戦の先手番の勝率は5割3分。アイ対アイの過去1年分のデータを集計すると、先手の勝率は55%程度。そこまで大きな差ではないけど、差があるのは確かだ。

 

その先手番の利を活かして、天衣は上手く自分だけ飛車先の歩を交換する浮き飛車を選択。2六の地点に飛車を引いて、縦歩取りからひねり飛車か。ん?何か引っかかる気がする。

 

『……マスターが名人とのタイトル戦で、最初に名人に勝った時の対局は盤王戦の第1局です。その時の戦法がひねり飛車です。その棋譜並べを天衣と実戦でしたでしょう』

(うわなつかし。あの時はアイが名人をひねり飛車なんかで倒したと思ったけど、ひねり飛車ってあまり有効的なカウンターが存在しないよな?)

『飛車の居ない2筋の歩を突いて玉頭を脅かしたり、端を攻めたりと方法は幾らでもありますよ』

 

天衣のひねり飛車は上手く決まっているように見えるけど、これ飛車交換して急戦になる奴だ。攻め合いは天衣も強いけど、当然名人の方が強いから勝ち切るのは無理だろう。

 

中盤は、飛車交換をした後に互いに竜を作って攻め合う展開になるけど名人が早い。天衣は金底の歩で一旦は耐えているけど、守りを剥がされるのは時間の問題だな。

 

中々に白熱した戦いで、視聴者達のコメント欄も勢いが増す中、事件が起きる。

 

「うわ」

「これは……やらかしましたね」

『プロになってから、二歩は初めてですね。しかも指してからも気付いていませんよ』

(……ん?名人も気付いてない?)

 

天衣が二歩を指したのだ。当然反則負けだけど、名人は指摘しない。記録係の人はどうしようか少し怪訝な表情をしている。あれ?これそのまま続くの?

 

『ついこの前の棋士総会で、終局後に反則が判明した場合には、終了時の勝敗に関わらず、反則を犯した対局者の負けになることは決まりました。よってこのまま続いて、名人が投了しても天衣の負けになります』

(それは知ってる。これ名人は気付いてないの?)

『気付いてますが、二歩になる手がかなり良い手ですから名人はこのまま続けてみたいのでしょう』

(ああ、うん。名人は続けたいから指摘して無いだけか。もう次の手を指したし、このまま続行かい)

 

今まで将棋界では、投了優先の決まりがあって、たとえ対局中に反則をしても、指摘されなければそのまま続き、投了時の勝敗が優先されていた。これはアマ棋界でもそうだったし、長年変わらなかったことだけど、ついこの前の棋士総会で投了優先から棋譜優先になった。要するにこのまま続いて、名人が投了しても、天衣の反則負けだ。

 

『……名人はこのまま指したら、負けるのは理解しているでしょう。天衣の二歩は、二歩じゃなければ好手です』

(駒を1つ節約しているわけだからな。必然的に天衣は有利になる。と言っても、僅かな差だけど)

 

しかし対局は続き、天衣の歩を名人が取る。この時点で天衣も気付いたようだけど、不思議そうな顔をして指し続けた。対局は天衣の二歩が、二歩じゃなければ強手であり、天衣優勢となる。

 

スポンサーやスタッフさんも中止せず、そのまま天衣と名人は指し続けた。天衣の二歩の時点で終盤だったけど、そこから十数手続いて、天衣の勝勢は固まった。

 

そして名人は、形作りをせずそのまま投了する。これ、後処理が凄まじく面倒なことになりそうだな。棋譜優先の新規定では名人の勝利になるけど、そもそも名人が反則の申し立てをしなかった場合はどうなるんだ?


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