うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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私の師匠⑥

私の師匠は強すぎる。

 

将棋は、数段の実力差があっても弱い方が強い方に勝つことは珍しいことじゃない。どんなに強い人でも、ミスをするからだ。名人やA級棋士でも、ほんの僅かなミスの積み重ねで負ける。全盛期の名人でも、勝率は8割。2割は負けているのだから。

 

だけど師匠が本気の時……師匠の話を聞く限りではもう1人の人格が本当にいるっぽいけど、そっちが指している時、ミスをする可能性は0%になる。それは去年のアルファゼロ戦で証明されたし、間違いなく史上最強の棋士だ。

 

師匠の話によると、もう1人の人格が脳の8割を使っているそうで……どういう状態なのかは本人もよく分かってないとのこと。こんなので私にもう一人格を作ろうとしていたんだから笑っちゃうわよ。

 

「脳の10%神話って知ってるか?」

「何かで聞いたことがあるわね。人間の脳は10%しか使っていないって説でしょ?でもあれ、嘘だったって前に見たわよ」

「あれはな、半分合ってて半分間違っているんだ。普通の人間が意識的に使える脳が10%で、無意識が残りの90%を使っている」

「……普通の人間、は?」

「ああ。普通じゃない人間はもっと使うぞ?九頭竜なんか、脳の40%を稼働していたわ」

 

師匠はたまに、脳についての話をしてくれる。前にどこかの研究所で脳波か何かを測定したらしいけど、九頭竜先生の脳の稼働率は今までの人間の上限であると考えられていた35%を超えて、40%前後まで到達したらしい。師匠は100%近かったそうだから、人間じゃないことを証明したらしいわ。

 

……普段、どんな動作をしていても脳は動いている。だけど将棋を指している時と指していない時とで、脳の稼働率が違うと言われれば当然だと思う。ここまでは理解出来る。理解出来ないのは、残っている脳のスペースで将棋を指し続けることね。九頭竜も師匠も、それが出来ていることはおかしいわよ。

 

そして師匠は、常に脳の8割を動かしてもう一人格が将棋を指し続けているとのこと。本来は無意識が使っている脳のキャパシティだから、大して疲れないとか言っているけど、無意識が脳を使っているというのもよく分からないのよね。

 

経験や勘、記憶の整理や呼吸、癖になっている仕草などなど、無意識が使っている脳のキャパシティは多いそうだけど、その領域にもう一人格作ったから強いだなんて、師匠の思い込みじゃないかしら?あとずっと脳を酷使し続けるのは、絶対に身体が持たない。

 

師匠がよく、生まれた時から将棋を指していたと冗談のように言ってるけど、もしそれが真実の場合、幼児期に将棋を指せたことが強さの秘訣かしら?将棋に特化して、脳が成長したとか?本当に、人間かどうか怪しくなるのは勘弁して欲しいわね。

 

そしてそんな師匠と私は、あるスポンサー企業の企画で団体戦のチームを組んだ。その団体戦で、師匠の師匠である月光会長を相手に、後手番角頭歩を使って勝った次の日。私は月光会長の呼び出しを受けて、話を聞いた。

 

「これは今から6年ぐらい前になりますかね。私に弟子入り希望をして、平手で指した者との棋譜です」

 

盲目のはずの大師匠は、目を瞑ったまま綺麗に並べられた将棋盤の駒を持ち、実際に棋譜を並べて行く。……その途中の盤面は、師匠の家で見た写真の盤面と一致していた。

 

「中学名人戦に中学1年生で優勝した彼は、平手で私に挑んで来ました。平手で勝ったら、弟子にして欲しい、と」

「……その要求を、受け入れたの?」

「ええ。私にだってプロ棋士としての意地はありますから。そしてこの対局、今のあなたならどこで切り替わったかも分かりますか?」

「分かるけど……でも、あり得ない。強い方の師匠から、弱い方の師匠に切り替わる対局は、練習試合でも一度も無かったはず」

「ふふっ。強い方、弱い方、ですか。ですがこの弱い方、随分と強いですよ?だって当時名人に最も近かった私を相手に、互角の形勢から勝ち切ったんですから」

 

棋譜を見ると、たとえ知らなくても誰が指したかということまで棋士なら分かる。特に親しい人なら、それは一発で分かるものだと思う。そして大師匠が並べた棋譜は、途中までは強い方の無慈悲な師匠が指していた。中1の時点で、月光会長と互角なのね。

 

……そしてたぶん、この対局は弱い方の師匠が途中から指している。人によって棋風というものがあるけど、弱い方の師匠はまさにごり押しというのがピッタリな棋風で、並べて貰った棋譜でもごり押しをしていた。この棋譜を見る限り、中学1年生当時の方が強いような気すらするわね。

 

師匠は脳の8割をもう一つの人格が使っていると言っていたけど、いつから脳の8割を譲っているのかは分からない。重要なのは、この対局で師匠がどういう状態だったか。今の弱い方の師匠が、成長し切った感じの対局で、未来の棋譜と言われても納得してしまいそうだけど、実際に指されたのは当然過去だ。

 

あともう1つ重要なことは、まぐれでも私は小学6年生で月光会長に勝てたということ。……師匠は実力で勝ったとか、月光会長が6年前より確実に衰えているとか、要因自体は幾らでもあるけど、私の選択して来た道は決して間違っていないはず。

 

私の師匠は強すぎる。今はまだ、師匠が全タイトルを持ってないし、出て来たばかりだから人気を保っている。だけど八冠になった時、全棋士にとって、どのルートでも行き着く先のラスボスは全部師匠になる。敵無しになった時、どうなるかは目に見えているわね。

 

私の名前は夜叉神天衣。師匠にとって、私を育てるきっかけは師匠の敵作りのためだったのかもしれない。でもそのお陰で私は強くなれたし、いつか師匠と渡り合えるぐらい強くなりたいという思いは変わってない。だから早く公式戦で師匠と戦ってみたいけど……。

 

……師匠と公式戦で戦うには、もうタイトル挑戦ぐらいしか無いんじゃないかしら?そしてそのハードルの高さは、新人棋士には辛すぎる高さね。それにまだまだ、力を付けないとタイトル挑戦どころか本戦トーナメントまで辿り着けないわ。

 

プロ棋士になったらもう簡単には指導出来ないとか言っておきながら、3日に1回は私の家に来るし、3日に1回は師匠の家に行くから指導回数は増えた。たぶん師匠は、私がタイトル挑戦してくるその日まで、何ならそのタイトル戦中ですら指導して来そうな気がする。

 

そのタイトル戦で、いつか、本気の師匠を相手に実力で勝ちたい。

 


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