うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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角落ち

プロ棋士同士の公式戦で、角落ちは恐らく戦後初の手合いになるのではないだろうか。プロ棋士と、女流棋士でのハンデならよくあることではあるんだけど、プロ棋士同士ならないはず。

 

『結局香落ち戦では3連勝でしたからね。香落ちはそこまで大きなハンデではないとはいえ、周囲への反響は大きかったです』

(香落ちの方が、接戦は多かったけどな。当たり前だけど、平手より香落ちの方が良い勝負ではあった。例年なら中止になっていたはずの第5局、第6局、第7局が開催できるというのは、将棋界の収入的には大きいだろうな)

 

帝位戦の第7局は、俺の角落ち上手で対局が始まった。7連敗は避けたい、角落ちで負けたくはないという心情的もあるであろう九頭竜は、序盤から攻めに重点を置く指し方をしている。それに冷静な対応をするアイは流石だけど、角落ちの差はアイがどう頑張ってもひっくり返せないかな。

 

そもそも、トッププロ相手に角落ちで勝つのは相当苦しい。九頭竜は居飛車の平手感覚で指しているだろうけど、こちらは角が無いから攻め手に欠ける。防御の駒としても機能する角が無いと、かなり苦しい展開になるなこれは。

 

『あっ、これは無理です。負けますね』

(負けたくないんだけど、何か手はありそうなんだよな)

『一旦私を消して、マスターが読めば良いと思いますよ。私が角落ちで弱いのは、単に経験値が圧倒的に足りないからですし』

(えー。中1の頃のアイのリソースを全部使おうとした時でも吐き気したんだぞ。今のアイの脳内リソースを全部俺が使おうとするとか、絶対バグるわ)

 

で、とうとうアイが負けます宣言をする。角落ち上手で九頭竜を相手にするのは無理だったようで、完全に押されている将棋になったな。そのまま2日目に入って、いよいよ負けが見えて来た頃。マスターが代わりに指せと五月蠅くなってきた。

 

『じゃあ私が6割分の脳のリソース手放しますから、マスターが脳の8割を使って下さいよ』

(……それなら良いか。どうせ負け将棋だし、俺の将棋を指すわ)

『はい。負け将棋ですし、セーフティは要らないですよね?』

(いや残りの2割だけでも100面指しぐらいは出来るだろ。セーフティとしての役目は果たせや)

 

どうせ負け将棋だからとアイの提案を了承し、アイから脳のリソースを返して貰うと、一気に視野が広くなって読める深さが段違いとなった。………………うお、やべえ。何分経った?

 

「残り持ち時間は?」

「はい!5時間48分です」

 

軽く読んだだけなのに、記録係をしている椚に消費持ち時間を聞くと、2時間以上が経過していた。やべえ。持ち時間が8時間もあるのに少ない。形勢を今一度見ると、完全に不利な状況であり、打開するには九頭竜に間違えて貰う必要がある。ということは、やるしかないな。

 

『やるんですか、ペテンの歩。九頭竜には通用しないと思いますが』

(いやわからんぞ。九頭竜は今まで何十局も、俺に負け続けている。今まで俺が勝ち続けた分の、信用があるということだ。

この歩は、取れないんじゃないかな?)

『まあ私相手には絶対に通用しない戦術ですから、私は何とも言えませんね』

(通用しないタイプには、とことん通用しないからなぁ。切羽詰まっている九頭竜は、どうするのかな?)

 

今からやるのは、盛大な詐欺だ。歩を相手の玉頭や大駒の頭に叩き、逃げることや無視することを祈る。なんてことのないただの歩の打ち捨てだから、相手は取っても別に問題はない。歩を一歩こちらが丸損する分、より不利になる。

 

だけど取れば何かありそうだと相手が勝手に読めば、俺を恐れていれば、絶対に取れない歩だ。そしてその歩を、俺は九頭竜の玉の近くにいる金に打ち捨てる。俺の前世の大学時代、周りの連中が勝手に名付けたペテンの歩。それを九頭竜相手に、俺は実行した。

 

『格好良いように言ってますけど、やってることは相手のミス待ちという詐欺同然な行為ですからね』

(まあ、九頭竜の持ち時間はもう少ない。ミス待ち将棋しか、勝ち目はないと俺は読んだ)

 

俺の打ち込んだ歩に、九頭竜の顔が険しくなる。取った後、どう攻められるか頭の中で読んでいるのだろう。でも九頭竜は、それが分からないから困惑している。……分からないも何も、取られた場合はその先が無いんだけど、九頭竜はあると思って考えてくれている。

 

結局、持ち時間に追われた九頭竜は攻め合いに出た。こちらは歩を成り込み、金を丸得する。アイが勝ち目なしと判断した局面から、一気に五分まで取り戻したな。

 

『……まあ、持ち時間がない時にペテンの歩は強いかもしれませんね。実際取った盤面は、何かありそうな盤面でした。何も無いんですけど』

(この難しい局面で、無駄な手を指すわけがない、そう相手が思った段階で、術中に嵌っているんだよなぁ)

『腹立たしい考え方ですね。ですがそのマスターの考えのお陰で、一気に形勢を取り戻しました。ここからなら、私でも勝てますね』

(いや、今日は最後まで指すわ。安心しろ。ここまでよく見えるなら間違えねえから)

 

その後も指し続けて、九頭竜は持ち時間に追われながらも必死に止めを刺そうとするけど、全て回避して逆王手を仕掛ける。逆王手を仕掛けられた瞬間、九頭竜は詰みを悟ったっぽいけど、さらに5手ほど指してから九頭竜は投了する。

 

 

 

大木対九頭竜の帝位戦第7局は、大木が逆転勝ちを果たした。大木が強さを見せつけたというよりかは、九頭竜がミスをしたという内容であり、それでも大木は強いと観る人全てに印象付けた。

 

特に話題になったのは中盤の歩の打ち捨てであり、大木が長考して指したんだから取れば何かあるだろうと、色んなソフトが深くまで手を読み込むが何もない。そこでようやく、この歩は苦し紛れの歩だったということが判明したのだ。

 

しかしこの歩の打ち捨て以降も形勢は五分か大木がやや不利であり、そこから大木が勝ち切ったことで、大木は大木以外では現役最強棋士と言っても過言ではない九頭竜相手に角落ちで勝ったことになる。もはや、大木が負けることなんてあるわけがないと思われた。

 

翌年の四月。電脳戦でソフトの大会を勝ち上がって来たアルファゼロが大木に勝つまでは。


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