うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる 作:インスタント脳味噌汁大好き
将棋電脳戦に勝ってまた一躍時の人にはなったが、そんなこと世間の人々はすぐに忘れる。5月に入り、天衣の棋力の伸びに陰りが見えて来た。元々将棋の棋力というものは、一直線で上がるわけではない。どちらかと言えば階段状に伸びるものだ。
『私の様に、一直線で伸び続ける方がおかしいのです』
(ソフトは指数関数的に強くなっているけどな。でもまあ、あと2、3年は大丈夫か)
「師匠の言う、第二関門って何なのよ。第一関門は分かりやすかったけど」
「第二関門についてはあれこれ詮索する前に、10万局ぐらい指せ。50面指しを毎日5回ずつすれば、1年ちょっとで終わる対局数だ」
「それはそれは、時間がかかりそうな関門ね」
「いや、天衣なら1万局でも辿り着くかもしれんわ。俺の時より第一関門突破は早かったし」
「……はあ。要するに、対局数を積み重ねろってことね」
天衣と指導対局をしながら、今後の方針についても話しておく。次の関門は何よりも経験がものを言うので、ある程度の対局数を積み重ねることが大切だ。
それとは別に、棋力の壁にもぶち当たっているけど、これに関しては何回もぶち当たることになるし、時間もかかる。現状でも空さんと五分の戦いは出来ると思うけど、少し分が悪いか?
「んー、環境を変えるか。生石玉将は知ってるよな?」
「当然、知っているわよ。振り飛車党総帥でしょ」
「ちょっと修行付けて貰って来い。3面指しで」
「……えっ?話は通してあるの?」
「今から通す」
原作の方で生石玉将に九頭竜とあいが修行をお願いしていたのは梅雨の時期だし、たぶん6月に入ってからだ。玉将のタイトル戦も終わった後だし、今なら暇かもしれないのでゴキゲンの湯に行く。棋力の壁にぶち当たった時、愚直に努力するのも良いけど、環境を変えることも有効だ。そうすることにより、強くなったり弱くなったりする。
「ここがゴキゲンの湯だ」
「……どういう場所なの?ここ」
「銭湯」
「晶、通報」
「上を見ろ上を!銭湯に将棋道場が併設されているんだよ。生石玉将の道場がな」
環境を変えるために適当な道場に行っても良いけど、どうせなら知っている所が良いし、女流棋士と多く戦うマイナビ女子オープンのために、対振り飛車の経験は積ませるべきだ。女流棋士には、結構振り飛車党が多い。
(振り飛車は憶える定跡が少なくて済むからな。手っ取り早く女流棋士になって稼ぎたいなら、振り飛車を指せと言われていた時代もあるぐらいだし)
『それ、生石玉将に言ったら殺されるやつですよ。あと、全女流棋士を敵に回します』
(あの人も何かこえーよな。1番怖いのは天衣の付き人の晶さんだけど。銃持ってるし)
番台を務めている飛鳥さんに席料を渡して、早速2階へ。確か九頭竜の時は歓迎されてなかったはずだけど、俺は将棋電脳戦でソフト相手に振り飛車を使って2局とも勝ったからか、反応は微妙な感じだった。ずっと居飛車党だった奴が、急遽振り飛車でソフトに対抗して勝ったんだから振り飛車党の人からの印象は中途半端な感じだろう。
「何の用だ?研究会か?」
「いえ、弟子育成のお手伝いをして欲しいんです。うちの天衣の、修行を付けて貰おうかと。今度のマイナビ女子オープンに出場するので」
「あ?俺がか?」
「はい」
ちょうど生石玉将はお客さん達に指導対局をしていたので、話を持ちかける。すると生石玉将はじろじろと俺の顔を見て、天衣の顔を見る。生石玉将、ちょっとヤーさんっぽくて怖いです。天衣の後ろにマジもんのヤーさんいるけど。
「とりあえず座れ。それとその紙袋、食い物とかだったら怒るぞ」
「まさか。対価として持って来たのは、俺が振り飛車を指してソフトに勝った棋譜ですよ。俺の後手番で、中飛車を指した時の棋譜だけを持って来ました」
「……何局分だ?」
「150局分」
「よし、俺は何を手伝えば良い?」
「現金過ぎません!?」
対価は十分だったようで、天衣の育成に乗り気な生石玉将。とりあえず1回、生石玉将に天衣の棋力を見せた方が良いか。
「3面指しでお願いします。天衣の今の状態を見て貰うには、多面指しの方が良いので」
「おいおい、1対1で3面指しをさせるつもりかよ。
……ま、貰うもん貰ったからには軽く捌いてやるよ」
こうして、天衣と生石玉将の3面指しが始まった。1つは角落ち、1つは香落ち、そして最後の1つは、平手で。
(……流石に、3面全部で平手をお願いするのは失礼だからな)
『マスターはアホなのですか?今の要求でも十分に失礼ですよ?現役A級棋士に、役に立たない棋譜を押し付けて弟子の育成を頼むとか』
(アイにとっては役に立たない棋譜かもしれないけど、生石玉将は欲しいだろ。あと、失礼な物言いをしてる自覚ぐらいはあるわ)
3つの盤面を見ると、角落ちは唯一、天衣の若干優勢になっている。A級棋士と角落ちという手合いで勝てるようになるのは、少なくとも奨励会二段以上の実力が必要だ。やはり天衣は、凄まじい勢いで成長していたな。
『香落ちと平手の方はフルボッコですけどねー』
(フルボッコにならない方がおかしいわ。現役プロのトップ10に入るタイトルホルダーだぞ)
「く、負けた……!」
「驚いたな……こりゃ」
天衣が早指しのため、自然と生石玉将も早指しになる。平手は速攻で天衣が負け、香落ちと角落ちの2面になる。天衣は平手感覚で香落ちを指しているため、香落ちの方ももうすぐ負けるだろう。
となると、両者が集中するのは角落ちの対局。いつの間にか生石玉将は煙草を消し、指導対局モードではなく本気モードに入っている。わりと大人げない大人だな。俺が言えることじゃねーけど。
「……負けました」
『あと一局、角落ちの対局だけですね。しかしこれは、どちらが勝つか分かりませんよ』
(アイでもどちらが勝つのか分からないのか)
『今からなら、どちらと代わっても勝てますからね』
角落ちの対局は、天衣が果敢に攻めて生石玉将の攻めを躱す。角落ちの将棋は受けの力が重要だとされているけど、天衣は上手く上手の攻めを受け流して……。
(このタイミングでガチンコの受けに回ったぞおい)
『これは……何とか機能はしますね。ただ攻め合った方が良いのは確かです』
(A級棋士相手に、力で対抗しようとしたな。これは潰れるわ)
『いえ、意外と粘れる形でありますし、天衣も粘りますが……あ、投了しますねこれ』
「……負け、ました」
「おい大木。何処でこんな逸材拾った」
「わしが育てた」
「……言い方はムカつくけど、育てられたのは事実よ」
結局、フルパワーの生石玉将に押し潰されて負けた。負けず嫌い過ぎでしょこの人。でもまあ、今の将棋は良い将棋だった。捌きの巨匠とか振り飛車党総帥とか言われているけど、要するにそれだけ本格正統派な振り飛車党ということだ。
これからはガンガン、生石玉将にこの3面指しで挑むよう天衣に言う。ついでにこの道場に集まる、振り飛車好きな奴らと多面指しもさせよう。対振り飛車の経験を積むのに、これほど良い環境はない。ネット将棋だと、相手の戦法指定とかは出来ないからな。