うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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事前研究

名人と迎えた名人戦の第7局。名人は名人を失冠することが確定しているので、実質引退試合だとも囁かれている対局は、角落ちで始まる。名人は色々と本も出しているけど、一番良いなと思ったのは駒落ちの本だ。初心者だろうが高段者だろうが、あれを一冊読めば六枚落ちから香落ちまでの序盤中盤をマスターすることができる。

 

『結局、名人は香落ちでも3連敗しましたけどね』

(まあ、香落ちはハンデとして微妙だから仕方ない。だけど角落ちは話が違ってくるわ)

 

名人にも奨励会時代というのはもちろん存在し、当時は三段リーグがなかったとはいえ中学生棋士になっている。そしてその奨励会時代、名人は角落ちで負けたことがない。

 

今よりも奨励会の人数が少なかったから、今よりも当時の方が実力差のある人と当たりやすかった。そのために駒落ち定跡の勉強は必須だったし、香落ちを制する者が奨励会を制する、みたいな言葉まで生まれている。そして当時は、角落ちの手合いもかなりの頻度で行われていた。

 

1年で奨励会の6級から初段まで駆け上がった名人は、その1年間で角落ちの対局に負けたことがない。下手ではもちろん、上手でも負けなかったとか。何か別の感覚でも持っているのかな。

 

角落ち上手で迎えた名人との対局は、アイに任せず俺が指す。人相手に角落ちで勝つのは、相手のミスを引き出す必要があるわけだけど、そういう将棋はアイより俺の方が得意だ。そして俺が居飛車党で名人も居飛車党だから、必然的に相矢倉になりやすい。

 

しかし名人と角落ちで相矢倉になんてしてしまったら、角がない分攻守で不利を受けるし厳しい展開になる。だから俺は8四歩、8五歩と飛車先の歩をさっさと突いてしまい、名人の7七角を引き出してから中飛車に振る。俺は今は居飛車党だけど、元は振り飛車党だ。ぶっちゃけどっちも指すことは出来る。

 

『8五歩は中飛車にした後、玉の囲いを広くとるためですか。名人が2筋を突破するのが先か、こちらが中央突破するのが先かの勝負ですね』

(いや、その2つは勝負にならない。こちらはどうやっても角がないと中央突破ができないからな。逆に名人が2筋を突破するのは時間の問題だし、結局はミス待ち将棋になる)

『……マスターに容量を譲っている状態だと、大した助言は出来ませんね』

(暇潰し相手にはなるだろ。っと、来たか。2四歩からの2二歩は当然の展開だな)

 

名人が歩を桂馬の前に打ち込み、3三桂と逃がすも2一歩成でと金ができる。この歩は、と金を作る目的というよりかは香車を取りに行くのが目的か。その後で香車をぶち込まれるとしたら……1手どころか2手は足りん。

 

要所要所でポイントは稼いだけど、角落ちのハンデをひっくり返すには至らない。名人は駒落ちの定跡を全部網羅してそうだから、最初の構想からそれを外そうとした時点で俺の負けだったか。……いや、この持ち時間の消費具合から察するに、俺が陽動振り飛車をすることまで想定済みか。

 

取られたら何の意味もないけど取らなかったら一手分の差が埋まるペテンの歩と、取ったら即死する歩を連打するけど、全部読み切られて完璧な対応をされたし、こういうところは九頭竜より上だな。まあ持ち時間の使い方が上手いだけだけど。

 

『無理ですね。私が指していても100%負けています』

(これ、最初から陽動振り飛車を見抜いているだけじゃなくて中飛車にすることまで名人は想定済みだったぞ。どれだけこの角落ちの研究をしていたんだよ。何だこのムリゲー)

 

最終的には1手差まで詰め寄ったけど、名人にとっては想定内の致命傷だろう。非常に大きい1手差だ。名人戦の第7局は俺の負けとなり、タイトル戦では久しぶりの負けとなる。というか前に負けたの、名人相手に特攻して3連敗した時か。あれ以来ということは、4年ぶりぐらいになるな。

 

『一時は神とまで呼ばれた名人が準備を念入りにして、角落ちというハンデで一手差勝ち。世間一般の人から見ても、マスターのタイトル独占状態が長引きそうなことは分かりますね』

(わざとイベントに忙殺されて負けようかとも考えたけど、名人が引き受けるならそれも無理そうだな)

『最近はまた天衣の実力が伸びてますので、そろそろ楽しくはなりそうですよ』

(棋帝戦の決勝トーナメントで準決勝まで勝ち進んだからな。準決勝で九頭竜に負けたけど、シード権を得て来年も決勝トーナメントからだしチャンスはある)

 

今度九頭竜と戦う棋帝戦の決勝トーナメントでは、天衣が準決勝まで勝ち進んでいた。いよいよタイトル挑戦間近、というところまで来たけど、その準決勝で九頭竜と当たって見事に作戦負けをしている。ちなみにこれに勝っても決勝は山刀伐さんだったし、かなり厳しい道のりではあったな。

 

名人戦が終わり、名人は名人位を失冠して無冠となり、引退を宣言する。随分と潔い引退だけど、月光会長が現役を退いた辺りで名人も腹を括っていた模様。引退の記者会見では随分と俺のことについても言及していて、弟子を取るとか言っている。現役時代、名人は弟子を取らなかったことで有名だけど、心境の変化でもあったのかな。

 

引退をしたことにより、名人は十八世名人を襲位。十七世名人は月光会長だから、その次だな。十九世名人は俺になりそう。もう永世名人の資格を持つ人いないし。

 

これで大木六冠から大木名人になるわけだけど、なんか名前だけ見るとパワーダウンしているように見えるな。大木七冠とかになったりしないのだろうか?八冠になったらちょっと掛け合ってみるか。

 

『これからマスターは全ての免状に署名することになりますが、七冠と書けるかどうかで必要な労力も変わってきますね』

(うげ、嫌なこと思い出させないでくれ。というか逐一名人、賢王、帝位、玉将、玉座、棋帝、盤王と書かないといけないとか発狂する自信ある)

『八冠なら堂々と八冠と書いていい許可は貰いましたけど、それまでどうするんだ案件ですね。おそらく七冠と書いて良いと思いますが』

(七冠と書くのがダメなら、ツイッターで八冠を待てとか予告するしかないわな。まあ免状を貰う側も、八冠独占状態の方が良さそう……か?)

『むしろ今の方が申請タイミングとしては妥当じゃないですかね?何だかんだ九頭竜の字も上手くなりましたし、マスターと九頭竜の二人の字が並んでいる免状の方が価値は高そうです』

 

名人になったことで、今まで回避していたような責務も発生する。まずは免状の署名だけど、タイトルをどう書くかで労力がまるで変ってくるな。

 


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