うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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私の師匠⑦

私の師匠は八冠だ。どのタイトル戦を勝ち上がっても、最終的に待っているのは他を圧倒する実力を持つ師匠。そうなってから半年。朝のニュースなどで将棋関係の話題を取り扱うことも減って来た。

 

当の師匠は八冠になっても特に変わることなく、最近はスマホゲームの開発に関わって、思い通りのゲームをリリースし、そのゲームに凄まじい額の課金をしている。……師匠はガチャで引いたキャラに将棋を任せるより、自分で指した方が強いわよね?

 

私が師匠の弟子になってから、5年と6ヶ月。とうとう私は、棋帝のタイトルに挑戦する権利を得た。決勝トーナメントの組み合わせが良かったのもあるけど、師匠は実力が付いた証拠だと言ってくれた。その実感がまるで湧かないのは、師匠に延々と負け続けているからだろう。

 

この6年と半年。師匠とは数えられないぐらいに将棋を指した。ソフトともいっぱい指した。多面指しを含めれば、私が指した将棋の対局数は10万局を超えている。でも、師匠の麓にも届いていないと思う。

 

ようやく実現した師匠との初公式戦。第1局では、序盤から指し辛い将棋で先手番なのにずっと攻めることが出来なかった。師匠の将棋を知りすぎたせいで、どう攻めても潰される手順しか見えなかったからだ。……潰される手順が見えるのに、それを打開する手は見えなかった。

 

後手番になった第2局は後手番角頭歩戦法を使うも、向飛車同士の戦いになって全然歯が立たなかった。だけどその将棋の中で、私は成長した気がする。

 

「晶は指し手を読む時、1本道を何通りか読むわよね?」

「私は天衣お嬢様のように何十通り、何百通りとは読めないが、毎回数通りは検討する。勝負所では、十数通りは読むぞ」

「……そうよね。普通はそっちを伸ばすわよね」

「……そっち?」

 

将棋は一本道だ。こう来たらああする、こうされたらこう返すと読んで考えていくのが基本だし、それ以外ありえない。きっと師匠が師匠じゃなかったら、この考えは一生変わらなかったでしょうね。

 

頭の中に何百という盤面があって、それをフル稼働出来る化け物相手に同じ1本道で先を読むなら絶対に間に合わないし、追いつけない。

 

だから、その細い1本の読み筋に幅を持たせる。将棋の流れを可視化して、攻めの筋や守りの筋そのものを読む。第2局の終盤、いつも以上に指しやすかったのは一本道から脱したからだ。幅があれば一本道から外れても、一から読み直す必要はない。

 

……棋帝戦の第3局。ここで私が負ければ、第4局は香落ちの試合になる。香落ちで負けた最後のプロ棋士という、とっても不名誉な称号が付く可能性もある。だけど私は、新しい感覚で指すことを止められなかった。

 

「……本当に、強くなったな。俺さえいなければ、女性初のタイトルホルダーにすらなれたかもしれない」

「師匠が居なかったらここまで強くなってないわよ。それに、師匠がいても私は女性初のタイトルホルダーになるわよ」

 

先手番の利を最大限に活かし、速攻で中盤の山場まで互角の勝負に持ち込んだ私を見て、師匠はぽつりと漏らす。将棋はいくら強くても、序盤でリードを奪うのはプロ棋士相手だと至難の業だ。中盤の山場まで互角の対局というのは、師匠の対局ではよくあることだし、師匠が強いのはここからだ。

 

先延ばしにしていた攻め合いが始まり、お互いに駒を取り合う中盤の山場。どんなに幅を持たせてもその範囲外から来る師匠の攻めに対抗するため、私は今日一番の長考に入ろうとした。その時。

 

正座を崩すタイミングで、私は後ろに倒れてしまった。倒れてしまったと自分が自覚したのは、私に駆け寄ろうとしている記録係の人を視界にとらえたからで、私は近寄ろうとする彼を手で制す。確かこの人、師匠と同期なのよね。……自殺したら将棋が強くなるなら、私は何度だって自殺する自信があるわね。

 

仰向けになったまま、眼前に浮かぶ将棋盤で駒を動かす。寝たまま将棋を指すなんて、褒められたものじゃないけどもう倒れてしまったし、一度ぐらい良いわよね。それに倒れた時に見えた、あの筋を早く読み切りたい。

 

……うん。やっぱり勝てない。いくつか勝てそうな手は見つかったけど、その後を読むと全部潰される。だけどこうして寝転がりながら読むことで、更に1つ新たな道筋を見つけられた。

 

「失礼したわね」

「全然。それより身体は大丈夫か」

「健康そのものよ。私より、師匠の方が問題だと思うんだけど。また痩せてるじゃない」

「いや、まだ1㎏しか減ってない」

「師匠の1㎏は私と違って重いのよ」

 

軽口を言い合いながら、攻めに出ていた角を引く。持久戦にするつもりだと読んだ師匠は、今度はこちらの攻めの要である銀を攻めて来るけどこちらも引く。最後に飛車も引いて、これで準備は整ったわ。

 

「……千日手、じゃないな。持将棋か」

「ええ。持将棋よ」

「平手で持将棋になったの、何年ぶりだよ。これ、三番手直りはどうなるんだろうな」

「今まで師匠は平手で持将棋になったことがなかったし、決めてないんじゃない?」

 

一見すると、千日手が見える手順。でもその途中で師匠からも、私からも打開することが出来る。その打開後、私の玉は入玉が可能だ。あとは点数が足りないという事態を防ぐため、大駒を守るように動いて……。

 

最後の最後、入玉を防ぐためにあらゆる手段を投じてくる師匠だけど、降って飛んでくる槍をかいくぐって私の玉は師匠の陣地の一段目、最奥にまで突入する。諦めた師匠は、ゆっくりと自身の玉を私の陣地に持っていき、持将棋が成立。

 

勝てはしなかったけど、三番手直りが出来て以降、平手どころか香落ちでも負けなかった師匠を相手に、私は引き分けた。先手番で引き分け狙いはよくないとか、師匠も手心を加えた可能性があるけど、最後の怒涛の攻めは間違いなく本気だったし、それを掻い潜ったのは私の実力だ。

 

私の名前は夜叉神天衣。史上最強の師匠に、今まで何万回負かされたのか正直に言うと分からない。でも今日、まぐれでも何でも、私は奇跡的に一筋の光を掴み取って、タイトル戦という棋士にとって最高の舞台で師匠と引き分けた。

 

……もちろん、こんな奇跡が起こったのはただの一度きりだった。指しなおしとなった次局の第4局では無残に負けてしまい、私の初めてのタイトル挑戦は、0勝3敗1引き分けと惨憺たる結果で終わった。だけど一瞬でも、師匠と並んだのはきっと師匠にとっても想定外だったんだと思う。だってあの時の師匠、本当に驚いていたんだもの。


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