うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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私の師匠②

私の師匠はおかしい。

 

……元から、頭がおかしいことは分かっていたかもしれない。師匠は私が多面指しをしている最中、暇だからと言って10面指しをしている。となりに私の将棋の、観戦画面を何面も置きながら。

 

全部頭に入っているのか、対局が終わった瞬間にその対局では何々が悪かった、何々は良かったとか言って来るけど、他の対局が終わってない時とかはあまり頭に入って来ない。生返事の時は師匠も分かるのか、そういう時は特段悪かった棋譜を後で将棋盤に並べて分岐を見せてくれる。

 

私は数十局指した内の1局だから、局面を並べられたらその時に何を考えていたのかは思い出せる。だけど師匠は、私が数十局指している間に数百局は指しているはず。それなのに自分が指したわけではない将棋の棋譜を、完璧に再現する。

 

その光景を見て、完全記憶能力が師匠にはあるんだと思った。でもそう思った時、師匠は人の名前や歴史の知識をよく忘れることにも気付く。よく忘れると言っても、1回会っただけの人の名前とかだけど。

 

その思考に行き着いた時、師匠が初めの頃に言っていたことを思い出した。人は忘れることが出来ない、思い出せなくなる生き物だと。師匠は、何らかの方法で将棋のことだけは思い出せるようにしたんだ。

 

このことを師匠に言うと、正解だけど今はまだ気にしなくても良いって言われた。だからこれは、師匠の言う第二関門を越えた先に待っている関門だと思う。「幾つ関門があるのよ」と聞いたら、今のところは五つだと言われた。まだまだ先は、長そう。

 

ひたすら多面指しをしていると、集中力を保つコツが分かった。軽く読む程度なら、集中しなくても読めるようになっている。このことに気付けた後は、少し勝率も上がったし、多面指しが楽になった。おそらくだけど、この集中しなくても読める範囲が広がったら、私はもっと強くなる。

 

世間では将棋電脳戦で師匠が勝ったからか、まだソフトはプロ棋士に追い付いていないとか言ってる。だけどプロ棋士のほとんどの人は師匠がソフトに勝ったことで、気付き始めたと思う。師匠が、圧倒的な力を持っていることを。

 

でも、負ける時は負ける。序盤から作戦負けするのはいつも通りだけど、負ける時はそこからの挽回がない。師匠には何でわざと負けるのよと、突っ込んで聞いたことはある。その時の回答は、こうだった。

 

「将棋で1番楽しい時は、大差で勝った時だ。だけどな、見ていて1番楽しいのは勝つか負けるかギリギリの戦いをしている時だ」

 

絶対に勝つ勝負事を、見ていて楽しいと思う人はいない。ずっと白星を積み重ねている空銀子は、早く負けろという声も大きくなってきた。アレがいるせいで、女流棋士はつまらないと言う人まで出て来た。もう既に、女性最強は空銀子だと決まってしまっているからだ。

 

師匠の将棋は人気だ。序盤で作戦負けをして、中盤で好手を連発して巻き返し、終盤で逆転する。たまに負ける時は、巻き返しが不発だったとファンは言う。……作戦負けをして、それでも勝つのは、駄目な作戦というものがないことへの証明だし、将棋を知っているファン達にそう見せかけるのは、きっと単純に勝つよりずっと難しい。

 

そんな師匠が、とうとうタイトルに挑戦した。そのタイトルの名前は棋帝で、相手は篠窪太志。若手なのに、関東のトッププロに名を連ねる実力のある人だ。普通の師匠なら、私のことを放置してタイトルに集中してもおかしくない。

 

だけど私の師匠はおかしい。

 

第1局と第2局の時はあっさり勝った後、私の家に立ち寄ってその日の対局のことやタイトル戦の雰囲気を色々と話してくれた。第3局の前日は、私の初めての大会だからと東京までついて来た。

 

私がマイナビの予選で勝った後、即座に飛行機を使ってとんぼ返りしたことを私は知ってる。変装していた師匠は私に一言、おめでとうとだけ言って、ついでに紙を渡して来た。内容は「師匠が今淡路島にいることを証言すること」だった。少し呆れたけど、それでもその指示には従った。師匠がこんな所まで、普通は応援しに来ないから。

 

結局師匠は、棋帝のタイトルを手に入れた。タイトルを取ってからは忙しくなったみたいだけど、それでも私との指導対局の数は減らなかった。私の奨励会試験が、間近に迫っていたからだ。

 

この奨励会試験では、二次試験で空銀子と当たった。師匠の読み通りで、手合いは香落ち。だけど私は、付け焼刃の香落ち定跡を使うのは躊躇った。この空銀子は、きっと香落ち定跡の対策なんて、私の何倍の時間をかけて勉強しているはず。だから私は飛車を振って、穴に潜った。

 

私の穴熊を見て、空銀子の歯ぎしりの音が聞こえた気がした。香落ちの試合で、振り飛車穴熊をするのは別に珍しいことじゃない。だけど実際にいきなり振り飛車穴熊を指すのは難しいし、あまり見ない形ではあると後から師匠に教えて貰った。師匠は私の振り飛車穴熊を見て、大駒を上手く捌いたことを褒めてくれた。

 

一次試験と二次試験の棋譜を聞いた後、師匠は少し悩んでから、奨励会2級でスタートすることを勧めて来た。奨励会に入った直後の時期に負けが込むと、その後の将棋にも影響を与えるという理由からだった。本当に1級の実力があるなら、それ以上の実力があるなら、むしろ2級から始めた方が良いと言っていた。

 

……師匠には、過保護に育てられていると私自身感じる。正直に言うと、1級から始めたかった。でも2級から始めた方が良いと師匠が言ったからには、私は2級で始めた方が良い。この選択は初めて棋士室に行った時、正解だと思った。

 

奨励会初段の、椚創多。奨励会試験で当たると読んでいた師匠だったけど、結局当たらなかった。だから棋士室名物の10秒将棋の申し出があった時、無視できなかった。師匠が1番警戒していた相手だけど、私はその時勝てると思っていた。

 

だけど実際には、先手番の利を譲られての敗北。10秒将棋じゃなかったら結果は変わっていたけど、そうなると将棋の内容も変わってくるし、そんなことを言っても仕方ない。負けは負けだ。私は読もうとしたら、頭の中で駒が勝手に動く。だけどその読もうとする内容が、想定する手が、まだ弱い。

 

椚創多みたいな人が、奨励会にはまだまだいるはず。師匠は私と椚創多の棋譜を聞いて、椚創多にここまで肉薄出来るなら十分だと言ってくれたけど、それがたまらなく悔しい。

 

私の名前は夜叉神天衣。奨励会員2級。現在の目標は、奨励会員を全員ぶっ飛ばすこと。そしていつか、将棋史上最強の師匠を……。

 

……この師匠、名人とのタイトル戦で3連敗したのに笑顔で名人を褒め称えているんだけど。やっぱり頭、おかしいんじゃない?


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