うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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軌跡

天衣は釈迦堂さんとの対局に勝ち、経験に頼った指し方で次の奨励会での対局成績を1勝1敗とした。これで合計して6勝2敗だから、昇段までも6勝2敗かな。奨励会の昇級はそこまで厳しく感じないけど、昇段はやっぱり条件が厳しい。

 

その裏で俺は盤王戦で名人と対局。1勝0敗で迎えた第2局で、アイは穴熊を採用し、ひたすら名人の攻めを耐えての勝利だったので個人的にはわりとひやひやしていた。絶対的な信頼はあるんだけど、最近はアイも少しばかり茶番をするようになった。このポンコツAIは本当に大丈夫なのか?

 

「私が師匠に勝ったら、師匠は何でも言うことを1つ聞く?

そんな条件付けなくても、私は常に本気で勝ちに行くわよ?」

「まー、あった方がより本気にはなるだろ。

振り駒は、裏が5枚で天衣が先手だな」

「……どうせ先手を譲るなら、振り駒なんてしなくて良いじゃない。

あと、さっきの台詞の撤回は認めないわよ。晶が録音しているわ」

「……撤回はしないから安心してくれ」

 

個人的には、この対局でどちらの第三関門を通り抜けるのか楽しみだ。お互いに将棋盤を挟んで向かい合い、駒を並べ終わった後は俺が振り駒をするけど、そういや天衣は、俺が振り駒で狙った手番を出せることは知っていたな。

 

……わりと奨励会員やアマチュアでも、振り駒で狙った手番を出せる人はいる。練習すれば、誰でもある程度は狙えるようになるし、だからプロ同士の対局では立会人が何も考えずに公正な振り駒をするよう努める。それでも、人によっては先手が多いとかの不具合が発生するけど。

 

天衣の先手番になり、天衣が7六歩を指したところで、話しかける。この場合は、盤王戦の第1局だな。

 

「盤王戦の第1局の棋譜は、憶えているか?」

「ついこの前の師匠の対局だし、当然憶えているわよ」

「先手が俺で、7六歩。後手の名人は3四歩。じゃ、次は?」

「2六歩よ。……師匠は、棋譜並べをさせたいの?」

 

後手の俺が、3四歩と言いながら指した辺りで天衣は俺の意図を察して、予想通り2六歩と指してくれる。そのまま淡々と、アイのひねり飛車を指してくれる天衣。うん。ちゃんと憶えてくれているのは嬉しいし、この棋譜並べの意図を読み取ろうとしてくれているのは有り難い。

 

……このまま行けば、普通に天衣が勝っちゃうからね。何でも言うことを1つ聞くとは言ったけど、出来ればそうなりたくはない。

 

「このまま続けたら、私が勝つのよ?変化させなくて良いの?」

「良いから、次の手を指せ。それとも、もう忘れたのか?」

「忘れてないわよ!師匠のタイトル戦の棋譜なんて、解説や検討まで全部頭の中に入ってるんだから!」

 

そして45手目の7四歩に、俺が同歩としたところで天衣の指し手が止まった。両手で頭を抱えて、ぶんぶんと横に振る。かわいい。

 

俺と名人の対局では、ここでアイが6四角と飛び出て、7三金に同角成と角を切った。天衣なら忘れるはずもない、開戦のきっかけだ。ここで悩んだということは、天衣は俺とは別の道を歩むか迷っているということ。

 

天衣はしばらく考えてから、何かを決意したような表情で、同飛と歩を飛車で取った。まあこの場面で選択肢というものがあるとすれば、6四角か7四同飛かの2択だろう。

 

「どうした?大口を叩いたわりには、間違ってるぞ?」

「……師匠は、経験則に頼って指しているんでしょう?

私もこの場面、6四角と指すわよ。だけど、師匠と同じ道を辿っているだけじゃ私はいつまで経っても師匠を超えられないの!私は、師匠を超えるために将棋を指しているんだから!」

「……そうか。なら、遠慮はいらないな。

天衣の指した同飛の後の展開は、2二王、7六飛、7三歩打、1六歩、6三金、6五歩、同歩、6四歩打、7四金、6三歩成、同銀、4五金、4三金、2六飛、5四銀と進行して先手が良くならない。既に7四歩と仕掛けた場面で、先手は微妙に悪いからな。多少良くなる程度の展開を、俺は選ばなかったわけだ」

 

天衣に意図を聞くと、俺と同じ道は歩まないとのこと。経験則から常に一瞬で最善手が示される状態になるのを第二関門とするなら、それを振り切るのが第三関門だった。天衣は今回、俺が強引に振り切らせた形だけど、人によっては一生この経験則に頼り切って指す人もいる。

 

『そして経験を思い出せなくなって、一手一手を思い出すのにも時間がかかるようになる老齢の棋士なんかは悲惨な成績になりますね。

……今回は振り切れましたが、経験というのは常に成長し続けます。この第三関門は、一生付き纏う関門と言っても良いでしょう』

(別に、振り切れなくても良いとは思うし、俺は経験に負けた側の人間だから何も言えねえ。

これからは、天衣に読む力を付けさせていく形になるな)

『これからの天衣は、常に迫って来る第三関門から逃げながら、九頭竜のように寝ても覚めても盤面を読める状態になる第四関門を突破することが目標ですか。これ、第四関門を突破するのは身体が成長してからになるかもしれませんね』

(まー、小学生や中学生の身体だと厳しそうではあるな。それに日常生活に支障が出るし、少しずつ慣れるしかない)

 

天衣との対局はその後、アイが助言してくれたお陰で勝てました。いや、危なかった。アイが叫んで阻止しなかったら、天衣の言うことを何でも1つ聞かないといけないところだった。あれだけアイの読み手を格好付けて言った後で、負けかけるのも情けない話だしマジでアイのストッパーに助けられたわ。

 

天衣には終局後、ある程度は俺の状態も話しておく。既に天衣も俺がどういう存在かある程度は察しているだろうし、もう1人の人格の言うがままに指している状態ということも察知しているだろう。

 

天衣が俺と同じ道を選択しても、関門や課題は用意していたけど、それを披露せずに済むことに俺は安堵している。こっちの方は、マジで人体実験のようなものだしな。もう1人の自分とずっと話し続けるとか、下手したら気が狂うかもしれん。

 

『既にマスターは狂ってますし、下手しなくても人格増やす発想はサイコパスの思考で狂人の所業です』

(うるせえ。俺もそのことはよく分かってるんだよ。俺とは違って、一からの人格分裂だしな。だから、披露しなくて良かったねという話だろ)

『披露自体は、天衣にしてるようなものじゃないですか……』

 

「ああ、経験則からの最善手を常に疑うのはやめておけよ?それはそれで、将棋を壊す」

「……なかなかに、難しいわね?常に新手を探しながら、経験則以上の手が見えない時は経験則からの最善手を指すのが良いのかしら?」

「それが出来れば、1番だな。まあ、試行錯誤していけ」

 

これで、天衣の準備は整った。あいとの決勝戦は、楽しみだ。


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