うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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師弟対決

賢王戦を七大タイトルに加え、八大タイトルにするということが発表された。ギリギリまで協議しての発表になった感じだ。ここ数十年は、ずっと七大タイトルだったし。

 

そして賢王戦の前夜祭。賢王戦もタイトルホルダー対挑戦者という形になるけど、タイトルホルダーは俺で挑戦者は月光会長だ。

 

……タイトル戦前の空気感には慣れたつもりだったけど、流石に緊張する。というか、何でA級棋士が賢王戦に力を入れているんだ。そして対局前に月光会長は「全力を出して下さいね?」とも「本気を出して下さいね?」とも言って来なかった。代わりに言われたことは「将棋を楽しんで下さい」だけだった。

 

(いや楽しいが?圧倒的な力に酔いしれて勝つのは超楽しいが?)

『ラスボスみたいなこと言わないで下さい。……この第1局は、マスターが本気で指すんでしょう?』

(まーな。天衣に刺激を受けたし、ちょっと本気になってくるわ)

『……悪手を指そうとしたら、即座に止めますから』

 

天衣が自身の経験を振り切った姿を見て、俺も自分で指したくなったのでこの第1局はアイさんに挽回不可能になる寸前まで好きに指すことを認めさせた。名人相手に、ノータイムで良い所まで行ったんだ。今日、ここで、本当の意味での恩返しはしたい。

 

と言っても、序盤はいつもの癖と、研究済みの範囲なのでノータイム指し。月光会長が後手番で一手損角換わりを行ない、先手の俺は右玉で構える。さて、最初の悩みどころか。

 

「……ふふ、久しぶりですね。あなたが頷きながら、読む姿は」

「そんなに、頷いてます?というか、目が見えないんじゃ……」

「分かりますよ。あなたが頭を揺らして考えていたのは、感覚で分かっていました」

 

持ち時間を消費して考え込んでいたら、月光会長が話しかけて来た。タイトル戦ですよ師匠?あと別に、俺はアイに任せたことで将棋を楽しめなくなった訳じゃない。将棋は勝っている時が1番、楽しいからな。

 

『じゃあ何で、私に任せないんです?その答えは、もう出てるんじゃないですか?』

(うるせえ。気が散るだろ。仕掛けるべきか仕掛けないべきかでこっちは迷ってるんだ。

……っし、行くぞ!)

 

4二玉と4八玉。お互いに居飛車で玉が同じ筋にいる形となり、月光会長は5四銀と腰掛銀を繰り出して来た。分岐点の33手目。俺は飛車を動かし、3筋まで移動させる。まだ月光会長の守りは薄く、2手使わないと囲いの中に入れない。仕掛けるなら、ここだ。

 

『ソフトの評価値的にはマスターの方がマイナスでしょうが、悪くはないですね。天衣の影響です?』

(……まあ、師匠が弟子の影響を受けることは多々あることだろ。で、これはどれぐらい悪い?)

『助言して良いんです?あと、先程の言葉は事実ですよ。悪くはないという状態です。まだ序盤ですしね』

 

月光会長は6五歩と仕掛け、こちらも7五歩と突き返して本格的な中盤戦が始まる。月光会長が同歩と取ってから、俺は3九玉と一手分を囲いに使った。

 

結果的には、この一手が明暗を分けた。お互いに角という持ち駒を持っての中盤戦は、先に月光会長が角を打ち込んで来て馬を作られるが、こちらも馬を作って歩で飛車を苛める。すると月光会長も歩で下段に落とされた飛車を苛めて来て、お互いに働かない飛車を交換し合った。

 

お互いに飛車を交換した時点で、俺の玉は一手で囲いの中に入れるのに対し、月光会長は二手必要のまま。結局飛車交換をした直後に、月光会長は3一玉と一手自陣に割かないといけなかった。そのため、先に飛車を敵陣に打ち込めたのは俺だ。

 

順調に指し手は進み、かなり月光会長を追い込んでいる場面で、月光会長は馬で王手をしてきた。これは、躱して良い奴だよな?

 

そう思って王を横に動かそうとした時、アイから待ったがかかる。

 

『……今まで互角以上の戦いをしていたのに、何で最後の最後でとちりますかねえ?

それを指したら、負けますよ?負けまでの手順、言ってあげましょうか?』

(じゃあ、7七金打で合い駒する方が正解なのか。……結局、俺単体では月光会長には届かなかった、か)

『終盤までに、時間を使い過ぎましたね。……深くまで読んで、経験に勝つことを諦めていたマスターです。久しぶりにここまで時間をかけて読んでいましたから、疲れたでしょう。後はゆっくり休んで下さい』

 

既に持ち時間は尽きかけており、アイから待ったがかかって負けまでの手順を言われた以上、俺は月光会長に負けた。どっと疲れが押し寄せてきた後は、アイに任せて言われるがままに最後まで指しきる。くそっ、届かなかったか。

 

試合終了後、感想戦を行なうけど月光会長も誰も7七金打には触れて来ない。それぐらい普通の手だし、何で俺はあの時、避けて持ち駒を温存しようと考えたんだろうな。感想戦を行いながら、アイから負けの手順、分岐も含めて全部聞くけど、本当に見落としとしか思えない。

 

と言っても、これが今の俺の限界だったわけだ。第2局以降は、またアイに任せることになる。本当の恩返しするにはまだちょっと、時期が早かったわ。世間的には今日の対局で、何度目の恩返しだよって感覚だろうけど。

 

(9八玉と逃げていたら、月光会長は逃してくれなかっただろうな)

『月光会長の方が、今日の対局では持ち時間が残ってましたからね。それに月光会長の終盤力は、プロ棋士の中でもトップクラスに入るでしょう。当然、逃げられません』

(ソフトの評価値は……げ。指す前が+441で、王が逃げたら-1674かよ)

『まあでも、序盤の評価値マイナス状態から中盤で盛り返したのは誇って良いんじゃないですか?何を言っても、終盤のあのポカだけは言い逃れできないですけど』

 

とりあえず俺自身は普段と全く違う対局だったけど、対外的には珍しく持ち時間を使っていつも通りに勝ち切った対局だから、不自然さはあまりない。……いや、掲示板で「大木ロボ、師匠を前にして故障中」とか書かれてるわ。ファンが早指しに慣れ過ぎている。しょうがないことだけど、将棋は基本的に時間を使うゲームですよ?

 

月光会長は対局終了後、少し態度が軟化した気がする。まー、7七金打ち以降も俺が指せた手ではあるから、本当にあの一手だけなんだよな。そこに大きな壁があるようにも感じるけど、今回はアイがその壁を爆撃して破壊していった感じ。

 

しかしまあ、月光会長と名人相手にタイトル戦を並行して戦うのは並みのプロ棋士だと辛いだろうな。アイのお陰で、今のところ全勝だけど。……両方とも勝ち切ったら、天衣や晶さんを誘って焼肉にでも行くか。


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