うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる 作:インスタント脳味噌汁大好き
女王戦の第3局が始まり、自殺未遂をした空さんは千日手を獲得しに行った。原作では天衣が空さん相手に引き分けて、先手を取りに行った第3局だけど、立場がまるっきり逆だな。
原作だと包丁を持ったまま、九頭竜の部屋でスタンバイしていた空さんだけど、縄を持って自室で考え込んでいたということは、それなりにヤバかったのかもしれない。まあでも、結果としてたぶん原作通りの流れになったのは個人的に良かったよ。
今回の記録係を務めるのは、第1局で無難に記録係をこなせたあいだ。今日の対局場はお高そうな料理が出て来る広めの料亭だけど、会場の規模としては小さい。これは、予算の都合だろうな。
例年、女王戦は第4局と第5局が将棋会館で行なわれる。空さんが強すぎたから第3局までしか会場を用意していない訳ではなく、空さんが女王になる前から、毎年恒例のことだ。だけど今年の女王戦は注目度が高く、スポンサーも例年より多いからか、第5局まで会場を押さえようという話になったらしい。月光会長も、孫弟子には基本的に甘い。弟子の俺には厳しいけど。
『ソフト側のアップデートを可にした恨みはしばらく忘れませんからね。何勝手にソフトと指して負けているんですか』
(まーまー。前年度のソフト開発者が、泣き付いたという話だから仕方なかったんじゃないかな)
『前年度のソフト開発者って、偉そうに控室まで来て勝利宣言した挙句、瞬殺されて顔面崩壊を起こした人ですよね?』
(顔面崩壊まで行ってない。顔面蒼白にはなってたけど)
アイはわりと、ソフト側のアップデートを可としたことに不満を持っている。1局目でまだ今年も勝てると判断したら、進化することを告げられた時の絶望感は凄かった。まあ向こう側も、1局目で普通に負けたことに対して絶望していたけど。
(来年は、かなり厳しいだろうな。今年勝てたのは、向こうの準備期間が短かったのもあるし、こっちはこの1年で数千万局しか指せないけど、向こうは数億局だろ?ムリだな)
『簡単には負けないつもりですが、1勝も出来ないでしょうね』
(千日手、持将棋が発生したら御の字程度か)
アイと脳内会話をしつつ、空さんと天衣の対局を見守ると、千日手が成立。空さんはほとんど時間を使わなかったのに対し、先手番を手放すか、打開するかで悩んだ天衣は持ち時間がかなり減っていた。よって規定により、天衣の持ち時間を1時間まで回復すると共に、空さんも天衣が回復した持ち時間分、42分の持ち時間が加算される。
……ほぼ持ち時間が満タンになった空さんが先手となり、天衣は完全な作戦負けをした。福井にある九頭竜の実家に帰って、封じキスまではしたっぽいし、無事覚醒したか。
『感情ある方が強いですよね。削ぎ落していった時の強さより、魅力のある将棋を指していますし』
(機械になろうとして、そう簡単になれるものでもないしな。そもそも、九頭竜があそこまで強くなったのは空さんの影響が大きい。間違いなく、空さんは男性含めても将棋の才能は十指に入るよ)
天衣が後手番になったことで、ここで後手番角頭歩を仕掛けるけど、空さんは持久戦を選択。一方で天衣は釈迦堂さんの時と同じように、向飛車を選択した。これは、対策されてそうだけどやるしかなかったか。慣れている将棋の方が、持ち時間の消費を抑えられる。
『既に、釈迦堂さん相手に持久戦の将棋を披露しているのは大きいです。それにこの持ち時間の差は、かなり大きいですね。天衣自身、追い詰められていると感じているでしょう』
(既に一分将棋に入りそうな天衣と、持ち時間が2時間近く残っている空さんとでは余裕に差が出るな。……空さんの将棋が、明らかに強くなっているのはビックリするわ)
『天衣は、空さんに何が起きたのか知りませんから余計に驚いているでしょうね。まあ私達も、詳しくは分からないので原作から推察するしかないのですが』
(……九頭竜のおかんが途中で邪魔しなかったとしたら、何回もチュッチュした可能性はあるな)
『名人が勝ったタイミングとかも変わっているでしょうし、その可能性は高いでしょうね』
名人は結局、名人戦を4連勝で防衛。タイトル通算100期と歴代単独トップの勝利数を達成したし、国民栄誉賞も受賞している。その際のインタビュー内容は、結構変化していた。まずソフトはトッププロには勝てないという前提で記者が質問しており、名人は1番戦いたい相手に俺を指名していた。
『遠回しには言ってましたけど、駒落ち将棋でも良いから本気で戦って勝ちたいという内容でしたね。
……名人があそこまで推しているなら、三番手直りの実現は早いかもしれません』
(やめて。タイトル戦を毎回フルセットとかどんな罰ゲームよ)
『移動日も含めれば、4日かかることも珍しくないですし、忙しさは倍増ですね』
(……あれ?イベントとか準タイトルも含めると、年間休日はめっちゃ少なくね?)
ただ名人は空さんのこともちゃんと触れていたので、空さんを名人が見ていたということを、空さんは認識出来ているはず。今日の空さんの穴熊は、ちゃんと自信を持っている穴熊だ。……で、天衣も穴熊だけどこいつら穴熊好きすぎない?供御飯さんかよ。
『穴熊同士の戦いで、この持ち時間の差は厳しいですよ』
(しかも空さん、自身の穴熊を崩して天衣の玉頭を攻めてるし。あ、天衣も受けミスってる)
『はあ。後手番角頭歩を使って負けるのは、立ち直るのに時間がかかりそうですね。まだ言い訳できる材料が揃っているのは幸運ですけど、ちゃんと空さんが自身より強くなったと認識出来ないと、ここから3連敗しますよ?』
(……まあ気分転換に遊び将棋でも教えて、天衣に爆弾でも仕込んでおくか。第5局中に、爆発したら面白いことになりそうだし)
『今の状態で、遊び将棋を仕込むのは外道でしかないのですが。天衣は実験動物じゃないんですよ?』
時間に追われて、あっさりと受けをミスった天衣は必死で追い縋るも、空さんの玉まで攻めが届かなかった。第3局は空さんの勝ちということになり、これで天衣の女王戦の成績は2勝1敗。敗戦後に天衣は荒れ、こういう時の特効薬である時間経過はあまり役に立たず、女王戦第3局に続いて、第4局も天衣は負けた。
……恋する乙女は無敵と描写されていたわけだけど、純粋に伸びた棋力はそこまで大きなものじゃない。どちらかというと、本来の強さに戻ったという方が正確か。元々、天衣と空さんに大きな差は無かった。だから精神状態の変化によって、勝ち負けが入れ替わるのは珍しいことじゃない。
最終局までに、出来ることは少ないけどやらないよりかはマシか。これから第5局までの期間が、本当の勝負だな。