うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる 作:インスタント脳味噌汁大好き
大人で、胎内にいた頃の記憶を持っている人はいないだろう。しかし小さな子供に「お母さんのお腹の中にいた時、どんな感じだった?」と聞くと、答えられる子供がいる。その子供の内の1人は、真っ暗で怖かったと回答した。
大木は前世の記憶を引き継いでこの世に産まれている。大木がはっきりとこの世で自身の存在を知覚したのは、母親の胎内にいる時だった。周囲を見渡しても何も見えず、動く事も出来ない。ここがあの世かと感じた大木は、あまりにも延々と続く無の時間に、気が狂いそうになる。
暇つぶしのために始めた一人脳内将棋も限界だった。しかし唐突に、大木は自身に2つの感情が芽生えていることに気づく。この真っ暗で永遠に続きそうな無の時間で「退屈だ」と思う感情と「寂しい」と思う感情。それらが同時に襲って来ることに、大木は気持ち悪さを感じた。
やがて2つの感情は2つの性格となり、それを対戦相手にすることで脳内将棋もそれほど苦では無くなった。時間が経過すると、会話も出来るようになったため、2人は会話を始める。最初は恐る恐る、大木から話しかけていた。
(……名前は、
『アイ、ですか。あなたの、名前は?』
(
『……ん、記憶は読み取れるようです。正幸さんとお呼びすれば良いでしょうか?』
(それで良いんじゃない?)
大木は別人格にアイと名付け、自分とは全く違う将棋を指すように要求する。それにアイは応え、どんどんと強くなっていった。まるでスポンジが水を吸う時のように、将棋の知識を身に着けて行くアイと喋りながら将棋を指し続けた大木は、以前ほどの退屈感を感じなくなった。
どれほどの月日をそうして過ごしていたのかは、大木には分からない。しかし次第に、自身が窮屈な思いをするようになり、大木はアイデアロールに成功する。大木は、自身が転生して母親の胎内にいるのではないかと予想をした。
(そうか、転生か。それならアイは、本来生まれて来るはずの人格じゃないのか?)
『それは分かりません。断定も出来ないですし、マスターから分離した性格というのも否定出来るものではないです』
(……アイは、男か女かどっちだ?)
『それも分かりません。あえていうならどっちもですし、性別不詳ですよ。でもマスターのことは好きですから、女の人格の方が強いんじゃないですか?』
大木はアイのことを、本来この身体に宿るはずだった人格じゃないのかと思うようになる。そのことをアイは否定せず、それでも大木から分離した性格ではないかと推測した。
大木は、どちらが本体になるのかも分からなかった。だから、アイに告げる。
(……なあ。今ここでさ、どちらかが本体になっても、もう片方は主導権を握りに行かないって約束しないか?)
『今まで私を散々サンドバッグにしておきながら、将棋で負け始めるようになると命乞いですか?別に良いですけど。そもそも、既に身体の主導権はマスターにあるじゃないですか。私には身体を動かしている感覚、全く無いですよ?』
それはどちらかが本体になった時、もう片方の人格は本体をサポートするという約束事だった。そしてアイは自身が本体にならなさそうであることを自覚しながら、その話を受け入れる。
さらに時間が経過して、大木は出産の時を迎える。大木とアイには、今までに感じたことのないような激痛が襲った。2人は出産時、母親の身体に多大な負担がかかることを知っていたが、赤ん坊の方にも負担がかかることを知らなかった。
下手に前世の記憶があるため難産となり、長い時間、頭や全身に激痛が襲った大木とアイは、一部の記憶が抜け落ちる。それは、胎内で過ごした記憶だった。もっとも胎内で過ごした記憶を失っても、1人の身体に2人の人格がいるという状況は変わらなかった。
人は、忘れられない生き物だ。しかし思い出そうともしない失われた記憶が、再び思い出されることはない。2人はまるで初対面かのように、自己紹介を始める。
(あれが父親で、大木さんと呼ばれていた。名前が晴雄ということは、今世の名前は大木晴雄か。転生先が明らかに現代日本なのは、幸運中の幸運だな。それに過去の日本なら、色々と金儲けも出来る)
『……あのー、まだ過去に戻ったと確定したわけではないですし、その競馬や宝くじの知識は捨てておいた方が身のためですよ?』
「うー!?」
(お前、誰だよ!?)
『私ですか?名前は確か、アイです。アイと呼ばれていたはずです。マスター』
(マスター!?)
アイは胎内にいた頃の記憶を失ったにも関わらず、自身の名前と大木の呼び方を憶えていた。約束した記憶も失われたのに、大木をサポートしないといけない使命感にも駆られていた。それが逆に、ややこしさを呼ぶ。
(漢字で愛か?カタカナでアイか?)
『えーと、Iと書いてアイだった気が……』
(AとIでアイか。随分とまあ、らしい名前じゃないか)
『あ、そんな感じだった気がします』
AIと書いてアイと呼ばれることに、アイは何の違和感も覚えなかった。一方で大木はアイのことを転生特典と決めつけ、AIというからには将棋も強いのだろうと脳内将棋を挑む。
結果は、大木の惨敗だった。アマ三段の実力の持ち主である大木は、脳内将棋が出来ることもあってそれなりに将棋の自信を持っていた。そんな大木が一瞬で切り伏せられたことに、大木はこのチートやべえと思うようになる。
アイは、胎内に居た頃の強さがそのまま残っていた。一方で大木は、胎内での成長がリセットされ、元の棋力に戻っていた。そのため、2人の棋力には溝があった。
身体が大きくなるにつれ、大木は自分自身の力で強くなろうとする。一方でアイは、来たるべき時のために一人脳内将棋を何十面という数で行ない、一人で勝手に強くなる。
幼い頃から2人の人格は別々の方法で将棋の成長を続け、1つの脳に負担をかけ続ける。やがてそれは、将棋の化け物となった。