うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

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記録係

天衣が馬莉愛を一手差で負かし、泣かせて帰らせた日の3日後。棋帝のタイトル戦が始まる直前、玉座戦の本戦トーナメントで、今年の勝率が9割を超える九頭竜と当たった。いやこっちも9割は超えているというか、9割7分だけどさ。

 

玉座は獲得しにいく予定のタイトルなのでここは勝ちに行くけど、一つ問題が起きる。今日の対局の記録係を務めるのが、弟子の天衣だったのだ。

 

「……あー、すまん。天衣が記録係になったんだが、大丈夫か?」

「大丈夫大丈夫。天衣ちゃんも、師匠の記録係を務めるのは初めてだよね?公式戦で師匠が将棋を指す姿、間近で見たことは無かっただろうし、今日は頑張ってね」

「はい、ありがとうございます。九頭竜先生」

 

『天衣の猫被り、上手くなってますね』

(天衣がぺこりと頭を下げて、九頭竜が断るはずもないけどな。しかしまあ、天衣が記録係か)

『弟子が記録係はたまにあることですけど、記録係不足も深刻ですね』

(いや、流石に九頭竜VS大木の対局は人気だと思うぞ?天衣が勝ち取れたのは、わりと奇跡に近いレベル)

 

弟子が師匠の記録係を務めることになった場合は、師匠が一言相手に断りを入れるのが慣習だ。相手によっては、弟子が記録係を務めるというだけで平常心を保てなくなる人もいるし、実際に師弟が同じ対局場にいる環境だと指し辛さは感じるかもしれない。対局場が、2対1になるわけだし。

 

9割9分断られることはないが、今日は相手が九頭竜だったので普通にOKを貰えた。まあ九頭竜の弟子であるあいが記録係になっても、俺はOKするしな。玉座戦の持ち時間は、予選から5番勝負まで全て5時間。記録係を務める場合、途中でトイレには行けないので持ち時間の長い対局の時は色々と準備もしないといけない。

 

そして、俺の対局は対局時間が短いという理由で記録係を消化したい奨励会員に人気。タイトルホルダーで、単純に強い人同士の対局になることが多いという理由でも人気。天衣にどうやって記録係になったのか聞くと、みんなに譲って貰ったとのこと。……何を言って譲って貰ったのかは、非常に気になる。

 

あ、俺は三冠だけど九頭竜は竜王なので俺は下座です。プロ棋士としても、九頭竜の方が奨励会を抜けるのは一期早かったわけだし、先輩になる。友達気分は抜けないけど、上座下座はキッチリ守らないと色々と言われる。その後、振り駒が行なわれて俺の後手となった。

 

九頭竜は、今回も本気で勝ちに来るだろう。何を仕掛けて来るか楽しみにしていると、角側の端歩を突いて来た。初手、9六歩だ。

 

『1四歩』

(あ、はい。相手が初手で端歩を突くなら、こっちも突き返すのね。なにこの子供染みた将棋)

 

即座に俺も1四歩と端歩を突くけど、それを見て九頭竜が顔をしかめた。おい。俺の性格を知っているなら、端歩を突き返されるぐらい想定しておけよ。数手進んで、九頭竜は中飛車を選択。まあ、初手の端歩を活かすなら中飛車は選択肢の一つだな。

 

(お?お茶が美味い)

『珍しいですね?実家で教育されていたんでしょうか?』

 

九頭竜が序盤から長考に入ったので、天衣の淹れたお茶を飲むと普通に美味い。若い奨励会員ほど、記録係に慣れていないほど、お茶を淹れるのが下手だから、天衣のお茶が美味いのは想定外だった。下手だったら、淹れ直しを要求していたと思うし。

 

俺がお茶を飲む姿を見て、九頭竜もお茶を要求。……今コイツの頭の中「JSが淹れたお茶」で8割は占められてそう。こういう序盤での長考は、考えているようで将棋について考えてないことも多い。たぶん九頭竜も、研究してきた手順が使えそうか否か確かめているだけだろう。

 

将棋は互いに端歩を初手で突いた以外はあまり奇抜な手が見られず、まだ互いにほとんど囲いを作っていない段階で九頭竜が開戦。本当に九頭竜は、居玉大好き速攻大好きだな。アイは守ってから押し潰す将棋が多いから、その守りが完成する前に決めに来たんだろうけど、残念ながら速攻同士の戦いもアイは大得意なんです。というかたぶん、アイに弱点は無い。

 

女流棋界でHP9999が例えに出て来るなら、プロ棋士の体力なんてみんな数万から数十万だ。そんな中で、アイは相手からの被ダメを100%カットするし、相手にHP10割ダメを連発する。他のプロ棋士から見れば、無理ゲーの糞ゲーだ。

 

……だから、まあ、アイを合計で10分とはいえ考えさせた九頭竜は誇って良いと思う。たぶん前年度のソフトよりかは、強くなっているんじゃないかな。

 

『考えたわけじゃ無いですぅ。ちょっと検証していただけですぅ』

(それを考えているというんだよ。でもまあ、全然届いてなかったな)

 

終盤に入り、攻め駒が尽きた九頭竜は受けに回って持ち駒を貯めるしかない。そんな九頭竜を相手に、と金でじわりと寄るアイさんマジ鬼畜。ただそれでも最後まで形作りをせず、足掻き切った九頭竜は精神面でも凄まじい成長をしていると思う。

 

 

 

 

 

初めて師匠の記録係を務めた天衣だが、記録係自体は奨励会に入ってから何度かしたことがあった。それらは全て高段棋士同士の対局であり、どの対局でも静かで厳かな雰囲気があった。

 

では、目の前の男はどうだろう?ニコ生などの、画面越しで見る分には厳かに見えた。しかし直に見ると、どこか真剣味が足りないのがよく分かる。

 

序盤も序盤、初手から九頭竜は定跡から外れるものの、数秒で大木も対応し、最序盤から初期の構想からズレてしまった九頭竜は作戦を組み立て直す。今日の九頭竜は、後手番なら居飛車、先手番なら中飛車の超急戦を仕掛けるつもりだった。

 

生石玉将を相手に披露するつもりだった新手に、改良を重ねた新戦法だ。しかし残念なことに、アイにとっては既知の戦法だった。所々、怪しい所を確認するアイだったが、問題無いと判断して九頭竜の攻め駒を丁寧に取り込む。じわじわと攻撃力が擦り減る将棋に、九頭竜は徐々に手が止まり始める。一方で大木は扇子で口元を隠してあくびをし、九頭竜にも聞こえないような小さな声で「ねむ……」と呟いた。

 

まるで天衣相手に指導対局でもしているかのような状態の大木を見て、天衣は大木に緊張感というものが無いと察した。単に図太いだけではない。玉座戦の本戦トーナメントという重要な対局で、相手が現時点で棋界トップクラスの棋士でも緊張感がない。要するに何度、どのような状況で戦っても大木のメンタルには影響しないということだ。

 

対局は大木が終始リードを奪った対局となり、夕食前には終了する。大木の消費持ち時間は、合計で11分だった。


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