うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる   作:インスタント脳味噌汁大好き

8 / 168
多面指し

天衣との指導対局は週3回というペースだからわりと頻繁に顔を合わせるけど、指す度に天衣は強くなっている。四段の6面指しは運良くクリアしてしまったみたいで、今は五段のアカウント作りに苦戦中の模様。この五段のアカウント作りの最中も7面指しだし、非常に辛い作業だと思う。

 

「師匠は、何面指しまで出来るの?」

「50面指しで、最近の相手はもっぱらソフトだな」

「ソフト相手に、50面指し……?それで、勝てるの?」

「前までは香落ちだったけど、最近は角落ちにしたら途端に勝つのが難しくなったよ」

 

俺の言葉に、天衣は半信半疑だったので実戦してみせる。とりあえず手持ちの分だと10面しかないけど、全部角落ちで良いかな?

 

『角落ちでの勝率、最近は8割まで来ましたからね。10面程度なら勝ってみせます』

(よーし。じゃあ行くぞ)

 

基本的にソフトは、指し手が速い。そしてアイも、即座に指し手の指示をしていくので全ての試合がノータイムで目まぐるしく変化していく。もはや曲芸の域だけど、50面だと腕と手が途中から疲れてくるんだよな。やっぱり10面ぐらいがちょうど良いし、天衣も10面なら追えるんじゃないかな。

 

 

 

 

 

夜叉神天衣は、最初目の前の光景が信じられなかった。どの局面も大木の角落ちから始まり、ソフト側は同じような手で大木を攻め始める。

 

それに対し、変化を付け始めるのは大木からだった。僅かな変化が、局面にうねりを呼び、混沌と化していく。ソフトがノータイムならば、大木もノータイム。全ての局面を目で追うだけでも天衣は精一杯だった。

 

そして戦局は徐々にどれもが大木に傾いていく。一度崩れた均衡を、大木が見逃すはずもなく、次々と対局は終了していく。10面全てで、大木の勝利となった。

 

「……凄い」

 

現役最強棋士のレーティングが2000程度だとしたら、ソフトのレーティングは3000とも4000とも言われる。そのソフトを相手に駒落ちで、10面指しで勝つという非現実さは、天衣の口から称賛の言葉が漏れ出てしまうほどだった。

 

「天衣はまだ、見えてないよな?」

「何が?」

「勝手に駒の動きが見えたりとか、詰みまでの手順が浮き上がって見えたりとか。

その様子だと、まだか。それならまず、見えるようになるところからだな」

 

唐突に、大木は天衣の状態を確認する。所謂将棋の才能と呼ばれる奴で、一部の人間は読まずとも手順が分かる。そのようなことを天衣は出来ないため、震える声で大木に聞いた。

 

「……そんなこと、出来るようになるの?」

「世の中の事象には、必ず理屈というものがあるからな。将棋の才能と呼ばれるものの正体も、その身に付け方も、俺は知っているし教えるつもりだ」

 

天衣の問いに対して、自信満々に答える大木。もはや「俺は将棋の全てを知っている」と言っているのと同じであったが、不思議と天衣は納得させられてしまった。

 

「で、だ。その方法の一部を教えておく」

「そんな簡単に、教えても良いの?」

「当然。だって真似出来る奴はほとんどいないだろうしな」

「……それじゃあ、意味が無いじゃない」

「ああ、この方法を真似することに意味はない。だが、手がかりにはなるはずだ」

 

大木はここで言葉を区切り、天衣に聞く。

 

「完全記憶能力って知っているか?」

「確か、一瞬で本の内容を憶えたり、文字列を憶えられたりするアレよね?知っているけど、それがどうかしたの?」

「アレは元々、全人類が出来るものなんだ。人間は本来、忘れられない。一度見た物は、脳に刻み込まれるからだ」

「……へえ?じゃあ何で、人間は忘れるのよ?」

 

その内容は、完全記憶能力についてだった。人間は本来、物事を忘れられない。単純に言えば、脳に刻まれた記憶を思い出す能力を誰もが保有している。しかしそれは、徐々に欠落していく能力でもある。

 

明らかに痴呆になった年寄りが、唐突に忘れていてもおかしくない記憶を喋り始めたり、記憶障害で一度失われた記憶が、徐々に復活する現象が起こる理由はここにある。

 

「人間は、忘れる動物であるという言葉は正しくない。正確には、思い出せなくなる動物なんだ」

「……なるほど?つまり今までに指した全ての将棋も、思い出そうと思えば思い出せるのね?」

「そういうことでもあるな。この話で言いたいのは、脳の記憶の海から引っ張り出す作業を単純化しようということで……」

「?????」

『マスターの説明が下手過ぎて天衣ちゃんが困惑しているじゃないですか。マスターが最終的に言いたいのは、思考分割と並列処理、それとその作業の自動化。違いますか?』

(そうだけど、いきなりもう1人の自分を心の中で作れとか、完全にヤベーヤツじゃんってなった)

『現に今、マスターはそのヤベーヤツ状態なのですが』

(うるせー。お前は最初から生えてた人格だろうが)

 

師匠である大木の言葉を、何とか理解しようとする天衣に対し、大木は途中で言葉に詰まってアイと脳内喧嘩を始める。ちなみに大木はアイのことを最初から生えていた人格と言ったが、それは正しいことではない。

 

転生し、赤ちゃんとして過ごす期間。延々と続く無の時間に大木は耐えられず、もう1人の人格を頭の中に作製した。そちらは自分より少し将棋の強い、自分だけの脳内将棋相手。それがアイだった。

 

「強いプロ棋士とか、勝手に駒の動きが見えるのは無意識のうちに脳が勝手に考えているからになる。この無意識に人格を与えて、色んな作業を押し付けることも、出来る?」

「よく分からないけど、言語化しにくいことを教えようとしていることは分かるわ。それにそれは、誰にでも出来ることじゃないのよね?」

「分からん。もしかしたら誰にでも出来るかもしれん」

「……何で私は、こいつを師匠にしたんだか。

とりあえず、多面指しは続けるわよ。それで良いのよね?」

「ああ、並列処理能力自体は誰でも上がる能力だし、むしろ女性の方が向いていると言われている。八段10面指しを目指して、今はとにかく指し続けろ」

 

大木は次までに言語化しておこうと決心し、天衣はまた五段のアカウント作り作業を再開する。

 

……天衣の7つのアカウントの内、3つが五段に上がったのはこの2日後のことだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。