うちの脳内コンピューターが俺を勝たせようとしてくる 作:インスタント脳味噌汁大好き
女流玉座戦の第3局は、石川県にある旅館雛鶴で行なわれた。あいのホームグラウンドであり、空さんにとっては苦しい戦いになる。言うまでもないことだけど、対局をする場所というのは対局者の精神状態に大きく影響する。今回のような、あいにとってのホームグラウンドで対局をする場合、周囲の人間は当然あいの味方だ。
この場合、あいを応援している者たちは必然的に空さんに対して負けて欲しい、負けろと思うものだ。そして将棋指しはこういう悪意に敏感な生き物なので、当然肌で感じ取ってしまう。というか実際、陰口とか聞こえて来るしな。九頭竜とかは、竜王戦でよく経験しているはず。
「現地まで行って応援しないのか?」
「対局があるのに応援出来るわけないだろ。今日はどんなことよりも優先順位が高い順位戦だぞ」
歩夢相手の竜王戦を、結局4勝1敗という成績で防衛した九頭竜は、今日は応援に行きたくてもいけない模様。順位戦は、プロ棋士にとって何よりも大切な対局だ。1年をかけて戦うし、順位戦のクラスによってプロ棋士としての格や基本給が決まる。
『九頭竜は、今季C級1組で全勝中。マスターもB級2組で全勝中。歩夢もB級1組で全勝中。この調子だと、また3人揃っての昇級でしょうね』
(地味に清滝先生も全勝中なんだよな。下手したら九頭竜は、師匠からの頭ハネを食らうかもしれないのか)
C級1組に所属している九頭竜は、C級2組から上がりたてなので順位は1番下。一方で清滝先生は、降級したばかりだから順位が1番上だ。九頭竜がB級2組の連中に負けるとは思えないけど、1敗でもしたら頭ハネを食らう可能性が大いにある状況。しかもその相手が、師匠である清滝先生になる可能性もあるのだ。
順位戦の日程はクラスによって違うため、九頭竜は順位戦の対局があるが俺にはない。代わりに帝位戦の予選がある。取りに行かない予定のタイトルで、何局も指さないといけないリーグ戦まで勝ち上がるとか馬鹿らしいので今までの帝位戦は予選トーナメントで負けていたのだ。なので今年は予選から勝ち上がっていってる。
まあ、帝位戦はタイトルホルダーでも下位予選の免除がない特殊なタイトル戦だ。その分番狂わせが多いし、波乱が毎年起きる。今日はその予選トーナメントの決勝。飯盛四段との対局だ。……俺と当たらなかったら、帝位リーグ入りしていた可能性があるとか大木狂信者強くない?
俺の真似をして、タピオカミルクティーにハーゲンダッツの用意をする飯盛さん。オイオイオイ死ぬわアイツ。ぽっちゃり系でそのカロリー爆弾は糖尿病一直線だぞ。というか俺の狂信者名乗りたいならあと30キロ痩せて来い。あと身長を10センチ減らせ。
『167センチ70キロは言う程ぽっちゃり系じゃないですよ。男性なら健康的な太り方です』
(……まあ、棋士の消費カロリーは凄いからな。板チョコ8枚食べる棋士とかいるし)
『タイトル戦1局で2キロから3キロ痩せるのも珍しくないですからね。
マスターがその勢いで痩せていたら、命の危機でした』
(タイトル戦1局で2キロも痩せていたら、今頃は俺の質量が無くなっているわ)
俺より5歳も年上の飯盛さんは、大真面目に俺のことを崇拝している。今日の対局は、ようやく叶った念願の一局だろう。だが俺は早く女流玉座戦の経過をみたいのでいつも通り容赦なくノータイムで指していく。帝位戦の予選トーナメントの持ち時間は、各4時間。俺が一切持ち時間を使わなければ、ちょうどあい対空さんの対局が良い頃合いだろう。
『……意外と粘っこい将棋を指しますね。三段リーグで当たった頃よりも、明らかに強くなってますよ』
(まあ俺が三段リーグで当たった相手の中では1番強かったし、俺の真似をして1分1秒を将棋に捧げているなら強くもなるだろ。A級棋士一歩手前の棋力はあるよな?)
『1分1秒を将棋に捧げる?……まあ歩夢にも一度勝ってますし、関東棋士では歩夢と篠窪さんに続く有望な若手ですね』
(歩夢が20歳で、篠窪さんが24歳。飯盛さんは23歳だから、まだ巻き返せる位置だな)
しかし飯盛さんも、かなりの早指しで応戦してくる。俺の狂信者なだけあって、早指しも真似しているらしい。この早さで、勝率7割なら本当に将来タイトル戦で対戦しそうだな。そして対局開始から僅か1時間半後に終局。166手でアイの完勝だった。
(よし、昼飯前に終わった。天衣の家で観戦じゃ)
『三段リーグの最中に自宅へ毎日のように押しかける師匠って、傍から見れば異常極まりないですね』
(出来る限りの協力はするって、三段リーグの前に言ったら天衣も頷いただろ。あと純粋に、夜叉神家のシェフが作る料理は美味い)
『……既にマスターの胃袋は陥落済みですか。三大欲求の内、2つを握られていたらどうしようもないですね』
三段リーグの最中は、今まで以上の密度で指導対局をしているけど、三段リーグが終わったらそう簡単には指導対局をする時間が取れないというのが1つの理由になる。プロ棋士として、女流棋士として、小学生として。多忙な生活になるのは目に見えている。お互いの休みが重なって、家でゆっくりと過ごすなんて滅多に出来なくなるはずだ。
あと人間の3大欲求の内、2つが夜叉神家に握られているんだよな。もう既に俺は、夜叉神家に抵抗出来ないです。何なら最後の1つも握られかけてるよ。天衣が告白してきてから、やけにアプローチが激しくなった気がする。それでも天衣に指導対局をしに行く辺り、俺も俺だな。
空さん対あいの対局は、あいの後手番だけどあいが千日手に持ち込みそうだ。原作では天衣が女王戦でやっていた千日手狙いを、あいが女流玉座戦でやるのは感慨深いな。空さんは、持ち時間の消費量的に指し直しになればかなり苦しいか。
ここまで2連勝で、防衛まで後一歩。しかし現地の空気はあい一色だろうし、指し辛さも感じているはず。ここで千日手を打開する手を指せば、中盤戦でも互角という状況で終盤戦に入ってしまう。あいが卓越した終盤力をそのまま発揮すれば、空さんが負けるだろう。
残り短い持ち時間を、さらに消費して空さんは千日手に応える。結果、指し直しになって再度空さんがあいを追い詰める展開になったものの、ここで空さん側の持ち時間が尽き、ミスが出てあいが粘り勝ちをもぎ取った。
追い詰められての逆転劇は、空さんが無冠になる未来さえ想像させるものだったが、第4局であっさりあいは空さんに負け。あい女流玉将の女流玉座戦は、空さん相手に1勝3敗という成績で終わった。