《SWORD ART ONLINE》〜偽りの星空〜   作:P笑郎

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第一層迷宮区

 〈1〉

 

 

 

 

 

 たいまつが照らす迷宮の薄闇に、白刃の閃きが映える。

 

 ピュンとうなりを上げるそれは、自らの意志で縦横無尽に駆けめぐり、鎧に覆われた獣人を切り裂いていった。槍を風車のように振り回す少女は、跳ね上がった穂先を素早く戻し、ひたと眼前の敵に据えながら息を整える。

 

 その姿は見惚れるほど綺麗だった。

 

  多少幼さが残っているが、美少女には違いない。星明かりを閉じ込めた白銀の髪は、後ろで小さい三つ編みにされ、碧く大きな瞳は底抜けに澄んだ泉であった。整った鼻梁。きゅっと引き結ばれた眉と唇も、非常事にありながら形を崩さず、淡い花びらのような可愛らしさに大人っぽい艶を魅せている。

 

 しかし、彼女が対峙するモンスターは優美とはほど遠い。《ルイン・コボルト・トルーパー》と呼ばれる魔物は、オオカミの頭に強靱な人型の肉体を持つ亜人だった。手には無骨な斧をひっさげ、牙を剥き出しにして怒りに震えている。どうやら先の攻撃は大した痛手にならなかったらしい。

 

 少女、この世界でスピカと名乗るプレイヤーは心底恐ろしいと感じた。視界の左上で冗談のように瞬くHPバーは、敵の攻撃を受けるたびに減少する。それが全て消滅した瞬間、おなじみのゲームオーバーを迎える訳だが、このVRMMORPG《ソードアート・オンライン》に関しては少々趣向が異なるのだ。

 

 ゲームオーバーは死と同義。

 

 痛みはなくともコボルトの斧は、確実に自分の命を刈り取る力があるのだ。これを恐れずにいられるのは、よほどの実力者か、単なる馬鹿かのどちらかだとスピカは思った。

 

 残念なことに自分は両方に当てはまらない。恐くて膝の震えが止まらないし、ずっと宿屋で引きこもっていたいと思ってる。もう、懲り懲りだ。

 

 ーーだけど、戦う。

 

 戦って、戦って、戦って、突き進んだ巨大な城の天辺に、悪夢から解放される自由の扉があると信じて。絶対に2人で現実に帰ろうと約束したから。

 

「そこを、どいて!」

 

 スピカはコボルトに向かってそう叫び、少し捻った槍を下段に構えた。すると、穂先が純白の光に包み込まれ、迷宮の濡れた壁を鋭く照らしだす。

 

 次の瞬間、スピカは弾かれたように槍の間合いに飛び込んで、地を這う稲妻がごとき突きをコボルトの正中線に見舞った。純白の尾を引いた攻撃は、本人の意志さえ追い越して敵のクリティカルポイントに吸い込まれる。血のような赤い光が吹き出し、コボルトは大きくのけぞって悲鳴を上げた。

 

 槍スキル《フルミネ》。

 

 最初のモーションを認識して、システムが自動で繰り出す《技》。一般的に《ソードスキル》と呼ばれているものだ。《ソードアート・オンライン》の代名詞で、人型だけが扱える奥の手である。多少の制約はあるものの、高い攻撃力とスピードはそれらを補ってあまりあり、戦闘の勝敗はソードスキルを繰り出すタイミングで決まると言っても過言ではなかった。

 

 スピカは敵のHPが4割減少したのを確認し、技後硬直から解放されるなり後ろへ下がった。あくまで慎重を期した動きだったが、今回はコボルトの方が一枚上手であった。AIによってスピカの戦法を学習し、ねらい澄ましたようなタイミングで肉薄してきたのだ。

 

 穂先の内側に入られると、槍はソードスキルを使うことができない。スピカはさっと顔が青ざめるのを自覚した。

 

「グルァ!」

 

 仕返しとばかりに斧が振り下ろされる。凶悪な一撃を防いだ柄がみしりと震え、武器の耐久度が相当に減少したことを悟った。加えてこの力だ。レベルはスピカが上回っているが、素早さに特化していたのが裏目に出て、つばぜり合いは如何にも分が悪い。ぎちぎちと押し込まる斧が眼前に迫り、スピカは思わず目を瞑る。

 

「スピカ! スイッチ!」

 

 その一言ではっと目を開け、槍を少しずらして力を絶妙な角度で受け流す。おまけに石突きで顔面に打撃を与えてから、ためらいなくバックダッシュした。無二の相棒がカバーしてくれると信じて疑わなかったからだ。

 

「うん、任せた」

 

「任された!」

 

 スピカと入れ替わるようにして躍り出る突風。

 

 子供の身長にも匹敵する大剣が振り払われ、コボルトを力任せに吹き飛ばした。それだけでつむじ風ができそうな剣圧に大気が揺れる。

 

 一息に背後まで後退したスピカは、その細い体から生み出される馬鹿力に改めて呆れた。

 

 少年の名はシリウス。小さい頃からの幼馴染みで、お互い運悪くゲームに捕らわれてしまった仲だ。普段悪戯っぽい笑みを絶やさず、快活そうな鳶色のつり目と、黒髪に流星さながら走る白髪がチャームポイントの少年だが、この時の表情は真剣そのものだった。

 

 振り上げられた両手剣が雑な弧を描いてコボルトの肩を斬りつける。でたらめに等しい剣筋でも、重い分だけ与えられるダメージは大きい。筋力に頼り切った一撃は、斬撃というより打撃という表現が適切だった。

 

 充分に体勢を立て直していないコボルトにはたまったものじゃない。新たに拵えた傷口をかばいつつ、後退した亜人の顔には紛れもない苦痛の色が浮かんでいた。振りかざした斧がにわかに発光しだし、ソードスキルの兆候を網膜に刻む。やっかいなことに敵も奥の手を使うことができるのだ。

 

 その脅威は身にしみて分かっている。一撃でもヒットすれば、とんでもない量のHPを持って行かれるだろう。スピカは内心でハラハラするのを止められなかった。

 

 斧が激しいオレンジ光を纏ってシリウスの剣と激突する。金属の悲鳴が耳障りに反響し、大量の火花がまき散らされた。今、コボルトとシリウスの間では複雑な演算が行われているのだ。ソードスキルに乗った斧の力と、シリウスが押さえつける両手剣の力。その他様々な状況分析により補正がかけられ、どちらかが数値的に上回った瞬間に勝負は決まる。

 

 不意に斧を包んでいたソードスキルの光が薄れ、消えた。

 

「かぁ!」

 

 弾かれた斧がコボルトの手を離れ宙を舞う。すかさず腰だめに構えた両手剣をシステムが認識し、深紅の輝きに包み込んだ。彼のほのかに照された顔が、ここで初めて微かな笑みを刻む。

 

 ダンと重い踏み込みと同時に、シリウスを中心として円形に剣がなぎ払われた。初速は遅いが、力のこもったソードスキルは間合いに存在する全てを切り裂く。

 

 両手剣スキル《ホリズンタル・ブレイブ》。

 

 生き別れになったコボルトの上半身と下半身が吹き飛ぶ。断末魔を上げる暇もない終幕に、唖然としたオオカミ頭が空中で不自然に停止ーーついでガラスが砕けるような大音響ともにポリゴン片となって消滅した。

 

 YOUR WIN!

 

 空中に表示された派手に輝く文字と、獲得経験値やアイテムの確認もほどほどに、スピカはほーっと息をついた。くるんと軽やかに回転させた槍を背負い、立ちつくす相棒の背中を軽く叩く。無論、感謝の意を込めてだ。この少年が来てくれたお陰で、スピカはすでにいつもの落ち着きを取り戻していた。

 

「ありがと。助かったよ」

 

 そう言って笑いかけると、シリウスはパチパチと目を瞬いてからフッと息をついて答えた。

 

「くっくっく、あまり僕の手を煩わせないことだ。・・・でなければこの封印されし右腕、僕の意志とは関係なしに暴れ出すかもしれない・・・」

 

 かなり痛々しいーーもとい、面白い口調で話しているが、これが彼の照れ隠しだと知っているので、スピカは剥き出しの肩をすくめて苦笑いだ。しかも、ちょっとした決めポーズまで用意しているのだから抜け目ない。カッコイイというよりか、可愛いと思っていることは黙っておこう。

 

「・・・そういえば邪気眼も具合悪いんだっけ? リアルでお医者さんのプレイヤー紹介するから見てもらったら?」

 

「馬鹿な! 医者の命を生け贄にしろというのか!? いや、しかしそれも一つの手段ではある」

 

「生け贄が必要だなんて設定初めて聞いたよ・・・」

 

 わいわいと賑やかな声が遠ざかっていく。

 

 ーーデスゲーム開始から1ヶ月。プレイヤーを閉じこめる浮遊城《アインクラッド》の攻略率は、未だ1%にも満たなかった。皆意図的に攻略ペースを落とし、安全を図っているのもあるが、一番の原因は信じられないような城の巨大さから来ていた。

 

 直径約10キロ、つまり東京都の世田谷区がすっぽり収まるサイズの大地が、100層も積み重なっているのだ。内部には街や村、広大な森林や湖、迷宮など多岐にわたる環境が存在し、無限に出現するモンスターを倒し続けなければ先には進めない。そして各層に潜むボスを倒し、最上層まで到達した時にデスゲームは終わる。

 

 しかし、スピカやシリウスを含む最前線の高レベルプレイヤー、通称《攻略組》の一団は、層と層を繋ぐ最初の迷宮で足踏みをしている状態だった。

 

 ここまでの死者は2千人超。すでに当初の1万人より20%が脱落したことになる。

 

 この数字を見るたびに彼らは考えずにはいられなかった。全てが始まったあの日が、何事もなく過ぎ去ってくれていたならと。

 

 そして1ヶ月前の悲劇に思いを馳せるのだった。

 

 

 


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