リューヤは操縦桿を軽く引き、機体を浮き上がらせた。その瞬間リューヤは戦闘モードに入る。さっきまでの不安げな表情は一変、まるで獲物を見据えた獣のようなキリリとした表情に変わる。
街をぐるりと一周すればレースは始まる。もしこのレースに勝てば史上初の栄光を手にすることができる。横で悔しがるヨシナガの姿も見れるだろうか。
ふと、両親はどう思うのか頭に浮かんだ。一緒になって喜んでくれるのか、たくさん褒めてくれるのか、はたまたご近所さんにうちの息子がねと自慢するのか。
いろいろ考えたがどうもしっくりこない。やはり両親といた時間が短すぎたのか。そんなことを考えつつ、昔のことを思い出した。
俺は昔から競走ごとが好きだった。かけっこ、早食い、計算の早解き等々。学友といろいろ競い、勝っては喜んで、負けては悔しがる負けず嫌いもそこで生まれた。
身近に戦闘機があったおかげか戦闘機レースに興味を持ったのは5歳の頃だった。忙しい両親にせがんではるばるラハマからインノまで戦闘機レースを観に行ったこともある。
しかし、それが不幸にも親子で出かけた最初で最後の旅行だった。
13年前、俺は8歳の頃に両親を失った。リノウチ大空戦で敵機に撃墜されたと聞かされている。5年前のイケスカ動乱よりも激しかったらしい。
父は自警団のエース、母は大手輸送会社の雇われ用心棒だった。どちらも優秀な戦闘機乗りだったらしい。そんな両親を持ったからか、航空機に触れるのは同世代の中で誰よりも早かった。
両親共によく稼いでいたからか、ラハマの一等地にある大きな家に住んでいた。そしてよく護衛の任務で家を空ける両親に代わって召使として爺やが雇われた。両親とは旧知の仲だったらしい。本名は知らない。というのも、いくら聞いても教えてくれなかったからだ。
両親を亡くして俺はすっかり元気を無くしてしまった。ポッカリと心に穴が空き、どこか上の空だった。
両親を亡くしてから2、3年経ったある日、俺は爺やに連れられてラハマの街外れにある格納庫に向かった。ギラギラと照りつける太陽が暑かったその日のことは、今でもよく覚えている。
あの日、俺は爺やに連れられ始めて戦闘機に乗った。それは敵機に撃墜されたはずの父親の愛機、漆黒の隼二型である。後から聞いた話だが、あの隼は爺やがおよそ2年の歳月をかけてフルレストアしたものだったらしい。
そしてその日から俺は爺やに点検、保守、整備、操縦など航空機について一から十まで全て叩き込まれた。おかげで学校の航空機の授業だけは常に良い成績だった。他の教科の成績は、まぁ聞かないでおいてくれ。そんなに悪かったわけではないが。
ともかく、爺やに英才教育を受けた俺は学校を卒業した後、父や母を追って戦闘機乗りとなった。しかし、両親を失ってできたポッカリと空いた心の穴は簡単には埋まらなかった。
輸送船護衛や郵便配達、用心棒と言った戦闘機乗りがするであろう仕事はなんでもやった。そしてある時、輸送船護衛でインノまで行った時あるものを観た。そう、戦闘機レースである。
十数年前に両親にせがんで観に行ったあの戦闘機レースである。実況アナウンサーの熱い実況を聴くとあの日両親と観戦しに行ったことが思い出され、自然と涙が出た。
ああ、あれが俺の立ちたい舞台じゃないのか。戦闘機レーサーになるのが夢だったんじゃないのか。ふいに短いながらも楽しかった両親との思い出が甦った。大粒の涙がこぼれ落ちると、もう止まらなかった。
涙が枯れる頃には決意が固まっていた。