条城序如《じょうじょうのぶすけ》はとても臆病だった。心底争いを嫌っていたし、争うくらいなら自分に差し出せるものがあれば全て差し出すような男だった。実際に今まで生きてきて、これ程辛い生活はないだろうとも思ったが、今より辛い生活を過ごすくらいならと、なるべく目立たないようにひっそり暮らしていた。
変化が訪れたのは、高校を卒業し、晴れて大学生となった春だった。
隣の市の五星市二三《いつつぼししふたみちょう》町、三星大学《みつぼしだいがく》に入学した僕は、周辺環境を変え平和な生活を送るつもりでいた。平凡で、深い絶望のない生活を。しかし、運命というものは時に残酷な現実を押し付けてくるものだった。今までと変わらない搾取される日々。同じ学校の人間と同じ大学に行くことがないようにわざわざ一人暮らしを選んでまでこの大学に来たのに、そいつはいた。
「おいジョジョ、久しぶりだな。卒業以来か?また会えるとはラッキー」
彼は柴崎堅《しばさきけん》。中学、高校と僕をパシリとして扱ってきた男だ。
「やあ、柴崎くん。久しぶり」
「あーあ、久々にお前の顔みたら喉が乾いてきたわ。なんか買ってきてくれよ」
「あー。今一人暮らしを始めたばかりでお金、あんまり無くてさ」
「俺が喉乾いたって言ってんだよー。関係あるか?俺だって一人暮ら
しなんだよ。なあ」
柴崎は今にも殴りかかって来そうだった。これ以上の抵抗は得策じゃないと、僕は渋々自販機にむかって歩き出した。財布の中身は親から貰ったお金が入っている。今までだってそうだ。いつも親から貰ったお金を自己防衛の為に渡して。自分が情けない事をしているとわかっていながら、過去の恐怖に打ち勝てないまま今に至っている。
情けない。
そうして僕は財布を握りしめながら自販機の前についた。先客の女性がいたので、買い終わるのを待つ事にした。しかし、その女性は一向に買おうとはしなかった。じーっと自販機を見つめるばかりで、先に譲ろうと動きもしない。
「あの・・・悩んでいるようなら、先に買ってもいいかな」
「だめよ。あなたが買ったものが最後の1本だったらどうするの?」
「あ、じゃあ君が飲まなそうなものを選ぶから、教えてくれる?」
「そんなもので、彼は許してくれるのかしらね」
彼、とはこの場では誰を指すのだろうか。まさか彼女はさっきのやり取りを聞いていたのだろうか。だとすれば尚更譲ってくれてもいいんじゃないだろうか。後ろからは柴崎の催促する怒号が聞こえてきた。
「ねぇ、さっきのやり取りを聞いていたのなら、申し訳ないんだけど先に飲み物買わしてくれないかな」
「あなたは家畜、彼は畜産家。ならあたしは?」
何が言いたいのだろうか。伝えたいだろうことの一割も伝わってはないのだが、僕には時間がない。少し強引だが、先に買わしてもらおう。
僕は割り込むような形で自販機に硬貨を入れた。
「自分より強いと分かってない相手には強気にでれるのね。心底臆病な人」
そう言われてドキリとした。酷く痛いところを突かれたような気がして、なんだか少し腹を立ててしまった。
「初対面の君にそんな失礼な事を言われる筋合いはないな」
割り込んでいてなんだが、突っ立ってる彼女も彼女だ。百パーセント僕が悪いと言うことはないだろう。
ちんたらとしてる間に、柴崎は僕の後ろまで迫ってきていた。
「おいージョジョ。お使いもろくに出来ねーで一体今からどうやって一人暮らしするって?なあ、俺はジュース買って来いって言ったんだよ!」
彼は僕の右横腹目掛けて鋭い蹴りを放った。ズドンッとまるでバットで殴られたかのような痛みが走った。思わず地面に倒れ込む。
「さっきから1人でべらべらと、薬やってんのかよージョジョ」
一人?顔を上げ辺りを見回すと、さっきまでいた彼女は居なくなっていた。
「ここに、女性が・・・」
「おいおい。勘弁してくれよ。お前マジに薬やってんのか?いなかったさ、お前一人で芝居でもしてんのかってくらいに喋り倒してたよ」
確かに彼女はいた。一体どこに・・・。家畜と畜産家と、消費者?いや、彼女は何者でもない。
そして僕は、家畜なんかじゃあない。
「おい、ジョジョ這いつくばってないで、とっとと買えよな。ほらポプシだよ、ポプシ」
「嫌だ。って言ったらどうする?」
「はぁ?おいおい、今更聞くか?それ。中坊の頃に散々叩きのめしたかと思ったがよー、いい気になってんなージョジョ!」
僕はその日、自分の授業に出ることはなく、保健室で過ごすこととなった。
体中が痛くて、保健室の先生にも物凄く心配され、たくさん問い詰められたが、なぜが清々しい気分だった。しかし、これから同じような事が続けば、まともな大学生活は送れないだろう。どうにかしなければ。
サークル活動が始まる時間になり、外が賑わってきた。そう言えばまだ入るサークルを決めていなかったな。ここのところ勧誘はされてもなかなか響くものがなかった為断ってきたのだが、押し負けていくつかは体験してみたのだが、どれも肌に合わなかった。というより、そこの人達と合わなかった。
「あ、今日は化学サークルの体験に行くんだった」
保健室の先生に引きとめられながらも、行かない訳にはかいなかったので、逃げるように保健室を後にした。
化学サークルは化学科の教室で授業が無い曜日に活動しているらしい。化学専攻と言うくらいなので、ものすごくマニアックな研究をしているかもしれない。僕は化学に関しては疎いほうなので、ついていけるかは心配だった。
化学科教室につくと、違和感を覚えた。戸は締め切っていて、中に人がいる気配もない。時間が間違っているのかと、スマホで確認したが、ピッタリ時間どおりに来ていた。戸に触れると鍵はかかっていなかったので、中で待っておくことにした。化学科教室の中は、得体の知れない液体や、実験器具が沢山あり、いかにも化学科だという感想を抱いた。
どこに座っていいのかは分からなかったが、あまり真ん中の席に座って待つのもどうかと、入口近くの後ろの席に座った。もう一度化学薬品に目を向ける。疎いとはいえ、多少の知識はあるので、ラベルのようなものでどれが危険なのかという位は理解出来た。
そんな中、一つだけ中身の入って居ない容器を見つける。
「塩酸?濃度百パーセントか。あれは危ないな表に出しといていい薬品ではないだろうに。何かの途中だったのか?」
それにしても遅いなと、教室内を再び見回したとき、ある異変に気付いた。自分のいる席の三つ右斜め前。そこに何かの液体の塊がたっていた。液体が立つという表現が間違っているのは分かっているが、確かにそれは立っていたのだ。それの足元は、どろどろに溶け始めていた。奇妙なそれは、500ミリリットルのペットボトル位の大きさで人間の上半身のような形をしていた。
「な、なんだあれは」
そいつは、こちらが席を立とうとするよりも早く、遅いかかってきた。
次回、条城序如 その2