蒼崎橙子のオカルト探偵事務所   作:風海草一郎

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第二話 望まれぬ待ち人

 張り詰めた空気が消し飛び、緊張の糸がぷつりと切断された私たちの視線は、それこそ穴が開くほどに集中していた。もし、視線に物理的な力があれば、今頃このテレビはハチの巣になっているだろう。

 

 全員から奇異の視線を注がれる小型テレビは答えない。それは壇上へ無言で降り立ち、観客たちの視線を一手に集める舞台役者にも似ていた。いつ、役者が言の葉を紡ぎだすのか、私たちは唾を飲み込もうとした瞬間。

 

 ジリリリリリ ジリリリリリ

 

 と、今時珍しい黒電話のベルが室内に鳴り響いた。勢いよく飲み込んだ唾が気管に入り、思わずむせた私の背中を橙子さんはさすりながら、ひどく緩慢な動作で受話器を取った。

 

『――もしもし、私だ。久しぶりだね橙子くん』

「人違いです」

 

 橙子さんは先程とは打って変わって、高速で通話を切った。あれほど反射的な『人違いです』はそうないだろう。

 

 ジリリリリリ ジリリリリリ

 

 再び、けたたましい叫びを黒電話があげる。私には黒電話の内部で振動するベルがなんだか人の声帯じみていて、少しだけ不気味に思った。

 

「…………チッ」

 

 またも橙子さんにしては珍しく、小さな舌打ちと共に電話線を勢い良く引っこ抜いた。

 

 ――いいんですか? 別件の仕事の電話もあるでしょう?

 

 幹也はそんな風に視線で橙子さんに尋ねたが、橙子さんもまた「いいんだ」と視線で返した。私たちがどうしたものかと、逡巡していると、その空気を打ち消すように橙子さんはパンパンと手を叩く。

 

「ほらほら休憩は終わりだ。みんなには今日中にやってもらいたい仕事がある。黒桐は岩美重工社員のリストの洗い出し。弓塚くんと浅上くんは再び三咲町に現れたという殺人鬼の調査を――」

 

 ピリリリリリ ピリリリリリ

 

 橙子さんが言いかけたところで、再び着信。ただし、今度の音の発生源は固定電話ではなく、橙子さんの上着ポケットの中からだ。

 

 渋面を作る橙子さんはポケットから携帯電話を取り出すと、さらに表情を渋くする。

 その発信者の名前は『親愛なる君の友人』と表示されており、橙子さんは「いつの間に登録したんだ……」とぶつくさ言いながら覚悟を決めたように、えいやっと通話ボタンを押した。

 

『親愛なる友人に対してひどいじゃないか橙子くん。私と時計塔で過ごしたかつての日々をもう忘れてしまったのかね?』

 

 ずいぶんと特徴の無い中性的な声だ。と鮮花は思った。男女どころか、年齢さえも掴みづらい。聞きようによっては二十代の青年にも、四十代の中年にも聞こえる。

 

「忘れるだなんて滅相もない。あなたと過ごしたあの日々は忘れたくても忘れられるものじゃありませんわ」

 

 もっとも、忘れられない理由は異なるだろうがな! と橙子は内心で吐き捨てるが、そこは常識だけはある魔術師らしくグッと堪える。

 

「ところで今日はどういったご用件でしょうか先輩?」

 

 声に怒気を孕めないよう、必死に抑えているのが表情から伺える。

 

『なに、大した用事じゃない。久方ぶりに愛しい君の声が聞きたくなって――おおっと、無言で電話を切るのは社会人としてどうかと思うよ』

 

 反射的に通話を切りそうになっていた親指は、橙子の鉄の意志によって動きを止めた。

 気分を落ち着かせるように腹式呼吸を行う橙子へ、電話の男は会話を続ける。

 

『君の事だから今は、贈り物のテレビを怪しげにみつめている頃だろうと思ってな。テレビだけではなく、箱の底にあるDVDと筒も見てくれたまえ』

 

 橙子さんが視線で私を促すので、すかさずテレビの入っていた箱の中を覗き見る。確かに、そこにはタイトルの書かれていない無地のDVDが一枚と、黒い筒が一本入っていた。

 私はわけもわからず、とりあえず同梱されていた二つを橙子さんに見せるも、橙子さんも意図を図りかねているようだった。

 

『ふふふ、君の工房にDVDデッキが無いのは把握している。そこは安心したまえ』

「先輩の辞書にプライベートという言葉は無いんですか?」

『そのテレビはDVDプレイヤーが内臓されている優れものでね。今、そこにいる若い子たちは知らないだろうが、昔はビデオデッキがセットになったテレビが流行ったんだよ。いやあ、懐かしいねえ橙子くん。おっと、女性に年齢の話は失礼だったかな?』

「…………」

 

 橙子さんに握られた携帯電話はミシミシと悲鳴を挙げ、橙子さんのこめかみに青筋が浮かんでいる。

 このままでは橙子さんの携帯が破壊されかねないため、私は慌ててDVDをテレビにセットした。

 

 すると、テレビ画面に光が灯り、壮大なBGMが流れ出す。

 星々が瞬く宇宙空間で、地球はもちろんのこと、土星や金星といった銀河系の惑星たちがそのスケールを雄弁に物語る。

 そこでは先鋭的な宇宙船が互いにレーザーを打ち合うと大爆発を起こし、派手なアクションシーンが続く。

 まるでSF映画の予告編のような動画だった。

 

『ただ説明するのも何だから盛り上げるためのオープニングもつけさせてもらった』

「……………………」

 

 橙子さんは何も言わない。ただ、げっそりとした表情から、気力をすべてそぎ落とされている事だけは伝わった。

 

(ねえ、これってあの長編大作映画の音楽に似てない? 某、宇宙戦争的な)

(あ、幹也さんもそう思いました? ちょっと違いますけど似ていますよね?)

(似てるっていうか、これ完全にパクりじゃあ……)

 

 幹也と藤乃、さつきはコソコソ話をしていて、自分と同じ感想を抱いていた事に私は少し安堵した。

 

 銀河の支配を巡る大戦争が起こっているという旨を、超有名声優のナレーションが流れるが、私の頭にちっとも入ってこない。そして、そのナレーションのは母なる地球に向けられて、衛星写真の倍率を上げていくように、徐々に地表へズームインされていく。

 まずユーラシア大陸が映し出され、少し右へずれて日本列島。さらに拡大されて東京都。

 

 あれっ、と幹也が声を挙げると私も目を見張った。映し出される街並みには見覚えがあり、遂に私たちの現在地――伽藍の堂が目に飛び込んできた。

 

 そこで画面は切り替わる。軽快なメロディーと共に『マジック☆ショッピング!!』とポップなテロップが映し出された。

 ギャラリーらしい人々から拍手の嵐が起こり、一拍遅れて、舞台裏から一組の男女が現れた。

 

『ど~おもうっ、雅でぇ~すっ!』

『香奈でぇ~すっ』

『いやあ、最近すっかり暑くなってきてね! コートはさすがにしまいましたけど、長袖の上着どうするか悩んでいる最中なんですよ』

『分かりますぅ~! 私も出かけるときに春物と夏物のどちらで行くべきがいっつも迷っちゃうんですよねぇ~』

 

 心底明るく、それでいて白々しさも多分に含んだ――絵に描いたようなテレビショッピングが始まった。深夜に見たいテレビが一つも無くて、見たくもないが、眠れなさ過ぎてどうしようもない時に嫌々見る類の番組としか思えなかった。

 

 声音だけが明るいものの、特徴らしい特徴が一つも無い男とオーバーリアクションに作った声が目立つ二流感満載の女性がオープニングトークで場を温める。

 

 なんとなく、この男のほうが電話口の先の人物なのではないか、私はそうアタリをつけた。

 ひとしきり、世間話をした後、いやにもったいぶって男がようやく商品を登場させた。

 

『本日の商品はコチラ! 幸運を呼ぶネックレスです!!』

『わあ~! すってきぃ~!!』

「いやいやおかしいよ!? オープニング映像もトークも全然関係ないじゃん! 普通、ここは羽毛布団とか売りつけるところじゃないの!? それだと銀河の映像もおかしいけれど!!」

 

 さつきの突っ込みに全員は頷いて同意する。藤乃が黒い筒から取り出したネックレスは、画面の中で女性の首元にかけられたものと完全に同一だった。

 中央には紫トパーズが台座にはめ込まれ、周囲には空色のアメジストが星のごとく散りばめられていた。

 

「あら、本当に素敵……」

 

 イミテーションではなく、本物の宝石のようだ。高貴に光り輝くネックレスから、私はなぜか視線を逸らせない。

 

 ――ドクリ

 

 私の心臓が肋骨を飛びぬけて、荒れ狂うような錯覚に私は襲われた。暴れまわった心臓は浅く早く脈動し、全身に血液を上手く運んでくれない。

 ふぅ、ふぅ、と浅い呼吸を繰り返す私だが、幸いにも私以外は全員、テレビ画面に気を取られていて気が付かないようだった。

 

 この感覚には覚えがある。

 

 幹也を押し倒そうと夜這いの準備を進めていた時。

 一度、養子となれば戸籍上は他人なので実の兄弟でも結婚出来ると知った時。

 子供さえ孕んでしまえば幹也はきっと責任を取ってくれるだろうと思った時。

 

 私の起源は『禁忌』。とりわけ幹也を想うと、脳が沸騰しかけるほどに高揚するというのが私の魂の形だ。

 幹也への想いとは比べるべくもないが、私がこのネックレスに惹かれているという事はつまりそういう事だろう。

 

『今から三十分以内にお電話いただいたお客様限定で――』

 

 橙子さんはテレビのスイッチを無言で切った。プツン、というどこか間抜けな音を皮切りに室内に静寂が満ちる。

 

 藤乃とさつきは疑問符を顔いっぱいに浮かべ、幹也は思案顔。橙子さんは興味をなくしたように窓の外へ視線を向けている。

 

 私が思索にふけっている間に商品の説明は終わってしまったらしい。私がこのネックレスをどうするのかと尋ねようとすると、焦げ臭い匂いが鼻をついた。

 

『なお、そのDVDは自動的に消滅する』

 

 切るのを忘れていた携帯電話からどこかで聞いた覚えのあるフレーズが伝えられると、橙子さんは電光石火の速さで挿入口から煙を上げるテレビを窓の外へぶん投げた。メジャーリーガーもかくやの大遠投、お見事です。

 数秒遅れて、小さな爆発音が聞こえると室内は完全に沈黙が支配した。

 

「「「「……………………」」」」

 

 誰も言葉を発さず、互いに口火を切る担当を押し付けあっているように見えた。

 たまらず、貧乏くじを自ら引きに行く幹也が口を開きかけると、乱暴に扉が開かれた。

 

「……何の騒ぎだよ」

 

 肩口まで切りそろえられた黒髪に、男のような乱暴な口調。品の良い着物の上になぜか赤い皮ジャンを羽織るという奇抜ないで立ちの少女――両儀式が入り口に姿を現した。

 式はまだ寝ぼけているのか、眠そうに目元をこすると大あくびをしかけ――幹也が視界に入るとぐっと堪えた。何だか面白くない。

 

「近所の子供が爆竹でも鳴らしたのか? いやに派手な音がしていたぞ」

 

 式はさして興味もなさそうに言うと「これもらうぞ」と幹也のぶんのお茶に口をつけた。いっそ首を絞めてやりたい。

 

 藤乃が先程のやり取りをかいつまんで説明していると、橙子さんはネックレスを矯めつ眇めつ、検分しているようだった。

 そして形のいい眉をわずかに吊り上げると、ポツリと呟いた。

 

「……本物、のようだな」

「ええ、確かに本物の宝石のようです」

 

 橙子さんの呟きに私も首肯する。自慢ではないが、芸術品に多く触れてきた私は審美眼には自信があるのだ。クオリティの低い人工ダイヤと磨かれた天然石の違いくらいは判別出来る。しかし、橙子さんは私の回答に不満だったようだ。

 

「まだまだだな鮮花?」

「……何がです?」

「これは一種の礼装だよ。しかもそれなりに格のある。使い方を誤らなければ、なるほど、確かに総合的には幸福になれるだろうさ」

 

 礼装、という単語に私は目を見張った。私には効果な貴石のアクセサリー程度にしか思えなかったが、魔術的な側面を持つというのならば見方は随分と変わってくる。

 そして同時に納得もした。禁忌に惹かれる私の直感が告げる。これは諸刃の剣であると。

 

「とはいえ、私には必要の無い物だ。それにやつからの贈り物を身に着けるなんて御免こうむる」

 

 電話口から何やら喚く声が聞こえるが、橙子さんは無視して通話を切り、ご丁寧に着信拒否に設定する。そのままネックレスをゴミ箱に放り込もうとするのを、私は慌てて制止した。

 

「あのっ、橙子さん。よろしければ、それを私にいただけないでしょうか?」

「これを? 正気か?」

「はい、何だか私に必要な気がしてならないんです」

 

 まるで汚物でも触るようにティッシュ越しにネックレスを掴んでいた橙子さんが、信じられないという風に私を見る。しかし、私が真剣な眼差しを注ぎ続けると、根負けしたようにネックレスを渡してくれた。

 

「本当にいいのか? これは使い方を誤れば大変な事になるぞ?」

「鮮花、橙子さんがこう言っているんだし、やめた方が……」

「構いません。それぐらいこなせなければ橙子さんの弟子は名乗れませんから」

 

 言うが否や、私は橙子さんからネックレスを受け取ると、首に回した。すると、体の奥底からじんわりと吹き出す何かが、ネックレスと複雑に絡み合い、溶け込むような感覚に襲われる。

 

「おい、鮮花。それは?」

 

 お茶を飲み終わった式が訝しげに私の胸元を凝視する。

 じぃぃっと、全ての終わりを見透かすようなどこまでも昏く深い眼光。私はこの眼光が嫌いだった。きっと彼女は全ての滅びをその眼で識っていて、だから厭世的なのだろうと思っていた。

 

「何よ、そんなにじっと見て。いっておくけどあげないわよ」

「頼まれたっているもんか、そんなもん。俺が言いたいのは息苦しくないのかって事だ」

「はあ?」

「両儀さん、それってどういう……?」

 

 私が思わず聞き返し、藤乃も首を傾げる。このネックレスは比較的ゆったりとしたつくりで、首回りは別段苦しくない。

 

「……分からないなら別にいい。幹也、そろそろ時間だろ、行こうぜ」

「うん、そろそろ行こうか」

 

 式は言いたいだけ言うと、幹也の袖を引っ張って、さっさと出て行ってしまった。私は式の発言も気になったが、二人の行動はもっと気にかかった。

 

「橙子さん、二人はどこに行く気なんです」

 

 私が尋ねると、橙子さんは少し言いにくそうに視線を逸らした。

 

「あー、最近、私が黒桐の給料未払の月が多かったのは知っているな」

「ええ、私もお金の無心をされましたから」

 

 少しだけ非難がましく私は答える。

 

「それで最近、ようやくまとまった金が入ったから、今までの未払にすこしばかり色を付けて給料を渡したんだ」

 

 何やら雲行きが怪しくなってきた。私は何か、聞き捨てならない事を言われる予感がひしひしと伝わり、肌が焼かれたようにひりつく。

 

「そしたら有給休暇を利用して二人で温泉旅行に行くそうだ」

「はああああああああああああああああああっっっっ!!??」

 

 私の悲鳴交じりの絶叫が伽藍の洞を震わせ、屋上の鳥たちが一斉に飛び立つ。私は思わず橙子さんの肩を掴み、揺さぶる。強烈なGに橙子さんは狼狽えるが、私はそれどころではなかった。

 

「何を考えているんですか橙子さん!? あんな女と一緒に旅行だなんて、幹也の貞操が奪われます!!」

「そうは言ってもな! あの二人はどこからどう見ても……っ! それにそろそろ一線越えてもいい頃合いだろう!?」

「認めません! 例え神仏が認めようとこの私が認めません!! ふっざけやがってえ! あの泥棒猫!!」

「鮮花、口悪いよ……」

「落ち着け。その幸運のネックレスがあれば、幸せになれるはずなんだ。あんまり人の幸せを妬むと不幸になってしまうぞ」

「不幸ならもう起きてるじゃないですか――――っっ!!!!」

 

 私の魂の叫びは虚しく木霊した。

 




鮮花……何て不憫な子なんだ

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