蒼崎橙子のオカルト探偵事務所   作:風海草一郎

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 鮮花が主人公の話が……ッ、全然無い……!!


鮮花、始動す

 糸を引くようにねばつく雨は窓ガラスを叩き、這いずる痕を残しながら消えていく。

 鈍色の雲はざあざあと規則的に涙をこぼし、待ちゆく人々を帰路に急がせる。

 

 師である蒼崎橙子に頼まれた買い出しに出かけた鮮花は、にわか雨に打たれて濡れ鼠となっていた。天気予報で降水確率は30%と出ていたので、思い切って傘を持たずに出たのは失敗だった。

 

 いつか藤乃が鮮花の髪を『鴉の濡羽のようだ』と表現した事があったが、実際に濡れる方は堪ったものではない。

 濡れた髪は固くきしみ、櫛を通すにも一苦労だ。

 

「……最悪ね」

 

 鮮花は小さく溜息をつくと、スカートの裾を握りしめる。すると、ぼたぼたとコンクリートの上に小さく水滴を落とし、ますます鮮花の気分は暗澹たるものになる。

 瞬間、首筋に暖かな熱を感じて後ろを振り向くと、雲の隙間から光が差していた。ビル群の隙間から除く光は夜明けにも似た清々しさで、ささくれ立った鮮花の心とはずいぶんと対照的だ。

 

 つまり、なんだ。自分は出かける間だけ降られたのだ。

 

 愛しい人は泥棒猫にかっさらわれ、自分は使い走りの途中で雨に打たれて立ち尽くしている。振り続けるまばらな雨は容赦なく鮮花の体温と気力を削いでいき、自分はいったい何をしているのかと自問自答する。

 鮮花は目を閉じて、首から下げられたペンダントを握りしめる。

 

 ――何が幸福を呼ぶネックレスか

 

 鮮花は内心で吐き捨てると、ここ数日で身に降りかかった不幸を思い起こす。

 投身自殺によって電車が遅延し、性癖どストライクな兄妹の恋物語を描いた演劇が見られなかった。

 

 ルームメイトである瀬尾のきわどい同人誌を隠すのに協力していたら、たまたま知人に見つかり妙な気を遣われたなど枚挙にいとまがない。

 小さな不幸は積み重なり、徐々に心を蝕んでくる。他人が見れば大した事はないこれらの出来事も、続けばそれなりに堪えるというもの。

 

 珍しく傷心の鮮花が意気消沈していると、カランカランと小気味良い鐘の音が耳に響く。

 何事かとそちらの方へ顔を向けると、商店街のサービスらしきガラガラ(正式名称は新井式回転抽選器)の前で買い物帰りらしき主婦が嬉しそうに景品を受け取っていた。景品が羅列された看板を見やると一等は何と温泉旅館へのペアチケット。

 

 何となく縁を感じた鮮花は先程の買い物で一枚だけ福引券をもらったのを思い出し、財布を漁る。

 使うつもりも無かったのでくしゃくしゃになった券を係の人に渡すと、鮮花はガラガラのレバーを握る。

 どうせここまで不幸続きなのだ。それならいっそ、後悔無く吹っ切ってしまえ。

 

 半ば諦めの境地で鮮花が腕に力を込めて勢いよく回す。

 中で玉たちが攪拌されて音をたて、幸か不幸か一つの玉が押し出された。

 この一玉が自分の命運を分ける。鮮花は喉を鳴らして視線を落とす。

 

 出玉の色は金。

 

 目の色を変えた係員が大げさに称賛の声を挙げ、鐘を鳴らすも鮮花の耳には入らない。

 反撃の狼煙があがる。

 胸の奥底で燻っていた火種が燃え上がり、鮮花の臓腑から活力を生み出す。

 

「――まだよ。まだ私は諦めないわよ式!」

 

 鮮花はひったくるようにペアチケットを受け取ると、伽藍の洞目指して走り出した。

 

 〇

 

「草津の湯に行くわよ二人とも!!」

 

 帰ってくるなり高らかに宣言した鮮花に、藤乃とさつきはポカンと口を開け、橙子は額に手を置いた。

 濡れそぼった髪から水滴が飛び散るのも構わず、どこか誇らしげな鮮花に全員からの訝し気な視線が集中する。

 

「い、いきなりどうしたの鮮花? もしかして幹也さんを追いかけにいくつもり?」

 

 お茶請けの煎餅をかじりながらさつきは鮮花の表情を伺い、藤乃はおずおずとタオルを差し出しながら鮮花の分のお茶を淹れ始める。こういった細かな気配りが藤乃の良いところだと鮮花は思う。

 タオルで体を一通り拭いて、お茶をぐいと飲み干し、鮮花はさも当然と言わんばかりに宣言する。

 

「決まってるじゃない! あの二人の旅行を邪魔するためよ!! 私の許可なく幹也を毒牙にかけようとする女は殺しても許さないわ!!」

「ここまでくるといっそ清々しいな鮮花……。第一、資金はどうするんだ。いっておくが私は衝動買いしてしまってオケラだぞ」

「万年金欠の橙子師にお金をたかるほど困っていません。それに私にはこれがありますから」

 

 誇示するように鮮花は草津温泉旅館の招待券を見せると、三人から感嘆の声が漏れた。

 

「わーすっごい! これ割引券とかじゃなくて招待券でしょ? しかもすっごい高そうな旅館! どうしたのコレ!?」

「商店街の福引で当てたのよ。今の今まで散々、不幸続きだったけど、やっと私にもツキが回ってきたわ」

「本当にすごいです。私はこいういうのに当たった事が無いからなおさら……」

 

 二枚組のチケットにさつきは顔を輝かせ、藤乃はまじまじと観察する。

 

「でも、これって二人分しかないよ? 私たちのどちらかを連れて行ってくれるの?」

「そんな意地悪な事しないわよ。それは二人にあげるの」

「いいの!?」

「ですがそれですと鮮花が……。私はいいのでさつきとお二人で」

 

 藤乃が申し訳なさそうに辞退の旨を述べだしたので、鮮花は遠慮がちな友人を手で制す。

 魔術師の基本は等価交換。さすがの鮮花もこれだけのものをおいそれと渡すわけにはいかない。彼女には彼女なりの打算があった。

 

「いいのよ藤乃。私は自腹で行くから。そのかわり」

「そ、そのかわり?」

 

 鈍いようで敏いさつきは鮮花の発言から不穏な空気を察したのか、やや及び腰となる。藤乃は既に察したようで柳眉を下げて伏し目がちにしていた。

 短い付き合いながらも、鮮花のひととなりは把握されているらしい。

 鮮花はそれを嬉しく思いながら傲岸と胸を張り、答え合わせをするように己の想いを言葉にする。

 

「二人にはデートの邪魔……もとい、幹也の貞操を守るために協力してほしいの」

 

 やっぱり、と二人は予想が当たってしまった事にげんなりとした表情を浮かべる。良くも悪くもぶれない鮮花に、さつきは恐々と進言する。

 

「あの、鮮花。前から言おう言おうと思っていたんだけど、いいかな」

「ええ、何かしら」

 

 

「……もうさ、やめにしない?」

「――――――――――――ッ」

 

 

 鮮花は一瞬、息を詰まらせ表情を押し殺す。

 何に、と聞くのは愚問なのだろうな、と鮮花は思った。

 さつきの投げかけた言葉はひどく曖昧でいて、痛いほど本質を突いている。

 

 幹也が隻眼となった三月以降、二人の仲は急速に進展していたのは明らかだった。

 幼い頃より彼の姿を追い続け、恋焦がれ続けた鮮花には殊更敏感に感じ取れる距離感。

 

 もとより幹也は最初から両儀式しか見ていなかった。

 たとえそれがどんなに自分とはかけ離れた断崖絶壁の境界であろうとも、幹也はただ愚直に式の帰りを心待ちにし、その背中を追いかけ続けた。

 

 彼女がそのままどこか遠くへ逃げてしまえと何度思った事か。

 あれほどまでに幹也に愛され求められ、その手をすげなく振り払ってきた女が、いまでは不器用ながらも手を取るようになってきたのだ。

 そのぎこちなく、しかし二度と離れぬよう固く結ばれた手を見るたびに鮮花は胸が締め付けられるような思いだった。

 

 言いようの無い不安と焦燥で足元が解け落ちていくような感覚に苛まされる日々。

 食事は砂を噛むようで、何の感慨も浮かばない。

 日々は輝きを失い、日常は彩色の抜けた白黒映画のよう。

 

 私が喉から手が出るほど欲したものを一度拒絶したくせに、今さら取った最低の女。

 

 それでも、それでもだ。

 

「――――それでも、私は指をくわえて見ているわけには行かないの」

「鮮花?」

 

 鮮花の声音に熱がこもる。その変化にさつきが目を丸くし、顔を近づける。

 

「さつき、私は式が嫌いなの」

「う、うん。知ってるよ」

 

 いきなり何を言い出すのかと、さつきは表情を強張らせるが鮮花は構わず続ける。

 

「でもね、幹也が式に心底惚れているってのも知っているの。そして式も幹也を好きだっていうのもね。二人が相思相愛なんてとっくに分かっているわ」

「だったら――」

「だからって諦めるのとは別問題よ」

 

 燃えるような瞳で鮮花が宣言すると、さつきはあまりの迫力に息を呑んだ。さつきはなおも何かを言おうとするが、鮮花は下らない一般論を一周する。

 

「二人がお互い好きあっているから大人しく引き下がる? そんなものはね、大人ぶったお子ちゃまのする事よ。本当に欲しいものがあるのならば何度転ぼうが、泥にまみれようが実力で奪い取って勝ち誇るべきなのよ」

 

 勝気な表情をさらに凛々しさで引き締め、獲物へ狙いを定めた狩人の顔で鮮花は断言する。お嬢様の仮面をかなぐり捨てた、ごく親しいものにしか見せない鮮花の本性。

 

「さつき、あなたもそうよ。あなたは志貴さんの事もそうやって諦めるの?」

「なん――――」

 

 さつきの瞳が血の滴るような朱色に代わる。吸血鬼の力をコントロールするのが下手なさつきは、激情に駆られると吸血鬼としての本性を剥き出しにする。

 感情の昂ぶり、とりわけ性的興奮と怒りに反応する事が多いのだが今回は後者だろう。

 ざわざわと、さつきの背後の空間が歪む。他人に最も突かれたくない柔らかな部分を、遠慮なしにほじくり返された気分だ。

 

「鮮花……! いくら友達だからって言っていい事と悪い事があるよ……ッ!」

「分かるわよ。確かアルクェイドさんだったかしら? すっごい綺麗なヒトだったし、志貴さんだって彼女の事が好きなのでしょうね。あんな凄い人に勝てる人なんてそうはいないでしょうね」

「だったら何で!」

「女には、やらなきゃいけない時があるから」

「…………」

「どんなに敗戦濃厚であったとしても、ね。後悔だけはしたくないから」

 

 途端、さつきは冷や水を浴びせられたように勢いを無くした。

 ずるい。とさつきは小さく呟いた。

 誰にでも優しく、特別な対象を滅多に作らない彼の隣へ、いとも簡単に自分の席を用意した人。物陰から機会を窺うだけの私に、格の違いを見せつけるあの人。

 楽し気に腕を絡ませる姿に歯噛みしたのは一度や二度ではない。

 

 誰が見てもお似合いで、そこに割って入る度胸も実力も無いのを自覚して泣く泣く引き下がったというのに。彼女はそれでも飛び込んでいくというのか。

 生半な道ではない。多くの傷を負い、打ちのめされる事だろう。それでも後悔しないために、あの時ああしていればと、言い訳する逃げ道も封じて。

 

 俯くさつきを鮮花は無言で見つめる。

 やはり、彼女は自分と重なる部分がある。そんな共通点を知っているからか、鮮花はさつきを他人事と思えずについ発破をかけたくなる。

 

「――その気持ち、私は少し分かります」

 

 ポツリと思わぬ方向から呟きが漏れた。

藤乃は決して手の届かない遠き幻想へ手を伸ばすように、物憂げな顔で二人に向き直る。

 

「私なんかじゃ絶対敵わないって、自分が一番分かってしまうんです。その人が誰を一番に見ているかって、その視線を独占しているのは誰かって」

 

 伏し目がちに藤乃は自嘲気味に笑う。

 

「藤乃……」

 

 鮮花は藤乃の想いを推し量ると、表情を僅かに曇らせる。しかし、直ぐに持ち前の切り替えの速さで弱気を吹き飛ばす。

 その姿勢は咲き誇る気高き薔薇のようでいて、情熱を湛えた強いカタチ。

 

「私は引かないし退かない。賢しらげにもっともな事言って、逃げ続ける弱虫なんかになりたくない」

 

 だから、と鮮花は言葉を区切り、右手の甲を差し出す。

 

「私は恋敵に挑むさつきを応援したいし、ライバルである藤乃とだって正々堂々と戦いたい。一人の女として、そして二人の親友として」

 

 二人は差し出された手を凝視し、固く握りしめる。

 今こそ選択の時だ。彼女のように傷つくことを承知の上で高い壁に挑む気持ちの良い人生か。それとも壁に向かって走り続ける誰かを嘲笑う臆病者の人生か。

 

「私の想いに賛同してくれるのなら、みんなの手を重ねてちょうだい。私はみんながどの選択をしたって笑いはしないわ」

「……かっこいいなあ、鮮花」

「私の事もライバルだと思ってくれていたんですね……」

 

 三人の思いは一つとなった。

 小さな、しかし当人たちにとっては大きな一歩を踏み出すために、さつきと藤乃は利き手をしっかりと鮮花の手に重ねる。

 

「いきましょう、藤乃、さつき」

「うん! 弓塚さつき華の十七歳。諦めるにはまだ早いよ!!」

「私も、少しだけワガママになってみようと思います」

「ええ、ええ! その意気よ二人とも!!」

 

 せーの、と誰からともなく掛け声を。そして高らかに宣言する。

 

「「「打倒、両儀式!! えいえい、お――――!!」」」

 

 




個人的に今作のテーマはほろ苦い青春でいこうと思います。いいですねえ、こういうの!
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