蒼崎橙子のオカルト探偵事務所   作:風海草一郎

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不謹慎オブ不謹慎ですが例のウィルスのおかげで執筆時間が確保できてありがたいです。


第四話 三人

「若いっていいわねえー」

 

 颯爽と出かけて行った三人を見送った後、橙子は紫煙をくゆらせるタバコを灰皿に押し付けようとする。

 

「む……」

 

 しかし、既に吸い殻で底面を覆いつくされた灰皿では消火は敵わず、指に挟まれたタバコは中空で行き場を失う。

 これというのも先日から従業員がいないせいだ。ふとした拍子に幹也が雑務を行ってくれていたありがたみに気づく。

 仕方なしに橙子は灰皿を掴むと、部屋の隅に置かれたゴミ箱へ吸い殻を捨てようとする。

 

 シュレッダーにかけられた紙束や広告のチラシ、簡易食の容器などが雑多に放り込まれた中に異質なものが一点。

 鮮花に渡したネックレスを包んであったピンクの包み紙だ。

 嫌な物を見た、とでも言いたげに橙子は口をへの字に曲げると、それを無視してさっさと自分の机へ戻る。オフィスチェアの背もたれから軋んだ音を出しながら全体重を預け、新しいタバコへ火をつける。

 

「ふぅ…………」

 

 肺腑に詰め込んだ煙をゆっくりと吐き出すと、摂取されたニコチンが染み渡り、脳血管を一時的に拡張し思考を覚醒させる。

 どれだけ値上げされようが絶対に止めないと誓った嗜好品を味わいながら、温泉地へと旅立った弟子へと想いを馳せる。

 そこで突如、微かに覚えていた違和感が脳内で点を結び、一つの事を思い起こさせた。

 

「しまった。鮮花にペンダントの説明をするのを忘れていた」

 

 手のひらを叩き、誰に言うでも無く橙子は呟く。

 幸運のネックレス。

 その謳い文句に嘘偽りは無いが、あの礼装は癖が強く、使い方を誤れば危険な代物だ。

 橙子は受話器へ手を伸ばしかけるが、すんでのところで動きを止める。

 

「この程度の事、私の弟子を名乗るのならば乗り越えてもらわなければな」

 

 橙子は再びタバコを咥え、先端を赤く燃やし、有毒の煙を吸い込む。

 吐き出した紫煙はいつもより長めに室内を漂い続けた。

 

 〇

 

 群馬県吾妻郡草津町大字草津。草津の湯といえば日本全国でも有数の温泉街であり、冬場はスキーと温泉を老若男女が楽しみ、夏場でも実は避暑地として密かな人気がある。

 観光が主産業な町らしく、居並ぶホテルはどれも情緒溢れるものばかりで、夜になればライトアップされた幻想的な街並みとなり見るものを飽きさせない。

 温泉街中心に位置する源泉からは毎分四千リットルを超える温泉が流れ出し、湯滝を流れ落ちる姿は圧巻だった。

 湯気をもうもうと挙げる湯滝を覗き込みながら、黒桐幹也は子供のようにはしゃいだ声で式を呼ぶ。

 

「式、ほらほらすごいよ。子供の頃に何度か連れてきてもらったけれど、大人になって見ると全然印象が違うや!」

「う、うるさい馬鹿。子供じゃないんだからあんまり騒ぐな」

 

 下駄を鳴らしながら、浴衣姿で式は幹也を追いかける。湯上りの肌は元から色白なのも相まってほんのり桜色となっていたが、はたして湯上りだけが原因なのだろうか。

 背後から老夫婦がこちらのやりとりを微笑まし気に見つめているのも、余計に式の羞恥心を加速させる。

 全身の毛穴がむずがゆくなるような錯覚に襲われた式は、幹也の手を取るとずんずんと歩き出す。

 

 全身が紅潮している事を窺わせるうなじを見つめながら、幹也は苦笑を浮かべながら引かれていく。絡められた指の暖かさに頬を緩ませ、しばらくは式に身をゆだねる事にした。

 温泉地に行楽しにきた事を強く意識させる硫黄の匂いが鼻孔を刺激し、幹也は喜びを噛みしめていると、声をかけられた。

 

「お兄さんたち、ちょっと寄っていかないかい?」

 

 店の看板を見るとどうやら饅頭なども出しているお茶屋らしかった。ちょうど小腹が空いていた幹也は視線で式に尋ねると、彼女は小さく頷いた。

 緋毛氈が敷かれた縁台に二人は腰かけると、温泉饅頭を二つずつ注文した。しばらくすると香り立つ緑茶に続いて、白と茶色の饅頭が乗った盆が運ばれてきた。

 

「それじゃあいただきます」

「……いただきます」

 

 丁寧に手を合わせ、お茶で喉を潤してから饅頭を口に運ぶ。滑らかな餡に優しい甘さが口いっぱいに広がり、思わず笑みが零れる。

 ちらりと横目で式の方を覗き見ると、彼女も僅かに頬をほころばせ、無言でせっせと饅頭を口に運んでいる。

 ゆったりと、雲が青空を流れていくような間延びした時間が過ぎていく。やがて饅頭を食べ終えた二人が、残りの茶をすすっていると、店主らしき男が口を開いた。

 

「いやあ、ここに若い夫婦が来るのは久しぶりだねえ。もしかして新婚旅行かい?」

 

 途端、式が盛大にむせてうずくまった。

 背中を丸めてげほげほと小さくえずく式の背中を幹也がさすり、店主は慌てた様子で布巾を手渡した。受け取った式は口元を抑えながら、涙目で店主に非難の視線を向ける。

 

「おや、違ったのかい? 私はこういった商売をしているから、見る目はあったつもりなんだけどねえ」

「すみません、まだ違うんですよ」

「まだ、でも……ないっ!」

 

 掠れる声で式は訂正する。

 

「なんだ、随分と仲睦まじいから若夫婦かと思えばまだ恋人同士だったのかい。それは御免ねえ、年寄が茶化してしまって」

「恋人でも……っ! いや、その、それは……」

 

 二の句が継げずにごにょごにょと口ごもる式に、老爺は微笑むとお茶のおかわりを持ってくると言って店の奥へと引っ込んでしまった。

 居心地が悪そうに足をぷらつかせる式へ、幹也は先程の話を蒸し返す。

 

「ねえ式、さっきは誤魔化されたけれど、僕たちの関係って恋人同士じゃないのかな?」

「んぐっ!」

 

 再びむせそうになったが、すんでのところで式は堪えた。頬はみるみる朱色となり、視線を右往左往させ、やがて目を伏せた。

 

「ねえ、式」

 

 穏やでいて、どこまでも真っ直ぐに向き合う幹也が式は苦手だった。どれだけ警戒しようと、威嚇して遠ざけようと、気づいた時には隣で柔和な笑みを浮かべているこの青年が。

 

 式は答えない。

 

 雨の降りしきる廃工場で抱きしめながら、『一生、許さない許さない(はなさない)』といったあの日から、確かに二人の関係に確かな変化が訪れたのだ。

 日常の象徴のようでいて、照らすもの全てを穏やかにする陽だまりのようなヒト。

二人で一人。完結しているがゆえに何物も必要としなかった彼女を壊して、孤独と同時に他者の温もりを教えてくれたヒト。

もう居ない彼と、自分のどちらも好きだと憚らずに行ってくれたヒト。

 その感情を言葉に堕として陳腐なものにする気はない。しかし、この朴念仁の側を二度と離れないと誓ったのも事実。

 

 だからこれは彼女なりの妥協点。

 

 微かに震える指先を、彼の手にそっと重ねて俯き加減にぽつりと漏らす。

 

「――それくらい分かれ、ばか」

 




個人的に式と幹也が型月界ダントツの純愛カップルだと思うのですがいかがでしょうか。

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