アンヘルは汚れたままの格好で足を繁華街に向けていた。ナタリアの傷心ぶりはかなりのもので、ホセを早く見つけ出し、ふたりの仲を改善したいと考えたからであった。
ホセの性格から、どこに入り浸っているか、どこには行きたくないのかがある程度推測可能だった。人は名誉が貶められたとき、なるべくその汚点について触れられたくないものである。つまり、ホセは知人に遭遇する可能性のある家や行きつけの店には近寄らず、あまりなじみのない酒場で暮らしていることが予想できた。これは、アンヘル達に絡んできた酔客の話とも一致する。
アンヘルは繁華街の裏路地に位置する寂れた店舗一軒一軒へ顔を出し、ホセの特徴を伝えながら探し回る。いくつか店舗でホセらしき人物が来訪していたという情報を得たが、現在の所在地について有力な情報を得ることはできなかった。
10軒ほど見回ったあとホセの家を見に行ってみたが、扉は開けっ放しで在宅している様子は一切なかった。
――はぁ。いったい、どこにいるんだよぉ……。
街は広い。人口1万人程度の街であっても、乱雑に建築された建造物の中からひとりの男を見つけ出すことは容易でない。そのうえ、なんの注文もせず尋ねまわるアンヘルは、客だけでなく従業員からも煙たがられ店を追い出されるのがオチだった。
まだ夜も更けたばかりの繁華街は、多くの歓声で盛り上がっている。これからが本番と言わんばかりに酔っぱらった職人たちが酒場に消えてゆくのが視界に入る。
アンヘルはむしゃくしゃした気分になって、空を仰いだ。宵の口特有の冷えた空気とそれを翻す粗雑な音が通りを支配する。そんなおり、小さな男が店から叩きだされアンヘルの目の前に転がった。
「てめぇ! カネもねぇのに何時間も居座りやがってッ! 今度来たら、ぶっ殺すぞッ!!」
小さな男を叩きだした店員は怒鳴りつけざまに一発蹴りを放ち、壊れるかと思うほどの音をたてながら店内に消えていった。
暴行を受け、地面に転がった男の服は薄汚れてはいたが、作り自体は良いものであり、物乞いには見えない。その体格と髪型から、目の前の人物が誰なのか思い至った。
「……ほせ? だ、だいじょうぶ?」
ホセの風貌は一変していた。自信に満ち溢れた達振る舞いは、すべてを諦めきった表情を浮かべ、酒で前後不覚となるまで溺れており、見る影もなかった。身体全体から以前とは異なる負のオーラを放射している。
刑罰とは人をこれほど変えてしまうのか。アンヘルは心配するよりも
正直に告白すれば、容貌をしっかり確認したにもかかわらずホセなのかどうか確信が持てなかった。まるで別人である。店員に殴られ、敗者のように地面に転がってしまうなど想像することもできなかった。
「あぁッ! なんだよ!?」
ホセは声が掛かった方向を反射的に睨みつける。その瞳は酷く暗い闇を映じていた。
「あ、アンヘルだよ。そ、その、大丈夫?」
アンヘルは助け起そうと手を差し出したが、ホセはその手をパシンと振り払い、立ち上がった。
「なんの、ようだ。テメェも、おれを笑いにきたってのかぁ?」
「いや、そんなわけ……」
「じゃあ、なんのようだってんだッ!!」
「それは、その。ナタリアさんから、ホセのことが心配だから、探してくれって。それで――」
「いつから、てめぇは女のお使いなんざぁするようになったんだぁ? 探索者じゃねえのかよッ!」
「それは、そうなんだけど……」
「落ちぶれたもんだぜ。おまえもよ。……いや、そんなおまえなんかに心配されるようなオレが、いっちゃんクソかぁ……」
そういうとホセは沈みながら路肩に座り込んだ。
「な、何があったの? ホセは、悪いこと、なにもしてないんだよね?」
「ハッ。なに意味わかんねぇこといってぇやがる」
「で、でも、犯人は部下の人なんだよね。だったら――」
「だから、なんだってぇんだ。オレは、かしらさ。仕方ねぇだろうがよ」
「……」
「カネは他の奴らが持ち逃げしやがった。こんなんじゃぁよ、二度と用心棒なんざできやしねぇ。苦労して拵えたもんが、一夜にしてパアさ。笑うならよぉ笑いやがれ」
ホセはそう吠えると、アンヘルを睨める。その瞳には強い拒絶の色があった。
「……それでも、探索者はできるんだしさっ。これから、もう一度やり直そうよ。それに、ナタリアさんも心配して――」
「うるせぇ! オレを憐れんでんじゃねぇ。さっさと失せやがれぇ!!」
ナタリアの名前は禁句であった。農村出身のホセ自身が誇れるのは、ただひたすらに強さであった。それは、暴力だけではなく、用心棒としての権力、それに伴う財力も含んでいる。
ホセほどの勇敢さを持っていたとしても、身分差とは大きなものであった。それをひっくり返すには、大きな力を必要とするのが世間一般の常識であった。必然、ナタリアが好いてくれる理由も力を持っているからだとホセは確信していた。ホセにとってナタリアは、最も縋りたい人物でありがなら、対面することのできない人物であった。
しかし、それを察するにはアンヘルの社会経験は短すぎた。
「二度とオレのまえに顔だすんじゃねぇぞ。つぎ、会ったらテメェもぶっころしてやらぁ」
そういって、フラフラと去っていくのを止めることはアンヘルにはできなかった。
§
それでも日々は廻る。
ホセに罵られた二日後。アンヘルとホアンのふたりは『塔』制覇を目論んで、頂上を目指していた。
「しっかりしろよ、アンヘル。ホセのことは聞いたが、俺達にはやることがあるんだ。いつまでも引きずっていては、この前の二の舞だぞ」
「……うん。わかってる。だいじょうぶ、大丈夫だから」
その言葉はひたすらに空虚だった。アンヘルの頭にはホセのことしかなかった。休みを取るとき、寝るとき、いつでもそれしか浮かばなかった。
しかし、心とは反対に身体は冷静だった。前回のモンスター集団に追いかけられた経験から、アンヘルの身体は意識から隔離され最適な動きを描く。冴えないのは顔色だけであった。
打ち斃したモンスターの遺骸から手慣れた動きで魔石を抜き取り、得物についた血脂を
慣れきったふたりの足取りに迷いはなく、よどみのない動きで『塔』内部を切り開いてった。もはやふたりには数倍の相手すらも敵ではなく、唯一、『湧き』さえ気に掛けていればどうということはなかった。
ひたすらに内部を突き進む。前回の『湧き』スポットを避けて通ったため、幾分遠回りをしていたが、それでも充分な速度で進んでいた。
そうやって四半日近く歩き回っていると、前回
「よし、今回は何の問題もなく辿り着いたな。小鬼共もいないみたいだし、後は頂上だけか」
「そう、だね。頂上に登った人は最近いないらしいし、緊張してきたよ」
アンヘルの心は探索を通して上向いていた。
探索は人間を社会から隔離する。探索は危険で厳しい職業であるが、それでもなり手がいなくならないのは、報酬以外にもメリットがある。高名な探索者が、軍からの勧誘を蹴ってまで浮き草稼業を続けるのは、煩雑な俗世から離れることができる利点を捨てきれなかったのであった。
大広間から繋がる階段を登りきると、大きな扉が現れた。
「よし、開けるぞ。せーので押せよ」
合図とともに扉を開けると、アンヘルの目には光が飛び込んできた。
アンヘルは喜びから駆け出す。
「外、頂上だ!」
塔から見える景色は一面真っ青な空が広がっていた。遠方に見える連峰は、地上からの雄大さとは違って美麗な印象を与えた。塔の下に広がる木々は、距離が遠すぎて一本一本判別することはできず、緑一色で塗られたような自然が広がっていた。
「ようやく頂上か。それにしてもなにもないな」
ホアンはそう言って、辺りをきょろきょろ見渡す。塔の頂上は直径20メートルほどの円形広間である。
そこにはいくつかの彫像があるばかりで目新しいものは見当たらなかった。
ホアンは少しばかりぐるぐると辺りを廻っていたが、すぐに飽きたのか扉付近に腰を下ろしてくつろぎ始めた。
「はぁー。達成感があるにはあるが、あまり感慨は湧かないなぁ。宝箱だとか、強敵だとか、何かしら事が起きないと、いくら頂上だといっても……。なぁ、アンヘル。君もそう思うだろ?」
「……」
「おぉい、聞いてんのか?」
「……う、うん。きいてる、聞いてるよ?」
「だから、そう思うだろって?」
「ええっと。うん、そうだね」
「……。絶対、聞いてなかったろ。オレの話」
「う、うぅん。ごめん」
ホアンにとっては、頂上など何もない場所でしかないのかもしれないが、アンヘルにとってこの場所は努力の象徴であった。
アンヘルはこれまでに、目標を立て何かを成し遂げたことがなかった。もちろん、テストで高得点を取りたい、部活のレギュラーになりたいといった目標はあった。しかし、それを成し遂げなければならない状況に遭遇しなかった。どんな結果であろうと、如何様にでも取り返せる。悪く言えば現代人によくいる学生と同じように、何かを成し遂げたい意思を持たない人間であった。
器用である、というのが彼の人生だった。一番に成れなくとも、学業・部活動・人間関係すべてにおいて要領よくこなした。生まれてこのかた、何かを渇望して行動をすることなどなかったのである。
しかし、『塔』制覇は違った。正直なところ、『塔』制覇に探索者としての価値などない。最近行われた『塔』での間引きは主に中層であり、頂上まで制覇した記録はかなり過去まで遡らなければならない。頂上についての情報など残っていないのである。アンヘル達が前回の探索で狩った
それでも頂上にこだわったのは、一重にこれが単なる探索ではなく、探索者として生きていけるかの試金石であったのだ。
制覇を成し遂げた末に辿り着いた頂上から見える
「おーい。聞いてんのか。そろそろ帰ろうぜ。何もないみたいだしな」
そう言って、ホアンは立ち上がると扉に向かって歩き出す。
それを聞いて、アンヘルも振り返って扉に向かおうとするが、そのときなんとなく違和感を感じた。
「ま、待って。あそこの彫像ってあんなポーズだったっけ?」
「うん? いや、覚えていないが……。そうだったんじゃないか? 彫像が動くはずもないし」
「気のせいかなぁ? あそこの彫像は腕を下ろしていたと思うんだけど……」
「気のせいだろう。彫像が動くはずない。彫像が動けるなら、塔だって動けてもおかしくないしな」
――その理屈は無理があると思うけどなぁ。
アンヘルはくだらないことを考えながらも、彫像が動いたなんて気にしすぎかと首をふった。
そんな様子をよそに、ホアンはその彫像に近づいてペタペタと確認した。
「なにもないと思うけどな。ただの木製彫像だ。まあ、こんな大きさの木製彫像は見たことないから、珍しいといえば珍しいが。他の彫像よりも綺麗に残っているしな」
そういうと、ホアンは興味を失くし、彫像に背を向けた瞬間であった。
彫像が突きだした左拳を天に掲げ、ホアンに振り下ろそうとしたのがアンヘルの目に入った。
「ホアン!! 避けてッ!」
ホアンが転がり避けた後、紙一重で右こぶしが振り下ろされた。
轟音。
彫像が振り下ろした拳の衝撃波が周囲に轟く。
ホアンは這う這うの体で逃げ出してくると、アンヘルの隣で得物を構えた。
「ありがとな、間一髪だった。声かけられなきゃやられてた。しかし、あれはなんだ?」
その視線の先で、彫像が拳を地面に叩きつけた体勢から立ち上がる。完全に立ち上がると、彫像はこちらに戦いを挑むように構えた。
彫像が構え終えると、関節部に色が塗られたように変色してゆく。腰・膝・腕・指などの人体の関節部が木とは似ても似つかない魔導的な色を放つ緑に変色する。身体の変色が終了した後には、顔面部分のスリッドに緑色の輝きが灯った。
「ゴーレムッ! あれは、ウッドゴーレムだよ!!」
ウッドゴーレム。主人の命令だけを忠実に実行する、いわゆるロボットのような自立木製人形である。その起源は古く、過去の大魔法使いが泥で作られた泥人形型ゴーレムが始まりであり、その魔法を悪魔や異形の者が応用してゴーレムを造り上げていると言われている。ゴーレムを利用する術は人間界ではすでに失われているが、その強大な力と頑強さは世間に響き渡っていた。
「ゴーレムだとッ!? なぜ、そんなものがここにある!」
「たぶん、過去に塔を守護する者として配備されたけど、何らかの理由で放置されていたんだ。それが、長い年月をかけて魔力をため込むことで復活したんだと思う!! ……たぶん」
「ずっと長いこと放置していたから復活したってことかッ!?」
「そうだと思う。わかんないけどッ!」
その瞬間にゴーレムが突進してきた。三メートルを越える巨体と頑強な装甲は、明らかに只人がかなうようなものではない。
ふたりは二手に分かれながらなんとか回避する。
しかし、ゴーレムは彼らを攻撃することが目的ではなく、ふたりの後方にあった地上への扉が目的であった。ふたりのことなど気にもせず、扉を閉める。
「……まずくないか、おい。扉、閉められたぞ」
「逃げられないね。あの扉、重くてひとりじゃ開けられないし……」
アンヘルの視界には、扉を閉めて悠然と佇むゴーレムの姿が映る。表情がかわらない人形であるにもかかわず、ゴーレムがこちらを嘲笑っているような印象を受けた。
「逃げられないとなれば倒すしかない。分かりやすくていいじゃないか」
そう言いながら嗤う。
アンヘルが制止する間も無く、ホアンは弾丸のように跳び出してゆく。
ゴーレムの大振りな攻撃を躱して、果敢に得物で斬りかかる。尋常ならざる身体能力を持つホアンにとって、ゴーレムの攻撃は余裕十分に回避可能であった。
されど、こちら側の攻撃はまったくと言っていいほど効果がなかった。ホアンの様子見の斬撃はいつも以上に鮮やかな銀線を描いたが、表面装甲に傷をつける程度の効果しかなかった。
ホアンが一度舌打ちをすると、大きく飛び退き、相手の間合いから離れる。
「おいおい、これは固すぎるだろう……。どうする、アンヘル」
「うーん。装甲部じゃなくて、関節部を狙うとかかなぁ……」
「それしか、ないかッ!!」
大物持ちの相手は、精神を蝕まれる。
肉を斬らせて骨を断つとはよく言ったものだが、それを相手にするのは容易でない。巨大な得物から繰り出される致死の一撃は、いくら回避が容易であったとしても神経を使う。そのうえ、ゴーレムには斬らせる肉すらないのである。理不尽極まりなかった。
人間ひとりを軽くぺしゃんこにできそうな、冗談じみた大きさのゴーレムが放射する死の圧力は、空間を詰め色彩を奪う。
必然、攻めあぐねて、自然とじりじり下がる結果になった。
「ぼくが、気を引くよ。なんとか、その隙に間接部を攻撃してッ」
そういって、駆け出す。得物を正眼に構えたが、相手の巨躯に比べてなんとも頼りなかった。いくらアンヘルが守勢に優れていようと、この尋常ならざる相手には多少の剣の腕前などなんの意味も無かった。
ゴーレムが右腕を振り回してくる。それを余裕を持って躱すも、右腕の造り出した風圧がアンヘルの背筋を冷たくさせる。
――まるで暴風雨だ。
地面へ右腕を叩きつけたときに発生した衝撃波で破壊力は想像がついた。それが、ただの人間に叩きつけられるのである。わずかな隙が、即座に身体をもの言わぬ肉塊へ変えることを意味していた。
それでも、一撃二撃と躱しながら相手に打撃を加える。効果があるとはいえなかったが、少しでも気を引けるように攻撃を加えた。
そして三発目、右腕をハンマーをすばやく振り下ろしてくる。
アンヘルは、それを転がって避けた。しかし、振り下ろしの衝撃が地面に伝わり、轟音となって辺りに響き渡る。その爆音に恐れを抱き、一瞬身体が硬直した。
それは、致命的な隙であった。
固まったアンヘルにゴーレムが右腕を振るった。
ぎりぎりで転がって逃れようとするも、アンヘルの左腕に攻撃が掠めた。
破砕音が響く。
まるでゴムボールのように数バウンドしながらアンヘルは吹っ飛ばされた。
転がりながらも、アンヘルは自身の得物を確認し、反抗精神を立ち上げようとした。そのとき、自身の得物の違和感に気がついた。
棍棒の先っぽがない。
父の形見であり、幾多の冒険を共に潜り抜けてきた相棒たる棍棒が根本から折れていたのである。
それを見た瞬間、アンヘルの反抗精神はポキッと折れた。あの大きかったゴーレムが数倍に巨大化し、まるで完全無欠の巨人に見えたのである。
呼吸は早くなり、思考が恐怖で埋めつくされた瞬間であった。
ゴーレムの死角で、ホアンが大きく跳躍した。ホアンは得物を両逆手で持ち、先ほどの攻撃で伸びきった右腕間接部に向かって全力で突き刺した。
ホアンの全身全霊の力を込めた突きは、攻撃後の弛緩した間接部にキンと硬質な音を響かせて突き刺さった。間接部の魔導的な緑の輝きは失われ、右腕はまるで意思を失ったかのようにカクンと垂れさがる。
――やった。
アンヘルがそう思った瞬間であった。
痛みを感じないゴーレムは、即座に反撃行動へ移った。間接部に突き刺さった剣を引き抜こうとしていたホアンには十分な足場もなく、回避行動を取ることができないまま左腕の打撃を受けた。
轟音が響き渡る。ホアンは、トラックにでも跳ね飛ばされたような速度で吹き飛ばされ、扉に叩きつけられた。地面に転がったホアンはピクリとも動かない。
「ほ、ホアンッ!!」
ゴーレムは動かなくなったホアンの事を
巨大な質量が風圧を伴って真横を通り過ぎる。
蛇から逃げ惑う蛙のような逃げ方であった。
ゴーレムがゆっくりとこちらに向き直る。
死。
意思を持たぬ木の怪物は、まさに死を体現していた。
圧倒的な体躯、頑強な装甲、意思持たぬ冷徹な思考回路。アンヘルにとってゴーレムは完全無欠の怪物であった。
ちらりと右手に持った得物を見る。衝撃に耐え切れなかった棍棒は根本から折れており、何の役にも立ちそうにない。
――きょう、ここで死ぬのかな……。
右手の得物が自身の行く先を暗示しているようにすら感じられた。
そんなとき、アンヘルの頭には先日の記憶がまるで走馬灯のように蘇る。
ホセの落ちぶれた姿。
ナタリアの悲痛な叫び。
ナタリアの父の心配。
そして、それらをすべて投げうって探索に出た自分自身。
唯一無二にして心底参っている友人でもなく、人生はじめての想い人でもなく、彼らを心配している人生の先輩の頼みでもない。
自分自身に誓った、唯一の願い。ホセを失っても、ナタリアを失っても、強くなって、成り上がる。死を覚悟した中での決意は、アンヘルの折れそうな心を奮い立たせた。
「
アンヘルの右隣の空間が唐突に裂ける。そして、中からシィールとリーンが飛び出した。
「シィールは相手の壊れた右腕側から脚間接部を攻撃、リーンはホアンを治療してッ!」
そう指示しながら、腰の鉈を引き抜き、相手を見据え水平に構えた。
――間接部が弱点というのは当たっていた。倒せなくとも、遠距離攻撃手段を持たないなら足を破壊すれば逃げられるはずだ。
ビュっと風を切るようにして踏み出す。
腹をくくったアンヘルの速度は、ホアンにも劣らないほどのはやさだった。
懐に潜り込む。右腕が破壊されたため左右の連続攻撃はできないうえ、全体的に動きが悪くなっていた。右腕の間接部に突き刺さった剣から魔力の光が漏れている。ゴーレムのエネルギーは、時間が経過すればするほど減っていた。
だからといって、時間はアンヘルの味方というわけではなかった。攻撃が掠った左腕は、熱があるだけでなんの反応もしない。軽くても脱臼以上の怪我を負っているのは明白であった。回避に神経をすり減らすアンヘルは、ほんの数秒であっても、体中の力をふり絞らざるを得なかった。
決定打がない。ゴーレムとの戦いはそれに尽きた。
左腕を振り回すだけの攻撃は、肝は冷えるものの回避も反撃も容易にこなせた。しかし、アンヘルもまた、相手側に致命的なダメージを与えるほどの武技を備えてはいなかった。
アンヘルが東方一刀流で習熟したのは、基本的な
鉈で間接部を斬りつけるが、鈍い音を立てるだけで、鉈が欠けるくらいしか効果がなかった。
――シィールがなんとか攻撃できれば良いんだけど……。
シィールの噛みつきは唯一の突破口ではあったが、動きは愚鈍そのものである。そのうえ、ゴーレムはシィールを脅威とみなしているのか、シィールを視界からまったく離さない。
千日手だった。このままだといずれ体力が尽きる。
そんな焦りがアンヘルの回避先を誤らせた。
「しまっ!!」
塔の縁に追い込まれて逃げる場所を失ったアンヘルの眼前で、ゴーレムは構えた。
拳を振り上げて、振り下ろす。虫を捻り潰さんが如く冷酷無比な打撃が、コマ送りのみたくアンヘルの瞳に映写される。
その瞬間、アンヘルにひとつのイメージが湧いた。
外套を跳ね上げたまま、地を這うようにしてゴーレムの底部へ滑り込む。要塞のような胴体からの伸びる脚部の隙間をスライディング*の要領で滑り込んだ。
通り抜けて背後に回ったアンヘルの視界に、シィールが入る。その瞳は、期待と信頼が宿っていた。
理由はわからないけれど、口から自然と指示が湧いた。シィールなら、何かを起せるはずだと。
「いけぇ!! シィールッ!」
まるで世界を丸ごと凍らせるほどの強烈な冷気が、シィールの叫びとともに放出された。
放射状に迸る冷気がゴーレムに向かう。
――【コールドブレス】
水属性、ドラゴンタイプの『プレシィ』がもつスキルは、人智を越えた超常の力としてゴーレムに襲い掛かる。必殺の一撃を思わぬ方法で躱されたゴーレムに回避する術などなかった。
下半身から凍り付いてゆくゴーレムを眺める。冷気で動きが鈍ったゴーレムなど、もはや木くずにしか見えなかった。
疾風のように駆け、鉈に五臓六腑の力を集める。そして、のろのろとこちらに向き直ろうとしているゴーレムの右足間接に斬撃を横向きに叩きこんだ。
轟雷のような速度で叩きこまれた間接部は、キンと硬質な音を立てて分断された。
足を失ったゴーレムがバランスを崩す。
それを見逃すアンヘルではなかった。
一歩下がり助走をつけると、ショルダータックルの要領で胴体部分に体当たりした。
踏ん張る力を失ったゴーレムは、アンヘルに押されてゆらゆらと揺らめいた後、数歩後退する。しかし、片足を失った人形に立て直す力はなく、ゴーレムは縁に倒れこんだ。
縁は質量に耐え切れず、ミシミシと音を立て、崩れ去る。当然、そのうえに乗っかっていたゴーレムも塔から落下した。ゴーレムの最後はあまりにあっけなく、何事もなかったかのようにスッと塔の下へ消えていった。
残ったのは、満身創痍のアンヘルと眷属達、そして負傷したホアンであった。
へなへなと力が抜け、地面に座り込む。乾いた笑いが口からでた。
アドレナリンがどばどばと出ていたのか、まるで酩酊状態で事態を受け止められない。
それでも、落ち着いて痛みがぶり返してくると、漸く実感が湧いてきた。
何にも代えられない、生の実感が。
「ははッ! やった、やったよ。シィールッ!! 生きてるッ! 生きてるよ、ぼくっ」
そういってシィールに向かって叫ぶ。そして、天に向かって手を大きく掲げた。
*スライディング:部活時代の得意技。