イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第十四話:アンヘルとホセ

「せーの、かんぱーい!!」

 

 アンヘルの掛け声で、ホアン、ゴルカ、リンヘルが目一杯に注がれた杯を打ち鳴らした。

 

 時刻は夜半、もっとも酒場が盛り上がる時間帯である。アンヘル達は『塔』制覇およびゴーレム撃破のお祝いを兼ねて『菜の花亭』に来ていた。

 

 正直なところ、顔を出したくはなかったが、この街の常識として男の祝いの席はこの店であると相場が決まっていた。

 

 ゴルカが注がれた酒をまるで水でも浴びるように飲み干し、大きな声で祝福する。

 

「いやぁ、しっかしよぉ。まさかあのアンヘルが『塔』を制覇しちまうとはよぉ。オレの人物鑑定眼も鈍ったか?」

 

「そうかぁ? おれはやるときゃやる奴だとおもったけどなぁ」

 

「おいおい、ホントかよ。リンヘルてめぇ、アンヘルがいつくたばるか賭けてなかったかぁ?」

 

「むかしの話だよ、そんなのは。ちょっと見ればただもんじゃねぇってわかんだろうが」

 

「嘘つきやがれ」

 

 そう言い合った後、ふたりは大口を開けて笑い出した。

 

 ――っていうか、いつくたばるか賭けられてたんだ。

 

 右腕に大きな包帯を巻いて首から吊っているホアンが左手で飲みにくそうに酒をあおっている。今までにないほどの解放感が瞳に映っていた。

 

「しっかし、よくゴーレムなんざ倒したな。中々の大物だぜありゃよ」

 

「俺もそれは気になっていた。どうやって倒したんだ。アンヘルがゴーレムに対して有効な攻撃ができるとは思えないんだが」

 

「だからそれは説明したじゃない。体当たりして塔から突き落としたって。ホアンも見たでしょ。塔の下でバラバラになっているゴーレムを」

 

「それは、そうなんだが。あの足の間接部。あそこだけは鋭いもので切り裂かれたような印象を受けたんだが……それになんだが、ゴーレムが濡れていたのも気になったしな」

 

「そんなの、下に尖った石でもあったんじゃない。濡れてたのは、よくわからないけど」

 

 アンヘルの召喚士としての能力は露呈しなかった。ゴーレムの直撃を受けたホアンは右肩と頭に大きなダメージを受けたため、リーンがふたりを治療し終えるまでの時間、目が覚めること無かった。

 

 喋ってしまおうかとも思ったが、ホセにも召喚士について告げなかった。ホアンに話すことは、ホセに対する裏切りに思えたのだ。

 

 ――それにしてもシィールの冷気放射はなんだったんだろう? あんなことができるだなんて聞いてないんだけど。

 

「そんなことより、怪我の具合聞いたよ。そのギプスも数日で取れるんだってね。すごいね、あんなに吹っ飛ばされたのに、そんな傷で済んじゃうなんて。ぼくも鍛錬が足りないなぁ」

 

「うーん。それはそうなんだが。正直、もっと深い傷になったとおもっていたんだがなぁ」

 

「おいおい、そんな辛気臭い話ばっかしすんなや。オレらは軍人じゃなくて探索者なんだぜ、探索者。どんな手使おうが勝てばいいのよ」

 

「俺は軍人志望だ」

 

「そういやそうだったな。まぁいいじゃねぇか。生きてんだからよ。ちょっとぐらい不可解な事があろうがどうでもいいだろ。変な傷があろうが、濡れてようが、アンヘルが叩き落とした事には変わらねぇんだ。別にいいだろそれで」

 

「まぁ、そうなんだが」

 

 ホアンはそれでも頭を捻っている。几帳面な性格の彼には不可解な点が心に残るのが気に食わないのだろう。それでも、過去を振り切るように頭をぶんぶんとふった。

 

 ゴルカが鶏肉の揚げ物をパクパクとつまんでゆく。今日は店の外で飲んでいるからか驚くほどペースが早い。

 

「しっかしこれでアンヘルも見習いか。もう親方共が何人か誘おうとしてんだろ。たしか、お前んとこの……ヘッドって親方もアンヘルの事狙ってただろ」

 

「いや、ウチは取らないことにしたんだ。もう人は十分にいるからなぁ」

 

「はー。じゃあ、あとはバーンと――」

 

 ゴルカは指を下りながら親方冒険者の名前を上げてゆく。中にはこの街でも上位に位置する探索者の名前もあった。

 

(正直リンヘルの所には入りたくなかったから、助かったぁ)

 

 アンヘルの頭に地獄の光景が蘇る。リンヘルとヘッドを見かけるたびに思い出すのは絶対にごめんだった。

 

「――と。まあ、こんなところか。しっかし、久しぶりなんじゃねえの。見習いが入ンのはよぉ。最近はどこも安定志向で入れ替わりがすくねぇからな」

 

「ゴーレムの報酬もあるしなぁ。準備は万端ってか。そういや、いくらになったんだ。ゴーレムの報酬はよぉ」

 

「うーん。ゴーレムの部品はこの街では珍しいらしくて、査定に時間がかかるってことらしいんだけど」

 

「そういやそうかもな。ゴーレムなんざ戦うもんじゃねぇよ、ふつう。足遅いから逃げればどうにでもなるしな」

 

「そうなんだけど、報酬がでないと困るんだよねぇ。武器壊れちゃったし」

 

 父の形見である棍棒はゴーレムの攻撃を受けて根本から折れてしまった。もうひとつの武器である鉈はどちらかといえば止めや解体用であり、リーチが短く普段使いするには適さない。

 

 アンヘルの手持ちは少ない。報酬が手に入っても装備や消耗品の更新を繰り返して手元に残らないのである。あと数日は耐えられるが、無報酬状態が長期に渡れば生活が苦しくなるのは明白であった。

 

「そう思って俺の昔の武器を持ってきたんだ。今回はアンヘルがいなければ死んでいたしな。お礼さ」

 

 ホアンが腰に携えていた剣を鞘ごと引き抜くと、アンヘルに手渡した。その剣は、造りこそ古いもののよく手入れされているのが分かった。

 

 アンヘルは一言断りをいれると、剣を鞘から引き抜いた。

 

 刃渡り六〇センチ、柄一五センチの両刃の刀身が鞘からのぞいた。アンヘルは興奮したように刀身を灯りにかざして、鉄製武器特有の鈍い光を味わおうとしたが――。

 

「おいおいその剣。よくみりゃ錆びてんじゃねぇか。しかも、なんだぁ? 片刃、全然研いでねぇじゃねえか。そんなんじゃ、片刃しかつかえねぇじゃねえか」

 

「しょうがないだろっ! アンヘルの大きさに合うのがウチにはこれしかなかったんだから。父さんも俺も代々両手用の剣を使ってるんだ。盾と併用するような短い剣はこれしかないんだ。研ぎなおせば両刃とも綺麗になるッ」

 

「そりゃそうだがよ。そんなんならよ新しいもン買ったほうがよっぽど良いんじゃねぇか?」

 

「ううん。大丈夫、これにするよ。よく手入れもしてるみたいだし、研ぎなおせば僕には十分だよ」

 

「アンヘルがいいってんならいいんだけどよ」

 

 腰に剣を下げる。まるで一端の剣士になったみたいである。武器にロマンを感じるのは男共通の悪癖だ。

 

 ゴルカが店員から酒を受け取ると杯を乾かしながら尋ねてきた。

 

「それで、これからどうすんだ? 見習いになるとして、何処に入るんだ」

 

「うーん。まだ、考えているんだけど。見習いになるんじゃなくてほかの――」

 

「助けてくれ、ナタリアちゃんが!」

 

 血まみれの男が息を切らしながら店に入ってきて叫ぶ。その男は『菜の花亭』なじみの客で、いわゆるナタリア信者のひとりであった。

 

 店は血まみれの男が入ってきたことで騒然となる。店の店主であるナタリアの父や店員が駆け寄っていき、男に尋ねた。

 

「どういうことだ! ナタリアはどうした!」

 

 ナタリアの父は胸倉を掴むと、前後に激しく揺らした。

 

「ナタリアちゃん。ホセって野郎を探して酒場を廻ってて。そしたらごろづきどもに連れ去られて。見せしめにするって。俺、止めようとして」

 

「どこだッ!」

 

「南……貧民街だ」

 

 男はそれを告げると力尽きたのか気絶した。

 

 同時に店員達と信者である客は鬼気迫る顔で駆け出してゆく。ナタリアの父も武器を取り出して走っていった。

 

 それを見たアンヘルの身体は独りでに動きだした。ホアンやゴルカの制止の声も聞かず、受け取った剣を腰に差し駆け出していた。

 

 

 

 §

 

 

 

 強姦は魂の殺人と呼ばれる。

 

 古代より、強姦は女性に対する厳格な貞操観念に対しての犯罪であった。その結果、処女の強姦は非処女よりもさらに重い重大な犯罪である。身持ちの悪い女性に対しての暴行は罪にならぬことがあっても、市民権をもつ女性への強制性交は即刻死刑になるほどの大罪である。

 

 しかし、それは裏を返せば犯行にあった女性に対する価値は地の底まで落ちることを意味していた。彼女たちに一切非はなくとも、世間一般にとっては汚された女性そのものが堕ちた、とされるのである。社会の不条理を彼女たちに一切合切押し付けるのだ。そこは現代社会と変わりなかった。

 

 ごろつきどもには、教養がない。ゆえに倫理観を持たない。しかし、彼らは経験から強姦がどれほど罰を受けるか理解している。一般市民を襲うのは割に合わない。街社会で生き抜いてゆくにはごろつきといえども、頭が必要なのである。ごろつき共が襲うのは決まって卑しい下層民である売春婦などに限られた。

 

 事情が違うのは農村出身者のごろつきどもだ。教養がないうえに、罪についての恐怖感がなかった。もともと村には犯罪者を罰する規則がないためである。それでも、彼らが村にいる間は回りの者に重い危害を加える程の度胸はないため、問題にならない。

 

 しかし、農民たちが街に出れば話は変わる。街には顔見知りもいない。一般市民の女たちは集団になると自分たちを見下し、貶める。そんな彼女らは街仕事のため鍛えられておらず、そのうえ日焼けもなく垢ぬけた容姿だった。彼らにとって日頃の鬱憤をはらす格好の得物だった。

 

 彼らが欲望を発散させるための十分な金を得る機会を持たないのが拍車をかけた。

 

 その大罪を理解するのは、ある日しかるべき報いを受け、己が成した悪行を振り返るときだけであろう。

 

 焦りが増す。逸る心を抑えつけ貧民街を駆ける。貧民街は広い。闇雲に走り回っていても、ナタリアを探し出すことは不可能であった。先ほどの男の言葉を思い出す。

 

 ――ナタリアさんは、ホセを探していた。なら、酒場の近くを巡っていたはずだ。

 

 貧民街の店舗内で飲める酒場。そんな店は限られる。

 

 一件目の酒場は外れだった。二件目に辿り着くとアンヘルはその店の路地裏にまわる。上半身を脱がされ、スカートをたくし上げられたナタリアとボロ雑巾のように血まみれのホセが倒れていた。

 

 ナタリアは涙を浮かべながら露出させられた尻を突きだし、陰部を膨張させている男に腰を掴まれている。男はいままさに事に及ばんとしていた。ホセはそれを止めようとしてか地面に這いつくばい、蹴られながらも必死の形相で叫び続けていた。

 

「やめろぉ! なたりあ、には、てをだすんじゃねぇ!」

 

「いい気味だなぁホセよ。おれはなぁ、最初からてめぇが気に食わなかったんだぜぇ。てめぇだっておれと変わらねぇ農民なのにおれらを顎で使って、そのうえこんないい女を手に入れるなんざ不公平だろがぁ。だからよ。ちょっとばかし分けてもらおうってわけさ!」

 

「てめぇ、ぶっころしてやる!」

 

「できるもんなら、やってみればいいさッ」

 

 そういって男が部下に指示すると、部下たちは強烈な蹴りを体中の至る所に浴びせた。

 

「どうして、どうしてこんなことをするの。あなたはホセの部下だったんでしょう!」

 

 ナタリアの悲痛な悲鳴が響く。男はナタリアの髪を強引に引っ張った。

 

「だから、いっただろうが。気に食わないってよ。てめぇは黙ってやがれ」

 

 湧き立つ心を抑えながら、現場に足を踏み入れた。背中を冷えた夜風が嬲る。

 

「なにを見てやがるッ。ぶっころされてぇのか!」

 

「あ゛、あんへる……」

 

 七対のごろつきの目がこちらを向いた。その中の主犯格と思われる男にはアンヘルも面識があった。

 

「……ナセさん。ホセとナタリアさんを離していただけませんか」

 

 主犯格の男――ナセは、ナタリアから手を離し、数瞬訝しげにアンヘルの顔を伺うと思い出したかのような顔つきに変わる。

 

「誰かと思えばあのホセの子分じゃねぇか。助けに来たってのかぁ? いいか、へなちょこ。きょうはこのボケをよぉ、もっと痛めつけてやってよぉっ。そんでもってよぉ、目の前で女をいやってほどヨガらせてやるんだよぅ! こいつの前でしこたまヤって、こいつを心の底から叩きのめしてやるのよッ! キヒヒヒッ! いいか、てめぇもおんなじ目にあいたきゃなかったらよぉ、さっさとこの場からうせやがれ」

 

「あんへる、たのむ! あいつ、なたりあだけなんとか助けてくれぇ!」

 

「うるせぇ! てめぇらは今から楽しい楽しいショーが始まるんだッ。おとなしくしてやがれ!」

 

 ホセの懇願が小さく響くたび部下の男たちがホセを嬲った。

 

 アンヘルは集団の中に姿の見えない人物がいることに思い至った。

 

「ヨンは、いないんですか?」

 

「なんだぁ。あのヨンのことを気にしてやがんのか? あいつは死んだよ。とっくの前にな」

 

「どういう、ことですか」

 

「しらねぇのか? この前あっただろうが。せけんさまを騒がす殺人事件ってのがよぉ。あれよ、あれ。その犯人としてヨンは首をぶったぎられたぜぇ。キヒヒヒ。あぁ、ありゃいい金になったぜぇ。なんたってあのおっさん、いろんなとこから恨み買ってやがったからな。あとはヨンをちょいと脅してやりゃぁ、すぐに殺しやがったぜっ。ま、むかしからヨンはおれには逆らえねぇからよ」

 

 ナセは乳房を鷲掴みにしながら高笑いした。ナタリアの悲痛な叫びが響き渡る。

 

「てめぇがやりやがったんだな! ヨンがあんなことできるわけなかったんだ! てめぇのせいで、てめぇのせいでっ」

 

「やったのはヨンだろがよぉ。キヒヒ」

 

 アンヘルは自身の唇を強く噛む。

 

 暗いものが身体に溜まり、心臓が改造されたかのように血流が加速した。

 

 同時に、目が燃え盛る炎を幻視する。

 

「ほら、さっさと失せやがれってんだ。てめぇもヨンみたいに殺してやろうか? あン?」

 

 ナセの揶揄で火がつく。

 

 視界が真っ赤に染まった。

 

 腰の剣を引き抜き水平に構える。

 

 アンヘルの身体から尋常ならざる闘気が放出された。

 

 人数に勝り、優位を信じている男達のニヤニヤした空気が一変した。

 

 アンヘルは外套を跳ねのけ、持っていた鞘をナセに投げつける。

 

 投擲された鞘は矢のように走り、ナセの頭部に直撃した。

 

 ホセを囲む男達に向かって踏み込み、剣を横殴りに振るった。

 

 いかに研がれていない剣であろうと、鉄製の武器に殴られた衝撃は軽いものでない。

 

 不快な破裂音とともに手に砕けた肋骨の感触が残る。

 

 続けざまに柄で男の顔面を殴りつける。熟れた果実を叩き潰すようなたやすさで原形をなくした。

 

 アンヘルは心の底から激昂していた。

 

 ホセの絶望。ナタリアの辛苦。そしてヨンの無念。

 

 人が入ってはならない領域を土足で踏みにじったのである。もはや、アンヘルには目の前の男たちが畜生に見えた。

 

 ――殺してやる。

 

 純粋な殺意が心を満たして、身体を突き動かす。

 

 得物は怒りで軋み、殺すという意思をもって生きているかのように滑らかな銀線を描いた。

 

 ひとりは両足を。

 

 もうひとりは胴体を。

 

 そして、慌てて武器を構えようとした男の頭部を剣で殴りつける。

 

 鈍い破壊音とともに男たちが倒れ伏す。

 

 恐れをなして、男が逃げ出そうとする。アンヘルは足をひっかけてやり、転ばせてやった。仰向けにひっくり返すと、マウントをとり、左手で顔面を殴打する。

 

 一回、二回、三回。

 

 力で強化されたアンヘルの力は尋常でない。戦士としては未熟だとしても、武芸のぶも知らぬ一般人にはアンヘルの膂力(りょりょく)は怪力無双の偉丈夫と大差なかった。

 

 殴りつけるたびに、過強化の影響で背中の筋繊維がブチブチと鳴る。

 

 それでも、赤く染まった頭が機械のように冷徹な動作をつづけた。

 

 後方からの衝撃と共に口に鉄の味が広がる。残った男が背後から棒で殴りつけてきたのだ。

 

 けれど、なんの痛苦も感じない。

 

 ゆっくりと立ち上がり、ふりかえる。相手はアンヘルの尋常ならざる様子に恐れをなして後退りした。

 

 一歩、二歩と近づき跳躍。

 

 半月のような線を描き、顔に向かって剣が伸びる。

 

 固まったままの男の顔面に剣をくれてやった。

 

 男は血を吹き出し名がら倒れ伏す。

 

 着地したアンヘルの眼前には呆然としたホセ、恐怖に染まったナタリア、そしておびえるナセの姿があった。

 

「うわぁあああ!」

 

 ナセは這いずりながら後ずさりする。

 

 アンヘルは剣を構えながらゆっくりと追いかける。ナセは周囲を這いずりまわったが、壁に遮られ逃げ場もなくなった。

 

 アンヘルの歩く音が響き渡る。

 

「助けてくれぇええ! な、な、たのむよぉおお! かね、金ならわたすからよぉおお!」

 

「しね」

 

 アンヘルは両手に握った剣を真正面から振るい、胴体を打ち据えた。

 

 何度も、何度も。

 

 悲鳴が響き渡る。

 

 悲鳴が途絶えて、意識を失った。

 

 それでも、アンヘルは悪鬼に憑かれたようにナセを殴打した。怒りの塊が剣に込められ、振るわれる。

 

 永遠に続くかと思われたが唐突に剣を止めた。虚しくなったのだ。

 

 ナセの口からはかひゅかひゅという空気の抜ける音が響いていた。

 

 すべてが終わった。剣を腰に収めて息を吐くと、赤い世界がもとの路地裏に戻る。

 

 外套を脱ぎ、半裸のナタリアに手渡す。アンヘルは柔和な笑顔が浮かべた。手をとって立ち上がらせた。

 

「だいじょうぶ?」

 

 ナタリアはびくっと肩を震わせるだけで、返事をしない。

 

 そこには暴行を振るおうとした男達への恐怖ではなく、アンヘルへの畏れがありありと瞳に宿っていた。

 

 ナタリア、そしてホセも一般人である。

 

 ホセも元は探索者とはいえ、『塔』の攻略が佳境となる中層でドロップアウトしている。探索者として漸く半人前といったアンヘルであっても激化する探索で鍛えられた戦闘術は、一般人の喧嘩とは一線を画していた。ナタリアは、はじめて見る戦闘の専門家アンヘルの闘いに根源的な恐怖を抱いていた。

 

 ナタリアが何よりも恐ろしかったのは、アンヘルの精神性であった。暴力の世界からほど遠い世界で生きてきた人間にとって、普段はボケッとしたアンヘルが怒りで豹変し、男達をまるで嬲るように暴行を加えたのは信じ難い光景だったのだ。そして、まるで何事もなかったかのように柔和な笑顔で外套を渡してきたアンヘルには、抑えることのできない恐怖が湧きあがっていた。

 

 もちろん、彼女が感謝していないわけではない。しかし、一度植えつけられた恐怖は今後の人間関係に大きな影を落とすことが容易に想像できた。

 

 ナタリアは立ち上がるとすぐに手を離し、走ってホセに駆け寄った。それには、多分にアンヘルから逃れたいという意思が感じられた。

 

 寂しさを感じながらも、アンヘルはホセに向き直る。

 

 ホセは、自分を打ちのめした男達が瞬く間に倒されたことを受け止めきれない様子だった。唖然としながら、口をパクパクと開閉する。

 

 それでもナタリアが手を握りしめると、歯の折れた口で言葉を紡ぎだした。

 

「あ゛、あんへる。ありがとぉな。なぁ、おれがわるかったっ。もういっかい、たんさくしゃとしてやりなおさせてくれねぇか? たのむよぉ」

 

 ホセの目から涙が零れ落ち、嗚咽が漏れる。

 

 はじめて聞いたホセの頼み事であった。

 

 アンヘルの瞳がホセを貫いた。

 

「ぼくは――」

 

 

 

 §

 

 

 

「よかったのか、ぜんぶ置いてきてしまって」

 

 朝日がまぶしい。柳の葉を揺らせる風は、爽やかさとわずかな寂しさを感じさせる。揺られた葉が地に落ち、細い川の流れに流されながら谷に吸い込まれ跡形もなく消えた。晩夏の景色をつつむ引き締まった空気だった。

 

「うん」

 

 アンヘルの声が空にとける。

 

 その顔は期待感と不安、そして寂しさが混ぜこぜになった複雑な面持ちであった。

 

「ぼくは先に進むって決めたんだ。このセグーラの街には『翠玉の森』くらいしかダンジョンがないから。だから、もっと大きな街に行かなくちゃ」

 

「友達のホセを差し置いてもか?」

 

「……うん。ぼく自身が決めたことなんだ。それに、ホセなら大丈夫だよ。勇気も度胸もぼくよりずっとある。ちょっとくらい失敗したからって心配ないよ。ホセはすごいんだからさっ」

 

 口にはしなかったがナタリアの事もあった。彼女のアンヘルに対する恐怖はちょっとやそっとで拭えそうにない。そのアンヘルの恐怖が長じて探索者への恐怖へ変わらないとも限らなかった。ホセを探索者の仕事に引っ張りこみ、ふたりの仲を引き裂く原因を残すわけにはいかなかった。

 

 アンヘルとホアンはふたりして歩き出す。

 

「それで、ここからどうするんだ?」

 

「明確なプランはないんだけど……ホアンが試験に受けるまでの間、オスなんちゃらって街で生活費を稼ぎながら情報収集かなぁ? これから行くところ何も知らないし」

 

「オスゼリアスな、オスゼリアス。都市の名前くらい覚えておけよ。あと、俺の部屋に居候するんだから訓練や受験のサポートはしてもらうぞ」

 

「大丈夫。っていっても、訓練はともかく受験のサポートはできないけど」

 

「勉強について相談しようってわけじゃない。料理や雑事さ。心配しないでくれ」

 

「うーん、心配だなぁ。料理、苦手なんだけど」

 

「くだらないこと行ってないでさっさと行くぞ。秋も半ばになれば中央山脈に雪が積もりだすからな。それまでに山を越えないと、試験に間に合わない。くだらない事で神経を使いたくないからな」

 

「試験に余裕を持つのは大事だもんね。それにしても大変だなぁ、士官学校上級士官養成課程(エリート)ってのはさっ」

 

「それはセグーラの街が悪いのさ。この広い帝国の中でも南東の端にあるからな。オスゼリアスに行くのも一苦労さ。これも辺境出身者の不利な点かもな」

 

「たいへんだねぇ、ホアンも」

 

「だからこそ気合が入るってもんさ。それに俺たちはダンジョンの制覇を成し遂げたんだ。いい自信になったよ」

 

 そう言いながら、ホアンは握りこぶしを胸の前で作った。

 

「今回の冒険でなんか不安が一気に吹き飛んだんだ。なんていってもゴーレムを相手にしたんだ。試験くらいなんでもないものに感じよ……ま、俺は倒してないんだが」

 

「いいじゃない。探索ってのは生きてることが一番だよ」

 

「そうだな。そのとおりだ。生きて試験に受かる、それだけだ」

 

 ふたりは話し合いながら、次の休息所を目指して歩き続ける。アンヘルの胸には父の形見である棍棒から作られた細工が吊り下げられていた。

 

 

 

 帝国歴312年晩夏。

 

 偉大な召喚士として名を馳せることになるアンヘルの冒険は、今日この日始まった。

 

 

 

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