イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第二章:ウルカヌ火山
第一話:大都市オスゼリアス


 庭のあちらこちらにまばゆい夏の雲が立ち上がり、そのために蜂の羽や毛が金色に光る。辺りではアブラゼミがやかましく鳴いており、蒸し暑い午後の不快感を増大させていた。

 

 風鈴の音がかすれて鳴り響く。

 庭を一望できる縁側で、少年と老人が横並びに座り込み、本を読んでいる。

 

 齢10ほどの黒髪の少年は、かれこれ2時間近く読書に没頭しており、本の最終行までをじっくり吟味している。

 少年を唐突にパタンと本を閉じ、書かれていた文字を頭の中で咀嚼(そしゃく)する。本の中身を思い返すその姿は、楽しそうな様子の中に必死さが垣間見えていた。

 

「どうだい。なかなかに、おもしろいものだろう?」

「うんっ。むずかしかったけど、とくに『漂流した救命ボート』のおはなしはね。ぼくがそのボートに乗っていたらってかんがえたら、どうすればいいか迷っちゃう……」

「しかし、そんな時どうすればいいか教えたはずだが」

「理屈が間違ってないと思えばどんな障害があろうと実行するべきだ、だよねっ! だいじょうぶ。ちゃんと覚えてるよ」

 

 着物を着た姿勢のいい老人は、鷹揚に頷く。そのしわがれた声から放たれる言葉は穏やかだったが、奇妙な威圧感が空気を震わせ、周囲の物体と共鳴・反響して少年に圧迫感を与える。

 

 少年はつばを飲み込んだ。

 

 老人が持つ雰囲気は60近いとは思えないほど重い。姿勢、目の光、しわの入った容貌。それらが複雑に絡み合い、立ち振る舞いにうねりをあげるほどの引力と重厚感を与えていた。

 

「話は変わるが、この前の試合はどうだったんだ」

「えーと、うん。おじいちゃんの言う通りにやったらたくさん打てたんだっ。こう、カキーンって」

「そうだろう。振り子は良くないというのが、もはや常識だ」

「おじいちゃんは物知りだなぁ」

「……」

「いやっ、その、ぼくもなにも考えず練習してたわけじゃないんだよっ! ただ、野球をしてたわけでもないのに、教えられるなんてすごいなーって」

「……そうか、そうか。ハハハ。それならば、いい」

 

 少年は常に輝くほどの笑顔で、大げさな身振り手振りを加えながら話しかける。

 老人の顔色ひとつで少年は態度を変えた。その小さな背中はひんやりと汗をかいていた。

 

「よく、がんばっているようだ」

 

 そういうと老人は本を閉じ、立ち上がる。

 

「しごとに行くの?」

「選挙が近い。あいさつ回りは欠かせん」

 

 対面者がいなくなることで、少年の緊張が一瞬解ける。

 しかし老人はクルッと帰ってくると、持っていた本を手渡した。

 

「この本も、なかなかに興味深い。明日までに、読んでおきなさい」

 

 分厚い革表紙の表には、『功利主義論』と記されていた。

 

 少年は一瞬固まる。

 しかし、すぐさま再起動すると、違和感を微塵も感じさせない輝く笑顔で、少年はわざとらしくはしゃぎながら受け取る。

 

「おじいちゃんがくれる本っていっつもすっごくおもしろいから、楽しみだなー」

 

 それは日本の、平和にしか見えない祖父と子の団欒の一幕であった。

 

 

 

 §

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 栗毛の少年から青年に移り変わるといった年頃の男が、息を切らしながら駆けている。身長は160半ば辺りであろうか。体格は、ひょろいと言われないぐらいの肉付きで日焼けした肌が健康的だった。

 

 その男――アンヘルは、オスゼリアス近郊に位置するダンジョン『ウルカヌ火山』でモンスター相手に決死の逃走劇を繰り広げていた。

 

 アンヘルの前方を、端正な顔つきをした赤毛の男――ホアンが走る。汗びっしょりでいつも見える余裕はない。

 

「はぁ、あ、アンヘルッ。どうするっ、迎え打つか」

 

 ふたりの後方には、燃えた鉄球が鎖でつながれた得物を持つ小鬼『レッドゴブリン』と赤い巨躯をもった大鬼『レッドオーガ』が群れをなして迫りくる。アンヘルたちとの距離は縮まるばかりだ。

 

 ダンジョン『ウルカヌ火山』の探索は困難を極める。

 

 モンスターが強い。少なくとも、『塔』などより遥かに強力なモンスターが出現する。

 地形が入り組んでいる。人工建造物がダンジョンになった『塔』と比べて、火山洞窟内を行く探索は生半な難易度ではない。

 

 しかし、『ウルカヌ火山』の探索難易度を著しく向上させている理由は他にある。

 

 気温。

 活火山であるこのダンジョンの気温は並大抵のものではなかった。

 

 人間は熱に弱い。人間の体温が38.5度に達すると、ほとんどの人間は疲労感を覚え、体内中のタンパク質が壊れ始める。さらに体温が上昇すれば、心臓や脳といった重要器官に重大な障害を残す危険もある。

 それを防ぐための体温調整システムとして人は汗をかくが、モンスターの攻撃に備えるための防具をふたりは着こんでいる。汗の蒸発による気化熱の影響はほとんど期待できない。

 

 早く休息を取る必要があった。

 体力と戦闘力の均衡が崩れる前に決断しなければならなかった。

 

 アンヘルは足を止めずに尋ねる。

 

「ホアンッ! ひとりで大鬼を抑えられるッ!?」

「わからないッ! なぜだ」

「ぼくが、小鬼を倒す。ホアンはなんとか大鬼を抑えてッ! 次の小道で戦えば、一度に相手をする敵を限定できるはずッ!!」

 

 前方に小道が見える。その中程でキュッと振り向いた。

 となりでホアンの掛け声と赤肌大鬼(レッドオーガ)の咆哮が轟く。

 

 その音と同時に腰の剣を引き抜き、正眼に構える。見据えるは三匹の赤肌小鬼(レッドゴブリン)だ。

 剣を構えれば疲れ切った身体の底に沈んだ熾火(おきび)へ風が送られ、エンジンを取り替えたみたいに活力が戻る。

 

 同時に三匹の小鬼の一体が燃えるモーニングスターを振りかぶり、突貫してくる。

 

 アンヘルは飛びのいて躱す。が、顔に掠り小さな傷を残した。

 続けざまに右と上から、小鬼が飛びかかってきた。

 

 上からの小鬼の攻撃は、必死で避ける。

 

 右からの攻撃は剣で防いだ。

 しかし、相手の攻撃は終わらない。

 

 防いだ剣に、鉄球と柄の間の鎖が巻きついた。アンヘルと小鬼の間で得物の引き合いが始まる。

 

 それを他のゴブリンは逃さない。

 早いもの勝ちと言わんばかりに競ってアンヘルに飛びかかる。

 

 アンヘルは剣を取り返すことを諦め、飛びのいた。

 剣を手に入れた小鬼は、ぽいっと投げ捨てる。

 

 ――くそっ、隙がない。

 

 達人でも複数人を相手取ることは簡単でない。数が増せば難易度は乗数的に上がるのだ。人型の多数戦をこなした経験が少ないアンヘルには、なかなかの試練だった。

 

 腰から鉈を引き抜き、水平に構える。狙いは頭部に防具をしていない左側の小鬼だ。

 

 受け身にまわれば、一瞬にしてやられると考えたアンヘルは歩幅の違いを生かして機動力勝負にでる。スピードで攪乱して、瞬間的に数的不利を解消するのだ。

 

 右に走りこみながら、急に左へ切り返す。

 油断した左側の小鬼が慌てて横殴りにモーニングスターを振るった。

 

 アンヘルは膝を抜いて、体勢を下げる。頭上を鉄球を通り過ぎた。

 右手に持った鉈を切り上げる。脇の下の装備が薄い部分を切り裂いた。

 

 小鬼が悲痛な叫び声を上げる。アンヘルは嗤いながら左手で頬を張って地面に倒す。

 

 そのままの勢いで走り抜け、後方に捨てられた剣を拾い上げる。

 第二ラウンドの始まりだ。

 

 小鬼たちは完全に目の色を変えて、隊列をなす。

 怪我をした小鬼が先頭となり、右後方にぎらついた瞳の小鬼、左後方に三人の中で最も立派な体格を持つ小鬼が移動した。

 

 野生は生き死にの判断が極めて冷徹だ。

 人間ならば怪我をした人間を先頭になどせず、怪我のないふたりがもうひとりを庇いながら戦闘を継続しただろう。しかし、野生に生きる小鬼達は違った。彼らは最悪の場合、怪我をした小鬼ごと敵対者を倒す覚悟なのだ。それを何の逡巡もなしに隊列を組んで見せた小鬼たちは、まさに野生の怪物であった。

 

 三匹の小鬼が塊となって突撃してきた。

 

 相手の思考が分かれば、それを逆手に取るだけだった。

 

 アンヘルは地面を蹴って空を駆ける。一匹目の小鬼の肩を踏みつけにして、後方の小鬼達の中央に躍り出る。

 そして、剣を回転しながら横薙ぎに振るった。

 

 アンヘルの研ぎ澄まされた銀線は二匹の小鬼の首筋を切り裂いた。

 首と胴体を切断され、血を滝のように噴き出した小鬼たちは地面に倒れ伏した。血の海からは足音がぴちゃぴちゃとなる。

 

 最後の一匹は、二匹が一瞬のうちに倒されたことにも恐れず、果敢に攻めかかってきた。

 

 モーニングスターを振りかぶり、振り下ろす。アンヘルはそれに対して剣で防いだ。

 

 モーニングスターの鎖が絡みつき、剣をからめとる。

 小鬼が薄汚く笑ったが、すぐに凍り付いた。

 

 アンヘルも笑ったのだ。

 

 想定通り、と剣を手放すと腰から鉈を引き抜き、脳天へ向け振り抜いた。

 横向きに振るわれた斬撃は頭蓋をパカっと切り開き、脳漿を飛び散らせた。

 

 アンヘルは周囲を見渡す。足元には三匹の小鬼が倒れ伏していた。

 

 ――相手が黒肌でぼくが白い服を着てたら、帝国の白い悪魔*って名乗ろうとおもったのに。

 

 ため息をひとつ吐くと、刹那的な戦闘思考が戻ってくる。

 

 まだ戦闘は終わっていない。

 ホアンは優勢に戦闘を進めながらも、決着は未だつかない。すぐさま援護に向かった。

 

 

 

「はぁ、はぁ。大鬼っ、つよいねぇ」

 

 アンヘルが地面に手をつきながら、息を整える。大鬼との戦いは激戦であった。

 

「と、塔とは、格がちがうッ。はぁ、というか段違いすぎるだろッ。なんで、こんなところの依頼受けてるんだッ! ちゃんと、調べたのかッ? ここの難易度ッ」

 

 ホアンが息を切らしながら尋ねる。ホアンの長剣は大鬼の脳天に突き刺さったままだ。

 アンヘルは心当たりがありすぎて、まともにホアンを見ることができない。

 

「えーと、それはぁ……」

「ほらみろ。絶対その反応、調べていないだろ。言ってみろ、なんでこのダンジョンを選んだのか」

「えぇー……」

 

 縮こまりながらも、アンヘルが依頼を受けたときの出来事をポツリポツリと告白した。

 

 

 

 §

 

 

 

 都市オスゼリアスは、帝国第二の人口を誇る帝国領元老院属州内最大規模の大都市である。人口は、都市部だけでも優に百万を越えて、周辺地域の村落を合わせれば二百万はくだらない帝国領土屈指の財が集まる都市であった。近隣に三日間馬で駆け続けても一周できないデンドロメード湖と湖から延びる運河がある、いわゆる「湖の都」である。

 北方を山脈、西方を湖と自然に守られたオスゼリアスは、長い帝国の歴史の中でも一度も敵国の侵入を許したことのない鋼鉄の都市である。さらに、元老院が総督を任命する権限を有する地域で、そのお膝元であるこの都市は統治が行き届いており、上級士官候補生を育成する士官学校と総督直属の治安維持機構であるバンレティア騎士団を有していることから秩序はそれなりに保たれていた。

 

 安全。

 それはこの世界に根差し始めたリバタリアニズム的価値観を有する商人達にとって、喉から手が出るほどの価値があった。

 

 現代社会では財産の所有権などもはや当然でなんの疑問も抱かないが、この世界には財産の所有権を認めるか否かという議論が支配階級の中で当たり前のようにあるのである。

 初期財産が適正な手段で得たものであり、そのあとで市場における交換か贈与が適正な手段によって財産を移譲させるかぎり、その財は所持者に権利がある。現代において、この理念*は至って当然の考え方ではあるが、この世界においてはまったく常道ではない。支配者が土地を統治している中での得た財産は、その所有者の努力の結晶ではなく、その環境が作りえた成果であるという考え方が主流なのだ。

 

 つまり、簡潔にいえば貴族の都合で市民の財産が取り上げられるのである。

 

 もちろん、支配階級の人間がむやみやたらに市民の財産を奪えば、労働意欲を奪い、結果的に得られる利益が減少する。それが極まれば衆人の恨みから反乱が発生し、支配階級の座を引きずり降ろされることになる。

 しかし、それは平時の話で、非常事態となれば話は違った。世評が悪徳に染まることを恐れて、喫緊(きっきん)の課題解決を先延ばしにするような輩のほうが、率先して悪事を働く者より遥かに有害である。

 

 つまり、この異郷の地においては、有事となれば貴族の都合で財が奪われうる危険性を常に孕んでいるのだ。

 

 ゆえに地理的、歴史的、政治的に安定しており、「安全」な都市であるこのオスゼリアスは商人たちの希望の都市といえた。

 

 無限と思えるほどに商人たちが集まってくる。湖から延びる運河のおかげで物資の輸送にも困らない。モノを運ぶ商人たちが大勢集まり、販路が整備されていれば、そこに生じる金は並大抵ではなかった。

 

 それに加えてもうひとつ。

 オスゼリアスの近郊には周囲に多数のダンジョンが存在した。

 

 それは、街道の治安を悪化させるため、オスゼリアス最大の欠点であった。一般人にはモンスターの脅威は大きすぎる。それをひっくり返したのは、隣国の魔法大国が開発した魔道具作成技術の登場であった。

 魔道具の祖であるアルント伯は、モンスターの体内で生成される魔石の魔力貯蓄機能に着目し、実用に耐え得る魔法技術の恩恵を世間一般に与えたのである。その技術は市民に絶大な力と財を与えた。脆弱な力、そして貧しい頭脳しか持たない賤民に、生きるための力と知恵を与えたのである。

 

 オスゼリアス周囲のダンジョンは憎むべき敵から一夜にして宝の山に変化した。

 

 そうなると魔道具技師と魔石を集める探索者。そして、探索者の為の武器・防具を扱う商店、怪我を治療するための病院や巨大な娼館を経営する為の人材が山のように集った。

 オスゼリアスにいけば、とりあえず探索者・職人・娼婦・商人など何らかの職にありつける。それが帝国東部の常識である。

 

 しかし、それは探索者志望の教養のない農民やならず者が無限に集うことも意味していた。

 必然、そのならず者たちを管理する機関が設置されるのは当然の成り行きだった。

 

 探索者相互扶助帝国認可協同組合。通称、探索者組合(ギルド)。セグーラの街にあった探索者を束ねる民間組織とは異なり、国家直属の協同組合である。

 

 アンヘルはその探索者組合(ギルド)総本部を訪れていた。

 

 本部内は整理整頓されており、白色に光る魔導灯が室内の清潔感を促進させていた。受付には驚くような美人を多数配置しており、その奥には着飾った衣装の責任者が何人か見える。探索者たちは、設置されている掲示板や椅子にまばらに集っていた。セグーラの町のように酒場を兼用としていないのか、美人の受付を除けば市役所と変わらない雰囲気だった。

 

 ――探索者が酒を呑んでるのを想像してたんだけど、あんまりギルド感ないなぁ……。

 

 探索者たちは、入ってきたアンヘルを一瞥するとすぐに視線を切った。興味がないという反応である。

 

 アンヘルは困りきった。組合は探索者たちに話を聞けるような雰囲気ではない。どこの探索者も内輪らしき少人数で集まっており、各々の集団は疎外感を露わにしていた。

 

 一応、組合内には多数の表示板の役目を果たすと思われる張り紙があったが、まるで無意味だった。なにを隠そう、アンヘルは文字が読めないのである。

 学生の例に違わず、アンヘルは勉強が好きではない。現代人として識字の重要性を理解していないわけではなかったが、実際に文字を学ぶことは避けてきた。探索者の仕事で、識字の必要性が薄かったのだ。

 

 受付嬢の待つテーブルの上に文字の書かれたプレートが置かれており、各テーブルで役割が別れていると容易に察せられるが、どれが何を表しているかがまったくわからない。

 こうなると、勘で行くしかないがアンヘルには嫌な思い出が思い浮かぶ。

 

 ――口入れ屋でいきなり殴られたんだよなぁ……。

 

 探索者にとってメンツとは何よりも重要である。探索者は純然たる実力主義であるが、その実力主義とは強さや装備の充実度ではなく、名声の高さのことであった。

 探索者の能力を一律に評価することは難しい。得意とする環境、所持する技能、チームの人数そしてその人物の人間性までを加味して評価しなければならない。詳細に仕事ぶりがわかる現代ですら正当な能力評価は行えないのだ。姿も形も見えない場所で活動する探索者を、正当に評価することなどまったくもって不可能だった。

 しかし、口コミから昇華した名声は嘘を付かない。例外がまったくないとは言えないが、高名なものが名前すら知られていないものに劣ることなど探索者界隈では殆どないといっていい。ミスが死に直結する世界である。戦力分析はどんなものよりもシビアであった。

 

 つまり、探索者は強くて物知りである必要がある。少なくと、そう見せかける必要があるのだ。

 そうしなければ同業者に舐められ、喰い物にされることをアンヘルは数か月にわたる経験から理解していた。

 

 ――新人なら、端のはず……。つまり右端か左端だ!

 

 右端の受付嬢を見る。金髪、妙齢の肉感的な美女がきりっとした姿勢で待機している。そちら比べれば、左端の受付嬢はガキだった。不細工では決してなく、快活な印象を与えるすらっとした美少女だったが、人気投票を行えばどちらに軍配が上がるかは明白であった。主に「胴体の一部分」の差で。

 

 ――男は度胸。新人はランクの低いほう。つまり、左だぁあああ!

 

 ここまでの組合に入ってから決断するまでの時間は一瞬のことであった。アンヘルも世間ずれしたものである。

 

 受付嬢は退屈そうに頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。並んでいる受付嬢の中でも際立った態度であった。

 

「あのー、すみません」

「んんっ? あぁ、ごめんなさいっ! 新人さんですか? それとも、依頼の方ですか?」

 

 その受付の少女は、今気づいたとばかりに机から肘を下ろし、アンヘルに向き直った。

 

「ええっと、新人、なんですけど……」

「新人さんですねっ! えっと、団体さんですか? それとも、個人でっ?」

「えー、団体になるのかな……。ふたりなんですけど」

「はいっ! 団体さんですねっ! この用紙に記入をお願いしますっ」

 

 少女は蛇がのたうち回ったような文字が書かれた書類を机に取り出す。そして、羽ペンをアンヘルに手渡そうとした。

 

「……すみません。文字、書けなくて」

「……へー、そうなんですか。じゃあ、私が書きますね」

 

 アンヘルは、笑顔が輝く少女の声がワントーン下がったような気になる。

 

 ――そんなに不味いこと言ったかな? 文字を知らない人なんて結構いると思うんだけど……。

 

 受付嬢は何事も無かったように記入に必要な情報を訊きだし、用紙に書き込んでゆく。

 アンヘルが気のせいか、とかぶりをふった時だった。受付嬢が羽根ペンを机におき、両手を胸の前でパンと合わせた。

 

「はいっ、おわりましたっ! あとは登録費5コインを払えばすべて完了ですよ。おめでとうございますっ! これであなたも立派な公認探索者ですねっ! よっ、やりますなっ! それで、ここだけの話なんですが、前途有望な探索者さんに耳寄り情報があるんですよっ! 聞きたい? 聞きたいですかっ!?」

 

 少女がガバッと身を乗り出す。

 

「ぁー、うん。ききたい、かな?」

「そうですよね、そうですよね! でもー、どうしよっかなぁーなんて」

「ええっと、無理なら全然いいん――」

「いやー、そこまで言われると私としても困っちゃいますね! とくべつっ! ゆうぼう、なあなただけに特別ですよっ! 特別ですっ!!」

「あぁ、うん、ありがと――」

 

 アンヘルは戸惑ったまま返事をしようとするが、途中で遮られた。

 

「なな、なんと。いまは新人応援キャンペーンで『ウルカヌ火山』の魔石報酬が1.5倍っ! 1.5倍ですよっ!! 信じられますかっ。さらに、さらにー、それだけじゃあありませんっ。依頼の報酬も1.5倍なんですっ。これも、これも、あなたみたいな有望な新人さんを応援するためなんですよー。ほら、絶対受けないと損ですよっ。ソン! ささ、依頼を選んで選んで」

「えー、そこまでいうなら、そうしよう、かな?」

「さすが、有望な探索者さまですぅ。はーい、決まりでーす。ささ、お好きな依頼をっ」

 

 少女は数枚の紙を机の上に置いた。依頼書には蛇のような文字が書かれている。

 

 そんなこんなでアンヘルは少女に収集依頼を受けさせられた。

 失敗時の違約金設定と共に。

 

 

 

 §

 

 

 

「……ってそれ、完全に新人潰しだろ」

「新人潰し? 受付が?」

 

 アンヘルは剣についている血糊を反故紙(ほごがみ)で拭いながら尋ねる。

 

「アンヘルは新人潰しってのをどういうふうに思っているんだ」

「えーと、先輩探索者が新人の探索者を潰すってことじゃないの?」

「いや、違うな」

 

 ホアンは剣術を教えるときのようなしたり顔になった。

 

「じゃあ、どういうことなの?」

「勿論、組合の人間が手を出してくるんだ。当たり前の話だが、先輩の探索者が新人を潰してもいいことなんてない。街の近くで襲ったんじゃ罪になるかもしれないし、ダンジョンの中まで追いかければ時間もかかる。新人は高価なものなんて持っていないし、人間なんだ。どんな手を使うかわからないうえ、ひとりでも逃がせば悪行を暴露される。脅したりなんかはありそうなものだが、将来的にそいつが強くなれば困るしな。わかるだろ、メリットがなさすぎるんだ」

 

 ホアンの口ぶりが知らないのかという叱責の形をとる。

 

「でも、組合の人の方がメリットは少ないと思うけど? わざわざ加入した人を叩くなんて」

「それがそうでもない。組合の人間が恐れているのは信用を失うことだ。ここでの信用は探索者からの信用じゃなくて、依頼者からの信頼だ。つまり、使えなさそうな新人や反抗的な新人に対して嫌な依頼を押し付けたり、先輩探索者に依頼してお灸をすえたりするんだ。当然、国公認の組合に反逆するような奴はいないだろうしな。新人にとっては、まさに無抵抗に叩かれ矯正されるかやめるかってなわけだ。これは、セグーラの町でもあったことだぞ」

 

 その言葉でアンヘルはその時の様子をおもいだした。

 

「……じゃあ、ぼくは初対面で無能と見抜かれて、嫌な依頼を押し付けられたってこと? 本当にそうだったら、もう組合に行きたくないんだけど」

「そう、そこなんだよな。いくら新人とはいえ、一度も仕事ぶりを見ないままブラックリストに載るなんてありえない。なぁ、アンヘル。もしかして、なにか恨みでもかったんじゃないか?」

「恨み? でもこの街に入ってから時間もそんなに経っていないし、組合でもその受付の人としか喋ってないんだよなぁ。文字が読めなかったくらいで……」

 

 そうやって、アンヘルはあの時の記憶を引っ張り出す。

 問題となりそうなところは、文字が読めないと告白したときの態度の変化ぐらいだった。

 

 ――もしかして、新人探索者を担当しているのが誰か容姿で判断したと思われたから? 流石に穿(うがち)ちすぎかなぁ?

 

「そうか、アンヘルは文字が読めないんだったな。そうは見えないから忘れていた。とはいえ、それだけでこんな依頼を振られるとは思わないんだが? このウルカヌ火山は環境が悪すぎる。どれだけ実力があっても、わざわざこんなところを仕事先には選ばないだろう。覚えていないだけで、なにかやらかしたんじゃないか?」

 

 アンヘルは脳裏に浮かんだ情報を整理した。

 

「うーん、心当たりがないなぁ」

「そうか、ならそうなのかもな。よし、この分じゃ失敗時の違約金も高く設定されてそうだ。アンヘルは字が読めないんだからな。……冷静に考えると、かなり不味くないか? 文字が読めないって。勉強したほうがいいぞ」

「そういわれると、困るんだけど……」

 

 そういうと、ホアンはこの話は終わりとばかりに手をふった。

 

「まあいい。とりあえず、依頼を解決することが先決だ。依頼はなんだった?」

「ええっと、『デカホノりん』の風切羽(かぜきりばね)だって」

 

 アンヘルは、受付嬢から『デカホノりん』の横についている羽根を回収するようにと指示を受けていた。

 

「『デカホノりん』か……。名前だけ聞くと、あまり強そうじゃないんだが」

「ちょっと大きい『ホノりん』って感じかなぁ」

「それだけだといいんだがな」

 

 火山奥部から熱風が沸き起こり、炎が迫りくる幻覚に陥る。

 汗が滝のように流れ落ち、汗を吸った衣類が肌に張り付いた。

 

 ダンジョン『ウルカヌ火山』は、『塔』などとは比較にならないほど巨大で長大だ。長い時間歩き続けているが、迷宮内の風景は一切変化がない。

 それでも、踏ん張りながら数刻歩き続けたときであった。

 

 アンヘル達の前方に、黄色の翼と尻尾を生やした赤色のモンスターが移動しているのが見えた。

 ふたりはサッと岩陰に隠れ、様子を伺う。

 

「おい、アンヘル。あれだろ、『デカホノりん』。倍くらいの大きさだが、あまり強敵にはみえないな……」

「確かに、大鬼なんかよりずっと楽に見えるけど。どうかな?」

「やるしかない。せーので行くぞ。いいなッ!」

「うんっ」

 

 ふたりは息を合わせて飛び出すと、狭い洞窟内を疾駆する。

 モンスターとの間合いが、剣の届く距離まで縮まった瞬間だった。

 

 相手はふたりに振り向き、大口を開けた。

 モンスターの口から火炎が吐き出される。蜷局をまく火炎は天井まで立ち昇り、ふたりに迫りくる。

 

「ッよけろ!!」

 

 ホアンがアンヘルを突き飛ばしながら、突き飛ばした反動で飛びのく。ふたりの間を炎を竜巻が通過した。

 地面にはまるで竜が移動したようなな破壊痕と融解した溶岩が残る。

 

「じ、じょうだんでしょ……」

 

 アンヘルは倒れながら、モンスターが引き起こした破壊の痕を眺める。可愛げな容姿から繰り出された炎の火力は常軌を逸しており、その破壊力に度肝を抜かれた。

 

 ――当たったら、怪我なんかじゃ済まないっ。

 

 剣を支えにして立ち上がる。足が震えた。

 そんなアンヘルの視界に最悪なモノが映った。

 

 岩陰からひょこひょこと『デカホノりん』が二体出現する。アンヘル達は、強大な威力の遠距離攻撃を可能としているモンスターを複数相手にしなければならないのだ。

 

 ぶわっと汗が湧き出す。

 

「おいおい、嘘だろ」

 

 ホアンも呆然とした表情で呟いた。

 

 過去最大の試練である。アンヘルも悲痛な覚悟を決めた瞬間であった。

 

【大火球】(ファイアーボール)

 

 凛とした高い硬質な声と共に、砲丸のような速度で真っ赤な燃える玉がアンヘル達の後方からモンスターたちに向かって襲来する。

 

 轟音。

 世界を割ったような破壊音とともに、モンスターが火の海に包まれる。

 モンスターの悲鳴が響き渡った。

 燃焼の効果に頼らずとも、モンスターは炭化しており、生存の見込みは一切ない。

 

 アンヘルたちは驚いて、すぐさま後ろに振り返る。そこには、壮麗な装備の4人組の姿があった。

 彼らは皆、戦闘慣れしているのかこの最悪たる環境の中にあっても悠然と佇立していた。

 

 アンヘルが生き残ったとため息を吐き、礼を述べようと足を向ける。

 

 すると、その中の中心にいた人物が歩み出て、フードをおろした。

 

「入らぬ心配かとも思いましたが、苦戦されているご様子でしたので、ご助力させていただきました」

 

 落ち着いていながらも、まるで鈴の音のような優しい声で女は話す。

 

 深緑の長い髪と切れ長の目。整い過ぎた目立ちが冷え冷えとした印象を与える。幾らか冷ややかな輪郭の中に柔らかい肉感を閉じ込めているというような、いわゆる近づき難い高雅な美貌。ロイヤル・ブルーの瞳に秘められた強い光が、人心を惑わす魅力を放っていた。

 天に作られた宝石。まさにその言葉を体現した美貌をもつ少女だった。

 

 アンヘルはその少女に、情欲や憧憬ではなく、恐怖を抱いた。それは、記憶が呼び起こした抑えようのない恐怖だった。

 

 慌てて視線を下げ、武器を下ろして、直立不動に起立する。アンヘルの顔には卑屈な笑みが浮かんだ。

 ホアンはいつもと様子の違うアンヘルを不審に思いながら、武器を腰に戻した。

 

「いや、正直助かった。かなりギリギリだったんだ」

 

 そう答えたホアンの声は上ずっていた。美貌の少女を見て舞い上がっているのだろう。アンヘルはそんな彼を殴り飛ばしてやりたい気分になる。

 

 ――彼女は貴族だ。これ以上、無礼なことはしないでよ!!

 

 貴族。

 帝国の重臣であり、特権を備えた名誉や称号を持つ。それゆえに他の社会階級の人々と明確に区別された支配階級の住人である。

 しかし、その他の階級の人間と明確に異なるのは、ある技能一点に集約された。魔法使用の有無である。

 

 人間誰しも魔法を扱う素養を持つが、実用段階にまでこぎつけるには、血の滲む努力ではなく、圧倒的な才能とも呼べる尊き血統が必要であった。魔法技能は明確に遺伝するのである。三元素のスピリットを使役する範囲魔法と自身の才覚により放たれる二極の魔法は、魔道具による対策がなければ一瞬で戦争の勝敗をつける戦略兵器とも言えるべき威力を誇っている。突然変異の例外をのぞけば、魔法使いはすなわち貴族なのだ。

 

 炎属性の『デカホノりん』を火属性の魔法でいともたやすく屠った彼女は、貴族に違いないのである。それだけではなく、格好や所作をみれば彼女が高貴な存在であることは容易に想像がつくはずだった。

 

 アンヘルはホアンの能天気な返事にむかついて仕方なかった。

 

 後ろの人間のひとりが武器に手をかけたのが目に入る。心臓の鼓動がドクンと早まった。

 死を覚悟した瞬間だった。

 

「そうですか。では、私たちはこれで。……不躾かも知れませんが、あなた方の実力ではこのダンジョンは厳しいように思われます。もう一度、探索内容をご再考なさってみては?」

 

 そういうと、少女は笑顔を浮かべながら別れを告げる。クルッと(きびす)を返すと、仲間を連れて去っていった。

 

 彼らが角を曲がって見えなくなるまで、アンヘルは直立不動で見送り続けた。

 

 彼らが完全に視界から消えると、へなへなと力が抜けた。地面に座り込む。

 ホアンは興奮しているのか、顔が赤い。

 

「アンヘルッ! さっきのひと、とてつもない美人だったなッ!! あそこまでのは、見たことがない。女神か天使かッ、神聖さすら感じられた。ナタリアも器量よしだったが、まさに月とスッポンだ。うん? どうした、アンヘル」

「……今の人、ぜったい貴族だよ。ホアン」

「げッ! ほ、本当か。いや、魔法が使えるんだ。それは、そうか。……不味いな、完全に探索者に話しかけるのと同じ要領で話してしまった」

 

 アンヘルは呆れてものが言えなくなった。ホアンの愚行のせいで確実に寿命が縮んでいた。

 

「けど、彼女が貴族だなんて驚きだ。俺たちを助け、無礼を働いても何も言わず去っていくうえ、助言まで残すだなんて。慈愛の心に溢れているというべきか……。貴族なんていけ好かない奴らばかりだと思っていたが、立派な人もいるんだな。見方が変ったよ」

 

 ――いや、それはちがうよ。

 

 アンヘルは、心の中でホアンに対して反論した。

 

 柔和な笑顔も、優しい声色も、すべてが対等ではないから生まれるのだ。

 彼女の優しさは、ひとえに庇護するものに対する優しさだ。劣った、保護するべきペットに対して慈愛を見せたに過ぎない。それは、人間に対する対等な優しさではないのだ。

 

 その証拠に、彼女が創りだした奇妙な存在感はアンヘルたちの意見を圧殺し、対話することを拒絶していた。

 

 つまり、彼女は保護すべき対象である下級民に慈愛を見せただけであり、人間に優しいかどうかはまったく別の話なのである。

 

 アンヘルには、それに覚えがあった。

 慈愛に満ち、聡明で、威厳がある。人をひきつける要素をこれほどかと持ちながらも、瞳に宿る光だけはとてつもなく暗い。

 

 アンヘルの大嫌いな政治家の祖父と同じ、人を支配する為政者の在り方だった。

 

 

 

 




*帝国の白い悪魔:ジェットストーリーなアタックを撃ち破ったから

*理念:理由は作中とは違いますが、現代でも当たり前に認められているわけではありません。
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