イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第三話:デーモンハント 下

 悪魔(デーモン)

 

 そう、司祭は告げた。

 

 デーモンは超常の存在で、迷宮を住処にする普通のモンスターとは一線を画した存在である。その存在は、あらゆる社会・宗教の天敵とされ、いかなる時代においても発見次第即殺することが求められたが、叶うことはごく少数という極めて悪辣な存在である。

 

 迷宮のモンスターついて一概には言えないがその行動原理は野生動物と一致する面も多い。モンスターが迷宮の外に溢れて市民を襲うのは、生存競争に敗れた個体の移動によるものであり、モンスター自体が能動的に人間を襲うため迷宮の外へ繰り出すことはほとんどないといっていい。

 

 しかし、悪魔(デーモン)は違った。

 

 悪魔(デーモン)は、自らを深淵に近づけるため、人間の象徴的な臓器である心の臓を喰らうのである。しかし、それだけであればここまで恐れられる存在には成らなかった。そんなものより遥かに恐れられる嗜好(しこう)を有しているのだ。

 

 つまり、悪魔(デーモン)は人をいたぶることが何よりも好物なのである。

 人間の男の臓器を食べ、人間の女に対して不浄の行為を行うなど序の口であった。過去には身の毛がよだつほどの悪行をなした悪魔も存在する。

 

 この悪魔(デーモン)に対して、人間は手をこまねいてきたわけではない。

 教会の異端狩り専門の執行者、帝国の聖騎士団とその対策にはいとまがないが、被害を抑え込めているとは言い難いのが現状であった。

 

 悪魔が何よりも厄介な点は、人間の宿主に寄生して社会に溶け込んでいる点であった。身体の内に入り込み、その人間の身体を闇の使徒に作り変えてしまう能力こそが、怪物を悪魔たらしめんとしていた。

 

 司祭はアンヘルたちにこう語った。

 

「これは、我が教会の失敗です。我らの発見が遅かったことが、彼のような敬虔な信徒を無残にも殺させる原因なとなってしまったのですから。すでに執行者に連絡をつけてあります。すぐに、決着をつけられるでしょう。悪魔といっても不死身ではありません。身体に回復不可能な損傷を与えれば浄化できます。ミスラス神の名前に誓って、必ずや討滅するとお約束します」

 

 苦々しさに満ちた司祭の心からの言葉であった。

 

 それを聞いてアンヘルは心底安心した。いや、アンヘルだけではない。元々アンヘルとして生きていた身体が反射神経のように安堵したのだ。学のない農民であっても、悪魔の兇悪(きょうあく)ぶりは轟き渡っていた。

 それは、話を聞いていた他のふたりにも当てはまった。怪物を相手取りたい奇特な人間などそうはいないのである。奇怪なアートを目撃してしまえばなおさらであった。

 

 事件が解決したと確信した中年は、すでに肩の荷をおろしたような朗らかな笑顔を浮かべている。アンヘルが出会った当初は、厳つい表情ととげとげしい言葉を吐き続けていたものの、それは貧民街の事件を取りまとめる重圧からのもので、今の柔和な人格が彼の本性であった。

 

 司祭は最後に「恐れることはありません。すべてはミスラス教の思し召しのままに」と厳粛な雰囲気で告げると、霊安室を去っていった。

 

 

「ねぇ、大丈夫? もう解決したも同然だし、家に帰ったほうがいいんじゃ……」

 

 アンヘルは、芸術的な遺体を見て青い顔をしているマカレナに声をかけた。彼女の中で、あの遺体の衝撃度は予想を遥かに上回っていたのであろう。あれ以来一切口を開くことなく、肩を震わせながら息を吐いていた。

 

「あぁ、そうしたほうがいいんじゃねぇか?」

 

 中年が意外にも心配そうな声色で諭す。いかに上流階級の人間を嫌う貧民街の市民であっても、ここまで怯える少女に悪意のこもった皮肉を吐くほど性根が曲がってはいなかった。

 

 アンヘルたちは教会を辞した後、今後の相談のために中年宅を訪れていた。その中には、バルドの姿もあった。

 

「ハッ。それで、そいつらは報酬をもらってチャンチャンってか? なんにもしてねぇじゃねぇか」

「おい、バルド。やめろッ!」

「しかも、悪魔ときたか。ハハッ。こいつは傑作だ」

 

 バルドは険しい顔を向けながら、中年を嘲った。

 

「なにが面白れぇ?」

「あんな胡散臭ぇ連中の言い分を信じるなんざ、落ちぶれたもんだぜ。どうせ、適当に調べて終わりさ」

 

 バルドは唾を吐き捨てる。彼の教会嫌いは相当なもののようで、そもそも悪魔の存在自体に疑いを抱いている様子だった。

 

「だからって、手があるわけねぇだろうが。がたがたと文句いってんじゃねぇ」

 

 中年は立ち上がり、声を張りながら叱責する。その間でアンヘルは小さく縮こまるだけだった。いまだに、マカレナは復活する素振りをみせなかった。

 

 バルドはその言葉で数瞬頭を捻ったのち、告げる。

 

「なら、そいつらを明日の朝まで警備に使うぜ。たった二日しか働いてねぇんだ。最後の夜ぐらい、夜回りしたってバチはあたらねぇ。こっちも、高い金を払ってんだ」

「……いや、まあ、それなら構わんか。なあ、あんたら。今日一日、街を廻ってはくんねぇか?」

「……ぼくは、構いませんが。彼女は家に帰しても大丈夫ですよね? 依頼を受けているのは、ぼくだけですし」

 

 正直なところアンヘル自身が残るのもごめんだったが、この場面で言い出すのは憚られた。そのうえ、悪魔の出現頻度は一週間程度ということもあり、今日一日警備しても危険性は低いだろうとそんな思惑もあった。

 

「ダメだ。夜回りは複数でやるもんだ。偶数人いたほうが効率よく回せる。それとも、ひとりでやるってのか?」

「けどッ!」

「けどもクソもねぇッ! この女がついてきたんだ。最後までやり遂げんのが仕事ってもんだろうが」

 

 アンヘルは言葉に詰まる。マカレナが無理やり参加したとはいえ、依頼人がそんな事情を斟酌する必要などない。

 参加したメンバーをフルに使う依頼主の意見は、至極当然の主張であった。

 

 中年には反対意見を持っていそうだが、バルドの意見の正当性から黙したままである。

 依頼を諦めるか、マカレナを強制参加させるか。そのどちらかを判断しなければならなかった。

 

「ねぇ、ダメなら、依頼を――」

「ッううん。だいじょうぶ。大丈夫だから。わたし、やれる」

 

 そう言いながら、マカレナは無理やりに気丈な笑みを浮かべてみせた。肩は震えたままだが、目には強い光が宿っていた。

 

「けど……」

「わたしが無理やりついてきたんだもの、街を守らなきゃ。それに、こんなこと許せない!」

 

 マカレナは恐怖を撃ち破るように立ち上がった。その表情にもう怯えはない。

 

「ハッ。決まりだ。今日の夜は四人で交代しながら街を廻る。それでいいな」

 

 その言葉に、アンヘルは言いようのない悪い予感を覚えた。

 

 

 後刻。

 夜も更けて辺りが真っ暗になると、アンヘルたちは中年宅を拠点にしながら、街の見廻りを行っていた。

 

 初めはアンヘルとバルド。次はマカレナと中年。その次はマカレナとバルドといった準繰りで2時間ごとに交代しながら街の見廻りを続けていた。

 

 マカレナとバルドはさきほど見廻りに出ていったばかりで、アンヘルと中年は現在部屋で待機中であった。

 

 ――っというかあの子、家に連絡しなくていいのかなぁ。後で、なにかしらの問題が起きる気がするなぁ……。

 

 いいところのお嬢様が無断で外泊というだけでも醜聞が悪いのに、その間に行っていることが殺人事件の調査など狂気の沙汰である。この依頼が無事に終わったところで、万事解決とはいかない予感がアンヘルにはあった。

 

 受付に高難易度の依頼を受けさせられ、そのお詫びに悪魔退治をさせられ、お嬢様の無断外泊の原因となる。アンヘルの不幸っぷりはここにきて極まっていた。

 

「それにしても、あんた若ぇな。いくつだ?」

「ええっと、この冬で15になります。たぶんなんですが」

「たぶん? なんだぁ、そりゃ。あんた、もしかして農民か?」

 

 農民は季節の巡った数などに興味を抱かない。余裕がないのである。年を数えて祝っている暇があるのならば働く。それが農民であった。

 

「まぁ、そうです」

「はぁー、こいつは意外だ。てっきり、いいとこの坊ちゃんかなんかだと思ってたんだがよ。あの嬢ちゃんと知り合いだしな」

 

 中年の男は驚きの顔を作った。

 

「いえ、彼女とは最近知り合ったばかりで……。ぼくは、この街に来たばかりです」

「なんだ。……ってことは、あの嬢ちゃんは事件が気になって首突っ込んでんのか。あんたの部下として付いてきてるって感じじゃねぇしな」

 

 納得いったというような素振りで頷いた。アンヘルとマカレナの関係は他人から見て奇妙だったのであろう。まさか、マカレナが興味本位で付いてきているだけのほぼ初対面の関係だとは考え難いからだ。

 中年は立ち上がり、お茶を汲みなおしながら尋ねる。

 

「なあ、どうしてこの街に来たんだ?」

「……その、よく聞かれますが、そんなに疑問なんですか? この街に来ることが」

 

 アンヘルはマカレナとのやり取りを思い出した。彼女にも街に来た経緯を聞かれたのだ。しかし、目の前の男の探る眼はそれよりも遥かに冷たい。

 

「いや、そうじゃねぇ。金や女を求めてこの街に来る奴は絶えねぇ。そりゃそうさ、この街は天下の大都市オスゼリアスさ。放っていたって人は集まって来やがる。けど、あんたはそんな風に見えねぇ」

「どうしてそう思うんですか? ぼくだって、お金が欲しくないとはおもっていません。善人のようにいわれても――」

 

 アンへルの疑問を中年は遮った。

 

「いや、逆さ。逆」

「逆、ですか?」

 

 中年は手に持ったカップをとんとんと叩き頭の中から捻りだすように言葉をねる。そして、身を乗り出しながら答えた。

 

「ああ、あんたはもっと身の丈に合わねぇようなモンを求めてるやつの目さ。あんたが坊ちゃんってんなら、なんの疑問も湧かねぇんだがよ」

 

 中年の男は続ける。

 

「あんたが、農民出身ってなると話は違う。若さによる勢いって感じもねぇ、才能ややる気に溢れてるようには見えねぇ。そんでもって仲間もいねぇ。けど、その若さでちゃんと探索者をやってやがる。そんな奴は、裏に一物抱えてるってのが相場なのさ。たぶんだがよ」

「……」

「その様子じゃ、自覚がねぇみたいだがよ。なら、さっさと見つけたほうがいいぜ。あんたが、何をやりてぇってのをよ。歳食ってからじゃ、なんもかも遅いんだぜ」

 

 中年の悔恨の念がこもった重い言葉であった。

 

 その言葉はアンヘルの一部分を的確に突いていた。

 人間誰しも何を成し遂げたいのかという疑問を抱えながら生きている。しかし、将来のヴィジョンを明確に持つ者だけが、成功するチャンスを得られるのだ。

 

 アンヘルはこの世界で変わった。農民としての生活、探索者見習いとしての生活。どれをとっても容易ではない。その環境を生き抜いてきたアンヘルは、身体能力よりも精神的に大きく成長していた。過酷な世界では成熟した精神でなければ生きてゆけないのだ。

 

 その中で誓った、強くなる、先へ進むという決意は現在も変わらない。

 しかし、それが探索者として大成することと直結するか分からなかった。

 

 探索者は誰にとってもステップアップでしかない。ダンジョン探索は探索者の特権ではなく、むしろ高難易度のダンジョンは限られた人間にしか許可が下りない。地位を望むなら軍人に、強さを目指すなら武芸者に、金を望むなら貴族の私兵や傭兵団に、未知の世界を望むなら探検家や学者を目指してその上でダンジョン探索をすればいい。探索者は通過点でしかなく、その地位に留まり続けるのは世俗の評判を無視した奇特な者に限られるのだ。

 

 強くなると決めたアンヘルは、それでいて、今後、どうするべきなのかが見つからないでいた。

 早々に探索者としての将来から見切りを付けたホセの意図がここに来て漸く理解でき始めていた。

 

 空気が重くなったのを察したのだろう。中年は、辛気臭い話は終わりと手をふった。

 

「しっかし、悪魔たぁ大物の登場だぜ。こんな貧民街によ」

「そう、ですね。なにもなければいいんですが」

「まぁ、あの執行者が出張ってくんだ。今日さえ乗りきりゃいい。バルドと嬢ちゃんになんもなけりゃいいだがよ」

 

 バルドの話が出て、とっさに話題を振った。アンヘルと同じ無神論者である彼の話を聞いてみたかったのだ。

 

「……そういえば、バルドさんってミスラス教のこと毛嫌いしていましたよね。なにか理由でもあるんですか?」

 

 この国の人間はほとんどがミスラス教を信仰している。奉仕活動にも熱心で、悪魔などの危険な生命体に対しての抑止力としての側面も持っているのだ。他国の文化が混じるようになったとはいえ、バルドほど嫌悪感を露わにするのは珍しいといえた。

 

「そういやそうだな。あいつは、元々隣の国の人間だからよ。とはいえ、あんなに憎むようになったのは最近じゃねぇかな。なんか心変わりする出来事でもあったのかねぇ?」

 

 最近、という言葉がイヤに大きく響いた。

 恐ろしい想像が頭をよぎる。

 

「……その、最近っていうのはいつ頃からなんですか?」

「うん? ああ、ここ3か月ってところか。それがどうしたってんだ?」

 

 三ヵ月前から始まった教会嫌い。

 騎士団が調査に来ると、決まって犯行をやめた情報収集能力の高さ。

 地回りという夜中にうろついても疑われない立場。

 

 アンヘルの頭でその3つが駆け巡り、最悪の予想が導き出された。

 

 ――彼女が危ない。

 

 アンヘルは剣を握りしめると中年の制止も聞かず駆け出していた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 バルドは帝国の北方、山岳地帯の中のひとつである都市国家に生まれた。

 

 長期にわたって安定した君主制が敷かれている帝国と違って、北方諸国は国家の興隆が激しく、治安はお世辞にもいいとは言えなかった。

 北方の厳しい気候、貧しい土地、不安定な治安に安定しない国家体勢の元で生まれたバルドの幼少期は悲惨の一言につきた。

 

 5人兄弟の次男として生まれたバルドは、物心ついた頃から盗みを生業として生きてきた。

 生活必需品が貧民にはとても買えるほどの値段ではなく、それでいてまともな職すらない街では、バルドのような少年は群れをなして生きる術を身に付けていた。

 

 しかし、幼いころから犯罪に手を染めていたバルドではあったが、それでいて冷酷に徹しきれない男だった。

 

 盗んだ食糧を友人や兄弟たちに分け与え、生活が苦しそうな商店からは盗みを控え、年下の少年からの恐喝は一切行わなかった。それだけでなく、友人たちが捕まった場合には進んで救出に乗り出すほどの、良く言えば情に厚い、愚直とも言えるべき男であった。

 

 その性根は、飢えに苦しんでいる彼の助けには成らなかったが、それでもバルドは他人を踏みつけにしてまで生き残ろうとしなかった。

 

 転機が訪れたのは彼が10代半ばに差し掛かろうとしたときであった。

 

 仲間のひとりが行商人の有り金を盗もうとしたが、護衛に捕まってしまった。バルドはそれを見て、周りの声を無視して「自分がそいつのかわりになる」と申し出た。

 愚かな奴だと周りの人間は彼を嘲ったが、行商人はその行動にいたく感動した。北方の治安は悪い。それこそ、生まれた子供が親を殺してその肉を喰らって生きようとするほどである。自分を犠牲にしてまで他人を助けようとする人間がいるとは、行商人たち異国人は露程も考えてはいなかった。

 

 捕まった仲間の代わりに身を粉にして働くよう告げられたバルドは、行商人に連れられ各地をまわった。

 

 学はなく、それでいて性格も(あきない)にまるで向いていないバルドは、行商人の仕事を効率的に覚えられたとは言えなかったが、不思議と隊商の人間に好かれた。

 人間誰しも人の良い人間を好む。それでいて頭の小間使いであればちょっかいもかけづらい。必然、バルドの地位は皆に可愛がられる弟分的位置へ収まった。

 

 バルドの行商の旅は、都市オスゼリアスで免状を渡され、一人前として認められた20代半ばまで続いた。

 

 その後、バルドは行商人時代の伝手を頼って、大工の仕事に付き、そこでメキメキと頭角を表した。彼は商人としての才覚には欠けていたが、人をまとめる徳を持っていた。彼は悲惨な北方諸国で生まれ、優しい性格から損を続けてきたが、その生来の気質によって成り上がり、貧民街の地回りという役職に認められるまでになったのだった。

 

 順風満帆な彼の人生の風向きが変わったのは、ひとりの酌婦に嵌ってからだった。

 

 仕事仲間と共に行った酒場で出会ったその酌婦は、驚くほどの美人というわけではなかったが、人の機微に聡く、人好きのする愛嬌さをもっていた。

 

 そんな彼女に、これまで仕事一筋で生きてきたバルドは一発で嵌った。

 

 最初は少しづつ、関心を買うために物を買い与えた。物を贈るというのは、一般的に求愛の行為として正しい行為ではあったが、恋愛に関して百戦錬磨の酌婦に対してはバルドは幼過ぎた。

 

 酌婦に言われるまま貢ぎ続け、将来市民権を得るために貯蓄していた資金を吐き出し続けてもまだ足りず、借金をしてまで物を与え続けた。

 それで女の関心を得られればまだ良かったものの、その酌婦は金が尽きたことを知るとあっさり彼の元を去り、年配の金持ちの後妻の座に納まってしまった。

 

 残ったのは、借金だけであった。

 

 それでも、バルドは枕を濡らしながら恨み言を唱え続けただけであった。

 

 身を粉にしながら貯め続けた金をすべて奪った酌婦にも、その酌婦を奪った金持ちに対しても恨み言を吐くだけで、危害を加えることは一切なかった。

 これだけなら、素朴な男が女に騙されたよくある悲劇のひとつで終わっただろう。

 

 その心の隙間に入り込んだ悪魔がいなければ。

 

 

 

「あの、こっちに何があるの?」

 

 マカレナはバルドに連れられ、小屋を訪れていた。

 

「ああ、悪いね。家で燻製を作っているんだが、火を消したか不安になってね。少しくらい、いいだろ?」

 

 そういいながら、バルドは小屋の中に消えていった。

 マカレナもそれに続く。見知らぬ男の家に入ることの拒否感がないとは言えなかったが、それよりも、貧民街にひとり残されるほうが遥かに怖かったのだ。

 勢いで見廻りに参加することを表明した彼女ではあったが、夜の貧民街はなんの力も持たない少女にとって悪魔関係なしに危険地帯であり、こうやって見廻りするたびに心が削れていた。

 

 小屋の中は小綺麗と言うよりも、物がないというべき質素さであった。人間の必需品ともいえる机や椅子もなかった。あるのは寝具だけである。

 

 マカレナは何もない室内を見渡す。すると、あることに思い至った。

 

「あれ、燻製は? なにもないよ」

 

 その疑問に返答はなく、ばたんと扉の閉められる音だけが響き渡った。

 

 顔をだらしなくニヤケさせたバルドがゆったりとにじり寄る。マカレナは、後退りした。

 

「……ど、どうしたの?」

「ハハッ。あんた、察しがわりぃな」

 

 バルドは指をぽきぽきと鳴らしながら、瞳をぎらつかせた。怯えた表情こそが至上とでも言わんばかりに体を舐めるように見つめた。

 

「明日には、執行者の連中が来やがるからよ。今日中には街を出なきゃなんねぇ。なら、最後に愉しもうってわけさ」

「あ、あなたがッ! 悪魔(デーモン)!」

 

 マカレナの叫び声と同時に、バルドは拳で腹を殴りつけた。

 

 マカレナが声にならない悲鳴を上げると、前のめりに地面へ倒れ伏し、幾度も呻く。バルドは酷薄な笑みを浮かべながら、彼女を仰向けにひっくり返し、無防備な身体へ馬乗りになった。

 

 マカレナは痛みと恐怖から身体を動かせない。その間に、この態勢へ持ち込まれてしまえば、体格体重がまるで違う彼女に抗う手段はなかった。

 それでもマカレナは呻きながら、気丈に睨み返した。

 

 バルドの中の悪魔は、バルドの持つ女性不信からくる強烈な恨みを、彼女のような気の強い人間の心をへし折る嗜好に変換していた。それは、彼女の想い人であった酌婦を跪かせたいという暗い願望が具現化した姿だった。

 

 バルドは、まず、両腕の間接を外した。マカレナの絶叫が響き渡る。その悲鳴の間に挟まる呼吸の音は官能的で、彼の歪んだ嗜好をますます掻き立てた。分身が起立して、服の上からでもよくわかるように主張していた。

 

 ――ほら、もっと鳴けッ!

 

 愉悦に満ちた表情のまま、頬を打ち据える。バルドの肉体は鍛えられていて、腕はマカレナの首よりも遥かに太い。ゆえに、彼女を壊さぬよう慎重に、それでいながら無骨な手で執拗に殴った。

 

 その一打一打で悲鳴が響く。

 その声は回数が重ねられる内に弱くなっていった。

 

 マカレナはバルドの前では無力で、ただ彼の欲望を吐き出させる玩具となり果てていた。

 

 いくら打ち据えられただろうか。マカレナの顔は真っ赤に腫れあがり、その目からは反抗心が失われていた。スッと手を止める。

 

 バルドの眼下には無抵抗な無垢の少女がいる。

 気の強い、あの酌婦と同じ女がいた。

 

 バルドは立ち上がる。

 

 股間で盛り上がっていた怒張が張り裂けそうに痛んだ。少女の服に手をかけ、破り捨てる。生まれたままの姿が晒された。

 小さく膨らんだ乳房、しゅっと引き締まった腰、まだ生えそろったばかりの幼い女陰を上から下までじっくり舐めまわすように視姦した。マカレナの恥じらうような目線や、羞恥による頬の火照り具合がよりバルドの欲を高ぶらせた。

 

 下履きを脱ぎ捨てる。勃起した怒張に手を当ててどんな声で鳴かせてやろうと、マカレナの半身に組みつこうとした瞬間だった。

 

「マカレナさんッ!!」

 

 衝撃音と共に扉が破壊され、冴えない探索者の男――アンヘルが小屋に飛び込んできた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 飛び込んだアンヘルの目に映ったのは、目も覆いたくなるような惨状だった。

 バルドが下半身を露出させて少女に襲い掛かっている。マカレナは顔を執拗に殴られたのか真っ赤に泣きはらし、衣服を切り裂かれた状態で組み伏せられていた。

 その扱いは場末の淫売以下で、まっとうな人間が行えるような行為ではなかった。

 

 バルドは余裕ぶったニヤついた顔で振り返る。

 

「ハっ。王子様の登場ってかッ! おもしろくなってきやがったッ」

 

 頭に火が付いたみたいに熱くなり、視界が赤く染まる。心臓の鼓動は耳に聞こえるくらいに大きくなった。それでも、無理やりに落ち着いた声を吐き出した。

 

「……バルドさん、あなたが悪魔(デーモン)だったんですね。どうして、彼女を狙ったんですか?」

「どうしてだぁ? そんなの決まってやがる。この茶髪さっ! こいつが、あいつを思い出してしかたねぇのよ。それで、俺の心が囁くのさ。こいつを(ひざまず)かせなきゃ、ならねぇってよッ」

 

 そう言い切ると、バルドはマカレナの美しい髪を鷲掴みにして引き立たせ、壁に放り投げた。少女の悲鳴が響き渡る。

 バルドは、近くにあった四本刃の草又を掴み上げる。

 

「さぁさぁ。コイツでテメェをぶちのめしてやって、目の前であの女を鳴かせてやるよ。どうだぁ? テメェのなよっちいもんじゃなくて、俺のモンをぶち込んでやったらよ、どうなるかなぁ。ヒヒ」

 

 バルドは醜いモノをぶら下げながら、くいくいと腰を揺らめかす。その顔と合わせて生理的嫌悪感を存分に煽る動きだった。

 

 ――こんな奴を生かしてはおけないッ!

 

 マカレナの泣き顔にナタリアがナセに嬲られていた光景が被る。身体に溜まった怒りは沸騰して、臨界点を越えた。

 

 剣を腰から引き抜いて、正眼に構える。

 

 吠えた。

 アンヘルは身体のエネルギーすべてを爆発させ、跳躍する。

 

 アンヘルの横眼にはマカレナの泣き顔が映る。悲惨だった。

 マカレナは軽率で、物事を深く考えずに今回の事件に首を突っ込んで来たが、ここまでの罰を受けるほどのものではない。

 この男だけは、悪魔だけは許すことはできない。頭でも、心でもなく魂が叫んだ。

 

 反撃の為にバルドが草又を突きだす。

 それが、アンヘルには止まったかのようにスローモーションに見えた。

 

 身体を捩じって躱す。

 捩じった回転力をすべて拳に集めた。

 

 インパクト。バルドの頬に拳がめり込む。

 振り抜いた腕、吹き飛んだバルド、落下する自身が時間から切り離されたように流れる。

 

 壁に叩きつけられたバルドは、うめき声を上げた。余裕綽々としていた顔を一変させて、鋭くアンヘルを睨んでいる。

 バルドは得物を杖代わりにゆっくりと立ち上がった。

 

  

 アンヘルは駆ける。

 剣を身体を回転させながら力任せに横に振り抜く。

 

 ガンという衝撃音とともに、バルドの得物の柄と衝突する。続けざまに切り上げ、袈裟斬りをお見舞いする。

 

 ビュっと風切り音を伴って銀線が宙を駆ける。

 バルドは防ぎきれず顔と脇腹に薄い切り傷を作った。

 

 とどめだ。

 相手に不可避の斬撃を与えんと踏み込んだ瞬間、いままでの闘いで培った勘が「さがれ」と叫んだ。

 

 アンヘルは無理やりに飛び退いた。

 

「ハハハ、やるなぁ。ただの坊ちゃんかと思ったが、なんでぇ、意外に強ぇじゃねぇか」

「あなたは、必ずここで倒します」

「ヒヒヒ。やればいいさ。できるもんならなぁあッ!!」

 

 そう叫ぶと、バルドは額に指を突き立てる。指を第一間接まで突き入れると、べりべりべりという不快な音をたてながら顔の皮膚を剥がした。ピンクの肉がむき出しになった。

 

「お、お、お、お、お、オオオォッ!」

 

 同時に、ミシミシと奇妙な音をたてながら、みるみるうちに巨大化した。元々あった身長よりも優に50センチは大きくなり、巨人かと見まがうほどの巨躯へと変貌した。

 むき出しの肉からは薄汚い茶色の毛が生えてきて、鼻が突きだす。背中からは小さな黒い翼が張り出し、尻尾がにゅっと生えた。

 すべてが終わると、頭から二対の巨大な角が生える。その姿は、強大な雄牛と悪魔をいびつに混ぜたような、寒気を誘う恐ろしさがあった。

 

 上半身に纏っていた衣服は破れ、丸太のような筋骨隆々の四肢が膨れ上がっている。全身には血管が浮いており、激しく脈動していた。

 

「ゴおおぉぉおッ!! まさカ、コの、スガタで闘うことニ、ナルとはな」

 

 マカレナの口から【タウロスデーモン*】という言葉が響いた。

 

 醜悪な牛の悪魔であるバルドは、クラウチングスタートの要領で身を低くして走り出す体勢を取ると、黒く濁った瞳をぎらつかせた。

 

 破裂音と共にバルドが爆走する。

 トラックが突っ込んでくるように、角をたてながら突き進んでくる。

 

 当たれば死ぬ。

 バルド渾身の突撃の迫力は尋常でない。みっともなく転がって避けると、その空間を機関車のようにうねりを上げながら通り抜ける。

 

 バルドは壁に突っ込むが、なんの抵抗感もなく粉砕した。すっと豆腐に穴を開ける容易さで壁を突き破る。床板には足と同じ大きさの穴が空いていた。

 

 アンヘルはゴクリとつばを飲み込む。

 力とは体重だ。膨れ上がった巨躯の怪物が持つ力は、唯の人間であるアンヘルに敵うものではない。

 

 それでも、スピードは失われていた。そこに勝機がある。

 

 そう考えたアンヘルにバルドの悪意が届いた。

 

「ソこの女。なカなカ、愉しめたゾ。ヒヒ。何より、名器ダ。オレのを、コウ、突きダしテやると、いい声でナく。そして、揺さブリながら、殴っテやるト、閉まっテ夢心地ダっタ。ヒヒヒ、礼ハ、要ラねぇゼ」

 

 相手を否定する間もなかった。

 挑発はすぐに染みわたる。冷静さを失った頭は、心配になったマカレナを見てしまい、一瞬バルドから意識を外してしまった。

 

 弾丸のような影が眼前を通った。

 衝撃とともに、身体が動かなくなった。

 

 真っ赤だった視界が明滅し、黒と白に分かれる。

 

「いやぁあああああああ!!」

 

 マカレナの絹を裂くような絶叫が響き渡る。

 

 浮遊感。

 足が地面から離れていた。世界は横向きになり、バルドを見下ろしていた。

 

 天井が近い。なんでだろ、と意味が分からない。

 痛みでも、辛さもなかった。ただ、なにか大事なものが胸から零れ落ちるようなそんな感覚だけが残っていた。

 

 アンヘルの横向きの視界に、バルドの立派な角が自分の右胸に入っているのが目に入る。

 まるで現実感がなく、絵を見ているみたいに冷静かつ客観視できた。

 

 野生動物の戦果を誇るように、バルドの頭上に掲げられていた自身の体をうまく認識できない。

 

 バルドの口から笑い声が漏れた。

 

 その笑い声も、マカレナの叫びも他人事だ。あれほどの怒りも何処に消えたのか。脳裏には日本の思い出とホセ達の思い出だけが浮かぶ。

 

 すると、衝撃。腕を捕まえると地面に叩きつけられる。

 目の前には、悠然と佇立するバルドの姿があった。

 

「そこデ、見てイロ。ヒヒ。もウすぐ死んジまう、オマエに、贈りモンだ」

 

 ぐりぐりとアンヘルの頭を踏みにじり、唾を吐くとマカレナに向き直る。

 

 もう、バルドの姿も歪んで、視界が滲む。

 耳にアンヘルの名を呼ぶマカレナの叫び声が聞こえた。

 

 止めなきゃ、止めなきゃと心が叫んでいるのに、身体はピクリとも反応しない。この、女をまるで玩具のように扱う生物がマカレナに近づいていくが、指すら動こうとしなかった。

 

 もういいか、という言葉が頭をよぎる。

 よく頑張ったじゃないか。こんな怪物に敵うわけがない。優しい言葉だけが残る。誰しも乗るような甘言ばかりの中で、黒い黒い最後の一粒がアンヘルの心に残った。

 

 ――強くなるって誓ったんだ。

 

 ガリッと唇を噛んだ。

 歪んだ世界が像を結んで色彩が戻る。同時に、痛みが、生きている証が蘇った。

 

召喚(サモン)

 

 シィールとリーンが飛び出す。アンヘルには口を開くことしかできない。けれど、心が通ったようにリーンは治療を始め、シィールは主人を咥えて立たせようとする。

 

 剣を水平に構えて、立つ。立つしかできない。

 けれど立った。

 悪鬼を殺せと、立ったのだ。

 

 それを見たバルドは笑った。

 

「ほウ、召喚士トハ。ヒヒヒ。まだ、愉しめソウだ」

 

 バルドは再びクラウチングスタートの態勢をとる。身体が動かないアンヘルにとっては必殺の構えだ。山のような肉体がアンヘルに向かって疾走する。

 

 躱せない、受けられない。

 死ぬ。死んだな。バルドの笑みをスローモーションの世界で眺めた。

 一歩二歩と迫りくる角が輝いて見えた。

 

 それがどうしようもなく、許せなかった。

 

 アンヘルの意思が通じたのか、シィールが腕を噛んで無理やり身体を引き倒す。角の付いた頭を無理やり捩じって避けた。

 そして、がら空きの胴体に剣を突き刺す。どこにそんな力があったのか。アンヘルにはまったくわからなかったが、身体だけが機械のようにガリガリと音を立てて動いていた。

 

 ズブという音と共に剣が腹に埋没する。零れ落ちた血が、なんだか綺麗に映った。

 

 絶叫。

 バルドの叫びが響き渡る。扉や瓦礫がビリビリと振動していた。顔には憤怒が現れる。

 

「テ、テメェ。殺スッ! 殺ス!!」

 

 アンヘルは腹部に突き刺さった剣を(こじ)りながら、抜く。血潮がぷしゅっと吹き出ながら、辺りを汚した。

 

 絶対に傷つかない遊びで格下から受けた負傷に、バルドは怒りが収まらない様子だった。たたらを踏みながらも、今までにない必死な殺意を向けていた。

 

 アンヘルは狂ったみたいに笑いがこみあげてくる。

 

 痛みも、諦めも、先ほどのように感じられなくなったのではなく、跡形もなく消えた。残ったのは、真っ赤な殺意だけだ。視界が元通り赤く染まる。

 

 心臓がもうひとつくっ付いたみたいに、血流を加速させた。動かないはずの体が、新品みたく蘇る。胸からこぼれる血が汗みたいだった。

 手についた血が、相手を殺せと急き立てるように熱い。

 

 ――さぁ、第二ラウンドだ。

 

 シィールの冷気放射とともに飛びかかる。

 

 白銀の世界のなかで、アンヘルとバルドの得物が交錯した。胸に穴が空いたとはいえ、リーンの回復があるアンヘルと内臓をザクザクに切り刻まれたバルドでは消耗具合がまるで違った。

 

 ふたりの間にあった膂力の差は埋まっていた。

 死に物狂いで繰り出されるアンヘルの力と削れた命を守りながら繰り出すバルドの剣戦が縦横無尽に繰り広げられる。

 

「コおぉおおオオオ!!」

 

 どこから響いたのかわからない奇声とともに、バルドの左腕が振るわれる。

 巨大な丸太のような腕を左手でいなして、切り上げる。腹部を抉ったその斬撃は、苦悶に歪めさせた。

 

 痛みに狂って暴風のように手を振り回した。

 しかし、その姿に過去の迫力はない。弱弱しさに満ちていた。

 

「まだ、おわりじゃありませんよね?」

 

 余裕をつくる。余裕ぶる。

 胸からは命が溢れて、動けば動くほど死に近づいていくのがわかる。

 

 それでも、平然な顔をする。

 目の前の悪魔が苦痛に歪んで、悲鳴を上げるのをまるで愉しむみたいに笑う。

 

 バルドはそれでも果敢に殴りかかってくる。それを躱しながら、腕、足、背中、頭を順番に斬りつける。それでも突進するバルドを、外套を闘牛士のマントのように用いてかわし、切り刻んだ。

 

「ガああっ!」

 

 けれども、牛の悪魔の耐久力は尋常でなく、強烈なタックルを浴びせてきた。

 

 ――よ、よけれなッ。

 

 覚悟を決めた瞬間、ふたりの隙間に水色の影。シィールが割り込んできた。

 シィールが毬みたいに吹っ飛ぶ。それを見たアンヘルはなりふり構わず眼球に向けて横薙ぎに剣を振るった。

 

「ギぃやあアアアああああッ!!」

 

 強烈な叫びが辺りに轟く。残った目には怒りと、隠しようのない恐れが浮かんだ。

 

「ナぜッ!? ナぜ、ソこまで闘ウッ!!」

「じぶんのことを、気にしなくていいんですか? 悪魔っていうのは、意外に軟弱なんですね」

 

 嘲笑を添えた。無理やりに笑おうとしたにもかかわらず、表情筋は驚くほどスムーズにいびつな笑顔を作った。

 

「殺スッ!!」

 

 最後の勝負だと、バルドは再度クラウチングスタートの体勢を取った。必殺の構えだ。

 

 足は動かない。多分、受ける事もできないだろう。アンヘルの冷静じゃないところが囁いた。なら、刺し違えてでもやってやれと。

 

 マカレナを一瞬見た。目が合う。神に縋るような目で自身の惨状を気にもかけず、アンヘルの無事を祈っていた。

 その優しさにつけ込んで、暴行を加えた目の前の存在を許せなかった。

 なら、覚悟は決まった。

 

 轟音と共に巨躯が迫る。アンヘルはその砲弾みたいな頭部の光る角を、ジッと見つめる。

 長い角。その先をガシっと左手で掴んだ。

 

 気合の雄たけびともに、全身の光をふり絞る。音をたてながら床を引きずられつつも、その角を離さない。

 

 バルドの勢いが衰えるにつれて、喜びから戸惑い、そして絶望に変わった。

 もがくがピタリと停止する。

 

 ――これで、終わりだッ!!

 

 逆手に構えた剣を天に掲げる。そして、それをなんの躊躇いもなく脳天に振り下ろした。

 

 どすん、という音と共に脳を貫通した。

 

「あ、ア、あ、あ……!」

 

 バルドはかひゅかひゅと息を漏らしている。

 音をたてながら膝をついた。

 

 剣を引き抜いたアンヘルは、そのまま両手で持ちかえ、首筋に向けて振り下ろした。

 

 衝撃を伴って、バルドの首が落ちる。

 生臭い血がドバっと出てきて辺りに血の海を作った。

 

 アンヘルはばたっと地面に倒れる。裸のままのマカレナが駆け寄ってきた。

 ほっと息を吐く。

 

 怪物はピクリとも動かない。

 貧民街を荒らし廻った悪魔は、息の根を完全に止められ、地上から浄化されたのであった。

 

 

 

 §

 

 

 

「えぇー。ホントぉ、いいんですかぁ? 私が頼んでおいて、言うのも何なんですが」

 

 組合の新人担当の受付嬢――テリュスが(しな)をつくりながら、尋ねる。

 時間は午後の手が空き始める時間帯。アンヘルは疲れた身体を引きずりながら、報告のためなんとか組合に赴いていた。

 

「悪魔を倒せるってなかなかの奇跡ですよっ。その名誉を断るだなんて、ホント、いいんですかぁ?」

「けど、報酬が変わる訳でもないんでしょ? それに、君、すごく困るって……」

「いやぁ。それは、そうなんですが……。私も、連続で依頼を押し付けたって知られたらぁ、クビになっちゃいますしぃ」

 

 アンヘルは二度に渡ってテリュスに高難易度の依頼を押し付けられた。二度目の悪魔狩りに関してはテリュスにとっても不可抗力ではあったのだろうが、低級とはいえ悪魔を狩れるような新人と美人とはいえ唯の受付嬢どちらを優先するかということは明白であった。

 

 そういった経緯でテリュスはアンヘルに対して今回の事件の隠ぺいを頼んできたのだ。

 

 結局、バルドの悪魔化した姿は死体になると元通り人間になり、彼が悪魔であるという証拠はなかった。そうなれば、彼を悪魔だと知っているのはアンヘルとマカレナだけである。

 異端狩りの専門である執行者たちには、バルドが悪魔であったという証拠を見つけることもできるのだろうが、徹底した秘密主義の彼らが情報を漏らす可能性は低かった。

 よって、マカレナに口裏を合わせてもらえれば隠ぺいは簡単だった。

 

「いいんですかぁ? 有名になれば、いいチームに入ったりできますよっ。それに、スカウトが来たりとか? 興味、ありませんかぁ?」

「そういうわけじゃ、ないんだけど……」

 

 中年とのやりとりが思い出される。

 

 何を為したいか。それを見つけなければならない。

 アンヘルの頭の中でぐるぐるといろんな夢が巡るが、いまだ、これといった目的は見つかっていない。

 悩みは増すままだった。

 

「もう、ハッキリしませんねっ」

 

 テリュスが机の反対側から身を乗り出し、同時にアンヘルの腕をグイッと引っ張る。突然の行動になすすべもなく受付の机に倒れこんだアンヘルの頬に、なんだか柔らかい感覚が押し付けられた。

 その感触は一瞬ではあったが、女の柔らかい匂いと頬に当たる髪の感触がまじりあってなんとも言えない幸福感をアンヘルにもたらした。

 

 無限にも感じた至福の時間は、現実時間ではほんの一瞬で、テリュスの顔がどんどん遠ざかっていくにつれてアンヘルを現実に引き戻した。

 

「ほら、今回は私のためにがんばったってことでっ! それで、いいですよねっ」

 

 テリュスは顔をプイと背けながらそういった。その顔は窓から差し込む光で分かりづらいが、明らかに赤くなっていた。

 

 アンヘルは感触のあったところを手で抑えた。

 

 ――悩みもある、分からない事だってある。けど、そうやって生きていけばいつかわかるよね。

 

 後ろから感じるテリュス信者の視線を気にしつつも、アンヘルは前向きに進んでいくことを決めた。

 

 

 

 

 

 ミスラス教会の異端狩り特務班・執行者の捜査手帳には、現地に到着したときには悪魔は逃走済みで発見できずとある。

 調査事項には、首を落とされた地回りの男の死体のせいで騒ぎになっていたとあるだけで、他の者の名前はなかった。

 

 

 

 




*タウロスデーモンファンの方は申し訳ありません。
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