イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第五話:来路花は地に落ちて 上

 

「おい、着いたぞ」

 

 馬車のキャビンに乗っていた重装備の男が声をかけてくる。アンヘルが馬車から顔を出すと寂れた農村の風景が映った。

 

 村の周囲には、最近作られたと思われる木造りの柵が張り巡らされており、村人とは思えない物々しい装備の男が至る所で野営を設けていた。

 モンスターの死骸らしき物体が至る所で燃やされ、饐えた臭いが物騒な空気をより重くしていた。

 

 ルゴスの村。人口三百人あまりの小さな村である。この村は、近年作られた開拓村のひとつで、紫水晶の洞穴と呼ばれるダンジョンの前線基地兼補給所として作られ、魔道具を主に商う商家には欠かせない場所であった。

 当然、魔道具商売で稼ぐマカレナたちスリート商会もルゴス村は重要地点のひとつであった。

 

「オレはまとめ役に報告してくる。あんたらは仲間と野営の準備を手伝ってくれ」

 

 そういうと男は村の中心部に去っていった。

 

 スリート商会から派遣された傭兵はアンヘルを含めて十人。その内訳は、スリート商会お抱えと思われる六人と、外部から引っ張ってきたと思われるバラバラな装備の三人組であった。

 この部隊のリーダーは、スリート商会の当主謁見の際に扉で警護をしていた人間であった。

 

 部隊内の空気が良いとは言えなかった。険悪とまでは言わないが、まったく行動原理の異なるグループと完全なる個人が組み合わさってできた部隊である。有事にはどうなるか想像したくもなかった。

 そのうえ、三人組のひとりがアンヘルを与しやすいと考えたのか雑用を押し付けてきていた。この村に着くまでの一週間で疲労困憊であった。

 

 とぼとぼと歩くアンヘルの耳に、別の商会が派遣した傭兵の話が耳に入った。

 

「しっかし、ここはもうだめだな。想像以上にモンスターの発生量が多いぞ」

「ああ、オマエもスタンピードははじめてか。こんなの普通だぜ。ただ、戦力は足りねぇがな」

「やっぱりそうか。この数じゃ軍隊でもねえとどうにもなんねぇぞ」

「まぁ、そうだな。しかも、いっちゃん力を持ってるプロビーヌ商会の奴らが乗り気じゃねぇ。こりゃ、負け戦だな」

 

 そう会話しながら、傭兵たちは通り抜けていく。

 未来のない情報にぞっとしながらも村の内部を進んでいった。

 

 村の内部に行けば行くほど、人の数とその物々しさは増加した。そこに住む人の表情ははっきりふたつに分かれた。村人と傭兵たちのふたつに。

 

 傭兵たちは村に思い入れはないのだろう。依頼は紫水晶の洞穴のスタンピードを止めることなのだ。村での防衛は負け戦だと考えており、村である程度相手戦力を削り、それ以降の戦いが勝負だと認識しているのだろう。表情は浮かないまでも暗さまでは感じられない。

 しかし、村人はそうもいかない。この村が故郷で終の住処なのだ。能力も縁もない農民たちが他所で暮らせるはずがない。村人たちの顔は、絶望と諦観がブレンドされた暗い面持ちで過ごしていた。

 

 傭兵たちの噂話の通り、村内の空気は死んでいた。それでも村が廻っているのは、他人事ともいえる傭兵たちの空気が伝染しているのだろう。粛々と過ごす。死期を悟った老人のような雰囲気を醸し出す村であった。

 

 アンヘルたちは村人の指示にしたがって、村の中心である村長宅から幾ばくか離れたところに天幕を設営を始めた。

 カンカンと手際よく紐を繋いだ杭を地に打ち込み、天幕の布を張る。一週間繰り返しこなした作業だけあって手際よくこなしていく。アンヘルのほかには純朴そうな商会お抱えの青年が設営を手伝うだけで、他の人間は他所に繰り出していった。

 新人やよそ者に仕事を押し付けるのはよくあることで、この一週間、ふたりで雑用をこなすことが多くなっていた。

 

 荷物を天幕に運びながら、青年に尋ねた。

 

「あの……、さっき聞いたんですけど、情勢が悪いって本当なんですか?」

「ああ、そうみたいだね。とはいっても、自分もよく知らないんだけど。ただ、見れば誰にでもわかる。村の人はみんな下を見ているからね」

 

 青年はポリポリと頬を掻きながら答えた。

 

「大丈夫なんですか? 負け戦なんて」

「まぁ、それは心配しなくてもいいと思うよ。無茶な戦いをするほど、この村に価値はないと思うから。とはいっても、あんまり自信はないんだけど。いつもは護衛ばかりで外に出て戦うのはこれが始めてだから」

 

 青年もどこか他人事な様子で語った。その空気が好きになれなくて、より個人的な話題を振ることにした。

 

「探索者上がりじゃないんですか?」

「いや、自分は道場の出身でね。自慢じゃないけれど、都の若手大会で4強に入ったことがあるんだ」

 

 青年はそのことに誇りを持っているのか、満足気に胸を張る。そして腰に下げた剣の柄を握った。

 

「へぇー、すごいんですね。ぼくも剣を習っていたんですけど、なかなか道場で勝つのは難しくて」

「そうか。まぁ、道場で勝つのは簡単じゃないが、長くやっていればなんとかなるよ。自分は八つのときに――」

 

 ああ、始まった。話を深堀したことを後悔した。

 

 アンヘルはこの青年――イマノルが、自分語りを始めると中々終わらない事を一週間で学んでいた。話は壱に剣の話題で、しかも話題を繰り返す悪癖があった。それでいて空返事をすると機嫌を損ねるのだから面倒なことこの上ない

 この気の良い青年が嫌いではなかったが、悪癖を好きになれる人間は少ないだろう。目の前の青年をそう評しながら、相槌を打った。最後にどうやって締められるか想像しながら。

 

「――それなのに、あいつらは認めようとしない。いつまでたっても門の警備や雑務ばかりだ。剣術じゃ敵わないくせに、実戦経験が足りないとかいっていつも冷遇される。これが老害でなければなんだっていうんだ」

 

 予想通りの終わり方にデジャブを感じた。この青年の意見は最終的に上司批判に帰結する。それには一理あり、また社会の必然性を(はら)んでいた。

 

 イマノルは主張するとおり腕に自信があるのだろう。その自信は剣術を見なくても面持ちから想像できる。しかし、完全実戦派であるアンヘルには危うい強さに見えた。そもそも、道場剣術のような綺麗な武術などモンスターや得物の違う相手が跋扈(ばっこ)する戦場では意味などなく、経験こそが力だとアンヘルは考えていた。それは、実戦経験豊富なベテランほど実感しているだろう。

 しかし、武芸を知らぬものにそれを証明するのは簡単でない。雇い主に戦いの腕の証明を望めば、どうしても真っ向からの剣術勝負になり、一対一の戦いを得意とする青年に勝てはしない。

 

 そうなると、お抱えの商会の護衛たちは実力が足りぬと思っている若者に公衆の面前で負け、青年は実力で劣ると思っている護衛たちから雑務を押し付けられるという対立構造を作り出していた。

 

 このどちらも間違っていない主張は難しい問題だった。正論も慰めもイマノルには逆効果である。結局、アンヘルは同意を返すしかできなかった。

 

 ――言ってる理屈はわかるけどなぁ。そういうものって思うしかないと思うけど……。

 

 そう考えながら、話を続けることが面倒になったアンヘルは今までの経験の中で似た事例を話してやり、自身も同じ経験をしたと話を合わせる。イマノルはその言葉に頷き、理解を示し、満面の笑みで理不尽に戦おうという決意を示した。

 アンヘルは最後に同意を示すと、この話は終わりとばかりに作業にとりかかった。その作業の中で自身の聞き役としての立場が確立されそうになっていることを危惧した。

 

 

 数刻は経っただろうか。

 頂点にあった太陽はかなり傾いており、もうすぐ夕暮れ時になることを示していた。設営を終えたアンヘルは荷物の近くで座り込み、人が往来する道をただジッと見つめていた。

 

 そこにふたりの男が激しく意見を交わしているのを中心とした集団が歩いているのが目に入った。

 

 ひとりの男は若い。年頃はアンヘルと変わらないかひとつふたつ上といった所だろう。整った相貌と艶のある躑躅色(つつじいろ)の髪がその青年の特別さを現していた。

 質のいい上着を羽織った黒髪の青年は、唾を飛ばす勢いでもうひとりの男に口吻(こうふん)を尖らせた。

 

「なにを考えてるんだ、あんたは。撤退だと!? 村がどうなってもいいのか!」

 

 もうひとりの男はそれを歯牙にもかけない様子で青年の赫怒(かくど)を鼻で笑った。

 

「こっちは仕事で来てんだよ。わざわざ意味のねぇ橋は渡らねぇ」

 

 そう返した禿頭(とくとう)の大男は、つまらなそうにボリボリと髭を掻いた。

 大男は重装備で、如何にも傭兵といった風貌であった。それでいて、そこいらの人間とは違うと一目でわかるほどに別格の風格を備えていた。その窪んだ眼窩に備えられていた鋭い鴇色(ときいろ)の眼が青年を見た。

 

「そもそもてめぇに指図される筋合いはねぇ。こっちはプロビーヌ商会の指示で来てるんだ。気に食わなけりゃ、あんたらだけで防衛すりゃいいじゃねぇか。止めやしねぇぜ、俺らはよ」

 

 そういうと大男は青年を笑う。同時に、大男の部下らしき集団から嘲笑の嵐が沸き起こった。

 

「村人はどうなる! このままじゃモンスターに呑まれるぞッ!」

「それこそ知ったことじゃねぇ。ハハッ。それで足止めになるんならいいんじゃねぇか? 肉壁さ、肉壁」

 

 その言葉で青年は拳を握りしめた。

 今にも殴りかかろうとするほど、青年の顔は怒りで染まっていた。

 

「おい、エルンスト、やめろ。もういくぞ」

 

 青年の後方で控えていた若者が(いさ)めた。このままでは殴り合いになると判断したのだろう。ポンと肩に手を置いて、青年を引っ張っていった。

 それを見た大男も唾を吐き、青年とは別方向に消えていった。

 

 彼らのやり取りを聞いていた村民は暗い顔をしている。そして青年に希望を託しているようにも見えた。吹き消えそうな小さな希望を。

 

 アンヘルの横でくつろいでいたイマノルが心配そうに呟いた。

 

「なかなか、今回の戦いは難しそうだ」

 

 諦観の念に満ちた村内を、来路花が寂しく見守っていた。

 

 

 

 §

 

 

 

 夜半になり、天幕へ帰ってきたスリート商会のリーダーの男は、アンヘルたち部下全員を集めると情報と仕事を告げた。

 

 現在、主力を務めるプロビーヌ商会の傭兵団と村人の信を得ている探索者の間で意見の対立が起きており、その意見の一致まで数日は要するだろうとリーダーは語った。

 プロビーヌ商会の傭兵たちはここから一日の距離にある峡谷で陣営を築き、帝都や他の街にモンスターを行かせないための防衛線を張ること主張している。モンスターを効率的に狩るには地理的に優位な場所へ陣地を設けるのは妥当な判断であるし、多くの傭兵たちも賛成しているとのことであった。

 

 他方、村人の信を得ている探索者――エルンストたちは、村の防衛を提案していた。数少ないとはいえ、実力者が揃っているとの噂である若い探索者たちは、全員一致して村の防衛を行い、その間に援軍を呼べば十二分に討伐可能だと主張していた。

 

 しかし、スリート商会のような数が少なく実力者もいない隊には発言権などないに等しく、意見が固まるまで細々とした雑事に従事すると決まった。とはいえ、リーダーは多くの傭兵たちと同じく、撤退を希望しているのはありありと分かったが。

 

 このような事情から、スリート商会の傭兵たちは事実上必須な仕事を持たない遊軍的立ち位置を得ていた。

 当然、仕事も各々の力量を十分に生かすため、別れて行動することとなった。

 

 リーダー率いるスリート商会の護衛たちは、村内の情報収集および村の防衛。

 三人組は単独行動による哨戒。

 

 ここまでは理解できたが、なぜかアンヘルは村の義勇軍、その中でも少年団である一隊の訓練役兼まとめ役を任された。

 

 経緯は一切不明であったが、年頃、風貌から駆け出しだと判断されたのだろう。体のいい厄介払いとも言える。それでいて村の少年たちの御守という危険のない仕事ならば、邪魔にもならないと判断したのだろう。結果、反論の余地なく、子守役を担うことになった。

 

 ――とはいうけど、ぼくあんまりリーダーって向いてないんだよなぁ。

 

 目の前に少年たち六人が粗末な木の板を胸に貼り付け、石を先端にこさえた槍を携えて立っていた。日はまだ頂点に達しておらず、あと一刻もすれば昼になるという時間帯である。

 肌寒くなり始める時期の日光は、程良い気温を作り出していたが、アンヘルは冷や汗でいっぱいであった。

 

 ため息をひとつ吐くと、少年たちに告げる。

 

「ええっと、ぼくが訓練役兼まとめ役を担うアンヘルです。みなさんのことを良く知りたいので、名前とかを一人づつ教えてください」

 

 その言葉に反応したのは、右も左も分からなさそうな少年と敵意をまったく隠さない似た年頃の少年だけだった。それ以外の少年達は、眼中にないといった様子で私語を繰り返していた。

 

「えーと、ぼくのなまえはリカリスっていって。それでそれで、好きなものは――」

 

 舌っ足らずな口調で、隊内で最も幼い少年が名前を告げる。続いて好物や家族の名前などを喋り、それでも終わらずに話し続けた

 

「うん、ありがと。もう大丈夫だよ。そこらへんで」

 

 途中で遮り、次の敵意を向けてくる少年に話を振った。しかし、少年は睨んだまま何も答えなかった。残ったのは、こちらに一切感心を寄せない少年達だけであった。

 

 アンヘルは心の中で頭を抱えた。

 

 こうなることは明白であったとはいえ、何の捻りもなく見せつけてきた自身の統率力の無さが悲しくなった。そのうえ、少年団の現状は最悪の一言であった。

 

 少年たちはアンヘルよりも幾らか年下といった様子で、最年少のリカリスに至っては齢10を数えているかすら微妙なラインである。そして農村特有の細い体格では、そろいもそろって肉壁にも成れなさそうな頼りなさである。

 その頼りなさに拍車を掛けるのが木の防具と石の槍であった。少年たちに鉄製の武具を与えるほどの余裕があるわけないと分かりきっていたが、それでもこうやって揃ったところを見ると悲惨である。

 

 アンヘルはため息を飲み込みながら敵視する少年に近寄り、尋ねた。

 

「君の名前はなんていうのかな?」

 

 刺激しないようにゆっくりとした口調で尋ねたがまったくの無意味で、少年は気勢高らかに罵ってきた。

 

「へっ。別にどうでもいいじゃんかよ、名前なんて。どうせ村なんか放ってくんだろ。あんたらヨウヘイはさ」

 

 その声変りをしていない高い声が辛辣(しんらつ)な言葉を紡ぐと、井戸端会議をしていた少年たちも敵意を隠さない目でアンヘルを睨んだ。

 

「アンタがいなきゃ、武器がもらえないっていうんで来ただけで、それ以上の意味なんてない! ジッとそこで立ってろッ!」

 

 そうだ、そうだと叫ぶ少年たちの声が響いた。

 

「いや、まだ傭兵が撤退するとは決まったわけじゃ……」

「なにが決まったわけじゃないだ。どうせ、子供だから何も知れないって思ってるんだろ。オマエラにとっちゃ村なんざどうでもいいってことは分かってるんだ。言い訳なんざ聞かねぇよッ!」

 

 その言葉でアンヘルは返事に詰まる。その言葉は確信をついていたからだ。実際、村の去就などどうでも良かった。村の今後など大きすぎて手に余る。ただ、この村に未来はなさそうだという予想があっただけだった。

 

「けど、君たちは子供だし……それに、そんな装備じゃ」

 

 自身で言っていて、これは詭弁(きべん)だなと思った。反論のための反論。意味のない対論が口から流れ出る。

 

「だからなんだってんだ。子供だから戦わなくてよくて、それで村は助かるってのか。そんなの、他人事だから言えるんだ!」

「……きみたちが村から逃げれば、よそでやり直せる。わざわざこの村に残って死ぬことはないよ!」

 

 必死に言葉を紡いだ。紡げば紡ぐほど、ほころびが生まれる。それでも、彼にこれ以上続きを言わせたくなかった。なによりも、自身が分かっていたから。

 

「そう、君たちは探索者になれば暮らせるかもしれない。それに街へ行けばいくらでも仕事が見つかるよッ」

 

 必死に提案する。けれど、少年に軽くいなされた。

 

「探索者なんて成功するわけないッ! それに、数人の奴が街へ行くんじゃなくて、村全員で街にいったところで仕事なんてなくて、ほとんど死ぬに決まってるッ」

 

 それは、世俗に疎いアンヘルであっても容易に察せられる未来だった。

 街への移住は良い案に見えるが、それは年若い少年少女だけに許される特急券である。いくら街に仕事が溢れているとはいえ、将来も学もない農村出身の中年を雇う奇特な者はいない。見習いとして、若者を雇うものはいるだろうが、彼らの報酬だけで家庭を養えるはずもなかった。

 つまり、残された道は各家族が持てる伝手を頼って、バラバラに先の見えない移住を決断するしかないのである。

 

 アンヘルだって分かっている。

 貧困から村を捨て、家族と別れを告げ、探索者になったのだ。そして、その道が簡単でないことなど百も承知だった。

 

 それでも、死ぬと分かっている少年たちを戦わせることなどできない。そこまで人間性を捨てたつもりはなかった。しかし、説得の糸口は見つからなかった。

 

「ここはオレたちの生まれた村で、故郷さ。家族や友達が住んでるんだ。関係ないやつはすっこんでろ」

 

 その口火で、少年たちは各々訓練を始めてしまった。

 

 アンヘルは少年の言葉に打ちのめされ、立ち尽くす。

 

 凄然(ぜいぜん)たる現実。

 阻むことのできない崩壊の序曲が聞こえてくる。アンヘルの中で、村の消滅は仕方のないと思っていた。

 

 人間は敵わない巨壁にぶつかることはある。それが村の去就というような、ひとりの人間の力では余る事態に遭遇すれば誰だって隠れて、誤魔化してやり過ごす。仕方ないさと笑って心を誤魔化して。

 

 弱い我々には、身の丈以上の不条理、いやちっぽけな悩みすらも満足に抱えられないのだ。

 

 けれども、目の前の少年は違った。

 アンヘルの理想論ともいえる綺麗事が、この壮絶な事態のまえでは糞の役にも立たないことを一部の隙もなく理解していた。彼が信じるのは、ただ残酷なまでのちっぽけな自分自身の力だけだった。

 

 日本にいた頃なら、画面の向こうの非現実的な決断を一刀両断し、無謀な少年の選択を笑っただろう。どうして、分かり切っている死の結末に進むのかと。しかし、探索者として生き抜いてきたアンヘルに、少年を笑うことはできなかった。無慈悲で無意味な世界に、それでも抗おうとする少年の高潔な意思に。

 

 しかし、その意思こそが彼らに最も必要ないものなのだ。

 

 少年も、誰も高潔さや理想論のような虚ろで飾り立てられた言葉を必要としていない。彼らが欲しがるのは、現実を救う方法だけだ。

 これが異郷の地の現実であった。

 

 まだ高校生にもならぬほどの年若い少年たちに、これほどまで悲痛な覚悟を独りでに決めさせる。そして、その覚悟は、一片の価値もないと言わんばかりに世界に飲み込まれていく。

 

 不条理の極みが、弱者である少年たちを飲み込もうとしていた。

 

 その小さな身体が生み出す拙い武芸を見つめた。

 アンヘルたちが『塔』の探索を始めたころよりもなお幼く、それゆえに弱く頼りない槍術。貧相な身体。基本もない武技に悲壮な輝きを見た。

 

 眼前が涙で(にじ)んだ。

 

 力なき己の不甲斐なさをこれほどまでに呪ったことはなかった。そして、それを覆せないということも。

 

 そんな思いとは裏腹に、完全に無視して行われる少年たちの訓練。

 唯一残った舌足らずの幼い少年――リカリスがキョロキョロと勝手に訓練を始めた少年たちを眺めている。事態を理解するほどの成熟していないのか、明らかに知性が足りていなかった。

 

 涙をごしごしと袖で拭い、リカリスに声をかけた。

 

「ええっと、相手がいないならぼくが相手をしようか?」

 

 リカリスは、アンヘルとは対照的な満面の笑みで頷いた。

 

 

 

 §

 

 

 

 訓練は夕刻になるまで続いた。長々とリカリスの相手を務めたことで、幾ばくか信頼されたのか他の少年の名前を訊きだした。

 

 アンヘルを敵視していた少年――イゴル以外の少年たちとは当初よりもかなり打ち解けられた。もともと、少年たちは村の防衛にやる気のない傭兵たちに敵意を抱いていたのであって、リカリスの相手を長時間続けるアンヘルを嫌う理由は少なかった。その代わりとして、幼い少年に長時間付き合うアンヘルを見くびるようになっていたが。

 彼自身はまったくもって気に入っていないが、侮らせることに掛けては右に出るものはいない。そんな人物に成長しつつあった。

 

 しかし、イゴルは違った。彼の憎しみは根が深かった。それは、村を救ってみせるという悲壮な覚悟の表れにも見えた。それは訓練が終わっても続き、くたびれ果てたリカリスを送っていく道中でも後方からジッと睨みつけて監視していた。

 

 リカリスを背負うアンヘル。それををからかう少年たち、そしてその光景を後方から睨むイゴルという奇妙な集団が家に向かっていた。

 

 少年たちの中でもお調子者の少年が揶揄うように言う。

 

「なぁ、アンヘル。おまえずっと木の槍で訓練に付き合っていたけど、その腰の剣は飾りなのか。なら、オレにくれよ」

「いやいや、そういうわけじゃ。ただ、訓練で真剣を使うわけには……」

「へー。けど、アンヘルって弱いんだな。恥ずかしくないのか? リカリスなんかに負けてよ?」

 

 ――リカリスのやる気を失くさないように程々の勝負をしていただけなんだけど……。やっぱり、滅茶苦茶舐められるなぁ。

 

「いや、槍はあんまり得意じゃ無くて。ははは」

「そんなに弱いんなら、オレが剣を貰ってやるよ。ほら、倒したら魔石をやるからさ。な、アンヘルもそっちのほうがいいだろ?」

「いやぁ、それは。そう、これは形見だから。だから人には貸せないんだ。ごめんね」

 

 剣が形見ってどんな家の出身だと突っ込みを心の中で入れながら、苦しい言い訳を述べた。それでも一定の効果はあったのか、少年は剣を奪う計画を諦めたようだった。

 

 くうくうとリカリスの寝息が耳に入る。

 

 ひとりふたりと少年たちが自分の家に着く。そのたびに、からかうような、それでいて拒絶ではない別れを告げる。残ったのは、リコリスと睨み続けるイゴルだけだった。

 

 そうやって歩いていると、イゴルの家の前に差し掛かる。イゴルはむすっとした顔で家に向かうが、家の前で傭兵たちがひしめいているのが目に入り立ち止まる。

 

 彼らは昨日見たプロビーヌ商会の傭兵たちで、革の鎧や槍、剣で武装しており、その人相の悪さも相まって極悪人に見えた。彼らはイゴル邸の前で、成人に差し掛かりつつある女性を取り囲んでいた。

 

 アンヘルの耳に周囲を取り巻いていた野次馬たちの声が届いた。

 

「ありゃ、彼女また傭兵たちにちょっかい掛けられてら」

「だいじょうぶかいな。さいきん、あいつらも物騒になってきておるしなぁ」

「そだそだ。そんで、ベッピンさんやからね。こら、えらい災難だわ」

「クセルトのとこの女房さも連れてかれて、一夜中責め抜かれたって話だべ。今は、ショウフ以下の扱いで傭兵に引きまわされてるて聞いただ」

「聞いた聞いた。それを止めようとした父親は滅多打ちにあって床に伏せっているうえ、クセルトは部屋に閉じこもって出てこないんだろ。あいつの家に行ってきたが、うめき声が聞こえただけだったぜ。もう、おれたちゃ終わりさ」

「領主さまも助けちゃくれねぇしなぁ、なにが悪かったのかねぇ」

 

 村人たちが諦観の面持ちで凶行を見守っていた。いや、立ち尽くしていたのだろう。ただ通り過ぎるのを待っている。そんな印象を受けた。

 

 栗毛が特徴的な女は、最初は声だけで抵抗していたが、傭兵のひとりが手を掴みあげ、その合間に後ろへ廻った男が不意にスカートをまくり上げたことで反射的に手を掴んでいた男を平手で打ってしまった。パシンという乾いた音が辺りに響き渡る。

 

「テメェッ!!」

 

 殴られた男が眼の色を変えて、腰の剣に手をかける。女に恥をかかされた男は、もう一切の容赦をしないといった冷酷な目で女を見つめていた。

 同時に、後方で睨んでいた少年――イゴルが、男の怒声で自分の前で家でよからぬ事態が発生していることに気づき駆けながら叫んだ。

 

「姉ちゃんッ!!」

 

 イゴルが傭兵たちの間をぬって、姉と傭兵たちの間に立ちふさがった。両の手を広げて姉を庇うように立ちふさがる。それでいて、庇われた姉のほうも強気に傭兵たちを睨めつけていた。

 

「ああん、なんだぁガキ? いっちょ前に騎士さまの真似事かぁ?」

「姉ちゃんには指一本触れさせないぞッ!」

 

 鬼気迫るといった少年の様子に一瞬怯んだ顔となったが、その容姿を見て余裕を取り戻す。にやにやと笑いながら諭すように告げる。

 

「だーからよう。べつにおれたちゃ取って食おうって訳じゃねぇんだ。ただ、このなんもねぇド田舎の糞不味い飯や酒をつまむ(さかな)として、枯れ木みたいな婆じゃなくて若い女にちょっくら酌をしてもらおうって寸法なわけよ。そうすりゃ、この潤いのねぇ日々に一滴でも足しになるってもんさ。ま、そのあとのことは要相談って感じだけどよ」

 

 男たちはヒヒッと意地汚く笑っていた。その好色そうな視線は、女のふたつの盛り上がった丘陵に向いていて、意図は明らかであった。

 欲望でぎらついた目に、女は勝気なつり上がった目をしばたかせた。瞳は明らかな怯えが宿っていた。

 

「姉ちゃん、下がって」

 

 イゴルが槍を構えて、女を家の扉ぎりぎりまで後退させる。そうして、最前面にいる男へ槍を突きつけた。

 

「へへッ、なんだそりゃ。石の槍ってか。そんなんで、どうやって勝つっていうんだぁ?」

 

 槍を突きつけられた男は嘲笑を浴びせた。余裕と侮りがありありと見える。そもそも体格からして大人と子供ほどの差があるのだ。そんな子供に石造りの槍を構えられても滑稽なことこの上なかっただろう。

 

 男が悠々と一歩を踏み出す。イゴルはその余裕につけ込んだ。

 イゴルが顔に向かって槍の穂先を付きだす。男はそれを軽々と避けた。

 

 しかし、狙い通りと言わんばかりに腰に携えた石のナイフを左手で抜き、脇腹の装甲が薄い分に突き立てた。余裕綽々といった様子の男の口から悲鳴が漏れる。そして呻きながら倒れた。

 

「やりやがったな」

「なめてりゃ、調子に乗りやがって」

「ガキが、ぶっ殺してやるッ」

 

 周囲の傭兵たちが得物を抜き、脇をナイフで刺された男も増悪を宿しながら立ち上がった。そして周囲の男達を手で制した。

 

「テメェら、手を出すんじゃねぇ。こいつはおれが直にボコボコにしてやんなきゃ気が収まらねぇ。そんでもって目の前で大事な姉ちゃんを泣き叫ばせてやるぜ。おら、かかってこいや」

 

 男の眼は今までとは違って完全に据わっていた。一歩違えばイゴルもととも彼の姉も斬り殺しかねない。

 

 アンヘルは息を吸って飲み込んだ。

 当然、警察の代わりになる治安維持機関には期待できない。そのうえ、自身の傭兵としての立場から、プロビーヌ商会のような大規模な傭兵団に敵対するのも好ましくない。しかし、こみ上げてくるものを飲み下せなかった。なぜか彼の無鉄砲さが、残してきたホセや兄弟たちを思い出させたからだ。

 

 リンクスを老人に任せ、野次馬をかき分けて中心に躍り出る。そして震えた声色で言った。

 

「待ってください」

 

 仲間を傷つけられて怒り心頭な男たちの前に姿をみせた闖入者(ちんにゅうしゃ)に面食らっていた。そしてそれ以上に、イゴルは助力するアンヘルに驚きを禁じ得ない様子であった。

 

「ああ、なんだぁ、てめえはよ。どこの傭兵か知らねぇが引っ込んでやがれ」

「その、彼は私たちスリート商会が指揮する義勇兵のひとりなのです。戦いが佳境に迫っているなか、戦力を失いたくはありません。どうにか、手をひいてはいただけないでしょうか」

 

 アンヘルは早口で賢しらげに言葉を並べ立てて、深々と頭を下げた。そうやって煙に巻くのが、血気盛んな相手の気勢を削ぐと分かっていたからだった。

 その行為は、男たちの毒気を抜いた。男達も使い走りで、他所の傭兵と揉めるほどの気概や地位を持つ者は集団の中にはいなかった。

 

 スリート商会の名前を勝手に使うのは賭けだったが、こんな依頼を受けさせられた腹いせに名前くらいは存分に使ってやろうという反骨精神が賭けを断行した。

 

 弛緩した空気の中、男達が顔を見合わせる。

 なんとか矛を収められそうだ。そう考えていたアンヘルに、訃報(ふほう)を知らせる声が届いた。

 

「ああッ? どうしたてめぇら」

 

 ゆっくりと野次馬の群れを割りながら、男が歩いてきた。そのひときわ大きな身体つきをした禿頭の大男は、残忍な笑みを浮かべていた。

 先日見かけた、プロビーヌ商会の傭兵団団長の姿であった。

 

 

 

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