イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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はじめて誤字訂正を頂きました。ご指摘の通り、明らかに間違っていますね(笑)。二ノ吉さま、報告ありがとうございます。


第六話:来路花は地に落ちて 中

「俺の部下が世話になったみてぇだなぁ」

 

 禿頭の大男は、地の底から響くような低い声で言った。そして彫の深い顔の中に嵌る瞳には、そこいら有象無象の傭兵とは違って人を人と思わない残忍さが滲んでいた。

 

 その鴇色の双眸が、アンヘルを射貫く。

 

「団長。この野郎が得物を抜きやがって――」

 

 刺された男が大男に駆け寄った。同時に、彼らに変化が起き、烏合の衆だった集団が狼を頭に持った羊の群れの如く統一された空気を纏う。それほどまでに団長の信望は厚いのか、圧倒するようなカリスマが成せる業なのか。悪意が集団に戻りつつあった。

 

「なんなんだお前らは。姉ちゃんには絶対に手を触れさせないぞ!」

 

 イゴルが果敢にも叫ぶ。それは、登場した大男の巨大な存在感に対する警戒の裏返しであった。アンヘルも大男の出方を伺うようにして腰を落とす。

 

 その怯えた様子を大男は鼻で嗤いながら、部下に経緯を尋ね始めた。

 

「それで、何があったんだ?」

 

「あのガキがオレを刺しやがったんだ。許しておけねぇよ、頼む、ここは俺にやらしてくれッ」

 

 その言葉を聞いて、大男はボリボリと髭を掻いた。

 

 アンヘルには、男の雰囲気が冷たく、そして硬くなった印象を受けた。

 

「そもそも、なんで刃傷沙汰になってやがる。それだけはやるなって命令しただろうがよ」

 

「それは……あのガキが槍で突いてきやがったからで。べつに、俺が最初に手を出したわけじゃ――」

 

 話を最後まで聞かないまま、禿頭の大男は拳で顔面を殴りつけた。

 

 おおよそ人肉を打ったとは思えないような不快な打撃音と共に男が吹っ飛ぶ。トラックにでも跳ねられたみたく数メートル飛ばされ、イゴルの家の隣の家屋の壁に突っ込んだ。

 

 うめき声を漏らす男に禿頭の大男は悠然と歩いて近寄った。

 

「テメェは、俺の言うことが聞けねぇってのか」

 

 そう言って返答もできない男に向かって蹴りを浴びせ続ける。ぐふという肺から空気が抜ける間抜けな音と重い打撃音だけが辺りを支配する。

 

 十発は蹴ったであろうか。男はもう反応すらしない。周りの傭兵たちも顔を真っ青にしていた。

 

 大男が蹴りをやめ、周囲を見渡した。

 

「悪かったな。俺の部下が世話かけてよ」

 

 人相からは想像もできない優しい声だった。数瞬前まで部下を縊り殺す勢いで暴行を加えていた男とは一致しない柔らかい表情だ。周囲には無作法の部下を懲らしめたように見えたのだろう。イゴルの安心したため息が耳に届く。

 

 しかし、アンヘルだけはより強い恐怖に包まれていた。大男の瞳には、残忍さだけが宿っていたからだった。

 

 大男は言葉を続ける。

 

「けどよ」

 

 大男は視線を外し、倒れ伏した男を見る。そして、悼んでいると言わんばかりの責めの口調で告げた。

 

「あんたらが俺の部下を刺したってのは違い無さそうだ。ああ、可哀そうになぁ。ってことで、慰謝料として、この俺の世話係としてその女を使うってのはどうだ。文句はねぇだろう?」

 

 無茶苦茶な言い分である。そもそも、男をボロクズのように痛めつけたのは大男自身である。それをまるでなかったことにして、他人を責める性根がただひたすらに恐ろしかった。心の底から背筋をぞっとさせる恐ろしい響きは、姉に責め苦を受けさせる話を真正面でされているイゴルですら一瞬気圧されて反抗の意思を奪われたほどであった。

 

「どうかお許しを」

 

 反射的に、身体をふたつに折り頭を下げる。

 

 当然ながら、それを黙って聞き入れるわけにはいかなかった。イゴルの姉をこの怪物に差し出せば、イゴルは立ち向かい、そして命を散らすだろう。村の防衛という近い日に起きる死ではなく、守ってくれるはずの傭兵によって無残に縊り殺されるというまったく意味のない死に方で。

 

 感情を失くして、大男に謝罪する。

 

「ああ? それだけは許して欲しいってか。えらく都合がいいな。こっちは部下がやられたんだぜ。なら、代わりのもんを払うのが筋だろうが。そんなこともわからねぇのか。それとも、この女がそれほど大事か?」

 

「それだけはお許しを、なんでも、致しますので」

 

 しかし、そんな謝罪の言葉は男には通用しない。冷酷な瞳が刃のように光っていた。

 

「だから、てめぇの女かって聞いてんだよ」

 

「……はい」

 

「はあん、なるほどね。見ねえ傭兵だったが、あの若造らの仲間かと思ってたぜ。けど、そういうわけじゃなくて、私情ってことか」

 

 男は満足そうに頷いた。

 

「よし、気に入った。こういうのはどうだ。俺は今、融通の利かねえ若造らにせっつかれてむしゃくしゃしてるんだ。そこで、いまから俺と徒手空拳で殴り合うっていうのはどうだ。それで、この煙草が燃え尽きるまでにお前が立っていられたら、今回は勘弁してやろう。どうだ、じつにいい提案だろう」

 

 大男は凄絶な笑みを浮かべる。そして部下に煙草を持たせ、上着を脱ぎ、指をぽきぽきと鳴らした。

 

 イゴルが唾を飲み込む音が聞こえる。それほどまでに大男の巨躯は圧倒的であった。構えるとまるで巨人だ。アンヘルですら巨人に見える大男は、イゴルにとって真に怪物のように見えただろう。

 

 アンヘルは男を見た。

 

 巨躯、暴力に生きてきた風貌、そして練られた身体を纏う空気。経験も、ダンジョンによる強化も明らかにアンヘルを上回っていた。

 

 正直なところ、半分破落戸と変わらない部下たちには、一対一でなら倒せる自信があった。けれど、目の前の大男からは半端者とは違うオーラがあった。

 

 アンヘルには徒手空拳で戦った経験などない。そもそも武器を使わない身体の戦いでは、体格がほとんどを決める。リーチも威力も圧倒的に違うのだ。それに加えて、強化ですら敵わなければ勝ち目はほぼないと言っていいだろう。

 

 それは、文字通りの私刑宣言であった。

 

 諦めの境地に至りながら、両腕を顔の前に構えた。そして歩み出る。

 

 大男は嗤った。

 

「おらっ!」

 

 掛け声とともに大男が右腕を振り抜く。

 

 アンヘルの視界が一瞬真っ白に揺れた。そして、数歩後退する。腕の上から顔を殴られたにもかかわらず、鼻腔から逆流してきた血が喉を塞ぐ。

 

 ふらふらと元の姿勢に戻ろうとする。しかし、それすら許されなかった。

 

「まだ、始まったばっかりだぜッ!!」

 

 がら空きになった胴体へ拳が打ち込まれる。高温に熱された焼きごてを身体に押し付けられたようだった。一瞬意識が飛び、身体が傾く。けれどなんとか立っていた。口から唾が流れ落ちることにすら気にする余裕がない。

 

 たった二発でこのザマである。煙草に火が付けられてからほんの数瞬しかたっていない。

 

 立て続けに大男の三発目が放たれる。

 

 三発目になって漸く拳が見えた。大振りのその一発を少しだけそれるようにして身体を流す。それで、意識が飛ぶことはなかった。かわりに、拳を受けた腕から嫌な音がした。

 

 いつぞやの飲んだくれ一線を画しており、鍛えられた戦闘者の暴力は尋常ではない。人体を破壊するための暴力、その比類なき膂力から生み出された暴力は想像を絶していた。

 

 朦朧とする意識のなか、躱すのではなく受け流すことに終始する。頭さえクリーンヒットを受けなければ昏倒する危険性は排除できた。

 

 あとは、根性である。部活時代にくだらないと断じた根性論だけが、ただイゴルを守りたいという一心で身体を支えていた。

 

 数えきれないほどの轟音がアンヘルを打つ。そのたびに意識を刈り取られそうになりながら、繋ぎとめる。

 

 揺らされるたび、自身が誰なのかすらも分からなくなっていく。

 

 それでも残った、一粒の小さく頑なな意思が彼を立たせつづけた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「しかし、あの小僧、なかなかやりますね。アンヘリノ大将が本気でやってるっていうのに、最後まで立ちつづけるたぁ。良かったんですかい? 女を連れてこなくて」

 

 手に持ったナイフを弄んでいる痩身の男が、アンヘリノと呼ばれている男に話しかけた。

 

「ああ、別にいいさ。オレの拳を耐え続けたんだ。ちょっとくらいは褒美をやってもいいだろうよ」

 

 薄暗い天幕内でアンヘリノは裸身のまま、村でかっさらってきた女を奉仕させ続けている。暴戻の限りを尽くされたのか、眼は虚ろで涎を垂らしながら視線は定かでなかった。

 

 アンヘリノの周囲には、女の淫蕩を心行くまで楽しんだ男たちがにやにやと嗤いながら屯しており、事後の匂いと混ざりあって陰鬱な空気を作り出していた。

 

 その中の男の一人が、煙草も吸わずに久方ぶりの上機嫌な大将に気がつく。

 

「どうしたんですかい? そんな楽しそうに」

 

「気にすんなや」

 

 アンヘリノは(かしず)く女の髪を無造作に掴み、女の喉奥に向かって解き放つ。肉付きのいい身体が、喉奥に穢れた物を無造作に流されたことで嘔吐(えづ)き、震えた。

 

 長い放出のあと、用済みとばかりに女を放り投げる。

 

「あの野郎、なかなか楽しめたな。また、やり合いてぇもんだ」

 

 そう言ってアンヘリノは酷薄に笑う。

 

 アンヘリノは傭兵としてその立派な体躯を生かし好きに生きてきた。すべての戦いに勝ってきたというわけではないが、殆どの戦いで勝利をおさめてきた。

 

 だからこそ、飽きている。普通の快楽では満たされない。

 

 激変し、殺気を放ち始めたアンヘリノに恐れ(おのの)く傭兵たちを眺めながら、煙を更かす。

 

「次は、どうするかねぇ」

 

 アンヘリノのその冷酷な眼は、興味を惹かれる物を探す狩人の眼をしていた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 目覚めたアンヘルの目に映ったのは、つり上がった勝気な目が特徴のイゴルの姉の姿であった。

 

 彼女は力強いパーツがそれでいて柔和な笑みを浮かべていた。

 

「まだ起きちゃだめさ」

 

 女にしては低い声が響く。

 

「どうして、あんな無茶をしたんだい。あんたら傭兵には、村の事なんてどうでもいいだろうに」

 

 女の声でアンヘルが覚醒した事を察知したのか、イゴルが近寄ってくるのが視界の端に映った。そしてピタッと寝台の数メートル手前で止まる。その表情は戸惑いに染まっていた。

 

 アンヘルは目の前の女が告げた言葉を反芻(はんすう)する。どうしてか、と口で弄んだ。

 

 天井を見上げると、小さな蜘蛛の巣が目に入る。視線を振ると、唯一の(いろどり)として来路花の花弁が燦燦(さんさん)と花開いていた。よくある木造小屋であった。

 

 ぐっと力を込め、身体を起した。そして寝台から這い出ると、端に腰かけた。

 

「それは……」

 

 自分自身も理解に苦しむ行動だった。無理無茶を成す人間でないのは、自身が一番良く分かっていた。

 

 心理学者ならば自己解離性を伴う英雄症候群とでも診断するだろうか。くだらない妄想に笑みがこぼれた。

 

「イゴル君が僕たちの仲間だからですよ。だから、放っておくことはできません」

 

 発したセリフは嘘ではない。本音である。ただ、それがすべてではなかった。

 

 けれど、その綺麗事を聞いたイゴルは真に受け泣きべそをかいた。

 

「お、おまえ、おれがあんだけ(けな)したのにッ、それなのに」

 

 アンヘルの事を嫌い、助けられることで複雑に混濁した感情は放流した。ひとたび感情が決壊すれば留めることはできない。イゴルの眼からはボロボロと大粒の涙が落ちた。その目をごしごしと腕で擦っている。

 

 イゴルの姉は、そんな彼を微笑ましく見ていた。

 

 弛緩した空気が流れる。

 

 彼らは無事だったのかと安堵の気持ちが溢れた。そして、落ち着いた空気に馴染んだところで、自身の怪我の具合が気になった。

 

 腕を振ってみる。なんの痛痒(つうよう)もない。破砕された腕も、向こう数日は引かないはずの顔面の腫れもなかった。あれ程執拗に殴打されれば、傷痍(しょうい)によって数日は満足に動けないはずである。しかし、実際は一切後遺症がない。

 

 よくわからない現象に頭を捻る。

 

 リーンの治療を無制限に施せば、負傷を治癒できる。しかし、リーンを召喚した記憶はなく、治癒魔法を行使可能な知人や、治療薬を無償で提供してくれる奇特で財力を持つ知人に心当たりはなかった。

 

 経緯がつかめず頭を掻いていると、イゴルの姉がその回答を持っていると言わんばかりにふふっと笑った。

 

「その怪我が気になってるの? それは――」

 

 イゴルの姉の声は扉が開く音に遮られた。

 

 勢いよく開かれた扉の向こうから、壮麗な装備で身を包んだ躑躅色(つつじいろ)の髪の青年が現れた。

 

「おお、目が覚めたか」

 

 青年は目覚めたアンヘルを見ると、無造作に近寄ってきた。

 

「エルンストさんッ!」

 

 イゴルが喜色満面で叫ぶ。

 

 黒髪の青年は、(たしな)めるようにして口元に人差し指を立て静かにと言った。

 そして、イゴルの姉を一瞥する。すると、彼女はコクンと頷き、寝台の横に椅子を置いた。それをイゴルも静かに見守る。黒髪の青年は堂々とした動きで椅子に座った。

 

 ――なにか力強いものを感じるっていうか、普通の人じゃないというか。

 

 目の前の青年が只者ではなく、得体の知れない、なにか強大な力を(まと)っているように感じられた。使い込まれている実直な装備と堂々たる所作で、少年は明らかに只者ではいことは瞭然たる事実ではある。けれども、そんな見てくれには頼らない、アンヘルを完膚なきまで撃摧(げきさい)した大男とも違う存在格から別次元の生物のようだった。

 

 それは過去、たった一度だけ体感した凄絶(せいぜつ)なる力。ウルカヌ火山でアンヘルの危機を救った美貌の少女と同じ力、絶対的生物強者の証ともいえる魔の法を自在に操る者であった。

 

「もう起きても大丈夫か? オレが回復魔法を掛けたんだが、どこか痛いところでもあるか」

 

 アンヘルはもう一度、身体をゆっくりと細動させる。頭、肩、腕と障害が残りそうな部位を重点的に確認する。重大な損傷後には痺れが残りやすい手をもう一度振ってみる。何の違和感もない。それどころか、日々苛まれている、悪魔によって穿たれた胸の治療痕の幻痛すらもきれいさっぱり消えていた。

 

「えっと、だいじょうぶみたいです」

 

 続く「むしろ今までより快調なくらいです」という感想は飲み込んだ。

 

「そうか、いや、安心したよ」

 

 そういうと、青年は気を張っていたのか顔を弛緩させ、ホッと息をついた。伏せた目尻が、表現しようのない濃艶さだった。

 

 イゴルは二人の会話を遮って声を上げた。

 

「その、エルンストさん。兄ちゃんを助けてくれて、ありがとうッ!!」

 

 イゴルは勢いよく頭を下げた。同時に、イゴルの姉が話を遮ったことに対して謝意を抱えながらも控えめに頭を下げた。その言葉で、アンヘルも目の前の青年が自身の命を救ってくれた事実に思い至った。

 

「あ、その、ありがとうございました」

 

 そうやって頭を下げるため身体を浮かすと、青年は手で制した。

 

「いやいや、やめてくれ。これはオレたちが引き起こしたと言っても過言じゃない。オレたちは傭兵団をまとめる立場で村を守る存在なはずなのに、村を破壊する奴らをのさばらせているんだ。それを責められこそすれ、感謝されるような(いわ)れはないよ」

 

 青年は苦虫を噛みつぶしたような表情をつくった

 

「こちらこそ、礼を言わせてくれ。君のおかげで二人を助けることができた」

 

 そう言いながらエルンストは頭を下げた。

 

「いえ、そんな。やめてください」

 

 照れながら手を開きをぶんぶんと横に振った。

 

 こうやって、正面から真摯に感謝されるのは何時ぶりだろうか。少なくとも、異郷の地における記憶にはほとんどないなと過去を振り返る。

 

 そんな様子を見て青年は笑顔を作った。

 

「そういえば、まだ、名前を聞いていなかったな。君の名前を教えてくれないかな? って、まずは自分の名前からか。オレはエルンスト……傭兵さ」

 

「ぼくはアンヘルです」

 

 控えめに答えた。

 

「そうか、アンヘル。一応聞くが、君は傭兵なんだよな? 装備からそうだと思うんだが、君みたいな年若い傭兵は仲間以外この村では中々見かけなかったから。もしかして、たまたま村に立ち寄った探索者なのか?」

 

「昨日来たスリート商会の傭兵です」

 

「ああ、スリート商会の。そうか、なら納得だ」

 

 エルンストは朗らかな声で納得した。合点がいったとばかりに手を合わせる。

 

「そう、兄ちゃんは今日から俺たちのリーダーなんだッ」

 

 イゴルが寝台に飛び乗った。姉の咎める声が小さく響く。

 

「こら、邪魔しない。エルンストさんは忙しいのよ」

 

「別にいいよね? おれ、じゃましないし、それに、エルンストさんは優しいからそんなこと言わないよ。だからいいでしょ」

 

 身体を張ったのがよかったのか、それとも取り繕った善意に絆されたのか、イゴルに認められたようだった。今の彼は丸きっり別人で、棘のある罵声もなく心を開いている。

 

 エルンストは微笑ましそうに笑った。

 

「ハハ、そうか。アンヘルはいいリーダーなんだな」

 

 いえと反射的に否定しそうになった。実際のリーダー業務は何もしていないのである。

 

「けど、ごめんな。オレもアンヘルと話すことがあるんだ。申し訳ないんだが、二人きりにしてくれないか」

 

 イゴルの姉が恥ずかしそうに頬を染める。

 

「いえ、そんな。申し訳ありません。こら、イゴルッ。ほら、さっさといくよ」

 

「えー、なんだよ姉ちゃん。べつに、いいだろー」

 

「ばか言ってない。さっさとくる」

 

 イゴルの姉は聞き分けのない弟を引っ張っていきながら、扉の前で一礼すると部屋を出ていった。

 

 静寂が流れる。二人で向き合う時間が流れた。

 

 二人とも話を切り出せずに沈黙する。アンヘルは戸惑って、エルンストはどう話したものかと悩んで。

 

 最初にその静寂を切り裂いたのはアンヘルだった。

 

「聞いても、いいですか」

 

 エルンストは一瞬訝し気な目をする。

 

「あ、ああ。べつに構わないが。どうしたんだ?」

 

 アンヘルは好奇心と保身を両天秤に掛けて、より好奇心に重りを追加した。どうしても気になったのだ。

 

「その、本名を教えていただけませんか」

 

「本名はすでに言ったが? エルンストが本名だ」

 

 エルンストは意味不明と首を傾げた。

 

 言葉が足りなかったかと考えながら、そういう意味じゃないと首を振り、もう一度尋ねた。

 

「そういうわけではなく、フルネームを教えてくださいという意味です」

 

 エルンストの表情が変わる。そして、一段階低いトーンで返答した。

 

「どういう意味だ」

 

「……今、考えていらっしゃる通りの意味です。エルンストさんは我々とは違う高貴な身分かとお聞きしました」

 

 エルンストの冷たい目が射貫く。圧力が増した。

 

「なぜ、そう思うんだ」

 

「あなたが、回復魔法を使えるからです」

 

 その返答にエルンストの張りつめていた気が緩んだ。そして、(たしな)めるようにして言った。

 

「回復魔法が使えるだけで貴族と決めつけるな。市井にもいただろう、回復魔法が使える人間は。教会の司祭や治療院の医者がいい例だ」

 

 エルンストは、ははと小さく笑った。

 

 教会・治療院に回復魔法を使える人間は、希少ではあっても存在する。そもそも魔法は貴族にだけ許された御業(みわざ)ではない。人は大なり小なり魔法を使える。幾年ものたゆまぬ努力があれば、魔盲と呼ばれる一部の無能者を除けば、ライター程度の火魔法は誰でも行使可能だ。

 

 ただ、魔法を費用対効果の面で有効な段階にまで持っていくには、才能とそれに合わせた技能開発が必要である。才能の乏しい人間には明らかに費用も労力も効果には見合わず、一般人には才能のある者か金持ちの道楽としてしか魔法は学ばれない。

 

 そして唯一、外科技術と密接に関係する治癒魔法の技術は魔法技能の中でもポピュラーな費用対効果の面で優れた技能であり、一般人にも学ぶ価値のある技能のひとつであった。

 

 しかし、アンヘルはその事情を加味したうえで、エルンストが高貴な身分であると考えたのだ。

 

「あなたは、市井に出回っている回復魔法より高度な魔法を行使できるのではないですか? それに、洒落で装備しているようには見えない、使い込まれた武具。飾りには見えません」

 

 語りを続ける。

 

「探索者に始まる戦闘行動を前提とする魔法技能所有者は回復魔法よりも攻撃魔法を優先して習得します。体系づけられた魔法を学ぶ機会にない魔法士は、自身の特徴と合致した唯一の技を研鑽(けんさん)します。必然、回復魔法などにまわす余力はありません。武術や交渉術、人脈などを作る必要がありますし、治療は金や薬で補えますから」

 

 エルンストは黙している。

 

「つまり、戦闘技能に優れるもので回復魔法が使えるものは貴族に限られます。神官の可能性もありますが、傭兵に成りすます可能性はかなり低いと思われます。それに、彼らはなにより分かりやすいですから」

 

 話し終えると、緊張をほぐすように息を吐いた。

 

 沈黙が場を支配する。

 

 長い沈黙のあと、エルンストは参ったという顔をした。

 

「ふぅ、アンヘルのいう通りだよ。バレては仕方ないな。オレは、エルンスト・オーゲル・シュタール。法政家を輩出するシュタール家の次男だ」

 

 エルンストは乾いた笑みを浮かべた。

 

「よくわかったな。このことは、仲間にも数人しか打ち明けていなんだが。それにしても中々貴族事情に詳しいな」

 

「士官学校上級士官養成課程を受験する友達から聞いたことですから」

 

 それに、と続ける。

 

「他の人も知っているんじゃないでしょうか。正直、初めてお会いしたときから只の傭兵には見えませんでした。仲間の方も薄々気づいているのでは」

 

 エルンストは眉をへの字にした。

 

「……本当か?」

 

「分かりませんが、少なくとも知っていて言わない人もいるのではないかと」

 

 目の前の少年が、隠し事が上手には見えなかった。節々から感じられる家柄の良さ、教養の高さ。整った容貌を合わせれば、平民の傭兵に見える奴のほうが異常者だ。

 

「初めて言われたよ」

 

「恐らくですが、皆さん気を使われていたのではないかと」

 

 その言葉でエルンストは悩む表情を一瞬作り、冷え切った空気を打ち切るような空々しい元気な声で述べた。

 

「まあ、いいさ。なあ、なら、少なくとも知っている君がそうやって(へりくだ)るのは止めてくれないか。今は、ただの傭兵で、君となにも変わらない対等な存在なんだ」

 

「そういうわけには」

 

 無理な注文であった。心に刻み込まれた記憶。権力という名の怪物を見て育ってきたアンヘルに、貴族と対等な関係を築くことは不可能に近かった。

 

 それを気にせず、エルンストは咎める。

 

「ほら、敬語。オレは出身が貴族ってだけで、今はそんなの関係ない。それに、オレは貴族だからって威張り散らすのは好きじゃないんだ。ほら、気楽にエルンストって呼んでくれよ」

 

「ええっと……それなら、そうするよ」

 

「よし、それでいい。オレのことを知っている仲間も対等に話してるんだ。アンヘルもそうしてくれ」

 

 平易な言葉で話し合うことに同意したわけではない。

 

 相手がそれを望むならそうする。それこそが、アンヘルの上位者との付き合い方であり処世術だった。

 

「いや、雑談が長くなったな。アンヘルに、聞いてほしいことがあるんだ」

 

 エルンストはそう前置きした。

 

「アンヘルも聞いているかもしれないが、今、ダンジョンのモンスター討伐について傭兵たちで意見が分かれていることは知っているか?」

 

 アンヘルは神妙に頷く。

 

「そうか、知っているならいい。傭兵たちは二つに分かれているんだ。アンヘルが今日相手にした大男、プロビーヌ商会お抱えの傭兵団団長アンヘリノは村を捨ててこの村と街の間にある峡谷まで撤退することを主張している」

 

 エルンストは言葉を一旦切った。

 

「その連中と対立しているのが、オレ達防衛派だ。とはいっても、数十人しかいないんだが」

 

 ゴクリとつばを飲み込んだ。それを気にせず、エルンストは続ける。

 

「アンヘルたちスリート商会も村の防衛には賛成していないことは知っている。けど、なんとか賛成派にまわってくれないか? 最近、モンスターの攻勢が強まっている。このままじゃ、撤退派の勢いに負けて、撤退が決まってしまいそうなんだ。そうなれば、オレたちは命をかけて村を守るつもりだ。頼む、そのときは君だけでも防衛に参加してほしい」

 

 そう言って、エルンストは頭を下げた。貴族とは思えない態度で真摯に懇願していた。

 

 この村に来訪してから常々感じられる閉塞感。生き永らえる姿勢を捨て、ほとんど諦めている村人たち。すでに防衛を放棄している傭兵達。そのすべてが、エルンストという指揮官から語られることで結びつき、現実味を帯びてくる。エルンストが語ったすぐ先の未来と得られた情報が符合した。

 

 しかし、その点ではない。聞いてはならないはずの言葉を聞いてしまった気がした。

 

 頭を下げているエルンストを見つめながら、震える声で尋ねた。その声は、驚くほど低かった。

 冷たい冷たい、声が出た。

 

「そのために、少年義勇兵を結成しているんですか」

 

 エルンストは頭を下げたまま答えた。

 

「ああ、そうだ。このままでは、傭兵団は撤退することになるだろう。そのために、戦力が必要だった。子供に戦わせるのは酷だとは思ったが、青年義勇団を作ってしまえば、少年義勇団がつくられてしまった。オレも止めようとしたんだが、村人が勝手にやってしまって」

 

 苦々しい声で続けた。

 

 その回答は、アンヘル求めた答えではなかった。

 

 子供を戦わせたくないわけではない。いや、アンヘルだってリコリスたち少年を戦場に叩き込みたいわけではないが、村では男は齢十を超えれば成人と等しく扱われる。精神的にはともかく、能力的には成人と同じ能力を期待される。それを、村育ちのアンヘルが理解していないわけではない。

 

 許せないのは少年たちを戦わせる決断だ。

 

 彼らの命を掛けて村を守るという決断は尊い。これをただの傭兵が言ったなら尊敬できただろう。素晴らしい自己献身の精神だと。しかし、貴族が、指揮官が語るのは許せなかった。

 

 村を守る。それはいい。正しい決断に聞こえるうえ、素晴らしく燦然(さんぜん)と輝く理想の未来である。

 

 しかし、現実には対処法は二つしかない。

 

 つまり、村を捨てて楽にモンスターを討伐するか、傭兵を犠牲にして村を守るか。

 

 ルゴス村には現在大量の傭兵が集っており、その数は数百人にもなる。その全戦力をもって対処に当たれば、村を守り、モンスターを撃滅することは叶うだろう。傭兵たちの被害を度外視した場合だが。

 

 当然、傭兵たち、そして傭兵を雇っている商家の人間は受け入れない。無理を通すには、その反発を無視できる強権か報酬を示さねばならない。

 

 残った方法は唯一つ、村を捨てる。馬鹿でも理解できる理屈だ。

 

 村を捨てれば、村人は飢えて死ぬだろう。稼ぎ口を失った家族が生きていけるはずもない。受け入れがたい現実だ。しかし、年若い少年少女たちは助かる。アンヘルと同じように、将来ある年若い者たちには受け入れ口などいくらでもあるのだ。

 

 エルンストたち若武者たちが、義憤に駆られるのはいい。自己犠牲に酔って、綺麗事をほざくのはいい。若者故、高位魔法技能者ゆえの万能感に陶酔してもいい。

 

 その瓦礫のあとに残るのが、郷里愛に満ちた若者の将来を断つことだと分かっているならば。

 

 貴族なら、指揮官ならばと反駁しそうになった。

 

 どれほど受け入れられない未来が迫ろうとも、立場があり、教育を受けた人物なら英断するべきだ。少数の人間を生かし、助ける決断を。

 

 どれほど恨まれても、蔑まれても、人々を導くのが力持つ者の定めであってほしかった。村の防衛という名の愚かな希望を村人たちに抱かせるのではなく、現実を突きつけ、村人の生き残りを最優先に考えさせることが。

 

 しかしアンヘルは憤怒と失望、軽蔑に蓋をした。するしかなかった。

 

 何を言ってもエルンストは受け入れないだろう。対等な関係だと彼は言ったが、それをアンヘルは信じない。

 

 そもそも「私とあなたは対等で、どんな批判も受け入れる。だからなんでも言ってほしい」という言葉ほど空虚に響くものはない。

 

 あの有名な韓非子も葉陰も述べているとおり、古来から諫言の危険性についての故事には事欠かない。

 

「意見をしてその人の過誤を正す」とは、奉公人の第一要項であるように思える。ほとんどの人間はその理念に(のっと)り、人の好かない、聞きたくないことを言ってやるのが親切であると思い込んでいる。

 

 だが、実際にはそうではない。そもそも、他人の成している事に対して道徳論・効能論を持ち込んで粗を探しだし、批判することは容易いのだ。その容易くなんの役にも立たない話をさも識者ぶって成せば、無視されるどころか恥をかかされたと恨みを買うだろう。こんな批判は、的外れな批判よりも遥かに害悪で、悪口と何も変わらず、識者ぶった愚者の気晴らしにすぎない。

 

 これは意見された者の器の大きさの問題ではない。人間の本質なのだ。

 

 諫言というものは、まず、その意見が受け入れられるか考え、その次に相手に意見を受け入れさせることができるほどの影響力・親密度を持っているか考えるべきなのだ。その過程を飛ばして、好き放題に講釈を垂れ流すことを諫言とはいわない。いいところを褒めて、気分よくさせることに心を砕き、そして、自身の望む方向に相手のベクトルを微修正する。それが、諫言であり限界だ。

 

 アンヘルとエルンストの間には、主張に決定的な溝がある。

 

 根本方針すら違うのである。折り合える可能性など微塵たりとも存在しない。

 

 仮に撤退について理論整然と意見しても、路傍の石と同じ弱腰で村人を見捨てる傭兵へ評価が下がるだけだ。実際にはそうならないかもしれない。若武者エルンストはアンヘルの意見を受け入れ、苦渋の決断として少数の村人たちを助けるかもしれない。

 

 けれど、アンヘルは信じない。ただ、ひたすらに権力を信じない。そして、それ以上に目の前の男を信じなかった。

 

 唇を噛み締める。血が出るほどに噛み締めた。そして、止めようとしても止まらない声の震えを携えながら尋ねた。

 

「もし、傭兵たちが撤退して後、残った戦力で戦うことになった場合、勝算はどのようなものだと見積もっていますか? 魔法ですべてを片づけられますか?」

 

 エルンストは身体を起して、質問を意味を一瞬考えた。

 

「いや、オレは魔法が余り得意ではないんだ。ウチは代々法政を司る家柄で、血筋的に魔法を得意としていないんだ。だから、かなり厳しい戦いになると思う」

 

 そうですかと力なく返答した。

 

 逃れられない死がイゴルたちに迫る光景を易々と見える。絶叫が耳を(つんざ)いた。イゴルやリカリスの遺骸が、磔にされ、貪られ、朽ちていった。獣が、猛虎が、か弱いウサギを喰らい、花々を踏みつけにする。愚かな群れの長がそれを唖然と見ている。そして、人々が幾年にも渡って築き上げてきた歴史が崩れるのだ。

 

 窓から差し込む月明かりが昏い。ろうそくの火が風に揺られて明滅していた。

 

「なあ、アンヘル、頼む」

 

 そう言いながら、エルンストはもう一度頭を下げた。

 

 誰もが称賛するだろう。否定することのできない素晴らしい姿勢だった。誰もが尊敬しただろう。アンヘルという一種の悲観論者以外は。

 

 すべての悪夢に蓋をして、笑顔をつくった。

 

 感情と別物を顔に貼り付けることが、まっとうな人間の一歩であると言い聞かせながら。

 

「はい、スリート商会の傭兵なので勝手はできないのですが、できるだけ努力いたします」

 

 エルンストが満面の笑顔をつくる。

 

 まっとうな人間への一歩は、苦い血の味がした。

 

 

 

 

 

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