イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第八話:マカレナの大冒険

 どんよりと物悲しい陽射しが、朝だというのにまるで夕方のような侘しさをたたえている。辺りにはビュウと凍てつく晩秋の風が吹きつけ、乾いた落ち葉を歩き去る人の足元に纏いつかせていた。

 

 通りは切れてはつづく長い長い行列のような態をなした人混みである。商店街の繁盛に沿うて(うごめ)く人間たちの流れが、まるでひとつの生物に見えた。

 

 そんな中、マカレナは風でバタつくコートを抑えながら商業区の中央通りを歩いていた。

 

 ――今日も、アンヘルってば元気なかったなぁ……。

 

 立ち止まり、ふうとため息を吐く。マカレナの頭にあったのは、アンヘルの沈んだ顔だけであった。

 

 昨日の宿屋での出来事を思い返す。

 スタンピード制圧の遠征から帰還したアンヘルは、ここ数日ずっと暗い顔で座り込んだままだった。

 ホアンが話しかけても空返事でぼそぼそと食事を取るアンヘルにマカレナは悲痛さを覚えていた。

 

 ――そんなに大変な任務ってわけじゃなさそうだったんだけど……。どうしたんだろ?

 

 マカレナが治療費の代わりとして父からの強制依頼を渋々許可したのは、スタンピード制圧は危険性が低いからであった。傭兵とは命知らずの代名詞ではない。スリート商会として雇わており、より安定した立場である護衛たちは無鉄砲さとは無縁にある。

 誤算だったのは場の空気とアンヘルの後ろ盾のなさにあった。エルンスト派に与してしまったという間の悪さと味方のいない環境により村の防衛に就かされてしまった。その情報を傭兵たちが隠蔽(いんぺい)してしまったため、マカレナには護衛依頼の内情など分からない。

 

 マカレナはそんな事情を知らず「父へ告げてしまったせいで彼に暗い顔をさせてしまっているなら、私が元気づけなければならない」と口に出し、意気込んだ。

 

 そうやって歩き出すが、数瞬後には立ち止まる。実際に元気付ける方法が思い浮かばなかったのだ。

 街頭では、村の門を守り切った英雄、エルンストを讃える曲が、吟遊詩人の美麗な声によって奏でられていた。

 

 ――そもそも、私ってばアンヘルのことあんまり知らないからねー。

 

 アンヘルとの付き合いは短い。悪魔討伐の際に知り合って、その後のスリート商会訪問、そして落ち込んでいる彼に会うと出来事としては数回程度である。当然、好みなど知らない。

 

 マカレナは灯されていない魔導灯の下でうんうんと唸る。こうやって人を励ます経験はなかったうえ、それ以上に男の子について深く悩むことはなかった。良家の息女として付き合う人を制限されてきたため、今春の縁談の破談に端を発する新しい人間関係には戸惑うばかりであった。

 

 通りを歩いている人々が、道の真ん中でうんうんと唸っているマカレナを奇妙な眼で眺めている。

 あっちにきたり、こっちにきたりと思考のリンボーダンスを踊っていたが、突如閃いたように拳で掌を打った。

 

「そうだ、こういう時は人に聞こう!」

 

 霧が晴れたマカレナの顔には笑顔があった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「はぁ。それで、いきなり来て何の用かしら? 姉さん」

 

 カタンとペンを置く音が響く。

 机の前に座って勉学に励んでいるマカレナの妹――アリベールのその艶かしい紅の唇が、ため息混じりに姉を責めるようにして言った。

 その怜悧(れいり)な瞳が相手を睨みつけんとばかりに尖っていた。

 

「そんなこと言わずにさぁ、ちょっと助けてよっ。ね、お願い」

 

 マカレナは胸の前で掌を合わせて懇願する。アリベールはそんな姉の姿を見てもう一度深くため息を吐いた。

 

「姉さんには見えないの? 私、勉強しているのだけど」

 

 机の上に置かれた紙の束には家庭教師から配られた参考資料が無数に置かれている。稼業を継ぐことを諦めたマカレナにはさっぱり分からない複雑怪奇な文字が並んでいた。

 

「そこをなんとか、お願いッ」

 

 マカレナは腰を折り、お辞儀の姿勢から頭だけを浮上させ上目遣いに伺っている。

 アリベールは姉を説得するのは無理だと判断する。肘を机について頬に手を当てて、尋ねる。

 

「それで、話は誰かを元気づける方法だったかしら?」

「そうそう、そうなの」

 

 いつもの手で妹を巻きこむことに成功したマカレナは嬉しそうに跳び上がった。そして、アリベールに近寄る。

 

「ちょ、近いわッ、姉さん離れて」

「えー、別にいいじゃない、姉妹なんだし」

 

 マカレナの極端に狭いパーソナルスペースと対照的に広いパーソナルスペースを持つアリベールの相性は良くない。際限なく近寄ってくるマカレナの身体を手で押しのける。

 近づく、押しのけるという動作を何回か繰り返した後、マカレナは諦めて元の間隔に戻った。

 

「……それで、この情報だけじゃよくわからないのだけど。結局、姉さんは私に何をしてほしいのかしら?」

 

 えっとねぇとマカレナは口ごもる。何とか捻り出すようにして言葉を紡いだ。

 

「えーと、そのね、その……元気がない人がいてね。それで、その人は、最近何か良くないことがあったみたいで。あ、でも、それはそんな危険ってわけでもなくてね。これは、他の人にも聞いたから間違いないと思うんだけど。ね、それで、それで……、えっと、元気がないから、何かしてあげたいなって感じかなぁ?」

 

 たどたどしく説明する。アリベールは若干のイライラを携えながらも辛抱強く最後まで聞いていた。

 

「……それで、結局相手は誰なのよ?」

「ッえぇ!! べ、べつに、それはいいじゃないっ」

 

 マカレナの顔が暖められたように赤くなる。慌ただしく目の前で手を振った。

 そんなマカレナを訝し気に見る。

 

「誰かを元気づけたいのでしょう? なら、相手が誰か知らないと対策の立てようがないじゃない」

「それは、そうなんだけどぉ……」

 

 マカレナの眼が泳ぐ。泳げもしないくせに、こうやって言葉に詰まると眼だけが泳ぐのが特徴だった。

 

 アリベールは頭の中で姉の交友関係を検索する。性格的には誰とでも仲良くなれる姉ではあるが、出自から付き合う相手を制限されているため、交友関係は広くない。その中に姉を困らせるような人間に心当たりはなかった。最近知り合った間の抜けた男以外は。

 

「まさか、その相手ってあの探索者じゃないでしょうね」

「え゛、まっさかー、そんなわけないよー」

 

 アリベールがぎろりと睨みつけると、マカレナはだらだらと汗を流す。

 マカレナは妹の洞察力に戦慄しながら否定していたが、その鋭い眼に射貫かれて最終的には首を縦に振ってしまった。

 

 答えを聞いたアリベールは落胆の表情を作るしかなかった。

 

「……姉さんが誰と付き合おうと私には関係ないけれど、相手は選んだほうがいいと思うわ」

「そ、そんな、付き合うだなんてッ! 私たち、べつにそんな関係じゃ……」

 

 慌てたように首を振る。其の否定には、妹でなくともありありと分かる照れの色があった。

 

「はぁ……、私はべつに特別な付き合いという意味で言ったのではなくて、友人付き合いという意味で言ったのよ」

「えッ! あ、ああ、そっか。い、いや、べつに勘違いしてたわけじゃないよ、分かってるってば、えへへ」

 

 これはもう手遅れかなとアリベールは思った。しかし、姉をただの一探索者風情に任せるわけにはいかず、否定の言葉がとめどなくこぼれた。

 

「姉さん。あの探索者は、よくいっても優秀という雰囲気ではなかったわ。それでなくとも、探索者なんて安定しない職業についている人をそう易々と信用しないほうが……」

「べつに、そんなんじゃないってば。そうやってすぐに小言ばっかり、やめてよ」

「ッ! 私は姉さんのために――――いえ、いいわ」

 

 マカレナの小言を締め出す姿勢によって一瞬怒気が溢れるが、堪える。昔は頻繁に発生していた喧嘩も、こうやってアリベールが堪えることで最近は起きなくなっていた。

 

「それで、元気づける方法よね。ありきたりだけど、プレゼントなんていいんじゃない?」

「あぁー、いいかも! ……けど、なにをプレゼントすればいいかな?」

 

 アリベールの口から「自分で考えなさいよ」という言葉を飲み込む。落ち着くために素数を幾つか数えると、閃きの電光が頭を走った。

 

「これがいいんじゃない?」

 

 アリベールは、机の端に置かれていた菓子専門店のチラシを手に取る。そして、姉に見せた。

 

「ここの最新デザート、随分話題になっているらしいわ。なんでもすぐに売り切れるって。これをプレゼントすれば、少しくらい機嫌が良くなるんじゃないかしら?」

 

 そう言いながら、大きな見出しで強調されている黒い三角形の菓子、チョコレートケーキを指差す。

 

「けど、お菓子って好きなのかなぁ? もっと渋いもののほうが……」

「そんなものにしたら、重いって思われるわ。ここは軽いお菓子くらいにしておくのが正解よ」

 

 妹の助言にマカレナは数瞬悩んでいたが、妹の言う通りにするべきだと思ったのだろう。頷いて礼を述べ、部屋を出ていこうとした。

 

「待って、姉さん」

 

 その声でマカレナが振り返る。

 

「相談に乗ったんだから、私にもお菓子、一つ買ってきてね」

 

 そう宣言する。その顔は、憂さ晴らしの済んだ清々しさがあった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 乱雑に建てられた家々が真上に差し掛かりつつある太陽の光を浴びて、そこに午後の日陰を作っている。お昼時ということもあって、食事や往来のために人々が絶え間なく流れていく。そんな中をマカレナは一直線に進んでいた。

 

 ――たしか、こっちを右に曲がってだっけ?

 

 おぼろげな記憶を頼りに、新作チョコレートケーキを販売しているお菓子屋、パティスリー・レイを目指す。過去に友人と一度だけ訪れたことのある外観を思い浮かべる。家から距離があるため縁のない店であったが、私塾の友人たちの中では評判が最もいい店の一つである。そして、その人気具合から長蛇の列ができるということも。

 

 行列に並ぶのが何よりも苦手なマカレナは憂鬱(ゆううつ)な気持ちになりながらも、順調な足取りで店を目指していた。

 

 記憶にあるとおり道を右に曲がる。すると、そこには見覚えのある顔が目についた。

 

「あれ? ホアンじゃん。おーい!」

 

 精悍で赤髪が特徴的なアンヘルの友人である男――ホアンが小物店の前で所在なさげに立ち尽くしている。

 雑踏の中にいても自分を呼ぶ声ははっきり聞こえたのか、彼はすぐにマカレナを発見した。

 

「どうしたの、勉強はいいの?」

 

 ヤッホーと駆け寄りながら尋ねる。ホアンは、声を掛けてきたきたマカレナに気が付いて、所在なさげな様子から緊張した面持ちに変わる。そして、手を背中に回して何かを隠した。

 

「あ、ああ。マカレナか。ど、どうしたんだ、こんなところで?」

「見かけたから声かけただけだけど。それにいいの? こんなところで油を売ってて。試験までもう少しなんでしょ?」

 

 そう訊ねながらホアンが立ち止まっていた店を見る。よくある石細工の店だ。

 都市オスゼリアスの近郊には、三守石(みかみいし)と呼ばれる石が簡単に採れる。この三色の石は明度、彩度、そして入手性という観点から、宝石に分類される金剛石などとは違って比較的安価に入手できるが、光に照らすと綺麗に輝くという特徴から古来よりお守り兼プレゼントとして親しまれてきた宝石だった。

 

 しかし、女性ならともかくホアンのような男性には違和感のある店であった。

 

「ああ。いつも机にかじりついてばかりじゃ効率が悪いからな。それに今はアンヘルもあんな感じだしな……」

 

 そうやって語るホアンの額には時期に見合わない汗があった。ふーんと相槌を打ちながら訝し気にじろじろと見る。そこはかとなく、話をそらしたいという意図が透けて見えた。

 

 ふとホアンの背に回している手が気になる。隠している腕を掴んだ。

 

「なぁにこれ? 何隠してるの?」

「ちょっ! やめろって。べつにいいだろッ!」

 

 腕の引っ張り合いが始まる。ぐいぐいと引っ張るが不意を突かれた最初以外はほとんどビクともしない。諦めようかなと力を抜こうとした瞬間、後ろから走ってきた男がホアンにぶつかり、後ろ手に隠していたものがチャリンと音をたて落ちた。

 

 キラキラと光る青い三守石(みかみいし)耳輪(イヤリング)。それがホアンの手に握りしめられていたのだ。マカレナの顔がいやらしく歪む。

 

「あれぇ? もしかして、誰かにプレゼントするための物だったの? やるじゃん、この色男ッ」

 

 そう言いながら、どすどすと肘で脇腹を突く。

 

「それでそれで、相手は誰なの? どんな人? 可愛い? それとも優しい感じ?」

 

 おもしろいオモチャを見つけたと言わんばかりに追及する。ホアンの顔には、焦りが浮かんでいた。

 

「別にいいだろッ! これは、だれのプレゼントってわけじゃないッ。ただ、見てただけだッ」

「えー。こんなのプレゼントじゃなきゃ見ないと思うけどなー。これ、完全に女物だし」

 

 そう言って落ちた耳輪を拾い上げ手の中で弄ぶ。

 

「で、結局相手はだれなの。言わないから、お姉さんに教えなさいって。…………もしかして、私だったり。いやー、それだったら照れちゃうなぁー」

 

 その言葉で緊張気味だったホアンの顔が真っ赤になる。そして、怒気を露わにした。

 

「そ、そんなわけないだろッ! た、ただ見ていただけだッ!」

 

 ホアンが早口でまくしたてる。その必死さが面白くなって、さらにからかってみた。

 

「えー。あやしーな」

 

 にやにやと笑みを浮かべる。すると、ホアンはもう我慢ならないと耳輪を奪い取り、棚に戻すとスタスタと歩き去っていく。

 

「ちょっ、まってよー」

 

 マカレナは駆け出す。揶揄い過ぎたのか、ホアンの背中には話しかけるなというオーラが放出されていた。

 

「ねー。ほんとごめんって。謝るから止まってって」

 

 数十メートルは無言で歩き続けただろうか。しつこく付きまとうマカレナに疲れたのか、はぁとため息を吐くと向き直った。

 

「わかった、分かったよ。それでなんなんだ。こんなに追いかけてきて」

「えーと。用って言われると困るんだけど。見かけたら何となく?」

 

 こくんと首を傾げる。その仕草を見たホアンは、もう疲れたとばかりに表情を曇らせた。

 

「あッ! そうだ。私、いまアンヘルのお土産を買おうとしてるの。ホアンも一緒にどう」

 

 両手をぱちんと打ち鳴らして提案する。その提案を聞かされたホアンは、先ほどまでとは違う翳りが差す。そして、アンヘルかと小さく呟いた。

 

「……ああ、分かった。今は手も空いてるしな。少しくらいなら手伝うよ」

 

 ホアンが暗い声で続ける。

 

「それで、どんな店に向かっているんだ?」

「パティスリー・レイだよ」

 

 マカレナの花のような笑顔が開いた。

 

 

 

 §

 

 

 

 パティスリー・レイ。

 商業区、中央通りから一つ曲がった所に位置する帝国風菓子専門店は何時もの大盛況ぶりであった。

 商業区の中でも一番地価の高い区画に堂々と立っているその黒塗りと硝子張りの建物は、周囲の建物と比較して下品にならない程度の配色で、それでいてその荘厳な黒が影を作り出し浮き立たせ、装飾過多な周囲の建物と比較して(ぬき)んでた品の良さを演出していた。

 

 店内には私塾に通っていると思われる若く身なりの良い少女たちが集団でワイワイと教本片手に菓子をつまんでおり、またその隣の席では品のある老貴婦人が優雅に談笑している。

 

 黒と白の簡素かつ質のいい装束に身を包んだ使用人が列を成している。彼らは主人の物と思われる菓子を購入するべく列を成して並んでいるのが見えた。

 

 マカレナが意気揚々と、ホアンがおっかなびっくりに店内に入店する。マカレナは記憶にある店内と、現在の店内を見比べながらカウンターへと進んでいく。

 

「『カヌレ・ド・ボルドー』に『オランジェット』? だめだ、もう魔法の呪文にしかみえない」

 

 ケースに陳列されている、黒く焼かれたコルク大のお菓子とオレンジにチョコレートを塗ったお菓子に付けられたプレートを見て混乱したようにホアンが呟く。その弱弱しい声に、マカレナはふふっと笑った。

 

「『カヌレ・ド・ボルドー』は卵黄を使ったお菓子で、外はカリっと中はモッチモチでとぉっても美味しいんだよ。だめだなぁ、ホアンは。いろんなことを勉強しないと、女の子にはモテないゾ」

「べ、べつに、マカレナには関係だろッ」

 

 ホアンがバツの悪そうにそっぽを向く。マカレナは「お菓子に詳しい男もちょっと嫌だけど」と慰めを口にした。

 

 ふたりで列に並んでいる間、マカレナはお菓子についてあーだこーだと色々レクチャーしてあげた。ホアンはいくら軍志望とはいっても金持ちの出身ではない。当然ながら、彼はまったくと言っていいほどお菓子について知らなかった。

 お菓子は比較的高価でいわゆる嗜好品に類する高級品である。魔導化が進み、第一次産業の低コスト化によって、市井にも出回るようになった菓子ではあるが、富裕層に位置する人間にしか日常的に食べることはできない。

 こんな小さな所にも見え隠れするお金の力の大きさを実感してしまった。今の不安定な現状に対してマカレナは憂鬱な心持ちを隠しつつ、束の間の談笑を楽しんだ。

 

 ひとり、またひとりと列に並んでいた客が減っていき、前方に並んでいる客は目の前の老紳士ひとりになった。買う予定のチョコレートケーキは後数個残っている。運よく買えそうだと思った瞬間であった。

 

 老紳士の無情な響きがマカレナの耳を打った。

 

「チョコレートケーキをあるだけ頂けますか」

 

 店員の素晴らしい笑顔と共に、ケースに陳列されていたケーキがひとつ、またひとつと取り出されていく。その希望の塊は、箱に丁寧に詰められ、老紳士に手渡される。そして老紳士は会計を済ますと希望の箱を持ってスタスタと去っていった。

 ドナドナドナ。ふたりは無残にも出荷されていく希望を、唖然としながら見守っていた。店員の素敵な笑顔そっちのけで出ていった老紳士の後を眺める。それは、店員が声を掛けるまで続いた。

 

「あのぉ、お客様? 注文は、どうされますか?」

 

 止まった時間が動きだす。マカレナの眼には、戸惑ったような笑顔の店員とすっからかんのケースが映った。

 それでもめげない。マカレナの不屈の魂が、店員には厄介な形で発揮された。

 

「あのぉ、チョコレートケーキってありますか?」

「大変申し訳ありません、お客様。チョコレートケーキは先ほどのお客様で売り切れとなってしまいまして」

 

 それでも諦めない。不屈の魂は、そんなにヤワではないのだ。

 

「じゃ、じゃあ、次に出来るのっていつになるの? 私、それまで待ってるからッ!」

 

 マカレナがカウンターに身を乗り出して、大きな声で言う。完璧な店員の笑顔にも、翳りが射しはじめた。

 

「そ、その、お客様。チョコレートケーキは時間がかかりますので、夜に作っているのです。なので、出来上がるのは明日になってしまいますので……。明日にもう一度来店して頂ければ――」

「そんなのダメだよッ! できるだけ早く欲しいの。ねぇ、お願い。どれだけでも待つから、だから今日中に欲しいの!」

 

 マカレナの場を切り裂くような声に、店内が騒然とする。横にいるホアンは注目を受けて小さく止めようとするが、ヒートアップした不屈の魂を止める術などなかった。

 

 縋りつくようにして店員の手を握りしめ、頭を下げる。マカレナの目尻には必死の涙が滲んでいた。

 店員の完璧だった営業スマイルが崩壊し、半笑いになる。

 

「お、お客様ッ。こ、困ります。なにを言われても、予定は決まっておりますので」

「そこをなんとかお願いします。ほら、お金ならありますから。本当、お願いしますッ!」

 

 頭を下げたまま、ぶんぶんと手を振る。半笑いだった店員の顔が取り繕えなくなって無表情になる。しかし、マカレナの風貌から明らかに良家の息女だと判断した店員は警備も呼ぶことができず為すがまま手を上下に振られる。顔は無表情から泣き顔にチェンジしていた。

 

 お願いします、お願いしますと頭を下げ続けるマカレナに注目が集まる。半泣きの店員に動けない警備。緊張と罪悪感の板挟みのホアンには場の収拾をつけられそうにない。誰もがどうするか、それだけを考えているところだった。

 収拾する者のいないカオスの支配する店内に、凛とした女の声が響いた。

 

「分かったよ、お嬢さん。負けた、負けたよ。チョコレートケーキを作るから、だからちょっと落ち着いてくれ」

 

 威厳のある中年の女の声。白く上方に伸びる帽子――シェフハットを被り、スカーフで首元を締めている風格のある女性、パティスリー・レイの店長にして創業者、天才パティシエの称号を冠する女傑ジョアナが疲れた表情で立っていた。

 

「ほ、本当ですかッ!? 良いんですかッ!」

「ああ、そう叫びなさなんな。分かったから。作ってやるから」

 

 興奮したマカレナを手で制する。そして、その疲れた表情を一転、悪戯めいたものに変えた。

 

「ただ、交換条件がある。それを飲めるっていうなら、特別に作ろうじゃないか」

 

 マカレナを良家の息女と知っていても、それに対して物怖じしない態度。激戦区である中央商業区の一角に、一代で大繁盛の店舗を拵えた女傑は、堂々たる態度で不屈という名の厄介な客に対処していた。半泣きだった店員が、神様でも拝むかのような表情で彼女を見据えていた。

 

 店長ジョアナの提案を断る理由などない。マカレナは頷いた。

 

 

 

 §

 

 

 

「……アンヘル、いる?」

 

 こんこんと静謐な空間にノックの音が響く。ノックの後、一秒、二秒と冷たい時間が流れる。暫くすると、扉の向こうでゴソゴソと動く音がして、ガチャッと扉が開かれた。

 

「……どうしたの? こんな遅くに」

 

 ボサボサの髪、目の下の黒い隈。夜も更けているというのに、それを塗りつぶす程の暗闇をアンヘルは纏っている。

 哀しい瞳。マカレナはアンヘルの眼を見てそう思った。

 

「……その、さ。入っていいかな?」

 

 緊張の混じった震えた言葉が紡がれる。マカレナ自身、なぜ自分がこんなに動揺しているのか分からなかった。ただ、友達が元気を失くしているから励ましに来ただけと言い聞かせた。

 

 そんなマカレナの思考を他所に、アンヘルは迷いの表情を一瞬見せた。

 

「きょうはもう遅いし、明日のほうがいいかな。…………それじゃ、おやす――」

 

 閉められようとしていた扉に手を差し込む。マカレナは、緊張と心の底の不思議なものに蓋をして、笑顔を浮かべた。

 

「そ、その、お土産を持ってきたからッ! ちょっとだけ、ちょっとだけだから」

 

 沈黙が場を支配した。どきどきと相手の返答を待つ。焦りぎみの勢いに押されたアンヘルは分かったと小さく呟いて、扉のチェーンを外した。

 アンヘルに促されて、椅子に座る。室内には、ホアンの勉強の跡と思われる教本の山と、使い捨てられた紙屑が落ちている。部屋の隅には、使い込まれた武具が見えた。

 

 アンヘルは部屋の窓際に備え付けられた椅子へ腰を下した。月光がアンへルの幼くも男性として成長しつつある顔に影を落とす。いつもは柔和そうで、悪く言えばどんくさそうな顔つきも、彼の心の沈みとしじまが混じり合って鋭利な印象をマカレナにもたらした。

 

 心がふわっと沸き立った。

 マカレナは得も知れぬ感覚に襲われる。

 その感覚に当たりを付けることもできないまま、緊張と静寂に耐えられず言葉を紡いだ。

 

「これ、その、お土産。その、人気のお店で買ってきたの。口に合うか分からないけど、その、美味しいと思うから……」

 

 手に持っていた紙袋を机の上に置く。中には、パティスリー・レイで購入した人気のお菓子、チョコレートケーキが入っていた。紙袋からとりだし、近くにあった皿の上に置く。その一連の動作に対して、アンヘルは心ここにあらずといった様子で頷くだけだった

 

 それを見たマカレナは、悲しさと寂しさを覚える。

 

 マカレナが最初にアンヘルと出会ったとき、頼りにならなさそうな探索者だと思った。自分の実力には自信のなさそうな気弱な人、そんな印象だった。

 それが、悪魔討伐を通して変わっていった。頼りにならない人から、すごい人。あんなにやられても、立ちあがって戦う人。それで最後には守られて、頼りになる人へ変わった。そうなると、一緒に過ごしやすい友達から、少しだけ緊張させられる存在に変わった。

 そして、今の状況。この暗い表情で虚ろに外を眺めているアンヘルに悲しさと寂しさを覚えていた。

 

 こんなに、こんなにも男の子に感心を寄せたのは初めてだった。

 いつもは快活なその口も上手くまわらない。

 

 会話に困って、立ち上がりスプーンを棚からとり、ケーキが置かれた皿に置く。

 

 そしてもう一度椅子に腰かけようとして失敗する。突き出た腹が机に当たって、積まれた本が崩れる。あわあわと慌てているマカレナを見て、アンヘルが疑問を口にだした。

 

「……どうしたの、そのお腹?」

 

 マカレナのお腹は、立派に膨らんでいた。普段の倍はあるだろうか。膨らんだお腹が、腰のスカートを圧迫していた。

 マカレナは照れたようにして返答する。

 

「えへへ。その、このケーキ売り切れたから、特別に作ってもらう代わりに、試食係になってね。それで、お腹一杯食べることになっちゃって。けど、心配しなくていいからね。やっぱり職人が作るだけあって、練習って言っても全部美味しかったから」

 

 嘘だった。あくまで試食である。腕の足りない新人パティシエの作品や斬新な作品はすべて美味しいとは言えなかった。そのうえ、お腹が一杯になっても食べ続けるのである。いくらお菓子は別腹とはいえ、その別腹を満たして主となる腹に貯蔵されたあとも詰め込む作業は苦行を通り越して修行であった。

 可哀そうなのはホアンである。男だからとマカレナの数倍は食わされた彼の努力は勲章に値するものだった。そんな彼は今、店の中でダウンしている。

 

 そんなマカレナを見て、アンヘルは呟いた。

 

「……なんか、妊婦さんみたいだね」

 

 何を言われたのか、一瞬まったくわからなかった。その言葉の意味を理解して、マカレナは立ち上がる。

 

「ッ…………妊婦さんって…………」

 

 小さく唸りながら、アンヘルにパンチ。怒りと恥ずかしさで真っ赤になった顔で、弱弱しいパンチを肩に向けて何度も放った。

 

「ご、ごめん、ごめんって」

「う、うるさいッ! せくはら、セクハラだから、それッ!」

 

 照れ隠しのパンチを複数回浴びせると、腕で肩を守っているアンヘルと目が合った。手を止めて、見つめ合う。すると、どちらともなく笑い声が漏れた。

 

「ご、ごめん。お、面白くってさ」

「もう、女の子のそういうところを指摘するのは犯罪なんだよ」

 

 なんだか眼を合わせるのが気恥ずかしくなって、そっぽを向く。すると、いままで陰鬱だったアンヘルの声が少しだけ明るさを取り戻したように感じられた。

 

「その、ありがと。ぼくを励ますために、これ、買ってきてくれたんだよね」

 

 そう言って、アンヘルは立ち上がる。そして、チョコレートケーキが置かれている机の前に座った。

 スプーンを手に取る。そして、一口食べた。

 

「うん。美味しいよ。その……ありがと」

 

 アンヘルの小さな笑み。過去を誤魔化すような空元気の笑顔。それでも久々に見た笑顔はマカレナの悲しさや寂しさを吹き飛ばしていった。

 

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