イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第九話:『火山龍現る』 上

 

 沛然(はいぜん)とした雨が終日つづく。この雨が上がれば、いよいよ秋も終わり、冬の到来を知らせる冷たく粒だった空気が入り込んでくるだろうと予感させた。村の防衛依頼から帰還してひと月は過ぎようとしていた。冬の到来はすぐそこで、午後は短く、夕暮れが灰色に侘しくなってきていた。

 冬があければ、士官学校上級士官養成課程の入試も始まる。ホアンの受験勉強も佳境だ。宿舎にはピリピリした空気が常に漂っており、アンヘルは雨の中、外へ繰り出していた。

 

 行きつけの喫茶店でマテ茶を口に運ぶ。その対面には、ニコニコ顔のマカレナの姿があった。

 歴史を感じさせる茶塗りの円形テーブルにカップを置く。そして、茶菓子を口に運んだ。

 

「ねぇ、アンヘル? 今日は仕事ないの?」

 

 対面で朝ご飯を家で食べ損ねたマカレナがパスタを頬張る。フォークとスプーンの使い方は慣れており、上流階級の気品を感じさせる所作だというのに、口元をソースで汚しているのがちぐはぐでアンヘルには可笑しく映った。

 

 ちょんちょんと指で口元を示してやる。すると、マカレナは頬を染めながらナプキンで口元を拭った。その恥ずかしそうな表情を見ないふりをしながら、先ほどの質問に答えた。

 

「ううん。いちおう、今日も仕事があるんだ」

「え、でもこんな昼前だっていうのに喫茶店でぶらぶらしてていいの?」

 

 マカレナの意外そうな返答はごく自然なものだった。

 探索者は荒くれ者で、昼間から酒を浴びるように飲み、社会不適合者の如く昼夜逆転の生活を送っていると考えている人間も少なくないが、実際は真逆である。魔導化が進み、魔導灯・製紙業が発達している帝国では、日が暮れたら眠るといった古代人的な生活とは無縁ではあったが、夜間でも働いているのは頭脳労働に限られていた。

 とくにフィールドワークを主活動とする探索者の仕事は、朝早くに始まり、日が暮れる前に撤収することが多い。自然を相手取る探索者らしい実用主義の思考であった。とはいえ、休日はその限りではないが。

 

 そんな事情をアンヘルを通じてよく知るマカレナは、昼までチルしている彼の状況に理解が及ばなかった。

 

「きょうは仕事って訳じゃなくて。今度の共同依頼の顔合わせってことなんだけど」

 

 共同依頼を引っ張ってきた憎めない受付嬢、テリュスの顔を思い浮かべる。あの悪魔退治事件以来、信頼されているのか、それとも馬鹿にされているのか、どうにもフランクに接してくる彼女に戸惑いながらも何度も依頼を受けていた。当初は酷い依頼を受けさせられたものだったが、彼女の手腕には眼を見張るものがあるのだ。

 

 優れた探索者の条件として、良い依頼を持ってきてくれる伝手――受付などを持つことは最低条件である。やる気に欠けるテリュスだが、国の機関である探索ギルドの受付をしているだけあって、彼女の伝手は強力である。

 そのうえ、新人担当というだけあってか、能力はありながらも仲間の少ない将来有望な若手との共同依頼を幾つも引っ張ってくる。彼女としては、若手で使いやすい新人を組ませることで低賃金・高い能力、そして生存率の高さを求める程度の事でしかなかったのだろうが、引っ込み思案なアンヘルにとっては良い機会として機能していた。

 

 弓使いのロサ、兄弟剣士のフランとフアン、道場出身の槍使いカルロスに運び屋(ポーター)のハビとレガス。ホセとホアンという狭い世界で生きてきたアンヘルにとって、他所の探索者との交流は新鮮で色々な発見があった。なにより、若手の彼らから滲みだしていた野心。探索者などでは終わらないという強い意志がアンヘルに小さな影響を与え始めていた。

 

「じゃあ、今日はあそべないんだ?」

 

 マカレナはため息を突きながら、顔に影を落とした。

 

 二人の仲は急速に接近していた。部屋にいてはホアンの邪魔になるため、休日はマカレナと出歩くとことが多い。年若い男女である。こうやって休みのたびに出歩いていれば、仲が良くなるのも必然だった。

 

 不機嫌そうな顔をする彼女を見て、妹ってこんなかんじなのかなと思った。

 

「その、ごめん。けど、そのあとは空いてるから。前に行ってたお菓子屋さんへ行こう」

 

 その言葉でマカレナの顔が喜色で一杯になる。そんな彼女を見て、アンヘルも嬉しくなった。

 

「けどいいの? 今日は雨だし、また今度でも」

「いやっ!」

 

 マカレナが唐突に大きな声を出す。驚いたアンヘルはびくっと身体を震わせた。

 

「今日は家に居たくないのッ」

 

 宣言するように告げる。その声色には絶対の拒否の色があった。

 

「えっと、そんなに意思が強いならいいけど……。でも、どうして?」

「それは……」

 

 マカレナは口ごもるようにして唇を震わせた。

 

「今日は、そのブロビーヌの、嫌なやつが来るから……」

 

 口に出すのも(はばか)られると言わんばかりに顔をしかめながら、マカレナは答えた。その返答を聞いて、過去の記憶を呼び戻す。

 

「ああ、振った婚約者がいるんだっけ」

「もう、思い出させないでよッ! あいつの顔なんか、思い出したくもないッ」

 

 吐き捨てるようにして言う。心底嫌いなのか、快活とした表情がどろどろと(よど)んでいた。

 ごめんごめんと小さく謝る。

 

 気まずくなった空気に飲まれて、ぐびぐびとカップのお茶を胃に流し込む。マカレナは、不機嫌そうな顔でパスタを黙々と口に運んでいた。

 冷えた空気に耐え切れず、空になっているカップを口に運んだ。それでもいたたまれなくなって、大きな古時計に目を向けた。

 

「ああ、もうこんな時間っ。早くいかないと遅れちゃうっ」

 

 わざとらしかったかなとひやひやしながら立ち上がる。そして、机に二人分の代金を置いて、もう行くねと声を掛け、出ていこうとした。

 マカレナに背を向けて、扉に向かう。店主のぞんざいな声とともに、外に出ようとした瞬間だった。

 

「待って、アンヘル」

 

 少女の冷たい声が響いた。

 

「パティスリー・レイで待ってるから、終わったら来てね」

 

 清々しいほどの笑顔であった。アンヘルは、それで機嫌が取れるならと思いながらも、薄くなる財布に少しばかり怯えた。

 

 

 

 §

 

 

 

「おーい、こっちでーすっ」

 

 探索者ギルドに入って開口一番元気よく声を掛けてきたのは、華奢な身体つきの受付嬢テリュスであった。この一ヵ月の間に幾度も依頼を達成したおかげか、彼女からの信頼は厚いものになっていた。

 

 とはいえ、ギルド側の信頼を得るのと、探索者のコミュニティで信頼を得るのはまったく別である。ほとんど単独もしくは若手とのペアで仕事をこなしてきた結果、探索者コミュニティでの知名度は皆無に等しい。当然、新人人気のあるテリュスから親しい気に話しかけられれば、嫉妬が集うのは必然だった。

 

 ――あぁ、また睨まれてるよ。

 

 はぁとため息を吐く。カウンターの奥では先輩受付嬢から大声を出すなと叱られているテリュスの姿が映った。

 

 背中に突き刺さる嫉妬の視線。ひとつふたつと感じられる圧力を数える。特殊部隊でもないのに、こんな視線を察知できるのは嫌だなぁという感想を持ちながら歩む。

 

 入口から、中央のホールを抜けてカウンターまで向かう。視線を気にしないよう進んでいると、常にない違和感を覚えた。背中に突き刺さる視線ややっかみの声が少ないのである。

 

 実際のところ、アンヘルはかなり悪目立ちしている。見た目もあまり荒事に慣れている風貌ではなく、ほぼ単独で仕事を受けるため実力が知れ渡っているわけでもない。悪魔を単独で討伐したりと、新人としてはかなりの成果をあげているが、何も知らない他人から見れば、ファッションで探索者をやっている風にしか見えない坊ちゃんであった。

 

 農民出身の万年金欠野郎であるにもかかわらず、ファッション探索者という新時代の称号を不名誉にも受けたアンヘルは、こうやって探索者ギルド内を歩くと揶揄(からか)いの声が掛けられる。もちろん、アンヘルにはそんな揶揄いに反論できるような強靭な精神を持っていないため、頭を下げながら揶揄いの言葉をやり過ごすのが何時もの光景である。

 だが、今日に限ってはそうではなかった。ギルド内に人がいないわけではない。むしろ悪天候によりギルドで情報収集している者も多く、常時より人の数が多いくらいであった。

 

 かぶりをふりながらテリュスの前に辿り着く。先輩に叱られて少々シュンとしている彼女にゆっくりと声をかけた。

 

「その、今日はどんな依頼なの?」

 

 おずおずと尋ねる。心境としてはくじで大凶を引かないように願う敬虔な信徒の気分だった。あれから深刻な依頼を受けさせられた覚えはないが、なかなか負の記憶は消えてくれない。彼女との会話は、依頼を尋ねる瞬間が一番恐ろしいのだ。

 

 テリュスはさきほどのしおらしい仕草さは演技ですと言わんばかりに満面の笑顔を浮かべ、答える。

 

「いやー、今回もやっかいな依頼が入っちゃいましてねっ。まあ、依頼というか協力って感じなんですが。それで、フットワークの軽いアンヘルさんに白羽の矢が立ったというわけですよっ」

 

 てへっと擬音が浮かびそうな仕草で首を傾げながら告げる。

 狙ってやっているのか、毎回同じぶりっ子演技には呆れが先走った。なにより、依頼を頼まれる経緯は何時もこんな感じなのだ。疲れは倍々で役満である。

 冷たい目で、続きを促す。

 

「はぁ、さいきんノリが悪くなりましたねぇ。まあ、いいですけどねっ」

 

 言葉とは裏腹に爪をいじりながら詰まらなさそうな顔になる。それでも仕事はするのか机の上に置かれた紙へ目を走らせた。

 

「それで、依頼の内容なんですが……。ウルカヌ火山の麓にある村が頻繁に襲われるそうなんですよ。それで、その元凶を退治してもらおうっていうのが今回の依頼なんですが」

「……ひとつ聞いてもいいかな? そういう治安維持って騎士団とか私兵がするんじゃないの? さすがに村の防衛は手に余るっていうか」

 

 アンヘルの脳裏に苦い記憶が蘇る。一ヵ月経ったとはいえ、忘れられる記憶ではない。燃ゆる村、リコリスの無惨な死、そしてイゴルの冷たい死に際。すべてが鮮明で簡単に過去を押し流せるものではなかった。村の防衛とは、禁句にも近いトラウマなのだ。

 

 動悸がする。じんわりと背中が汗をかき、あの地獄が眼前に蘇りつつあった。そんな思考を、テリュスは朗らかな声で遮った。

 

「ああ、そんな心配はしなくて大丈夫ですよっ。村の防衛とは言っても、モンスターの大群みたいな軍が出動する事態ってわけじゃないですから」

 

 テリュスは続ける。

 

「相手にするのはたった一体だけ。ああ、なんて簡単な依頼なんでしょうか」

 

 秘密を仰々しく告げた彼女は不気味を通り越して異様だった。手を広げ、腕を高く掲げた彼女はひとり演劇の世界に入っているかのようだった。こんな調子の彼女に尋ねるのは恐ろしかったが、震えた声で尋ねた。

 

「……あの、その相手って?」

 

 聞いていながら、悪い予感がした。これは久々に来る、糞依頼だと。息を小さく吸い込み、衝撃に耐える。覚悟を決めたつもりだったが、てへっと照れながら告げられた悪魔の言葉に耳を疑うしかなかった。

 

「えーと、その、なんていうか、まあ、……龍ってやつですね。龍」

 

 空気が一瞬死んだ。沈黙でも静寂でもなく、本当に空気が死んだ。

 

 アンヘルは固まった空気の中で、自身の耳を叩く。こんこんと。そしてゆっくりとついているかどうか確認した。右耳、左耳をゆっくりとさする。当然、顔の横にくっ付いていた。頭がおかしくなった様子もない。それは、今言われた言葉が真実だと告げていた。

 

「は?」

 

 龍。

 受付嬢であるテリュスは龍と言ったのである。

 

 龍は世界最強の生物であることに疑問を挟む余地はない。極めて高い知能を持ち、人語を解する能力を持つほかに、永きを生きるその生態から魔法にも優れている。そのうえ、体表は皮や鱗で覆われており、非常に強固な防御力を持ってる。しかし、それらは龍の脅威を図るものさしにはならない。そんな要素を差し置いて龍を最強最悪の敵としたのは、翼を持ち、手の届かない上空から一方的に攻撃してくるという一点に集約された。

 空を飛べない人類にとって上空を飛行し、要塞に等しい強固な鎧を纏う龍を相手取ることは無謀を通り越して、自殺志願者となにも変わらないのだ。

 

 アンヘルの絶対零度の視線がテリュスに降り注ぐ。彼女はその視線にいたたまれなくなって、目を逸らした。

 

「ええっと、そのぉ、今回相手にするのは成龍じゃなくて、若龍ですから。心配しないでくださいっ」

「いやいやいや、何言ってるのッ!? 若くても、老いてても龍だってばッ!」

 

 今までにない凄まじい剣幕で詰め寄った。詰め寄られたテリュスはだらだらと汗を流しながら目を背け続ける。

 

「そ、そんなに心配しないでくださいよっ、本当に若い龍なんですからっ。それに、アンヘルさんは主力ってわけじゃなく、支援がメインになりますから」

 

 テリュスの言葉を聞いて、冷静さが戻る。詰め寄った末に零距離まで近寄っていた二人の間隔が開く。

 

「……っていうことは、大部隊の補助員の一人ってこと?」

「いやぁ、まぁそういうわけじゃないんですが……」

 

 いつになく歯切れの悪いテリュスが言葉を濁す。小さな藍色の瞳の上にある睫毛が不安そうに震えていた。視線は定まらず、アンヘルの後方をちらちらと見るようになる。

 

 辛抱強く待つか、それとも聞き出した方がいいのか迷っていると、後方からどよめきが起こる。

 なんだと思う間もなく、後ろから硬質な声が響いた。

 

「話は終わったのか? ならば、私の紹介を早くするべきだと思うが?」

 

 声の主を探るため振り向く。

 するとそこには一人の美姫がいた。

 

 刃の色の髪に鋼色の硬質な印象を与える瞳。美女の証といわんばかりの整った鼻梁と妖しい紅の唇。その印象を正反対にひっくり返す勇猛な眉と隆起した褐色の筋骨。相反する要素が絶妙に配合されており、妖刀の煌きによる妖しさと野生の生命力による恐ろしさを閉じ込めたような男だった

 その背中には恐ろしく大きい大曲刀。彼は長身に分類されるアンヘルよりも一〇センチ以上高い偉丈夫だが、それに匹敵するほどの大剣である。

 

 戦女神の化身と思えるほどの男の挙動に、周囲の人間全員が注目している。ここになってようやく、ギルド内の違和感の原因に思い至った。

 

 この男の名はクナル。怪物狩りの異名を持ち、新人としては異常ともいえるほどの名声を得ている男であった。

 

 

 

 §

 

 

 

 ユーバンク・アーバスノット・タフリン・クナル。この異様に長い名前の美貌の男は、近年、探索者界隈を騒がしている新人の一人だった。

 

 この新人の短い探索者生活は、アンヘルとはまったく違う意味で華々しく、目立ったものだった。

 従軍するまでの暇つぶしと公言しているのにもかかわらず、彼をチームに迎え入れようとする探索者は後を断たない程である。

 

 しかし、彼は何者にも迎合しなかった。

 誰も寄せ付けない孤高の一匹狼。貴族の子女と思わせんばかりの整った容貌。そこらの探索者とは隔絶した剣技。二十にも届かない齢の男は、戦う事のみで生きてきたと証明する壮絶な闘気を纏っていた。

 

 そんな目立つ彼は幾多もの厄介ごとを引き起こして来たが、其の一切を己の腕だけで潜り抜けてきた。それは、アンヘルにとっても憧れであった。実際の性格を理解するまでの話だったが。

 

 黙々と荒涼とした大地を歩む。袖広かつ薄着の民族衣装を身に纏った美貌の男――クナルが、引きずりそうなほど大きい大曲刀を背負い歩いている。初冬の肌寒い風が流れていくというのに、薄着の格好で気にせず歩んでいく。ふたりの間には長い間、静寂があるだけで会話の兆しはない。

 

 如何に優れた腕を持っていようとも、たった一人でこなせる仕事などたがが知れている。探索者がこなす仕事のほとんどがモンスター狩りとダンジョン内の資材回収だとはいえ、交渉や荷運びなど多様な業務が混在している。ダンジョン上層で魔石集めを主とする下級探索者ならともかく、より高収入を目指す探索者には人手が必要になる。

 

 当然、新人の域を脱しつつあるアンヘルはもちろん、単純な剣の腕前ならこの大都市オスゼリアスの探索者の中で三指に入ると噂されているクナルも他人とまったく組まないわけがなかった。

 

 しかし、そんなふたりの間で交わされた会話は、名前と翌日の集合場所・時間だけであった。その原因は目の前の男、クナルにあった。

 

 ――はぁ、一日と半日以上歩いているのにずっとこの調子だよぉ……。

 

 クナルとの出会いを思い返す。

 

 一言「私はクナルだ。援護など期待しないから雑務だけをこなしたまえ」と傲岸不遜に告げたクナルは、アンヘルの名前も聞かないまま、事務会話を一方的に始め終わらせた。

 なによりもやるせないのは、対話という普通の人間なら誰でも可能な行為をしなかったにもかかわらず、受付嬢たちが熱っぽい視線を彼に送っている事であった。あのテリュスですら、頬を染めながら挙動不審になっていた。

 

 今向かっている村はオスゼリアスからウルカヌ火山を挟んだ正反対側にある。よって大きく迂回する必要があり、その道中を無言で歩く男に付き合うのは簡単でなかった。

 

 アンへルとて、なにもしなかったわけではない。食事時、就寝時など口実をつくって話しかけようと努力はしたのである。しかし、彼の反応は興味なしの一点張りで、無言が帰ってくるばかりだった。心の底から戦力として期待していないのだろう。道中にあった幾度かの戦闘では、すべてクナルの一刀でケリがついた。代わりに、設営、炊事、交渉は一切しなかった。

 

 無言のまま歩き続ける。火山の熱気の影響なのか、どこもかしこも植物が枯れている。地面には黒々とした柔らかい火山灰土が敷き詰められていた。

 

「あのぉ。クナルさんって龍と戦ったことがあるんですか? たった二人だなんて、無謀だと思うんですけど……」

 

 最後の方は消え入りそうな声で尋ねる。どうせ返って来ないだろうなと思っていた質問だったが、予想外にも前を歩んでいたクナルが立ち止まり、振り向いた。

 

「貴様は数に入れていないから二人ではない」

 

 自己紹介以来の硬質な声が紅色の唇から放たれる。

 

「単独討伐は許可が下りなかったため雑務として使ってやっているが、私の闘争の邪魔となるなら貴様から切り殺してやっても構わんぞ」

 

 人形のように整った顔が酷薄さを滲ませる。その右手は、背にある大曲刀の柄を掴んでいた。

 

 取りつく島もないとはこの事である。恐る恐る頷くと、クナルは前に向き直り、歩き始める。

 こいつが死んだらさっさと逃げようと心に誓うと、アンヘルも続こうとした。しかし、歩き始めた瞬間、凄まじい勢いでクナルが振り向く。その双眸は天を見上げていた。

 

 アンへルは彼の鬼気迫る行動に釣られて、同じ方向を向いた。

 

 そこには紅き物体。紅い塊がこちらに向かって急降下していた。

 それは飛行というよりは滑空だった。米粒大の大きさだった紅い塊が、拳大になり、人間大より大きい巨体であることに気がつく。

 その巨躯の正面にはギラついた鋭い瞳が嵌る異貌の紅。紅き龍が滑空突撃を敢行していた。

 

 唖然と見ていたアンヘルをクナルが抱えて後方に跳躍。アンヘルたちが居た空間を砂塵を巻き上げ、紅き龍が通り抜ける。

 クナルが抱えていたアンヘルを放り捨てる。アンヘルは尻もちをついて倒れた。

 

 心臓の鼓動が痛い。正対するのは地上最強の生物、龍である。クナルの額にも小さな汗が滲んでいた。

 

 巻き上げられた砂塵をゆっくりとかき分けながら、紅き龍が姿を現す。その姿は、まさに神話上の怪物の姿であった。

 

 火山龍ボルケーノドラゴン。

 鋭く大きい牙に、全身を覆う紅鱗。両腕に備えられた鋭利な黄爪、そして翼を広げれば全長五メートルにも及ばんとする大型バスのような体躯。その顔に嵌る暗い緑の瞳が、すべてを憎む龍の凶相を克明にしていた。

 

 砂塵が消え、全貌が露わになると二足で歩行していた火山龍が腕と両翼を広げる。そして、天に向かって咆哮した。

 

 恐怖の波濤(はとう)が広がる。

 根源的恐怖。絶対的恐怖の象徴である龍の叫びが轟いた。

 

 膝が震え、歯がカチカチと鳴っていた。目の前の巨大な怪物から目が離せない。その大きな(あぎと)から漏れる小さな吐息ですら、容易く命の灯を吹き消しそうな圧力を伴っていた。

 

 固まるアンヘルの横で、クナルが戦女神の顔を歪ませる。同時に咆哮。勇ましい戦士の雄たけびがクナルの恐怖を消し去った。

 身体を沈めて、飛翔。宙空で大曲刀を抜き、両手で天に掲げる。

 

「がぁぁああああああッ!」

 

 クナルの雄たけびと共に、大曲刀の鋼の煌めきが駆け抜ける。上方から振り下ろされた刃の一閃を、龍は左の黄爪で受ける。金属のぶつかり合う硬質な音が響くと、クナルの大曲刀が弾かれる。

 空中で重力に従い身動き取れないクナルに向かって、龍の尾が旋回。その無防備な脇腹に尾が迫る。クナルはとっさの判断で大曲刀を逆さに構えて受ける。

 

 轟音と共に、毬のように吹き飛ぶ。十メートル近く吹き飛んだクナルは転がった。

 それを睥睨する龍は、大きく息を吸い込む。肺を膨らませながら両腕を広げ、天を一瞬仰いだ。

 

 龍の身体の中央の宝玉が輝くと、(あぎと)の奥、口腔から爆炎が吐き出される。

 

 龍の息吹(ドラゴンブレス)

 岩すらも融解させる灼熱の風が龍から吐き出された。

 

 死の熱風は大地を放射状に走り、そこにあるすべてを焼き尽くして駆け抜けた。

 放射状に広がったそれは、クナルを容易く飲み込んで塵芥を巻き上げた。

 

 歯向かう愚かな人族を熱の波濤(はとう)の彼方に消し去ったことで満足した龍は、もう一匹の人族に向き直る。

 

 龍は腕を地につけ、上体を低くする。そして、異常な速度で発進した。

 その一歩一歩は巨人の福音か。地面に深い爪跡を残して龍が突貫する。

 

 アンヘルはたまらず外套を翻して跳躍。恥も外聞もなく転がって避ける。後ろを振り向くと、躱されて減速しようとしている龍の姿が目に入る。

 

 いくら龍といえど、自然法則は無視できない。その巨体が生み出した前進エネルギーを打ち消し、急速に反転することは適わない。慣性に法り、地面に停止跡を作りながら向き直ろうとしている姿が目に映った。

 

 腰の剣を引き抜き、駆ける。

 

 クナルは死んだ。もしくは死んでいなくても重症で動けないだろう。また、逃げる選択もない。飛行できる龍から逃れたければ、生贄が必要だ。荒野に都合よくあるはずもない。ならと、冷静な頭が計算を弾きだす。そして、顫動(せんどう)する腕を理性で抑えつけて、剣を水平に構えた。

 

 振り向きざまを狙って飛翔。上昇の力に逆らわず、下から掬いあげる要領で剣を振り上げる。身体の上昇に右肩、右肘、右手首のしなりを加えた渾身の銀線が振り向いた瞬間の無防備な龍の頭蓋に向かって描かれる。

 

 顎の下の鎧が薄い部位を正確に切り裂く。燃えるような熱い血が飛び散った。

 

 龍の悲鳴とともに激憤の吐息。着地した瞬間、耳を聾する恐ろしい咆哮が轟いた。黄双爪を振り回してアンへルに迫る。

 右、左、右ときて尾を振り回す。

 

 決死の思いで避け続ける。反撃の糸口など存在しない。ただ、必死に躱し、避けきれない爪の攻撃を剣で受ける。たった数瞬の出来事で、受けた剣は悲鳴を上げ、避け損ねた左腕からおびただしい量の血液が流れ出ていた。

 

 一発一発が必殺である。直撃した瞬間、回復の余地なく即死するだろうことが容易に察せられる死の双爪がアンヘルに迫る。怒りに染まり、大振りの攻撃に終始してなければ、開始数発であの世行きだっただろう。

 無様によけ続けて十数秒。緊張と出血の極致で、ぎりぎりの綱渡りを続けていたアンヘルの視界に戦士の姿が映った。

 

「ぎぃぁあああああああああ!」

 

 戦士の咆哮。大曲刀を両手に構えた身体ごとの刺突が真横から無防備な頭蓋に向かって突き刺さる。

 

 上半身の民族衣装のほとんどが焼け焦げ、皮膚がケロイド状になって(ただ)れていたクナルの大曲刀が龍の左目に突き刺さる。

 今度こそ本当の苦悶の悲鳴。アンヘルのような薄皮を裂いた一撃ではなく、真の意味で損傷を与えた証だった。(おびただ)しい量の血液が吹き出て、たたらを踏む。クナルは顔に足を掛け、勢いよく剣を引き抜いた。

 

 横に降りたった戦士の皮下には、黒い金属質の鎧のようなものが覗いている。その顔には酷薄の笑みが浮かんでいた。

 

「貴様がまさかあの一瞬を生き永らえるとはな。世には不可思議なこともあるものだ」

 

 負傷している様子を一切伺わせない、超然とした態度をとる。そして、苦悶に苦しむ龍へ焦点を合わせた。

 

「しかし、貴様のおかげで龍の瞳を粉砕できた。おい、左からまわれ。逃げる前にこの場でけりをつける」

 

 あの一瞬の戦闘でクナルに認められたのか、淡々と指示を出してくる。その瞳は戦闘狂独特の妖しさが宿っていた。

 

 無理だよと叫ぼうとした瞬間だった。龍が残った右目に憎悪を宿らせるが、それを抑えこむ。そして、咆哮のあと尾で砂塵を巻き上げると、両翼を動かして空に飛び立つ。その憎しみに染まった右目は、アンヘルたちを鋭く睨みつけていた。

 

 十数秒にもわたる睨み合いのあと、龍が身を翻す。その姿は凄まじい速度で飛翔していき、ウルカヌ火山に消えていった。

 

「っち、逃したか」

 

 立っていることすら不可能なほどの大怪我であるにもかかわらず、クナルが心底残念そうに呟く。アンヘルはその敢闘精神が心の底から意味不明だった。

 

「おい、村まではもうすぐだ。奴は目の傷を癒せばまた襲ってくる。さっさとついてこないと斬り殺すぞ。このうすらマヌケが」

 

 そう言い捨てると大曲刀を肩に担ぎ、歩いていく。アンヘルは生き残ったことが嬉しいような、複雑で疲れのこもったため息を吐いた。

 

 

 

 

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