イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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ここから二章最終話まで駆け抜けます。





第十話:『火山龍現る』 下

 ピエデラの村。人口五百人の比較的大きな村である。

 厳しい冬は地熱により過ごしやすい、火山の恩恵を大きく受けた村である。しかし、活気に満ちているはずの村は、戸がすべて閉じられ、寂れ果てていた。

 

 装束は焼け焦げ、皮膚すら(ただ)れているはずのクナルはその美しい顔に涼し気な表情を浮かべながら、村内を見回していた。

 

「……それで、これからどうするの?」

 

 対照的に、たった一度爪が掠っただけで重大な傷痍(しょうい)を受けたアンヘルが尋ねる。その顔には、過酷な戦闘と二日間歩きづめだったことが重なって、強い疲労の色が浮かんでいた。

 

「あの龍は怒りに狂っている」

 

 美しい唇が淡々と告げる。

 

「怒り? あの龍は確かに怒っていたけど、それは僕たちが攻撃したからじゃ――」

「そうではない。我らが出会った当初から龍の瞳は憎しみを宿していた。龍とは我ら下等生物に感情を高ぶらせることはない」

 

 貴様も蟻に怒りを覚えたりはしないだろう、と続ける。

 

「食糧確保のために人族を襲うことはあっても、龍が怒りに任せて人を襲わぬ。だからこそ、利用できるがな」

 

 聞きかじったような言葉ではない。通常ならあり得ないが、明らかに実体験に基づく口ぶりだった。

 

 探索者が龍と相対するのは珍しい。龍とは今回の依頼のように、少数で戦う相手ではないのだ。迷宮を飛び出て、人の味を覚えた兇悪の龍を討伐するのは決まって軍の役目であり、彼のような若輩者の探索者が龍と戦うことはないのである。

 

 アンヘルは疑問を口にする。

 

「それも、一族の教えなの? それとも自分の経験から?」

 

 その言葉を聞いたクナルは苦々しい顔をした。

 

「……一族の経験からだ。ただ、私の経験でもあるがな」

 

 クナルには珍しい、ひどく人間的な表情を浮かべる。過去に対する苦悩からか、その勇ましい眉はしかめられ、皺が寄っていた。しかし、その表情は続く言葉で妖刀の微笑みに変わる。

 

「だが、これほどの人数で龍に挑む経験はない」

 

 長年にわたり拡張路線を貫いてきた帝国では数多の国家・部族が隷従させられ、文化の吸収・破壊が成されてきた。その行為は統治を円滑化させるため行いであったが、すべての国家・部族に対して行われたわけではない。

 

 クナルのように、褐色の肌に新雪を思い浮かべさせる白銀の髪が特徴的なラシェイダ族もその例外の一つであった。

 

 帝国が未だ拡張を望まぬ王国時代、周囲は部族で傭兵家業を営む種族に囲まれていた。彼らは、吸収後も武力を持ち続けており、いわば蜈蚣の足の如く頭が死んだ後も絡みついてくる厄介な存在であった。

 なにより、帝国が大陸で先駆けて施行した士官制度による軍事方針には傭兵は合わない。必然、帝国は拡張に合わせて傭兵を営む部族のほとんどは飲み込まれ、粉砕され、塵芥となっていった。

 

 しかし、力ある部族を潰していくと、領地を守る組織が存在しなくなってしまった。

 今となっては宝の山であるダンジョンも、魔石を利用した魔導具が開発されるまでは無用の長物であり、ただただ怪物を排出する厄介な土地に過ぎなかった。今ほど国家が安定しておらず、治安維持部隊に金を割ける余裕もないとなれば、利益を生み出さないダンジョン近郊は、怪物が跋扈(ばっこ)する魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界だった。

 

 そんな中、怪物のみを相手にするラシェイダ族は、群雄割拠の戦国時代に際しての治安の悪さから、怪物狩りの専用部隊を必要とする帝国内の内部事情と噛み合い、例外として吸収されず残った一族であった。

 とはいえ、昨今の探索者業価値の増大から狩りを専門とする部族はほとんどなくなり、完全に帝国に帰化し、軍へ所属することになっていたが。

 

 いくら探索者ネットワークに繋がっていないアンヘルとはいえ、珍しいラシェイダ族の凄腕剣士を知らないわけがなかった。

 

「その、龍がぼくたちを憎んでいる理由って見当がつく?」

「理由? どうでもいい。それよりも、その憎しみをどう利用するかだ。なぜ、そのようなことが気にかかる?」

 

 整った眉が怪訝さの表れからかゆがむ。瞳から発される圧力が増していた。

 

「その……理由を知らないと、利用できないかなって…………」

 

 詭弁だった。

 たった一撃で人を死に至らしめる攻撃力と要塞の防御力、さらには飛行能力まで備えた龍は完全無欠の相手である。ことさら、遠距離攻撃手段を持たないアンヘルたちには、逃げの一手を取る龍を仕留められない

 ならば、その憎しみの原因を解き放ってしまえばいい。危険も侵さず円満に解決できる、探索者らしい合理的な判断であった。

 

 しかし、クナルは非情に告げる。

 

「そんなものに意味はない。龍が人族を憎むとすれば、考えられる理由は限られる。おおよそ、村の人間が龍に手を出したのだろう」

 

 テリュスが話していた依頼の詳細を思い返す。彼女の話では、襲われている村人はこのピエデラの村の住人および訪れた人間に集中しているとのことだった。クナルの言葉を合わせれば、推測は的を得ているように感じられた。

 

「けど、村の人が龍にちょっかいをかけるっていうのは無理じゃないかな。ぼくたち探索者でも、あんなのに出会ったら即逃げると思うけど?」

 

 その台詞を聞いて、クナルは愚か者を見下す冷たい視線を送った。

 

「直接、ではないに決まっているだろうが。たとえば、龍の子であるとかな」

 

 龍の子という予想を聞いて、龍の憎悪に染まった瞳が頭から離れなかった。

 

 

 

 §

 

 

 

 情報を共有したふたりは、傷を癒すため村の中心部にある唯一の宿屋兼酒屋兼雑貨屋を訪れた。龍の脅威からか、近場の畑でしか農作業を行えない村人たちは仕事がなく、狭い店内に所狭しと屯していた。

 

 店の汎用性の高さゆえかそれとも需要の無さからか、専門店と比べれば酷い有様で、期待した情緒あふれる宿の部屋はちいさな物置に寝具を置いただけであった。救いは、寝具の上に藁が敷き詰めてあったことだろうか。宿としてこれまでの中で最下位をぶっちぎる割に高額の宿泊費を要求されたアンヘルは、経費で落ちるにもかかわらずぶつくさ言いながらリーンに回復を任せ、眠りについた。

 

 明朝、目を覚ましたアンヘルは左腕の傷を確認する。完治とはいかないが、動かすには支障はなかった。腕に巻いた包帯を解きながら、眷属であるリーンの丸まっている様子を眺める。夜通しの治療には流石に堪えたのだろう。その顔には濃い疲労の色があった。

 

 リーンを優しく撫でると、召還(アポート)。その姿は虚空に消えていった。

 

 剣を腰に差し、寝具しか置かれていない部屋を出る。小さな客室が居並ぶ二階を降りると酒場に辿りついた。そこは夜通し飲み明かした男たちの()えた匂いと酒精の臭いが漂っていた。

 

 酒場では、中年の女将と幼い少年が忙しなく酒瓶を片づけている。そして、客席にはクナルが無機質な表情を浮かべて佇んでいた。

 

 クナルは一階へ下りてきたアンヘルの顔に気がつくと、立ち上がる。そして「手がかりを見つけたぞ」と告げるとスタスタと店の外に歩いていった。

 アンヘルはその背を追いかける。

 

「……昨日、そっちの部屋から叫び声が聞こえていたけどなにかあったの?」

「なにも、ただ引っかけた女で(いとま)を潰しただけだ」

 

 そう告げた美しい顔にはただただ退屈が浮かんでいた。龍と戦ったときの獰猛(どうもう)な笑みは何処へやら、ただ事実を淡々と告げる冷たさがあった。聞いた側としてもそう淡々と告げられると、一瞬納得しそうになった。

 

「…………えッ! 女の人を連れ込んでたのッ!? いつ、どうやってッ?」

「朝から騒ぐなこのうすらマヌケが。貴様は手がかりよりもそんなことが気になるのか?」

 

 クナルは不愉快そうに眉を(ひそ)める。

 

「向こうから声を掛けてきたから、情報収集の一環で抱いただけだ。どちらにも損がない取引だ」

 

 心底下らなそうに告げる。興味のなさだけが浮かんでいた。

 

 ――いやいやいや、そんな暇、いつあったんだよぉ。っていうか、傷はどうなったの?

 

 クナルは龍の息吹を正面から浴びて重傷を負ったはずである。しかし、どういうわけか服の隙間から覗く素肌には火傷の痕は残っていなかった。一晩楽しんだということは、龍と交戦してから夜楽しむまでの間に治っていたことになる。治癒の魔法が使えるわけでもないのに、まったくもって理解不能の回復能力だった。

 

 しかし、頭に浮かんだ疑問を心の中に仕舞った。能力や私情を尋ねるのは探索者としても仕事に就く者としても不適切だからだ。

 

「……それで、いまはどこに向かっているの?」

「聞いた話では、その家の男は襲撃が始まる少し前から引きこもって出てこないらしい」

 

 早朝の畑の脇道を通り抜ける。中心部以外は、一軒一軒の距離が遠い。

 

「おそらく、その男がなにか手がかりを持っているだろう」

「引きこもり? そんな理由?」

 

 アンへルは頭に疑問符を浮かべながら尋ねる。しかし、尋ねられたクナルには確信の頑固さがあった。

 

「理由などどうでもいい。事件前後の変化はそれだけだ。あやまりであれば、次を探せばいい」

 

 そう言い捨てて足を早める。アンヘルとしてはそれに続くしかなかった。

 

 

 

 少しばかり歩くと、ひとつの小屋に辿りついた。

 その小屋には乱雑に農具が立てかけられており、周囲には価値のなさそうな小物が放置されていた。建物からは異臭が漂っており、住人のずさんさがありありと表れていた。

 

「あのー、すいません」

 

 扉をコンコンとノックする。返事はなかったが、背後のクナルに顎で指示され今度は大きくノックした。すると、中からドタドタドタと大きな音が響いてきた。

 

「誰だてめえらはよおぉ!?」

 

 扉の向こうから男と思われるだみ声が響く。

 

「ええっと、酒屋の店主からあなたの様子を見てこいと頼まれたのですが、扉を開けてもらえませんか?」

「ああっ!? ルグドの野郎たってかぁ? なんだってんだい」

 

 ぶつくさ文句を言いながら男が扉を開ける。ギイっと開いた瞬間、クナルの大曲刀が閃いた。風を斬り、目にも止まらぬ速さで男の首筋に大きな刃がそえられる。その神業には、男はなすすべなく固まるだけだった。

 

「な、な、な、なにモンだいてめぇはよぉ!」

 

 焦る男に対してクナルが冷酷に告げる。

 

「いいか、貴様に尋ねたいのはたったひとつだけだ。貴様の秘密を答えろ。さもなくば、首と胴がはじめての別れを経験することになるが」

 

 はじめてじゃない首と胴の離別ってなんだと心の中でツッコミながら、アンヘルも焦る。彼との打ち合わせでは扉を開けさせ、穏便に話すという作戦だったのに、これでは恐喝である。

 

「ちょっと待ってよっ。彼はなにも関係ないかもしれないじゃない」

「黙れ、貴様から別れを経験させてやろうか?」

 

 一瞥もくれずに返す。クナルの瞳には怯える男だけが映っていた。

 男は剣とクナルの威圧に負けて尻もちをつく。股は微かに濡れていた。

 

「ひ、ひみつ? なにをいってぇやがらぁッ!?」

「龍に手を出しただろう? 欲に目が眩んで龍の子を手に掛けたのか?」

 

 男はクナルの言葉を聞いて早々に狼狽えはじめた。

 

「そ、それのどこが、悪いってんだいぃっ! オラは、ただ魔物をこらしめてやってるだけだろうがぁっ!」

 

 威勢よく吠えかえす。しかし、僅かに震えが残っていた。

 

「ならば、なぜこうやって部屋に閉じこもっている?」

「それは…………龍が、龍がおそってくるからさぁっ。だから、家にいるだけだろうがぁよお、なにが悪いってんだあいっ!」

 

 男は続ける。

 

「オラはよぉ、山に登ったら魔物がいたから弓で射ただけだあっ。ただ、魔物をヤっただけでさぁ、そだに閉じこもってるだけで、なにをそんな責められなきゃならねぇえええッ! 魔物を殺して、その死体を売っぱらって、良いくらしをおくるってことの、なにが悪いっていうんだよぉおお!」

 

 男の叫びに対して、アンヘルは心の底から驚愕した。彼の論理には、ひたすらに自分自身しか存在しない。龍を襲うななど幼子でも知っている常識だ。龍は聡明だが、襲ってきた者を生かして返す温厚さは持ち合わせていない。

 龍の血は良薬に、龍の牙は武器に、鱗は鎧にと身体中余す所なく利用できる。たとえ龍の幼子であったとしても、その価値は一介の農民には大きい。しかし、これほどの悲劇を落としたことに対して自分だけを考えられる思考に怒りを覚えた。

 

「……あなたは、この村へ龍の災厄をまき散らしてしまった事に対してなにも感じないのですか?」

 

 村を守ろうとしたイゴルやリコリス。過去の思い出だけで村に残った傭兵。その死にざまがフラッシュバックする。アンヘルの顔には封じ込めたはずの深い陰が差した。

 鈍い疼痛(とうつう)が広がる。右手が腰に差した剣へ伸びようとした。

 

 それをクナルの冷たい声が遮った。

 

「くだらん。貴様の動機も、マヌケの感傷もな」

 

 クナルが興味を失い、剣を引く。その顔にはまた退屈が浮かんでいた。

 

「龍がこうやって彷徨っているということは、いまだ子の一部を持っているのだろう。それをよこせ」

 

 淡々と、それでいて拒否させない威圧を伴って告げた。

 

 

 

 §

 

 

 

 村から離れた荒野でアンヘルたちは目の前に小さな牙と鱗を並べて座っていた。冷え冷えとした空気が荒野を駆け巡る。

 

 クナルは瞑想して、アンヘルは、ただひたすらに剣を研いで龍が現れるのを待っていた。

 

「こんな牙と鱗を置いただけで来るのかな? あんなに目を怪我していたのに……」

 

 クナルが負わせた傷は深い。いくら龍とはいえ、眼球に剣を突き立てられれば耐えられるものではない。毅然と飛び立っていった龍だが、かなりの重症であることはアンヘルにも察せられた。

 だからこそ、手負いの龍をおびき出せれば仕留められる可能性は高い。

 

「龍は他の生物とは別物だ」

 

 紅色の唇が言葉を紡ぐ。

 

「野生生物は敗北を予感すれば一目散に逃げる。そこには、恥も外聞もない。奴らに人間の考える誇りや見栄は存在しない。しかし、龍は別だ。自らの子が辱められるとあれば、如何に手負いとはいえ出てこざるを得ないだろう」

 

 野生にない知性を持つがゆえに狩られる。彼の語る怪物狩りの手法は、知性と裏打ちされた経験と冷徹さがあった。怪物狩りとしての一族の歴史の重さ。語る一言一言にそれが詰まっていた。

 

「そもそも、どうして村を襲わなかったんだろう? あの龍なら、村なんて滅ぼせる気がするけど……」

 

 言っておいて、反吐が出る響きだった。しかし、あれ程強大な龍が只の村人を屠るなどたやすいことに思えた。

 

「人族を狩り過ぎれば、我らのような討伐隊が組まれると理解しているのだ」

 

 クナルは「もう少し頭を使え」と辛辣に言葉を投げた。

 

 返す言葉もなく、沈黙する。

 ふたりの間には、砥石の摩擦音だけが響いていた。

 

「しかし、貴様の得物は酷いな」

 

 瞑想を終えたクナルが唐突に言う。それは、クナルからはじめての問いだった。

 

「刀身は歪んでいて、さらに貴様の体格にあっていない。その上、造りの古さから所々ガタが来ている。遠目に見てもそのざまだ。今時、駆け出し以下の得物だな」

「それは……そうなんだけど」

 

 責められたアンヘルには否定の言葉を持たなかった。

 アンヘルは万年金欠だ。最近はテリュスの依頼により十分以上に生活できているが、それはホアンの借家に居候しているからである。オスゼリアスにはじまる発展した都市では物価が高く家を買うのは難しい。そのため、借家を借りるしかないが、探索者のような浮き草稼業の人間が一定ランク以上の家を借りるには、知名度がなければ難しい。そうなると宿へ泊まり続けるはめになる。金銭感覚が破綻している他の探索者は気にしないが、将来のため貯蓄を残したいアンヘルとしてはムダを減らしたかった

 

 しかし、その精神こそが戦士たるクナルには受け入れられない姿勢だった。

 

「剣士が己の魂たる剣に金を惜しむなど愚かな事だ。我が一族には『準備を怠ることは失敗を準備していることと同じだ』という格言があるが、貴様のやっているのはまさにそれだ」

 

 辛辣な言葉が心をささくれ立たせる。村の男の身勝手な振る舞いもあってか、苛立って言い返してしまった。

 

「そっちこそ、なんなのそのバカでかい剣は? もしかして、君のラなんちゃら一族は炊事にもバカでかい包丁を使うの?」

「これだから、無知は困る」

 

 クナルがやれやれと首を振った。

 

「これは刀匠ドミトリ・ラザフォードが手掛けた一品だ。大業物級には届かぬが、十二分に業物ではある。最近になって発見された十七振りの魔剣には遥かに劣るがな」

「そんな自慢、聞いてないよ」

 

 彼の言葉を両断しながら、覚えのある魔剣について記憶を探る。

 

 ――ああ、新聞に書いてあったあれかぁ……。

 

 アンヘルはホアンが試験の時事問題のために取っている新聞の記事を思い出す。最近は勉強が身を結んで、新聞記事くらいなら判読可能になっていた。とはいえ、時間がかかるため気になる記事にしか目を通さないが。

 

 幻と言われた十八本目の魔剣についても思い出していると、クナルが光悦の表情で続ける。

 

「この美しく滑らかな刀身に、バランスを崩さない重心。そのすばらしい全体像はまさに芸術の極み」

 

 女を抱いたというのに淡々と告げていたその唇が興奮して語る。

 無機質に佇んでいるクナルは恐ろしいが、武器に興奮しているさまは不気味の一言だった。

 

「…………もしかして、剣が好きなの? 女の人じゃなくて?」

「なにを言う。あんな肉の塊のなにがおもしろい?」

 

 クナルが心底不思議そうに返す。その不思議そうな顔がひどく不気味だった。

 なら一生剣に射精してろと心の中で呟いた。

 

 どんな皮肉を返そうかと考えていると、会話の最中にもかかわらずクナルが唐突に立ち上がる。そして空を見上げた。アンヘルもそれを追って見上げる。

 

 紅い塊。片目に傷を負った龍が飛んでいた。

 龍を狩る死闘が始まった。

 

 

 

 §

 

 

 

 地上に降りたった龍の咆哮が轟く。

 すべてを飲みこむ死の叫びは、それでいて力強さを欠いていた。

 灼けつく右眼の輝きが、切り裂かれた左目の血流で濁っている。その吐息には、傷の苦しみが多く混じっていた。

 

「眼球の傷は脳まで達しているな、奴にはもう正常な判断力は望めまい」

 

 勇猛なラシェイダ族の戦士が凄絶な笑みを浮かべながら背の剣を構える。それに続いてアンヘルも腰の剣を引き抜いた。睨みあう両者の間で闘気が高まりあう。それが頂点に達した瞬間、両者は一斉に駆け出した。

 

 クナルが身体をまるで豹のごとく縮め、飛翔。天を駆けるがごとく猛烈な速度で跳躍する。上腕二頭筋、三角筋が隆起し、人の身長を越える大曲刀を掲げた。

 龍の脳天に向かって彼の急降下攻撃が行われる。強化のなされていない一般人には視認すら不可能な一撃を龍が右の黄爪で防ぐ。鈍い音とともに火花が散った。

 そのままクナルが超人的な身体能力と剣の薙ぎの慣性によって空中で態勢を整えると、立て続けに切り上げる。龍の左爪を躱して薄く咢を切り裂いた。

 

 クナルが地面を滑るようにして着地。それを見ながら回り込むようにして疾走する。

 

「はぁぁあああ!!」

 

 気合の雄たけびと共に刺突の構えをとる。龍の装甲は生半可なものではない。アンヘルの腕と得物では、力を一点に集中させた刺突を眼球か腔内に当てなければ効果はない。

 クナルから目を離さない龍の死角から剣を突きだす。踏み込んだ右足から捩じった腰、上腕の力が強化の力と合わさって剣先に集中する。渾身の刺突が龍の眼球に迫る。

 

 寸前で気づいた龍が咢を開いた。そして櫛比する牙で刺突を弾く。カキンと子気味のいい音を立て、剣が上方に弾かれた。

 無防備になったアンヘルの胴体を龍の黄爪が襲う。それを無様に転がって避ける。

 

「がぁあああああああああああ!!」

 

 戦士の咆哮とともにクナルが曲刀を振る。世界を半分に切り裂かんと真横に振り抜かれた剣は躱されたことで虚空を斬った。しかし、凄絶な剣士たるクナルは振り抜いた剣をそのまま反転させるという、人体の構造を逆らった動きをした。

 

 いくら鍛えても人間はそれ以上の存在にはなれない。剣を振り抜いてしまえば、その流れに逆らえない。だからこそ、剣術とは円を描くようにして流線形の型を取るものだ。

 しかし、彼の剣技はそれに当てはまらなかった。人体構造に逆らう筋力かあるいは超常の力によって、勢いに乗った曲刀を制止させ反転させる。異常とも言える武技は龍の横面を切り裂いた。

 

 龍が悲鳴を上げる。

 クナルの超人的身体能力はさすがの一言であったが、それ以上に龍の動きが鈍い。明らかに昨日の戦闘よりも覇気が減じていた。

 

 これならばいける。そう心の中で考えた瞬間だった。

 

 龍が息を吸いこむ。

 龍の息吹の兆候だ。クナルに注意を促そうとしたが、息吹を吐き出す瞬間に龍が向きをこちらに変えた。

 

 ――こっちかッ。

 

 弱い方を狙う。戦術としては当然の行為だが、まさか龍がそんな低俗な戦術を取るとはまったく考慮していなかった。それは相手の余裕を無さの裏返しでもあるが、今まさに死が迫るときには何の役にもたたない。

 

 吸い込んだ息が火炎となって蜷局を巻き、津波となって迫りくるのをスローモーションで眺める。いくら強化が成されたアンヘルの肉体も、空を飛んだりすることはできない。

 外套で身を包み、必死に避けるも放射状に広がる龍の息吹を躱すことはできない。炎の津波がゆっくりと迫ってくる光景を見るしかなかった。

 

 小さくクナルの舌打ちが響く。

 普通の人間とは違う法則で動いているのか、生まれついての戦士であるクナルの身体能力は超人的なものだった。

 眼前にまで迫っている炎の津波を躱して、クナルがアンヘルを抱える。そして、飛翔した。

 

 人を抱えて垂直に十メートル以上飛んだクナルは炎の海を飛び越えると、アンヘルを投げ捨てる。そして、自分自身も静かに着地した。

 げふっと尻もちを着く。それでも尻の痛みより、生き残ったことが嬉しかった。

 

 しかし、その喜びを無粋な言葉が打ちきる。

 

「私の足を引っ張るな、このマヌケが」

「…………うるさいっ。ぼくは子猫じゃないんだから、君の恋人みたいに扱ってほしいよ」

 

 いつもは受け流せる軽口も、クナルの前では引っ込められない。ある意味、相性がいいのか軽口の応酬が続いてしまう。

 

「私に恋人などいたことはないぞ」

「そう? 手に持ってるじゃんか。麗しいお姫様が化粧をしているんだから、今日は抱いて寝てあげたら?」

 

 血に染まった大曲刀を揶揄う。その言葉に苛立ったクナルが剣をアンヘルに向かって軽く薙いだ。アンヘルはそれを飛びのいて躱す。

 

「おわっ。なにすんの!」

「だまれ、我が愛刀ビフェニルを愚弄することは許さんぞ」

「あれ? もしかして自分の剣に名前を付けてるの? それは不気味を通り越してキモイよ」

 

 常に無機質な表情を浮かべていたクナルの顔がはじめて怒りに染まった。額には青筋が浮いている。

 

「なるほど、龍を倒した後は貴様から死にたいという宣言と受け取って良いわけだな?」

「君の一族の格言に、他人の言葉を拡大解釈せよっていうのもあるの?」

 

 言い合うふたりの間を龍が駆け抜ける。ふたりは磁石が反発するようにして二手に別れると、龍の背を回って、またも合流する。

 

「貴様、愛刀だけでなく一族までも。本当に死にたいらしいな」

「君の武器性愛嗜好には一切の興味はないけど、部族批判に聞こえたことは謝るよ」

 

 龍の咆哮が轟く。怒れる瞳が負った傷によって輝きを失いつつあった。

 しかし、戦意までは失っていない。ここからが正念場だ。

 

 アンヘルは剣を水平に構える。隣には少しばかり疲れの見えるクナルの姿がある。

 

「とりあえず、倒すまでは一時休戦にしない?」

「…………いいだろう」

 

 クナルも戦意高らかに大曲刀を構える。

 

「息吹を回避するのに力を使い過ぎた。龍の鱗を貫くほどの剛力はすぐには出せんぞ」

「なら、少し時間を稼いでほしいな。あと、今からやることは秘密で」

「……まさか貴様に指示されるとはな」

 

 吐き捨てるクナルの顔には意外にも不快さは浮かんでおらず、なんとなく愉快そうな笑みが浮かんでいる。それは、珍しく毒を吐き続けるアンへルも同じだった。

 

 再戦の狼煙と言わんばかりにクナルが雄叫びを上げる。そして、弾けるようにして地面を蹴り疾駆する。クナルの強靭な肉体が生み出す突進は砂塵を巻きあげ、一直線になって龍へと迫る。全身の筋肉が躍動し、人には余る大曲刀を振り回した。

 

「どぅらあああああ!」

 

 大曲刀の連撃と龍の爪がぶつかり合い、鈍い交響曲を奏でる。凄絶な連撃は地面を抉り、衝撃波を周囲にまき散らした。

 美貌の剣士の瞳には野生と同じ獰猛な光が宿っている。その狂剣士の勢いに、理性ある龍がたたらを踏んだ。

 

 半円を描き迂回していたアンヘルは、その光景を唖然と眺める。龍を狩る探索者の存在は知っていたが、まさか正面から剣を交えることができるとは思いもよらなかった。ホアンやホセのような今までの武芸者とはまったく違う、本物の実力者だった。

 

 クナルの剣が煌めき、銀線を描く。上段から斜めに振り下ろされた銀線が龍の左翼を引き裂き、右肩を薄く裂く。そのまま返す刀で切り上げ、右足の肉を削った。

 クナルは龍の反撃に対してまったく下がらない。掠っただけで肉を持っていく致死の一撃に対して踏み込み、得物を振り回す。それどころか、身体に掠っても皮膚の下に鉄の鎧でもあるかのように龍の爪の一撃が弾かれていた。

 

 狂剣士の舞。舞踏と言うべきか。

 美貌の戦士が踊る死神の舞は、着実に龍の命を削っていた。

 しかし、同時にクナルの額にも大粒の汗。妖しく笑うその顔には強い疲労が浮かんでいた。

 

 右、左と黄爪を躱し縦横無尽に駆けまわる。龍が焦れて爪を大きく振り回した瞬間にアンヘルの閃きが実現した。

 

「クナル、下がってッ!」

 

 アンヘルの掛け声とともに、クナルが大きく飛びずさる。

 それを見届けたアンヘルは腕を大きく掲げた。

 

召還(サモン)ッ!」

 

 中空に開かれた門から若水龍シィールが出現。その額には、躑躅色の角が輝いていた。

 シィールは主人の指示にしたがって息を吸い込む。そして吐き出された。

 

 シィールから吐き出された吐息が放射状となって広がる。白銀の世界が龍を包んだ。

 モンスターには自身の能力に由来する属性を持つ。自身の能力に適合するスピリチュアルを取り込むことで強くなっていくのだ。そしてそのスピリチュアルには相性というものがある。シィールの持つ属性は水。火山龍ボルケーノドラゴンの火属性に対して優勢な属性である。

 

 シィールの息吹に対して正面から受けた龍は身体に霜を張りながらも、残った右眼を強く猛らせていた。

 

 ――これで、最後だ。

 

 構えた剣を引き、刺突の構えを取る。そして、残った右眼に向かって突貫する。

 

 気合の乗った剣先が龍の右眼に迫る。霜の下りた身体、鈍った腕部に気取られて、最後の反抗心を見逃した。

 

 龍が大きく咢をひらく。その奥には、灼熱の息吹が込められていた。紅い火が喉奥に灯る。その火が吐き出されんとしていた。

 

 ――くっそ、やばいッ!

 

 躱せない絶対の死を遮ったのは、大剣だった。

 高く飛翔したクナルが大曲刀を逆手に急降下、負傷した左目に突き刺さる。その刃は、目を貫き、脳を裂き、喉奥を凌辱した。

 息吹を吐こうとした腔内が脳ごと縫い付けられる。行き場を失った灼熱が龍の体内を焼いた。

 

 龍が苦悶の悲鳴とともに倒れる。

 

 龍の灼熱の息吹が渦巻いている。その噴出口は黒く炭化していた。

 尻もちをついているアンヘルの隣にクナルが歩いて近寄る。その顔には不可解さと不快さがあった。

 

「貴様が召喚士の力を隠していたことも不愉快だが、なによりもなぜあの龍は避けなかった。すべてを回避できずとも、負傷を抑えることができたはずだ」

 

 声に含まれる怒り。それは闘争を穢された怒りのようだった。

 

 この若龍には人語を解する能力はないうえ、もう虫の息だ。アンへルが答えるしかなかった。

 

「この龍は避けられなかったんだ」

「……どういう意味だ」

 

 クナルの怒りの込められた冷たい瞳がアンヘルを射貫く。

 

「……この龍の後ろには彼の子の一部である牙や鱗が置かれていた。もう、影も形も無くなったとはいえ、シィールの吐息に晒すことはできなかったんだ」

「……」

 

 クナルの顔には納得と怒りの表情が浮かぶ。詰問の色が瞳に宿っていた。

 しかし、数瞬するとさっぱり消えて失望の色が浮かんでいた。

 

「この龍も、そのような感傷に惑わされるのでは、真の闘争の相手にはならないということなのだろうな」

 

 心底下らなそうに告げる。

 

 真の闘争。アンヘルはクナルの武芸の根底に思い至った。

 その若さでは普通身につけられぬほどの凄絶な剣技。超人的な身体能力。この若きラシェイダ族の神童は、名誉でも財貨でも地位でもなく、ただ自らが望む闘争のためだけにこの領域に至っているのである。

 彼の精神構造は人間的な弱さをすべて切り捨てている。彼の前では、女も子供もすべてが無価値に映るだろう。

 

 アンヘルはその非人間的な在り方に恐れを抱くしかなかった。

 クナルはそんな心情を斟酌せずに刀を背負う。

 

「さっさと片づけるぞ。貴様は村に――」

「うぉおおッ! あんたらよぉ、てえしたんだなぁああっ!」

 

 片づけを指示しようとしたクナルの声を遮って、遠くで隠れていたらしい男が叫ぶ。その男は、龍の子を害した村の男であった。

 

「なあ、なあよおッ! あんたら、あいつを倒したんだろ? ならよぉ、あの牙と鱗は、返してもらうべっ」

 

 男は返事も聞かず地面に並べられた牙や鱗を懐に仕舞う。その浅ましい姿に反吐が出そうになった。

 なんの反省の色も見せない目の前の男を許せなくなり、アンヘルは一歩踏み出す。

 

「あなたは――」

 

 責めようとしたアンへルの肩をクナルが掴む。その顔にははじめて見る表情、嘲笑があった。

 

「貴様はあの男が許せないのか?」

 

 クナルの質問が一瞬理解できず疑問符を浮かべる。それを咀嚼して、脳内で再生した。

 どう考えても、誰もがあの浅ましい男の所業を詰問したくなるだろう。そう考えたアンヘルをクナルが断じた。

 

「それは同族嫌悪と言うのだ。貴様のやった戦術とあの男がやっている行為にはなんら違いはない」

 

 戦慄が走る。

 クナルの辛辣な言葉がアンヘルを打ち砕いた。

 

 ちがう、そんなわけがないと反駁しようとしたが言葉が出ない。

 

「戦士としての貴様の行為には敬意を払うが、自覚がないのは愚か者の極みとしか言いようがないな」

 

 吐き捨てるようにして告げる。そして、そのまま踵を返して去っていった。

 

 男の奇怪な悲鳴が響く。

 視界の端で、龍の遺骸の中心に光が溢れている。

 

 光は、霞となって移動し、アンヘルを包んだ。その光に導かれるまま、小さな震える声で呪文を紡ぐ。

 

召喚(サモン)

 

 現れたのは、小さな卵だ。白に緑の斑点の小さな卵だった。それは、召喚と共に小さくひび割れ始めた。

 ピキピキと亀裂が大きくなり、中からは赤い小竜が現れる。紅き龍が体内に宿していた、もう一匹の子供であった。

 

「キュウ?」

 

 龍の小さな泣き声と吹き抜けた冷たい初冬の風が、アンヘルの心を撫でつけていた。

 

 

 


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