イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第十一話:トラジディへの序章

 大都市オスゼリアスにおける運送の喉仏ともいえる物資集積港、デンドロメード湖港(ここう)の一つ、リックガル集積所にて、男が煙草を更かしながら歩いている。

 

 湖に接続した大河により、無尽蔵と思えるほど大量の物資を一手に引き受ける港、それがリックガル集積所である。最大規模を誇るこの港には、物資、人、金が集まり、身体を巡る血流のように都市オスゼリアスに流れていく。人々は、まるで蜜に(たか)る蟻のようにして、この物資の心臓部ともいえる集積所に向かうのである。

 

 煙草を吸い終えた男――検閲官ダビド・クビノは定期巡回検査を終えて、同僚の待つ事務所に戻る所だった。波止場に吹き寄せる風は冷たく粒だっている。水面を撫でる冷風が波だった水面を掻き立て、飛沫となって吹きつける。初冬の夜の湖風はひどく肌寒い。

 

 ダビドは今年で三十になる検閲官で、総督から俸給を受ける下級役人であり、大河を渡ってやってくる船を検査する仕事に就いている。

 

 港の検閲官は現場仕事であり、最下級に近い役人であるが、それでも権威あるお役人である。要領よくこなせば船主から受け取る賄賂もあり、日々身を粉にして労働に励む下級労働者には殿上人といえた。もっとも、役職は完全に世襲・縁故採用のみであり、新規採用された職員は最近を振り返っても皆無だったが。

 

「ひぃぃ。今日はやけに冷えるなぁ」

 

 背筋を震わせながら、羽織ったコートの襟を立てて身を縮こませる。夜風に揺れる魔導灯りの光を頼りに、暗がりを進んでいく。

 

 ダビドの祖父は、六十年前の隣国リヒトガルド王国とのメルオヴァレイ会戦において、ティラノス騎馬突撃隊の一員として名を馳せた人物であった。彼自身も数年前に没したその祖父と似て、目を引く高い身長と人並外れた膂力を持ってはいたが意気地を欠いており、役人仕事だけで長年食いつないできた気の弱い父と同じ臆病な性質であった。

 

 そして、このダビド、要領というものがよろしくなかった。十八のときから熱心に仕事を務めているが、人に意見を述べることが苦手で、とくに上司から気に入られない性質であった。

 基本、検閲官の仕事は見廻って小さな不正を見つけては船主に賄賂をねだり、十分な金が手に入るとそさくさと早引きするといったものである。しかし、ダビドは中々手を抜けない性分であった。賄賂が俸禄に含まれていることを父に知らされてからも、不正を働く度胸と悪知恵を持たないダビドは、決められた時間を異常がないか熱心に調査・報告し、その上司が賄賂を受け取るところを眺めるという毎日を送っていた。

 

 ――はぁ、なんでこんなこと毎日やっているんだ俺は…………。

 

 軍国主義が支配する帝国は、軍人と官僚が高い地位を占め、教育・文化・イデオロギー・風習までもが軍事的特色を帯びる。魔導化による物資と思想の流入により、多元的思想が認められるようなった近年でも、民間はともかく官僚機構の中では、この人の良い気質で出世の機会に恵まれるはずもない

 

 今日も、五つ下の若造が事務方に出世するため、同期の上司に買い出しを強制されていたところであった。

 苦笑いをしながらランタンを振り回す。検閲予定の場所はあと一か所だった。

 

 ――はぁ、ここはいっつも治安が悪いから来たくないんだけどなぁ。

 

 ぼやきながら最後の場所である第四区画に足を運ぶ。

 

 第四区画は込み入っており、杜撰な管理状況から禁制品の密輸を取り仕切るカルテルの連中が出入りしている。そのため、治安が悪くなりがちであった。人並外れた体格のダビドだが、武術の心得があるわけではない。ごろつきの喧嘩や倉庫・船上荒らしには無力であり、夜半検閲の仕事は誰からも敬遠されていた。

 

 ――しかもこの前、人身売買の摘発があったせいでぴりぴりしてるんだよなぁ。

 

 嫌な想像が頭をよぎった。

 船留めに打ち寄せる波が小さな音を立てて反響している。いつもは気にならないその音が、今夜はやけに大きく聞こえるような気がした。

 

 鈍い部類に入るダビドであっても、治安の悪い場所へ入ることに無神経にはなれなかった。

 

「き、きょうは早めにおわらせよう。うん、そうしよう」

 

 ランタンを持っている手が心なしか震えた。

 

 指定の場所に行き、置かれた荷物をサッサと確認する。仕事を手早く済ませると、責任者に一言告げ立ち去る。

 嫌な想像のせいか、逸る心を抑えながら、速足で第四区画を通り抜ける。薄暗い路地を曲がると、その街頭の先でちらりとなにか動くものを見た気がした。

 

 ギクッと身体が停止する。じっと制止して数秒待つが何も起きなかった。

 

「はぁ~、なんだ気のせいか――」

 

 息を吐いた瞬間だった。不意に、ガタッと木材の倒れる小さな音がした。

 心臓を握られたような悪寒がダビドを包む。喉がカラカラに乾いた。

 

 ゆっくりと音の鳴った方向を見ると、ランタンの光を真っ向から浴びせた。

 

「誰だッ!! 俺は検閲官だぞッ!」

 

 照らされた木箱の影になにかが(うずくま)っている。そこで、心底恐ろしくなり、半分気絶しそうになる。しかし、意思に反して自分の足は物陰のなにかに近づいていった。

 

 ランタンの光に照らし出されたのは、尖った耳が目を引く少女の寝顔だった。

 

「……え?」

 

 安堵のため息を吐く。

 落ち着いたことで頭に冷静さが戻ると、現在の状況がハッキリとしてくる。目の前には青白い顔色の少女がいた。少女は寒そうに震えている。眠っているというより倒れているといったほうが正しかった。

 

 早く助けないと、と気がつけばダビドは少女を担いでいた。路地をそさくさと駆けぬけ、最近越したばかりの借家の扉を開くと少女を自分の寝台に寝かせる。そして、寒そうに凍える少女にありったけの毛布を被せた。

 

「とはいうもののなぁ……」

 

 ダビドは少女を眺める。

 少女の身に纏っている衣類は乞食以下、農村の少年少女なみの飾り気のない貫頭衣ではあったが、暖炉の光い照らされて眠る横顔は今まで見たことがないほど整ったものであった。

 

 金の束を集めたような美しい絹のような金髪。

 瞼は閉じられ、長い睫毛が目立って、恐ろしく整っている。

 肌の色はやや青みがかっているが、新雪のように白い。

 

 そして、なによりも特徴的な上方向に尖った耳。帝国内でも非常に珍しい人種。アルン人の特徴だった。

 

 素人童貞と同僚から陰口をたたかれるダビドにしてみたら、触れることすら恐れ多い貴人の如き美貌を持つ少女だった。年の頃は一五くらいであろうか。ただ眺めているだけなのに神聖さすら伺わせた。

 

 もう時間は深夜である。後輩を送る会はもう始まっている。買い出しを頼まれたにもかかわらず、遅れるなど、ただでさえどんくさいとバカにされているのに拍車が掛かることは間違いないだろう。しかし、そんな小さい事は頭になかった。

 

 俺は善意で彼女を助けたんだ。その彼女が起きたとき、まったく知らない場所にいれば怯えるに違いない。つまり、俺は彼女が起きるまで待たなければならない。ダビドは強く自分に言い聞かせると、椅子に腰を落として腕組みをする。

 

 すうすうと寝息をたてる少女を見ていると、中心が高ぶってくるのを感じる。それを抑え込みながらジッと待った。

 

 ――俺は、少女を部屋に連れこんで乱暴するような人間じゃない。ただ、助けただけなんだ。

 

 カチカチと古時計が動く。ダビドは、それをひたすら眺め続けた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「やっぱり、やめたほうがいいんじゃないかなぁ……。ほら、僕ってあんまりそういう格式の高いところ苦手だし」

 

 黒の背広を着たアンヘルが本音を漏らすようにしてぼやく。その眼差しは、白塗りの豪勢な邸宅に注がれていた。

 

 敷地には何台もの馬車が止まっており、中央に備えられた噴水の周辺で優美な装束に身を包んだ貴人・貴婦人が談笑しているのが見える。初冬の肌寒い風が飾られている水仙によって煌びやかな印象をもたらしていた。

 

 アンヘルの隣では、淡い藍色のフィット&フレアードレスに身を包んだマカレナがむくれ顔で目を尖らせている。その矛先は、ぼやいていた張本人へ向かっていた。

 

「もうぉ、またそうやって逃げようとする。別に大丈夫だって、私がいるんだから」

「けどさぁ、完全に場違いっていうか……」

「けどもなにも、アンヘルが来たいって言ったんじゃないっ! この美術展に」

 

 ブライアン・ネブソン画伯。若き天才といわれた彼の死後二十周年として、パトロンであったリーア伯の邸宅で開かれる個展に訪れていた。

 

 若き天才と言われた彼の生前は決して順風満帆なものでなかった。

 近年に至るまで、風景画とは『天へと続く塔』や『破滅の混沌龍の襲来』など宗教的、歴史的な主題の中で風景がしばしば描かれてきたのみであり、幻想的なある種理想化された風景を描くものであった。そこに新風を吹き込んだのが若き天才ブライアンである。自然主義的発想に基づき、野外に出て観察しながら風景を描くその手法は、当初絵画を買う上流階級には受け入れられなかったものの、豊かになった市民階級の家屋を飾る絵画としての地位を確立、没後美術史に新たな歴史を書き加えた画伯として称えられるようになった。

 

 この経歴は奇しくも好きだった画家と似通っており、訪れたいと思っていた。とはいえ、パトロンがリーア伯ということもあり、上流階級の社交場と化しているこの場へ踏み入れる勇気はなかなか湧かないのも事実ではあったが。

 

「苦労してこの美術展の招待状をもらったんだからっ。っていうか、なんか傷が一杯だね? どうしたの」

「ああ、ええっと、最近仲間になった龍の子が、言うこと聞かなくて」

「龍の子? ああ、召喚した眷属のこと?」

 

 幼龍レッドコドラ。アンヘルがフレアと名付けたその龍は、気性が荒く、何処もかしくも引っ掻き回すヤンチャ坊主であった。顔だけではなく、腕は傷だらけである。

 

「えっと、大丈夫?」

「うん、ちょっとヒリヒリするだけだから」

「そ、よかった。じゃ、行くよッ」

 

 そう言いながら左腕を絡めてくる。肘に薄く当たる柔らかい感触を感じて、アンヘルは黙るしかなかった。

 門衛らしき男に招待状を渡し、敷地へと入る。背丈まで上がる噴水を抜けて、二人は邸内へと足を踏み入れた。

 

「わぁー、すごいなーこれ」

 

 入ってすぐ目を引いたのは、巨大な湖にいくつもの小舟が描かれている絵画だった。デンドロメード湖を描いた若々しい光彩の(みなぎる)る作品は、その大きさもあって人の目を一気に惹きつける力があった。

 

 二人は嬌声を上げながら個展を回っていく。

 邸内では若い二人組が珍しいのか常に視線を感じたが、嫌なものではなかった。むしろ若者に対する芸術の興味に対して感心している雰囲気すらあり、なんとなくむずがゆい気分になりながら、観覧を続けた。

 

「どう、アンヘル? よかった?」

「……うん、とっても良かったよッ! なんかこう、言い表せないんだけど、壮大っていうかさぁ。あッ、とくにあの絵なんか水の波紋がとっても綺麗っていうか、精緻っていうか――」

 

 興奮して捲したてる。その様子をマカレナが微笑ましそうに相槌を打つ。

 あと残すところは二階の作品のみである。アンヘルがマカレナの手をとり、階段を見上げると、一人の男が階下へと降りてきていた。

 

「おや、これは、これは、あの大商会であるスリート商会のお嬢様ではありませんか」

 

 その悠々とした動きに、気品ある白金の髪。整った顔に粘ついた眼。奥に宿る悪感情を隠そうともせずに告げたその男は、アンヘルも因縁がある人物にして、オスゼリアス三大商家のひとつプロビーヌ商会の次男サンティアゴであった。

 

「――ッ! サンティアゴッ」

 

 マカレナが小さく叫ぶ。その顔には嫌悪があった。

 

「あなたのような方に芸術を理解するような心があったとは、驚きですね」

 

 サンティアゴがそう言いながら意地悪く微笑む。サンティアゴとマカレナの間だけ明かりが翳り、重く冷たい空気が張り詰めだした。

 

「……あなたこそ、なんの用よ」

「ほう、いつもながら辛辣だね。元婚約者に対してだと言うのに」

 

 その言葉で、マカレナがゴキブリを噛み潰したとしても見せないような嫌悪を露にする。冷えきった関係の横で、アンヘルは聞かされた話を思い返した。

 

 マカレナとサンティアゴ。この二人は今春まで婚約者の仲であった。

 マカレナの生家、スリート商会の歴史は古い。元々鍛冶・装飾で生計を立てる技術者集団であったスリート商会は、魔道具技術の発展により大きく飛躍した商家であった。日々発展する魔道具技術、物資・物流に恵まれた大都市、豊かになる市民という購買層の増加、あらゆる要素が技術者集団スリート商会発展の追い風となり、一時は三大商家の一角に入り込むとまで噂された程だった。

 

 しかし、当時当主であったマカレナの曾祖父であるテオは技術に対する知識はあっても経営に対するヴィジョンを欠いていた。彼はあくまでも技術者集団としての立場に固持したのだ。技術こそが商会を救うと信じ続けていた彼は商品開発に無尽蔵ともいえる資金をつぎ込み、経営を傾かせた。

 

 そこで台頭したのがプロビーヌ商会だった。彼らはスリート商会の物流を担当する子会社の一であったが、その中で頭角をあらわし、主家が経営戦略で迷走する間も堅実かつ効率的に勢力を伸ばしていった。

 

 魔道具は高価だ。便利とはいえ維持費が嵩み、そのうえ高級品となれば少々の性能向上によって買い替える人は少ない。しかし、物流は違う。豊かになればなるほど集まる人も物も増加する。彼らは販路を拡大・独占し、デンドロメード港のほとんどを管理する立場となることで、主家であるスリート商会を追いこし、遂には主家が至れなかった三大商家の一角に食い込んだのだ。

 

 衰退していくスリート商会と発展著しいプロビーヌ商会。この関係に終止符を打つべく、野心家であるマカレナの父ミチェルは娘のマカレナとサンティアゴを婚約させたのであった。

 

「それでどうやってこの館に入ったのかね? 君の高貴な家には、美術品など置いていないように思われたが? てっきり美術に興味がないのだと思っていたよ。わが主家たるスリート商家にはね」

「あんたみたいなゲス野郎には、関係ないッ!」

 

 サンティアゴの嫌味に対して、マカレナが辛辣な言葉で応酬する。返されたサンティアゴの悠々とした顔に青筋が入る。浮かべている笑顔と相まって強烈な憎しみが感じ取れた。

 

 二人の間には、過去に婚約者であったという親密さは一切ない。それもそのはず、二人の婚約破棄にはおぞましいサンティアゴの性癖が絡んでいた。女と見がまう容姿の彼だが、その魂はこれでもかと言わんばかりに腐り果てていた。

 

 彼は幼少期から素行の良い人間ではなかった。物心ついたときから使用人に乱暴を働き、体が大きくなるにつれ、粗暴な者たちを連れて町を練り歩き町民たちに暴行を働くようになり、そのすべてを実家の力でねじ伏せてきた。とくに、彼の歪んだ性癖は、気の強く、そして弱い立場の使用人へ向けられることになった。

 

 名家や富裕層の人々が成長するにつれて習得する、誇りも情も持ち合わせない怪物へと成長していったのだ。それでも、多くの怪物はその性癖を隠すものである。しかし、世評のマイナスすら天秤によって測れない異常者。それがサンティアゴであった。

 

 マカレナとしても噂自体は知っていた。しかし、父権主義の横行する世界である。婚姻の自由などあるはずもない。嫌悪感に蓋をするしかなかったが、ある事件に際して決壊することとなった。

 

 マカレナには歳の近い友人がいた。

 その友人は、商家お抱え奴隷の娘であり、生まれながらの奴隷であった。ただし、奴隷とは現代人が考えるような厳しいモノではなく、就職や婚姻の自由を持たないだけで、それ以外は普通の人間とは変わらない。奴隷とはいえども人間で、そして財産である。むやみやたらに害する人間などいるはずもない。歳の変わらぬマカレナとケールは、互いに信頼し合える友誼を交わしていた。活発な子供であったマカレナにとって幼い頃から仕えているケールは、頼りになる姉同然の存在であったのだ。

 

 そんな存在であるケールに不幸が訪れたのは、半ば必然だったのかもしれない。桜の花びらが舞う季節、二人が自室で談笑しているとき悲劇は起きた。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「ねぇ、ケール? あなたの旦那さんになる人ってどんな人なの? あの恋人だった庭師の子じゃないんでしょ」

「ちょっと、やめてくださいって。別に私の話なんていいじゃないですか」

「まあまあ、そんなこと言わずにさぁ」

「私のことばかり気にしていると、宿題が終わりませんよ」

 

 ケールは慣れた様子でマカレナを嗜める。母親を幼い頃に亡くしたマカレナにとっては、この不幸な結婚に頼れるのは彼女だけだった。

 

 背丈は一六〇くらいと、成人女性と大差ない背格好のケールに対して、マカレナはしな垂れかかる。ケールは仕方なしという表情の奥に、隠しきれない喜びが滲んでいた。

 

「別に、そんな大層な話じゃありませんよ。母の紹介で、昔馴染みに嫁ぐことへなったのです。勿論、向こう側もこの仕事に対する理解がありますから、辞めたりしませんよ」

 

 表情ひとつ動かさず返すが、頬が薄っすらと赤く染まっていた。

 

 ケールがこうやって感情を出すのは珍しいが、無理もない、とマカレナは思った。

 相手の男は昔馴染みといっても立派な帝国市民である。奴隷として生まれたケールが市民権を得られ、子孫を帝国市民として誕生させることができるのである。望外の奇跡と言えた。

 

 穏やかな空気が流れる。未だ見ぬ結婚、希望に満ちている少女たちの流れを激変させたのは男達の不躾な声だった。

 

「も、申し訳ありませんサンティアゴさま。この先は、この先は困りますッ!」

「君のような護衛如きに指示されたくないな。ほら、道を開けたまえ」

「いえ、しかし婚姻前の不用意な接触はお控えいただくようお願いしているはずです。御用の際はアポを取るように連絡しているではありませんかッ」

「うるせーっ。プロビーヌ商会の若が会いたいっていってんだい。若がそうしたいっていったらよう、そうするってもんがてめえらの仕事じゃねぇのかいぃ」

 

 扉の奥で何人かが争う音が聞こえた。双方の言い合いは激化し、それが頂点に達すると暴力の音へと変わる。聞くに耐えない苦悶の悲鳴にマカレナは耳を押さえた。

 

「おやめくださいぃぃ、おやめくださぃいいいいいッ!」

 

 悲鳴が途切れる。そして扉が開かれた。

 

 現れた三人の男達は、揃いもそろって暴力の雰囲気を隠そうともしない下卑た顔をした男たちだった。

 中央には女と見紛うほど整った容姿の男が佇立(ちょりつ)している。まったく知らない顔ではあったが、その穢れきった顔つきから、一瞬でサンティアゴだと理解させられてしまった。

 

 サンティアゴが堂々と足を踏み入れる。そして、マカレナの髪に手を伸ばした。

 

「ほう、ほう。あのスリート商会の娘と聞いて期待はしていなかったが、なかなか美しいではないか。我が婚約者も」

 

 サンティアゴはうっとりした様子で、顔をさらに近づける。鼻腔にうっすらと香水の臭いが漂うが、目の前の男の性根と合わさって酷く不快なものにしか思えなかった。

 商家の子女への訪問とは思えない程無作法なうえ、その瞳には色に塗れ濁っている。マカレナは、恐れと吐き気に襲われて、動けなくなった。

 

 髪に伸びていた手が下におりて、肩を伝い胸に差し掛かろうとする。つつーと降りるその手をマカレナは嫌悪感から振りはらった。

 

「ん? なんだね。婚約者如きが私に逆らおうというのかね?」

 

 サンティアゴの顔が怒気に染まる。力強く一歩を踏み出した。

 それを遮るようにしてケールが割り込んできた。

 

「申し訳ありません、サンティアゴさま」

 

 ケールが震える声を振り切るようにして言った。

 

「しかし、此度のような無作法は困ります。御二人方は婚姻前の身でありますのでお控えくだ――」

 

 ケールの言葉をサンティアゴの平手が打ち切った。

 サンティアゴは怒気に染まったまま、無言で二人から離れる。そして、倒れていた護衛に近づいた。

 

「いいかッ!」

 

 怒声とともに、サンティアゴは腰の剣を引き抜くと、護衛の脇腹にずさっと沈めた。鈍色の刀身に血が絡みあい、翳っている室内の雰囲気とまじりあって兇悪に煌めく。

 

「私に逆らうということはッ!」

 

 サンティアゴは手を上下に動かし、脇腹に突き刺さっている剣をまるでのこぎりのように顫動させた。

 

「こうなるということだッ!!」

 

 絹を裂くような悲鳴とともに、男の身体をザクザクに凌辱する。絶叫が木霊した。

 

 マカレナは恐怖のあまり、両手で耳を覆って目を瞑る。胴体から吹きでる血がぴしゃと顔にかかった。

 

「ふう、わかったかね? 私に逆らうと言うことの意味が?」

 

 異常。サンティアゴの行為はその一言に尽きた。噂で聞いていた事が生ぬるく感じる。人を人と思わないモンスター。それこそが、マカレナの婚約者の姿だった。

 

 震えて動けないマカレナの膨らみに、サンティアゴの手が伸びる。その手を掴んだのは、唯一無二の友人、ケールだった。

 

「あ、あなたのような方に、マカレナお嬢様を嫁がせるわけにはいきませんッ!!」

「ふう、これだから下民は、嫌になる」

 

 サンティアゴは掴まれた手を不快そうに見つめる。

 

「おい、テール。おまえは、この前の祭りに参加できなかったよな。どうだ、埋め合わせにこの女を使わせてやろうか?」

「へへ、いいんですかい?」

「ああ、この女の言うことには一理ある。婚前に孕ませたとあれば、また父さまにどやされるからな。とはいえ、ここまで来てなんの収穫もなしというのもつまらんだろう?」

「ふひ、じゃあ、エンリョなくいかせてもらいまさぁ」

 

 テールと呼ばれた男は、護衛の死体をひょいと乗りこえると、ケールに向けて淫猥な目を向けた。

 

「ほうほう、こりゃ、いい身体してやがる」

 

 男はケールの腕を掴む。ケールの気丈な目が揺れている。身じろぎしながら小さな悲鳴を上げた。

 

「やめて、止めてよッ!」

 

 マカレナが叫ぶ。しかし、サンティアゴはマカレナの肩を右手でガシッと掴み、左手でその乳房を弄んだ。

 

「だめだよ、マカレナ。これはね、教育なんだ。この私が、下民に教育を施す方法を指南してやろう。さもないと、彼女がどうなるか、わかるね?」

 

 ぎゅっと乳房が絞り込まれる。痛みが走るが、口から吐き出せるのは吐息だけだ。

 サンティアゴが暗い情熱に歪んだ瞳でその光景を見ている。口のはしから小さな涎をたらし、静かに股間を膨らませていた。

 

 親友ケールが悲鳴を上げ、組み伏せられる光景が飛び込んできた。

 ベッドの脇の床に組み伏せられたケールの目尻に涙が浮かぶ。

 男が下履を脱ぎ、汚らわしいものを露わにする。

 

 目を覆うような惨劇が始まった。

 マカレナはその光景を、乳房を弄られながら直視させられた。

 

 何度も、何度も、ケールの悲鳴が上がる。

 長い地獄の時間が終わるころには、ケールの悲鳴は途切れていた。

 ケールが自殺したのは、この日の夜だった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「ケールのこと、忘れたとは言わせないッ!」

「なんのことかね? そのような細事に煩わせないでもらえるかね」

 

 マカレナに、友人のケールを自殺に追い込むほどの責め苦を与えたこの男が平然と歩き回っているのが許せない。さらに、この男と一時でも婚姻関係であった事実に耐え切れない。

 

 父から婚約破棄に対して失望されたとしても、何一つ後悔はなかった。二人の間には、冷え切った翳りだけがあった。

 

「まだ私にそのような口を開く度胸があったとはな。なかなかに気の強い女だ」

 

 サンティアゴの目に色欲の炎が灯る。マカレナに対して一歩踏み出そうとした瞬間であった。

 

「何事でしょうか? ここは闘技場ではありませんよ」

 

 絢爛たる個展に相応しくない緊迫した二人の間を切り裂いたのは、麗しい響きの声だった。

 深緑の髪に琥珀のような瞳。冷たい鋼を思わせる冷ややかな輪郭に少しばかりの朱色が合わさった色相。黒を基調としたドレスのエンパイアラインは、髪に添えられた金の飾りと絡み合い、高雅な美をもたらしている。神々しさすら感じさせるその美貌も、怜悧な瞳によって冷たさに変わっていた。

 

 彼女は、過去アンヘルを助けた貴族の少女、その人であった。

 

「今は、亡きネブソンさまを偲ぶ個展なのです。かような鄙陋(ひろう)はお控えになっていただけますか?」

 

 少女が薄く微笑む。その優艶さに魅せられたサンティアゴは一瞬欲望を露わにするが、言葉を発した相手に気づいてすぐさま引っ込めた。

 

「あ、ああ、いえ、これは無作法を。え、ええ、た、大変申し訳ありませんでした」

 

 平時には想像もできないほど卑屈な態度で謝意を告げた。そして、すごすごと立ち去っていった。マカレナも固まって動かない。その顔には、驚愕と畏れが浮かんでいた。

 

 騒ぎが収まったことで周囲の野次馬たちが散っていく。しかし、彼らにも騒ぎを収めた少女に対する欽仰(きんぎょう)があった。

 

 少女がこちらに向き直る。

 

「あなた方も此度のような騒擾(そうじょう)を起こさぬよう――」

 

 少女がふと違和感に気付いてアンヘルの顔を見る。そして、驚きの表情をつくった。

 

「あら、あなたは確か、ウルカヌ火山でお会いした探索者さまではありませんか?」

 

 紅色の麗しい唇が旋律のような言葉を紡ぐ。一瞬、上位者から話しかけられていることを忘れて黙ってしまった。マカレナに肘で突かれたアンヘルは、頭を下げ気味にして、どもりながら答える。

 

「は、はいぃっ。そ、その折はお、お世っ話になりましたぁあ」

 

 ひどい返事である。独裁者の前でこんな返答をすれば処刑一直線だろう。生まれてこのかた女性と話したことのない神聖童貞にもましな返事が可能なはずだ。

 

 その返答を聞いて少女は、目を丸くして驚きながら笑った。それは一切の濁りがない、アンヘルがはじめて見る素顔だった。

 

「ふふ、そうですか。私は、ルトリシア・リーディガー・エル・ヴィエント。どうかお見知り置きを」

 

 少女は片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げてお辞儀をする。マカレナはそれを受け、慌てて返礼した。

 

 彼らの無様な慌て様。それもそのはず、ヴィエントという名前は、軽々しく扱えるものではない。

 南の農地を支配するヒューゴ家、法政を司るアッグア家、財務を司るリエガー家、魔法・召喚術を一手に引き受けるオスキュリア家、そして軍事を司るヴィエント家。帝国を支える五大貴族の名は、伊達ではない。

 

 翡翠の君。麗しきその少女はそう呼ばれていた。

 

 当然ながら、貴族事情にまったく詳しくないアンヘルにはあずかり知らぬことだが、上流階級に属するマカレナやサンティアゴは貴族事情に通じている。帝国階級ピラミッドの頂点に位置する軍家、ヴィエント家の長子を前にしては、たがが一都市の商家など指先ひとつで吹き飛ぶものでしかなかった。

 

「それにしても、よもや探索者の方が絵画に興味があるとは驚きです。一応お聞きしておきますが、あなたは上級士官養成課程志望ではありませんか? それとも商家や軍家の出身でしょうか?」

「い、いいえっ。わ、わたしは、ただの探索者。ただの農民であります。しゅ、出身はここから南東にあるセグーラの開拓村でありまして……」

「そうですか……ただの農民の方、それも探索者のような方が絵画に興味を持っていただけるとは」

 

 少女が笑顔を湛える。それは貴族としてではない、純朴な笑みだった。

 

「自然主義の作風を嫌う方もいらっしゃいますが、あなたのような未来ある徒人に支持者がいるなら心配はありませんね」

 

 彼女の瞳には慈愛の色があった。

 

「それでは、失礼します」

 

 少女が優雅に礼をする。上げた顔には、元の怜悧な瞳が嵌っていた。

 

 二人は去っていく少女に向かって頭を下げる。

 少女が消えていったのをチラリと確認すると、マカレナが勢いよく顔をあげた。

 

「アンヘルッ! あなたって、あの方と知り合いだったのッ!?」

「いや、知り合いってほどじゃ……。ただ、助けてもらたってだけで」

「ええッ! ホントッ。すごい、わたし今日を一生の思い出にするっ」

 

 興奮したように呟く。その顔には、先ほどの諍いの残滓はなかった。

 頬を赤く染めながら、ふたりは残りの絵画を鑑賞した。

 

 それでも興奮冷めやらぬ様子のマカレナに連れられて個展を飛び出したアンヘルは旅の吟遊詩人の歌に合わせて、路上で踊りまくった。

 くるり、くるりと。路上のお客さんを巻き込んで、盛大に踊った。

 

 もう冬真っ盛りだ。

 冬は探索者の仕事もない。受験戦争で気が立っているホアンと同じ部屋にいるのも難しく、飲食店のアルバイトの傍ら、毎日マカレナと出歩いた。

 

 旅芸人のショウ、食べ歩き、スイーツパラダイス。

 マカレナに連れられて毎日街を巡った。

 

 ミスラス教の聖夜も、新年を祝う日も二人は共に過ごした。マカレナの心情はともかくとして、アンヘルにとって彼女は妹のような存在で恋愛関係にこそ発展しなかったが、もっとも仲のいい存在だった。

 

 こうやって、穏やかな日々がずっと続けばいい。

 アンヘルはそう思っていた。

 

 年が明けて一週間後、突然にしてマカレナからの連絡は途絶えた。

 

 

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