イセカイ&ドラゴンズ   作:原田孝之

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第十二話:訃報は唐突に

 暮れも押し詰まった底冷えする日の朝。冬至を過ぎると、夜毎に冴えわたる息吹が街全体を蝕んでいた。窓から空を見上げると、黒々と磨き上げられた曇天。灰色の寒空が、どこか凶兆を予感させた。

 

 寝具に腰かけた茶髪の少年――アンヘルが、朝早くから机にかじりついている赤毛の少年を見ながら息を吐いた。

 

「ねぇ、ホアン。今日もマカレナ来ないね」

「あ、ああ。そ、そうだな」

 

 凍てつくような空気が部屋を漂っている。湖すら氷を貼る気温では、暖炉の炎のなんと侘しいことか。

 

「い、今は年始で忙しいんじゃないか? ほ、ほら、彼女は商家のお嬢様なんだ。実家の行事に参加しないといけないんじゃないか?」

「うーん、そうなのかなぁ? 年始も気軽に出歩いていたけど……」

 

 年始から二週間も過ぎている。年始に暇だった彼女が、この時期に忙しいとは考え難い。

 

「それは、そうだが。……なあ、アンヘル。もう少し待ってみろよ。相手の迷惑になったら悪いだろ」

「うーん、そうなのかな。もう一週間だけど、こんなに長い間連絡もないなんてはじめてだし」

 

 この頃、マカレナとは毎日のように出歩いていた。そのため、彼女の性格を鑑みると、なんの音沙汰もないというのは不自然極まりない。

 

「もしかして、何かの事件に巻き込まれているとか? それだったら、早く助けにいかないと」

 

 腰を浮かせる。ただの推論であるにもかかわらず、顔には焦りが滲んだ。

 

「ま、待てよアンヘル。そんなに早合点するな。この前に通りで見かけたぞ」

「そ、そっか。じゃあ、無事なんだね」

 

 安堵のため息を漏らし、腰を椅子に落ちつける。悩みを飲み込むようにして、カップの水を飲み干した。

 

「ああ、そんなに気にすることはないよ」

 

 噛み合わない歯車を見せられているような気分だ。言葉にはできないが、何処となく不気味なものを感じざるを得なかった。不安を打ちきるため立ちあがり、流しにカップを浸ける。寝具近くの道具置き場に近寄り、ホアンから譲り受けた剣とは違う、簡素な剣を腰に差した。

 

「ごめんね、勉強の邪魔しちゃって。勉強はどうなの? 捗ってる」

「い、いや、気にするな。確実とまでは行かないが、そんなに悪くないと思ってるよ」

 

 勉強の話題に変わって明らかに気分が和らいでいる。ずっと勉強漬けの彼は、雑談のときに其れだけは聞くまいと拒絶していたが、珍しく受験に対して前向きに話し出した。

 

「とはいえ、今年はなかなか厳しいんだがな。道場巡りのついでに情報収集をしたんだが、今年の志望生は粒揃いだそうだ」

 

 彼は今年の志望生を連ねる。剣術道場の御曹司、魔導院上がりの秀才、与一と称される天才、都市闘技大会の優勝者。そして、すでに探索者として名を馳せている怪物、クナルの名前を告げる。

 

「だが、だからこそ、燃えるってものさ」

 

 熱く語るホアンを見る。彼の瞳には、強い情熱の炎が宿っていた。見ているこちらが焼きつくされそうになるほどの熱量に、寂しさを覚えた。

 

 ――ぼくには、まだ、そんなモノは見つかってないなぁ……。

 

 眩しさで目がくらむ。太陽を見上げているようだった。憧れと寂しさで頭が揺れる。それを振り払うようにして扉に手をかけた。

 

「うん、がんばってね。じゃあ、夜には帰るから」

 

 虚しさを湛えながら、扉を開け放った。

 

 

 

 §

 

 

 

 ホアンと別れてから、アンヘルは鍛冶屋ウィルキンを尋ねることにした。

 

 埃が立ち篭む店内に足を踏み入れる。

 剣や槍が鈍色の肌を晒し、陳列棚には無骨に飾られた刀剣の刃が貪欲に煌めいていた。また、棚と棚の間には、禍々しい形状をした重装鎧に、楯や兜が並んでいる。狭い店内に、戦争でも起こせそうなほど大量の武具が櫛比(しっぴ)していた。

 

 棚の間を抜けて、奥のカウンターを目指す。手に掛けた棚には、おどろおどろしい東方鎧の兜がこちらを見据えていた。

 

「ダメったらだめッ!」

 

 激しい言葉が店内に響きわたる。手に力が入り、横の棚を薙ぎ倒しそうになった。倒れそうになる棚をなんとか左手で掴む。

 吐きそうだった。もし棚を倒していれば、あの銭ゲバ、ウィルキンに幾ら毟られるか分かったものではない。収支は沈没し、グラフの下を突き抜けて地殻にまで潜ってしまうことは確定だ。

 

「そうかぁ? この剣なんて、今逃せばいつ出会えるか……」

「ムダな買い物は許しませんっ」

 

 知らない男女の声だった。棚を倒しそうになった恨みから、顔ぐらい見てやろうと棚に沿って移動。棚の裏を覗く。通路には、探索者に見えない武芸者風の男女が言い争っていた。

 

「いや、これは今度の試験の前祝なんだ。だから、いいだろ?」

「そんなわけないでしょ。あなたのお父さんから、ムダ遣いしないよう言われているんだから」

 

 片方の青年は、頭をツンツンに尖らせた特異な髪型、いわゆるサイヤ人ヘアーだ。腰には飾りのある剣が差してある。彼は純粋そうな瞳で剣への情熱を熱弁していた。

 言い争っているもう片方の女性は、黒髪を後ろに結んだ、いわゆるポニーテール少女だ。背中にある小さな短剣と短弓が、まるで弓道少女のような風貌だった。

 

「そんなケチなこと言うなよ、なぁエマ」

「ケチですって!?」

 

 少女には青筋が浮いている。

 

「今月、買ったものを言ってみなさいッ!」

「なんだよ、そんなに怒鳴んなよ。ええっと、剣二本と盾ひとつか?」

「ちっがーう。あと、鎧、外套、短剣四本とスローイングナイフ18本。わかんないのッ? こんなのムダよ、ムダッ!」

 

 エマと言われた少女は完全に噴火している。

 というか、そもそもとして青年の金銭感覚は完全に破綻していた。彼の持つ剣は長剣に分類される類で、一般的に盾と併用することはない。人並外れた力があれば片手で扱うなどわけないだろうが、彼の身長体格は普通と言ったところである。それに加えて短剣など、もはや蒐集癖があるとしか思えない。

 

「はぁ? なんだよこのチビ、俺の母親かッ! そんならよ、本当に必要かどうか判断して貰おうじゃねぇか。そこの人によ」

 

 二人の視線が一気に集中する。

 巻きこまれるのが嫌で棚の裏に戻ろうとしたのだが、青年がこちらに気がついて呼びかけてきた。こうなると、無視することもできず二人が待つ通路に移動するしかなかった。

 

「なぁ、あんた。この剣、どう思う? やっぱり名刀だろ?」

「だからそんなのムダだって。そもそも、それ両刃じゃなくて片刃だし、そんなの使いこなせないでしょッ!」

 

 どっちでもいい、というのが本音だったが、それを言ったらどちらからもブーイングを受けそうな気配である。アンヘルは思考の海を亜高速で泳ぎながら、慎重に答えを出した。

 

「ええっと、その、片刃剣を使ったことがないなら、今回は諦めたほうがいいんじゃないかな……はは」

 

 口喧嘩は女に勝るものなし。言い争いでは、女を立てるべし。

 悲しいサガだが、これが彼の処世術なのであった。

 

 勝ち誇った顔の少女と対照的にむくれ顔の青年。少女の煽りによって怒りが頂点に達すると、青年が愚行を敢行した。

 

 青年の手が少女の服の裾を握る。そして、顔の近くまで捲りあげた。

 素肌とともに、淡い色の下着がまろび出る。少女の、薄く盛りあがった胸部が少しだけ晒された。

 

「き、きゃあああああ!」

 

 絶叫。絹を引き裂くような絶叫だった。

 今度は青年が勝ち誇った顔をしている。満足したのだろうか。

 

 少女は胸を手で抑えながらしゃがみ込み、どんどんと頬を染めていく。そして、爆発した。

 

「ぶっ殺すッ!」

 

 睾丸が隠れそうになるほど、ドスの聞いた声だった。

 これには、青年もさすがにヤバいと自覚したのだろう。全力で後方に向かって走り出した。

 

「待てぇえええッ! リカルド、ここに直れぇええッ!」

 

 なんだったんだ、という感想しか浮かばない。得をしたのは、水色の下着姿を見たアンヘルだけだ。

 

「俺の店で暴れる気か?」

 

 不機嫌そうな声とともに、見慣れた樽体形の男が出てきた。店の主人であるウィルキンである。彼は腕を組んで笑った。

 

「幾らでもやればいいさ。だが、損害請求は一桁ほど上乗せするがね」

 

 一割ではなく一桁である。強欲を通り越して、糞野郎だった。しかも、騒ぎを起こしたのは別人だ。犯人共が外で嬌声を上げていた。

 

「って、おめえかよ? なんだ、そんなツラしていっちょ前に喧嘩か? やっぱ探索者ってのは仲良くできんもんかねぇ?」

「いや、喧嘩していたのはぼくじゃなくて、他のって……まあ、なんでもいいです」

 

 肩を落とす。

 

「それで要件は? って、あれに決まってるわな」

 

 ウィルキンが奥の棚から布に包まれた物を投げる。

 受け取って布を取ると、ホアンからもらった剣が現れた。鞘から抜いて刀身を確認する。

 

「おお、すごい。まるで新品みたいだ」

「当然だ。金が支払われる限り、このウィルキンは永遠にお前の味方だ」

「……それ以外のときは?」

「その辺で野垂れ死ね」

 

 刃先まで確認する。そして、当分の間借りていた剣を返す。

 

「この前の戦いで、刃先が欠けて芯が歪んでいたような気がしたし……」

 

 一振りする。風を切り裂く音が鳴った。

 

「やっぱり、大物を狩るような使い方は想定していないから、そもそも武器として無理があるんだろうけど……」

 

 刀身に手を滑らせ、鍔本へと戻す。出来栄えに感嘆が漏れた。

 

「不満でも?」

「いえ、なにも。新品ではなく、ただの修理でここまですばらしいものになるとは思いもしませんでした」

「それが、俺の鍛冶屋としての腕の見せ所だ」

 

 だが、とウィルキンは続ける。

 

「直っているのは見た目だけだ。勿論、刃先は研ぎなおしているから切れ味には問題ないだろうが、芯の方はイカレてる。造りは悪くねぇんだが、そもそも古いしな。悪いこたぁ言わねぇ、さっさと得物を新調しやがれ」

 

 銭勘定の濁った目ではなく、研ぎ澄まされた職人の目で告げていた。

 

「もしかして、親切割引って意味?」

「神様が直々に命令したとしても、俺は殴り殺して拒否する」

 

 ウィルキンは皮肉気に笑った。

 金にうるさい彼らしい言葉なのだろうが、本当に殴りそうで恐ろしい。

 

「だが、お前さんがそんな剣を使っているってのは、正直馬鹿バカしいよ。今時、実戦経験のない道場の倅でもマシな得物を腰に差してるもんさ」

 

 悲し気に首を振る。この口うるさい鍛冶屋の悩みは金が八割、そして優れた使い手の減少を嘆く二割で構成されているのだ。長きに渡り紛争のない都市オスゼリアスに居を構える職人の悩みは、実直な剣より優美な装飾剣が讃えられることにあるのだろう。

 

「剣を見ればよ、使い手がどんな戦いを潜り抜けたってのが理解できるのよ。お前は、こんな得物でくすぶってるタマじゃねぇだろ?」

「そうやって煽てても、ない袖は振れませんよ」

「そりゃそうだ。だがよ」

 

 ウィルキンは店の奥に消える。そして、長い箱を持って現れた。

 箱を開き、中身を引き出して商品棚の上にのせる。そして、その刀剣を鞘から引き抜いた。

 

 飾り気のない鞘、精緻な螺鈿掘りが施された鍔元、薄く布が巻かれている柄。そして、鈍く輝く鋼色の刃。そしてそれを覆うようにして、赤と青の光が迸っていた。ヴゥィィィンと虫の風切り音のような細かい振動が耳を衝く。

 

 目が、刀身に引き寄せられる。その美麗さに、絶句した。

 

「刀匠ジョージ・デイビットが創りあげた、新式魔導剣。それも、使用者の力を吸い取って、切れ味を増す完全術者使役型、永久機関のⅣ式。製造番号は一八號。本人が造り上げたのは五本だと言われているから、弟子が造ったレプリカか。明らかに禁制品だろう?」

 

 鋼の声が後ろから響いた。

 振り返ると、見上げる程の長身に、美麗な顔立ち。輝くような銀髪。怪物、クナルがそこにに立っていた。

 

 彼の瞳もその麗しい刀剣に縫い付けられていた。

 

「詳しいな。まあ、確かに禁制品だが、こんなものは港で見つからなければ大したことはない」

 

 安全のため、一般市民が持つことのできる武器には制限がある。刀身は三尺(約一メートル)と決まっており、また魔導武器の所持も厳格に定められている。

 だが、ウィルキン武器屋はオスゼリアス中トップクラスの禁制品で溢れていた。武器は麻薬などと比べ重要度が低く賄賂で誤魔化せるとはいえ、ここまでくれば最早芸術である。

 ただ、馬鹿みたいな大剣を日々持ち歩いて捕まらないクナルは謎に過ぎたが。

 

「この剣を、召使い如きに与えるつもりか?」

「ああ? なんだお前ら、まさか知り合いだったのか?」

「ああ、致し方なくな」

「……僕ははじめて会うけど?」

「死ね」

 

 アンヘルとクナルのやり取りを聞いて、ウィルキンが目を丸くする。そして、豪快に笑った。

 

「なんでぇ、おまえらずっとソロでやってやがるからどうなるかと思ったが、まさか気が合うとは。アンヘルが、あのクナルとねぇ。世の中ってのは、分からんねぇ」

 

 くつくつと笑う。心底愉快そうに笑っていた。

 不愉快そうにクナルの眉が歪んでいる。その綺麗な眉が、なにかの拍子に切り取られればいいのにな、いいのにな、と心の中で呟いた。

 

「あと、クナル。お前には何があっても買わせねぇ。春先の修理の月賦支払いが終わるまでは、テメェは俺の商品に指一本振れるな」

 

 クナルの眼差しが哀し気に曇る。女ならば、彼の憂いを晴らすために何でもするだろうが、アンヘルにとっては気分がいいだけだった。

 

「まあ、そんなパーティ結成祝いだと思えばいい。ほら安くしてやるから」

 

 樽男は指を五本立てる。

 

「五百ってこと?」

「五千だ、ボケ」

「……それ、家が立っちゃうよ」

 

 五千などあるはずがない。数百あれば、四人家族が数か月優に暮らせるのである。今まで稼いだ金を合わせてもまったく足りない。

 

「だろうな。だからよ、頭金五百払えば月賦支払いにしてやるよ」

 

 ウィルキンの目が銭に変わる。円マークが容易に幻視できた。

 

「じゃあ、ぼくはこれで」

 

 そさくさと退散する。こんな契約をしてしまえば、一生借金を返すだけの奴隷生活だ。ウィルキンは腕もいいが、なぜか金貸しとしても腕がいいのだ。

 

 樽男の舌打ちを聞きながら、クナルの脇を抜けて店を出ようとする。それをクナルの言葉が遮った。

 

「おい、そういえば貴様、今日はあの茶髪の女を連れていないのか」

「……それって、マカレナさんのこと? 彼女は今忙しいみたいで会ってないけど……」

 

 自分で言っておいて、苦味を感じてしまう。蝗を生で食らったような、泥の塊が体に広がった。痛みを堪えていると、ウィルキンが思いついたと云う顔をした。

 

「まさか、お前があのマカレナお嬢様を誑かしたとかいう探索者かいッ!」

 

 ウィルキンが快活な笑みを浮かべる。小柄な体に似つかわしくない樽腹を抱えて大笑いした。

 

「こりゃ、傑作だ。こんな若造があの嬢ちゃんの想い人たぁ、ほんとう、世の中わからんねぇ」

 

 ガハハハと大口を開けて笑う。その言葉を聞いて、気恥ずかしいような、安心したような気分になった。

 

「えっと、マカレナさんを知っているんですか?」

「知っているもなにも、彼女はあのスリート商会のお嬢様だろ? 俺らみたいな職人には、あの商会は元締めみたいなもんよ」

 

 世情を知らぬ若造を咎めるようにして、強い口調で言った。

 

「お嬢は、あのバカ息子の件で話題になったからな。つまりは、みんな同情してんのよ。あの、阿漕(あこぎ)な父親を除いてな」

 

 その口ぶりには、まるで父親のような温かみがあった。彼女の快活な性格は誰からも好かれる。こんな偏屈オヤジにも通じる、太陽の魅力だった。

 

「じ、じゃあ、今彼女が何をしているか知っていますか? 最近、連絡がなくて……」

 

 誰にも相談できなかった悩み。事情を知っているものが現れたことで其れが小さく漏れた。

 しかし、無情にもその不安を増大させる言葉をウィルキンは吐いた。

 

「ああ!? なんだ、お前さん、しらねぇのか? お嬢は婚約したんだよ」

 

 無情な言葉に立ち尽くすしかない。興味なさそうに悠然と佇むクナルの美貌が、忌々しかった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 目が覚めると、朝日が降り注いでいる。眼前では、寝台に横たわっているはずの少女が上半身を起こしてこちらをみていた。

 

 金糸を束ねたような髪に朝の陽射しが反射して、キラキラと輝いている。眼には稲穂のような黄金色の瞳が嵌まっている。

 ダビドの想像以上。神が創りあげた造詣物のような、触れることすら恐れおおい神秘性を伴っていた。

 

「も、もう、朝か!」

 

 ――とにかく、説明しないと。自分が彼女を助けた経緯と、それと自分の立場と。あと、それと、あくまで部屋にはこんだのは正義感からで、不埒なものは一切ないと――。

 

 組んでいた腕を解くと勢いよく立ち上がる。しかし、勢い余ってバランスを崩し、背後に倒れてしまった。

 

 椅子と近くにあった机の上の新聞を撒き散らして、みっともなく倒れる。鈍い音とともに、背中を強く打った。

 

「い、いたたたたた」

 

 強く打った背中を押さえる。

 転がりながらも、頭の中にあったのは違うことだけだった。

 

 ――ああ、また、やっちゃったよ。もう、俺のばかやろう!

 

 少女の前で醜態を晒したことに頬を染めながら、彼女の顔を見上げた。

 

 陽光の中に舞い散る塵の先に、美しい彼女が目尻を下げ、瞬かせている。その唇の奥には、白い歯が小さく覗いていた。陽だまりに眠る小動物を優しく照らすような、優しい微笑み。

 

 その小さな微笑みに強く魅せられたダビドは、強く胸を高鳴らせた。

 

 少女は、ララノアと名乗った。アルン語で、微笑む太陽の意味を持つ名前であった。

 

 ダビドはどこか諦めたような彼女に根気よく問いかけると、彼女はポツリポツリと己の生い立ちを語り始めた。

 

 

 

 帝国大森林のアルン一族、西のタルカン族として生まれた彼女は、一族の総意として売り払われた女であった。彼女の転落人生は、最初の結婚に端を発し、紆余曲折(うよきょくせつ)を経たもので、悲惨の一言に尽きた。

 

 タルカン族の族長の娘として生を受けた彼女は、その擢んでた容貌と相まって太陽の華とすら名付けられるほどであり、数多くの男たちが娶ろうと熾烈な競争が起きたほどだった。

 

 彼女の最初の不幸は婚姻からであった。

 初潮を迎えた彼女は、数多のライバルを蹴落とした一族の勇士、精強で知られる男に娶られることとなった。

 ここで、この男に添い遂げることができれば、なんの不幸もなく、まずまず順風満帆といった生涯を送っただろう。だが、唐突に起きた魔獣災害により、その若き勇士は美しき太陽の花と讃えらえた少女を愛でることなくこの世を去った。

 

 大森林に暮らすアルン人にとって、魔獣災害によって命を落とすことなど、日常茶飯事である。初日に旦那を失った彼女ではあったが、候補者に限りはなかった。二人目の旦那が、嫁いだ初日に病で倒れ、彼女に触れることなくこの世を旅立つまでは。

 

 不幸を運ぶ女。

 

 科学技術の科すら浸透してない世界である。現代人より遥かに迷信深い帝国人だが、アルン人の部族はさらに原始的であった。

 村内で、売女を遥かに上回る陰口を叩かれたのも、仕方ないことだったのかもしれない。彼女の太陽の微笑みに、陰りが射しはじめたのはこの頃だった。

 

 心底困ったのは、部族の長たる彼女の父であった。

 閉鎖された村で、幼い少女が独り生きていくのは困難だ。部族の長は苦渋の決断の末、彼女を他の部族へ嫁がせることに決めた。

 

 しかし、運命は彼女を暗がりから離さなかった。

 

 迷信が、真実に。

 三度(みたび)、不幸が彼女を襲う。婚姻した日、狩りに赴いた夫を仲間の誤射が貫いた。

 

 不幸を運ぶ女の世評を確固たるものにしたララノアは、一族がこれでもかと忌避する人身売買を用いて、奴隷商人に売り払われることとなった。

 

 そんな彼女から笑顔が失われたのは必然だった。

 しかし、それでも生への渇望はある。奴隷商人たちの警備が緩んだ瞬間、脱走を図ったのだった。

 

 

 

 長話を聞かされた後、ダビドは心底自分が発見できたことにほっとした。そして、奥底から義憤の炎が燃え盛った。

 

 アルン人の奴隷売買はある種異常ともいえる強固な法律で禁止されている。それは、過去に狩りすぎた貴族たちの悔恨の意であるのだが、それはともかくとして、割に合わない事業なのである。

 

 彼女が助かったのは、大規模摘発のお陰であろう。辛かった調査が、この少女を助けたことに誇らしくなった。

 

「まあ、気にするな。多分、いくところもないだろうし、実家を紹介するよ。なに、心配しなくても、幼い姪とお袋がいるだけだから問題ない。それに、お金のことも気にしなくていい。これでも、俺は港湾検閲官なんだ。それに、結婚していなければ、子供もいない。――あ、ああ、そういう意味じゃなくて、お金の心配はないって意味だから――――」

 

 ララノアは、ダビドが官吏(かんり)だと知ると、随分安心した表情になった。そして、鈴を鳴らしたような澄んだ声色で、どうかよろしくお願い致しますと小さく呟いた。

 

 彼女の顔には、どこか自暴自棄の色がある。心底、いろいろな物を諦めている目だった。そんな彼女に、さっき見た微笑みを取り返してみせると心に誓った。

 

 休日出勤が当たり前のようになっているダビドではあったが、珍しく休み、ララノアを連れて実家へ赴いた。

 

 母親には、なにも告げず女を連れてきたことを咎められると思いきや、予想に反して顔を綻ばせて喜んだだけだった。母は戸惑う彼女を連れて、体を洗ってやり、お古ではあるがなるべく古臭くない衣服を着せてやった。

 

 垢が落ち、貫頭衣を脱ぎ捨てた彼女の姿は、天上人に匹敵する姿だった。これには、日頃三十にもなって恋人一人いないダビドをばかにしきっている姪も、口をアングリと開けて驚くしかなかった。

 

 どこか所在なさげに佇む彼女に対して母は厚かましくかまった。母は人種差別や奴隷を嫌う、役人の妻としては比較的珍しい革新的思想を持っていたのだ。アルン人に対して偏見を持つ父が何も言わないとなれば、母直伝、家事のイロハを止められる人物はいなかった。

 

 ララノアもそれを厭うことなく、従った。やることがない故の盲目さだったのだろうが、仕事に没頭することで心が和らぐことも多い。

 

 少しずつではあるものの、温かい家庭が、彼女の凍りついた心を溶かしつつあった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

 店主の話を聞いたアンヘルは、直ぐさま真偽を確かめにいった。一目散に駆けぬけてスリート商会宅に到着したが、しかし、マカレナと会うことは叶わなかった。

 

 元々立場が違う関係である。

 かたや商家のご令嬢。田舎村出身の探索者など、路傍の石にも劣る存在である。彼女が下に降りて来なければ、触れることすら叶わないのだ。

 

 結局、門番に止められたまま、中庭で新たな婚約者と話こむ彼女をただ見つめることしかできなかった。彼女は歩けば直ぐの距離を縮めることはなく、こちらを一瞥することもなかった。

 

 直接問いただすのは諦めて、片っ端から知り合いに当たってみたが、婚約に関する情報が明らかになるばかりだった。

 

 婚約者は宝石商の長男。堅実に、長く商売をしてきた商家である。スリート商会の装飾技術が合わされば、より飛躍の時を迎えるだろう。婚約者には悪い噂もなく、多少顔が冴えないということだけで、誠実な人であるらしかった。

 

 こうなると、もう何もできることはない。

 ただ、妹が嫁いでいくような。ただ、そんな寂しさを湛えながら、諦めるしかなかった。

 

「うん、その、ありがとね」

「いや、こっちこそ君が探索者として上手くやっていることが知れてよかったよ」

 

 スリート商会の護衛、イマノルに別れを告げて立ち去る。

 

 雪の降り頻る街を抜けていく。

 凍りつくような街路を抜けていく人々は、どこか慌ただしい。その足取りに取り残され、遂には雑踏の中で立ち止まってしまった。

 

 人は変わっていく。

 

 仮初の、永遠に続くと思っていた穏やかな日常はあっという間に姿をなくし、消えていく。

 夢を追いかけ、仕事を見つけ、そして家庭を持つ。変化。人が、空気が、風景が、自分を追い抜いていくのだ。

 

 残されたのは、ただ、無為に日々を過ごしていた自分だけだ。

 大きくなるのは体だけ。心は、ずっと子供の、過去のままだ。やりたいことすら見つからない、ただの迷子だ。

 

 今更、駆け出しても、もう遅い。アンヘルには、道すら見えないのだ。

 曲がりくねった迷路にいるような、それとも闇夜に囚われているような、現在地点すらわからない、暗渠(あんきょ)に迷い込んでいる。

 

 後ろから流れていく人々の肩がぶつかる。彼らには、ぶつかった者に対して怒声すら浴びせない。彼らには、道で立ち尽くす者に興味などないのだ。過ぎ去っていく日々に追いつくため、必死に歩き続けているのだ。

 

 よろめいている人間には、未来は見通せない。日常に追い越される人間に未来はない。それをわかっていながら、進めない。歩み出せないのだ。

 

 虚しさを抱えながらも、帰路についた。

 

 

 

 数日経って、飲食店のアルバイトから帰った夜だった。

 自室の扉の前にたどり着くと、珍しく話し声が聞こえる。もう夜中だ。受験前のホアンを訪ねてくる人もいないうえ、こんな時間に訪ねてくる知り合いにも心当たりはなかった。

 

 耳を澄ますと、中からは女性の高い声が響く。

 

 しかし、色っぽい事情には思えない。どこか怒りを感じさせる、詰問の重さが扉の取手に絡みついていた。

 

 静かな、静かな冷気。心を凍てつかせるような、嫌な重圧。其れが、この扉の奥に秘められている。そんな予感がした。

 

 扉を数度、ノックする。乾いた音が、辺りに響き渡った。

 

「どうぞ」

 

 凛とした声。冷え冷えした声が部屋に誘い込む。

 

 扉の取手を握った。心の臓すら震え上がらせる冷たさが、そこには宿っていた。重い扉を開く。ギイっと木が擦れる音の後、ゆっくりと扉の奥にいる人物が明らかになった。

 

 怜悧な黒い瞳に、絹を束ねて闇夜にとかしたような漆黒の髪。非人間的な、どこか人形を思わせる白い肌。深窓の令嬢の名に相応しい少女アリベールは、恐ろしく冷えた瞳でアンヘルを見据えていた。

 

「どうぞ、そこにかけて」

 

 指示されたのは、彼女の対面にある小さな椅子。ホアンは、その横で小さく震えながら座っていた。

 

 彼女の背後には二人の大男。護衛と思われる男たちは、不動の姿勢で立っている。

 

 部屋には暖炉の灯る。だというのに、部屋の中はまるで雪山のみたいに冷え冷えとしている。友好的な素振りは一切ない。

 

 おずおずと座った。臓器を握られているような痛い沈黙が続く。

 怒り、絶望、そして、炎。烈火の焔が灯る瞳から発される強烈な圧力を浴びながら、ただ、じっと待つしかなかった。

 

 どれほどの時間が経っただろうか。実際には、それほど時間が経っていなかろうと、永遠に感じられた。

 

 紅色の唇が悩ましげに(うごめ)くところを見るだけが、苦痛ですらあった。魂すら凍てつかせる視線。それを浴びせられながら、ただ、ずっと耐えるしかできなかった。

 

 悲痛な色を湛えながら、アリベールが言葉を選んでいる。長い刻を経た後、深窓の令嬢は言葉を放った。

 

「今朝、私の姉が遺体で発見されたわ」

 

 ゾッとする響きだった。地獄の使者すら震えさせる、魂の怒りの権化をそこに見た。

 

「それはもう、女性の尊厳を根本まで(おとし)められた姿でね。ねえ、あなた、なにか知っているの?」

 

 彼女の態度は事情聴取ではなかった。容疑者に対する尋問だ。恐ろしほど怒りの篭った言葉が放たれた。

 

 しかし、問いかけられたアンヘルは、それどころではなかった。

 目の前が真っ暗になる。闇の帳が降りたような、そんな暗闇が眼前に広がった。

 

 

 

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